2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
Wallace, Darwin's Forgotten Frenemy(全1記事)
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ハンク・グリーン氏:チャールズ・ダーウィンのことは誰もが知っています。
彼は進化の父であり、自然淘汰、適者生存の理論に辿り着いた最初の人物でもあります。でも実際には全てがダーウィンの功績ではないのです。
ダーウィンがガラパゴスフィンチの起源について解き明かした一方で、他の博物学者はインドネシアの現状について研究をして全く同じ結論にたどり着きました。彼の名前はアルフレッド・ラッセル・ウォレス。
ダーウィンは1830年代にビーグル号で世界旅行をしながら、自然淘汰の法則を導く研究をしていました。
イギリスに戻ってから、彼は数十年かけて自分の考えを基に研究を進め、それに関する本を時間をかけて執筆していました。ウォレスは1823年に生まれ、ダーウィンよりも14歳年下でした。彼もまた裕福でもなく、コネがあるわけでもありませんでした。
ダーウィンが几帳面に理論を仕上げていき、そのことが彼を有名にした一方で、ウォレスは世界旅行をしながら南米やマレー諸島で自然の歴史を研究していました。
1858年、ウォレスはすでに有名な科学者になっていたダーウィンに手紙を書き、時間と共に生物がどう変化していくのかについての彼の考えを詳しく説明しました。言うまでもなく、ダーウィンはこの知らない若者が辿り着いた進化についての結論が、自分と一緒だったことにとても驚きました。
ダーウィンは長い間、この本を執筆し続けており、ウォレスが先に出版し功績を全て持っていくのを嫌がりました。そこで彼と彼の友人は、生物学協会であるロンドンのリネン協会ですぐに会議を開きました。その会議で、協会の秘書は同時に双方の考えを発表しました。
ウォレスはその時インド洋にある遠く離れた島で研究をしており、その会議に出席していませんでした。しかし、それはダーウィンも同じでした。彼の1歳半になる息子がほんの数日前に亡くなっていたのです。
リネン協会にはほんの30名ほどの人が出席し、研究内容を聴きましたが、その時自分たちがどれほど凄い話を聴いているのかを誰も理解していませんでした。
ではなぜダーウィンはこんなにも有名になり、ウォレスは無名のままなのでしょうか?
まず1つ目に、ダーウィンがその理論のために数十年もの間研究を続けていたからでしょう。リネン協会での会議の1年後、彼は進化についてまとめた「種の起源」というタイトルの本を出版する準備を整えました。
みなさんも聞いたことがありますよね。この本は反響を呼び、聞いたこともないもう1人のおかしな若者のことはみんな忘れてしまいました。覚えていますか? ダーウィンはすでに有名でした。その10年ほど前に、彼はビーグル号航海記と呼ばれる人気の旅行記を出版していたからです。
そのせいで、ウォレスは自身の自然淘汰についての本を出版するのに数十年かかることになりました。その頃までに理論は「ダーウィンの進化論」として広く知られるようになっていました。ウォレスは遅れて、自然淘汰についての本を出版しましたが、その本のタイトルに「ダーウィンの進化論」という言葉を使いました。けれど役には立ちませんでした。
何年も過ぎて、ダーウィンとウォレスは礼儀をわきまえつつも、複雑な関係になりました。ウォレスは自然淘汰とは人間の知能では説明できないもので、何か大きな力が関わっているのだと主張しました。ダーウィンと彼の友人は同意しませんでした。
しかし、ウォレスがその後に金銭トラブルに見舞われた時、ダーウィンは彼の科学における貢献を認めてウォレスに年金が与えられるように力を貸しました。現在では、ウォレスは非科学者として注釈で名前を見かける程度です。
2013年には没後100年の記念に彼のブロンズ像を建立するためにお金を集めるというプロジェクトが立ち上がりましたが、いまだ道半ばの状態です。
しかし、かわいそうなウォレスは完全に忘れ去られたわけではありません。彼は生物がどう地球上で広がっていったのかについての研究で、生物地理学の父と呼ばれているのです。
アジアとオーストラリアの生物の種が、どのようにインドネシアやニューギニアで混ざり合ったのかという彼の研究は、どのように植物と動物が限定された場所で生きるのかについての科学的な興味を進めることになりました。
アジアの植物や動物がいるような島々と、オーストラリアの植物や動物がいるような島々を分ける境界線のことを指す、ウォレス線は彼の名前からきています。
最終的には、彼の像が作られ、ロンドン自然史博物館に寄付されました。ダーウィンの進化論はウォレスの進化論とも言えるのですから、自然淘汰の理論と永久的に結びついたダーウィンの知り合いということは幸せなことでしょう。
しかし、ダーウィンにとって友であり敵でもあるウォレスの功績は記憶に留められるべきでしょう。なぜならウォレスはダーウィンが本の執筆を終わらせる後押しとなったからです。
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