加藤九段が引退会見

司会者:6月20日の対局をもちまして現役引退となりました、加藤一二三九段引退会見を行います。

加藤一二三氏(以下、加藤):みなさま、こんにちは。これから引退の記者会見を行います。

記者1:記者会の幹事をしています、共同通信のイケマツです。今日はよろしくお願いします。

加藤:よろしくお願いします。

記者1:加藤九段の63年、長きにわたる現役生活、20日に終えられまして。今のお気持ちからお聞かせください。

加藤:そうですね、たいへんすっきりした気持ちです。というのは、これからも今までどおり、やる気を失わないで元気よく、これからの人生を歩んでいく気持ちですから。非常にすっきりしています。

記者1:タイトル挑戦した1960年の名人戦から、ずっと大山(康晴)さんと戦ってこられて、1968年にようやく十段戦で初タイトルが取れました。その時のお気持ちというのを振り返っていただけますでしょうか?

加藤:私の棋士人生の人生のなかで、初期の代表的なことはいわゆる十段の獲得で。読売新聞社さんの十段戦、第7期十段戦ですね。第1期から第6期までが大山名人十段だったんですけれども、第7期の十段戦で、私が挑戦者となって、4勝3敗でめでたく十段を獲得したんですけれども。

その第7期十段戦のなかで、一手に7時間考えてすばらしい手を見つけて勝ったこと。それから第6局で、自ら戦ってまして、感動を覚えたこと。この2つによって、私は「将棋というものは深い」、と。

それから将棋というものは、私は感動したので、これを伝えていけば、将棋ファンは私が感動したことに近いようなことの感動を覚えていただけるんじゃないかと思って。

私は将棋の棋士というものの存在、職業棋士としての存在は、立派な将棋を指して、それをファンの方々に大きな喜びを与えることに尽きると思って。

この2つの点が、自ら感動した経験と、一手に7時間の長考をして天来の妙手を見つけて勝ったことによって、いわゆる、そういった経験をしました。同時に、たしか30歳前だったんですけども、これで生涯現役としてやっていく自信が生まれました。

1982年7月31日夜9時2分の戴冠

記者2:これまでの将棋人生の中で「このシリーズ」「この1局」というものがあれば挙げていただければと思います。

加藤:私、20歳の時に、昭和35年ですけども、時の大山康晴名人と名人戦の七番勝負を戦って。その後、昭和48年に中原名人と戦ってですね。

それから3度目の名人戦っていうのが1982年、昭和で言いますと昭和57年の名人戦だったんですけども、3度目の挑戦で中原名人に勝って、念願の名人になったっていうのが、最大の思い出なんですよね。

それで、この1982年、7月31日の夜の9時2分に名人になったんですけども。それは、95パーセント負けてる将棋だったのを、私が逆転勝ちして勝って、念願の名人になったものですから。私は少し前にキリスト教の洗礼を受けたこともありまして、私が95パーセント負けてた名人戦で勝ったのですから、「これは神さまのお恵みだ」というふうに考えています。

記者2:この時というのは、「伝説の十番勝負」って言われてるんですけれども、1局目からどんな思いというか、「負けられない」っていう思いだったんでしょうか?

加藤:あのー、これがね、昭和57年の名人戦ですけども、その前の昭和52年、53年あたりは、共同通信社主催の『棋王戦』というタイトル戦で、中原さんにも勝ちですね、それから大木(和博)さんにも勝ちですね。

といったことで、いわゆる名人戦の前に、中原さんには棋王戦と、それから王将戦と、十段戦のタイトル戦、全部のタイトル戦で勝っていましたから、名人戦においても自信はあったんですけども。

とは言いながら、中原名人は名人10期の絶対王者。それで彼は10期目の防衛戦だったんですけども、私は中原さんに対してそれなりの自信はあったんだけども。

中原名人は名人戦となると、絶対に、今までのどのタイトル戦よりも、2割方ですね、力をアップしてくるっていうのは知っておりましたから。

名人戦だけは中原さんにとっては最後の砦ですから、そう簡単には勝たしてくれないと思ってましたけども、負ける気はしなかった。

それで、ついに、負ける気がしなかったのが、1982年の7月31日の夜の9時2分、ついに実現しましたから。

私はその時、勝つ手が見つかった時に、その瞬間、「あ、そうか!」と叫びました。

「あ、そうか!」というのは、「そうだ。20歳の時から名人戦にこの魂を燃やして戦ってきたけれども、22年後についに名人位を獲得できた」ってことで、「やった! あ、そうか!」と叫んだんですね。

スポンサーなどへの感謝

記者3:63年間という長い現役生活だったんですが、今終えられて、寂しさはありますでしょうか?

加藤:はい。私は常日頃思っていたことなんですけども、本当に棋戦を長年にわたって主催してくださった方、新聞社の方たち。

あるいは、その他の多くの棋戦を主催してくださってるスポンサーの方々に、深い深い感謝の念を持っていましたけども、改めてここに深く心からの謝意を表する次第です。

と言いますのは、我々がいくらがんばっても、棋戦を主催してくださる新聞社、あるいは報道機関、そういったスポンサーの方たちの支援・理解がなかったら、はっきり言って成り立たないわけですよね。

だから私は、まあ私に限りませんけども、棋士たちはですね、そういった棋戦を好意的に、本当に日本の将棋文化をなんとか発展させようという意図のもと、考えのもとに、各新聞社の幹部の方々、あるいは棋戦をお伝えしてくださってるスポンサーの、そういったトップの方々の強い強い意欲。使命感に基づいて将棋の棋戦をやってもらってることに対しまして、非常に感謝してます。

同時に、私はその負託に応えて、今までタイトルもたくさん獲り、それからまた、勝った数が1,324回勝ってますし。

それから今まで、例えば国からは紫綬褒章をいただき、また、バチカンの聖ヨハネ・パウロ2世からは、法王さまからはですね、勲章を賜ってまして、なんて言いますか、まあ、それなりに私の将棋人生は、かなりの成果をあげたというふうに思ってます。

とは言いながら、それはひとえに、本当にずっと長年に渡って、私のことを応援してくださったファンの方々の好意の賜物だというふうに考えておりまして。ただ、同時に、長年に渡って、私とともに魂を燃やし、ともに歩んで来てくれた妻に対して、深い感謝の気持ちを、改めてここに表明する次第ですね。

本当に棋士としては、とにかく、名局の数々を指してきまして、これはよく言うんですけども。例えば、バッハとかモーツァルトというような名曲の数々が、今でも世界中の人々に大きな喜びを与えると同じように。同じようにとは、ちょっとおこがましいんですけれども。

将棋のファンにとっては、私および私たちのトップの棋士たちが指した名局というのは、それは、文化遺産として残していけば、100年経っても200年経っても300年経ってもですね、人々の感動を必ず呼ぶという自信があります。

それだけの、誇り、自信はありますから、そういったことを達成できたのは、ひとえに、繰り返しますけども、本当に将棋の棋戦というものを、早い段階から志高く、なんとか将棋の棋士たちを応援してあげようという、好意ある方々の賜物というふうに、本当に深く感謝する次第で。

そういえば、ちょっと突然ですけども、6月の23日に引退しましたけれども、あ、ごめんなさい、6月の20日に引退が決まったんですけれども。

6月の23日に、白百合女子大学から客員教授の任命を与えられまして、6月の23日に白百合女子大の学長から任命書を受け取りまして、たいへん感激していまして。

教育というのも、たいへん大切ですからね。私、今の人生の中で、蓄積した知識とか人生観を、これから、折々に大学を訪れて、女子学生に語っていきたいというふうに意欲を燃やしています。

藤井聡太四段との思い出

記者4:次の質問よろしいでしょうか? 昨年12月に対決された藤井聡太四段なんですが、印象をどのようにお持ちでしょうか?

加藤:昨年の12月の24日、これは竜王戦の彼のデビュー戦だったんですけども。まず2つ感心しました。1つはですね、戦い上手で「うまい作戦で来たな」と思って、感心しました。

1つはですね、おやつの時間に私がチーズを食べ始めましたところ、藤井四段が、ちょっと間を置いて彼がチョコレートを食べ始めたんですよ。そこで私は非常に感心しました。

というのは、藤井四段が先にチョコレートを食べて、私がチーズをあとに食べても、まったくこれはマナー違反でもないし、失礼でもないんですけども。

藤井四段は、私がチーズを食べ始めるのを待って、彼がおやつを食べ始めたことに対しましては、非常に好感を持ちまして、「お、この藤井聡太四段はなかなか先輩に対する気遣いができてるな」と思って、非常に感心しまして。

もう1つはですね、対局中、1回だけ、終盤戦で、藤井四段が私の顔を一瞬チラッと見た瞬間があったんですけども。藤井四段が私の顔をチラっと見たから、藤井四段は私に対して、視線でなにを送ってるのかと思って、盤面を見たところですね。

5分くらい盤面を見たところ、そうか、藤井聡太四段が僕の顔を見たときはね。「加藤先生、あなたは、あなたのほうが優勢と思ってるんでしょ? だけども、この将棋は、私、藤井聡太が勝ってますよ」。ってことを、目で送ってくれたんですよ。それで、「お、この少年、なかなかこれはすごい」と思って、非常に感心しました。

それで、彼が破竹の連戦戦勝ですね。優れた、秀才型の素晴らしい棋士とは思ったけども、あのように、10連勝、20連勝、29連勝とするとは、まったく想像もしてませんでした。

彼が、勝って、勝って、勝っていく中で、私は藤井聡太四段の将棋を全部研究しまして、彼が秀才型の天才ということを悟りました。

いわゆる、彼は、作戦が非常にうまくてですね。非常に勝ち目が早い将棋を指します。スピーディーな戦い方で、早く有利に立つという戦い方を、彼はもう身につけてまして。

今のところ、よく言うんですけども、彼には欠点が1つもないんですよね。

というわけで、1つ非常にうれしいことは、藤井四段は、私についていつも非常にありがたいコメントを出してくれてまして。この前も藤井四段は、「加藤九段が引退されることは寂しい」というふうに、彼は書いてくれました。

さすがに私もね、もう引退は覚悟してることですから、はっきり言って割り切ってるんですけども。さすがにね、藤井少年から「寂しい」という言葉を聞きますと、やっぱりちょっとね、ホロっとしまして。

哀感という空気が漂ってきますよね。あの少年棋士がですよ、引退する私に対して、「寂しい」というふうに言ってくれたことは、非常に、やっぱりですね、素晴らしい後継者を抱くというふうに感動しましたね。

ファンへのメッセージ

記者5:最後に棋士人生を振り返るとともに、ファンのみなさまへ、なにかメッセージがあればお願いいたします。

加藤:本当にファンのみなさま方、長年にわたって私のことを好ましく思い応援してくださった方々に対しては、本当に心からの深甚なる感謝の意を表したいと思います。

また昨今ですね、本当に……今までは新聞社さんたちなどの長年の貢献に対して深い深い謝意を表しましたけれども、直近ではいわゆるテレビ報道でですね。

毎日のようなテレビ報道によって、今まで将棋なんかまったく知らなかった方々、まったく将棋に関しては縁のなかった方々、多くの方々が、テレビ報道によってたいへん棋士に対して好意を持っていただくことになって、本当に改めて感謝の意を本当に表したいと思います。

今、昨今、街を歩いていましても、どこでも多くの方々から「本当にお疲れ様でした」、あるいは「いい後輩が出て、先生よかったですね」ということで、まったく将棋がわからなかったような方々が、いわゆるテレビ報道によって……。

やっぱりテレビ放送というのは多くの方々が見ていらっしゃるし、例えば家庭の主婦も多く見ていらっしゃるわけで、本当に「お疲れ様でした」と言われますし、やっぱり非常にうれしいことは、「なかなかすばらしい後輩が出てきてよかったですね」と言われますし。

「いや、どうやら将棋界というのはなかなか明るい、良い世界ですね」と、本当に見知らぬ方から微笑みながら話しかけられてますので、たいへんそのことに関しても深く本当にありがたいことだと感謝を表する次第です。

記者5:ありがとうございました。

50年、100年色褪せない名局を指せた

司会者:こちらを最後とさせていただきます。

記者6:報知新聞のキタノと申します。63年間、本当にお疲れ様でした。あえてうかがいたいんですが、63年間、棋士として将棋という勝負を戦ってこられて、加藤先生が「将棋とはなにか?」あるいは「棋士とはなにか?」と問われたら、どんなお答えになりますでしょうか?

加藤:先ほど白百合女子大学の客員教授に任命されたと申し上げたんですけれども。その理由は、私が平安時代から伝わってきている日本の伝統文化の正当な後継者として任命されたんですけれども。

私は本当に長年にわたって、この熱戦の対局の場を与えられたことによりまして、私は名局の数々を指してきまして、1,324回勝ってますけれども、そのなかの90パーセントは名局なんですね。まあ一言でいうと、私は名局の数々をたくさん指してきたということ、その一点につきます。

もし仮に、1,324回勝っていますけれども、これが例えば勝ちは勝ちだととしたものの内容的にいうと普通だというのであれば、私もあえて誇りには思いませんけれども、もう本当に精魂込めて魂を燃やして精進した結果が、本当に50年、100年色褪せない名局を指せたことが、私にとっては大きな誇り、喜びであると思っています。

私はこれから、私が勝った将棋ですね。あと1,000局ぐらい勝った将棋で本に書いてませんから、これから私の義務としては、講演とか、将棋を教えるとか、イベントとか、たくさんたくさん仕事が待ってるんですけれども。その仕事とは別に、誰からの注文がなくてもしなくちゃいけないことは、私が常々「私の将棋は名局だ」と言っている以上に、じゃあなんで名局かということを本に書いて伝えていく義務があるというふうに思っています。

これはたぶん5年がかりぐらいで、私の名局集を書いていくつもりでおります。ということなんですけれどもね。

心安んじて引退することができる

司会者:ありがとうございました。それではこちらをもちまして記者会見終了になります。先生、もう一度、なにかおっしゃりたいことございましたら。

加藤:えーと、もう……はい。

司会者:今後の展望などがありありましたら。

加藤:あ、これからですね。ああ、そうだ。一言忘れてました。

(会場笑)

加藤:この将棋界は、今、佐藤康光会長、それから羽生善治三冠王、それから谷川浩司永世名人、それから渡辺明永世竜王、それから森内俊之永世名人というふうに、本当にたいへん人格的にも優れ、それから将棋はもうすでに完成した域に達してる将棋界の名人、達人が揃っておりますから、こんな本当に立派な後継者が揃っておりますから、私は引退することになりましても、心安んじて引退していくことができて、たいへんありがたいことというふうに思っております。以上です。

司会者:ありがとうございました。それでは最後になりますが、清水市代女流六段、日本将棋連盟常務理事より花束の贈呈でございます。