「仲の良い社会」の恐ろしさ

――なぜ今サイコパスに、こんなに興味関心が集まってるんでしょうか? トランプみたいな人が当選したり、そのへんの世相の反映がある気はしますが。彼のような変革者が今求められている?

中野信子氏(以下、中野):向社会性が高まりすぎてるというのも大きいと思うんですけど。やっぱりネットの社会の発展というのも大きいと思うんですよね。世界中どこに行ってもつながれるし。

例えば、ぜんぜん「ひさしぶりですね」という感じがしないのも、もう同じコミュニティの一員というふうに我々は認知していて、顔を合わせなくても意見を交換することができるという。本当に地球は狭くなった。1つの社会になりつつあるという現象があります。

そうするとなにが起こるかというと、仲間意識の高まりによって排除される人の存在もまた増えるということなんですよね。みんなが仲良くなることは決していいことばかりではない。

――なるほど。

中野:みんなが1つに団結するみたいな言い方ありますね。すごく恐ろしいと思っています。組織とか集団コミュニティの論理が個人の意思よりも優先されちゃう。「仲良きことは美しきかな」が一番美しくて、じゃあその和を乱すものは悪かということなので、ちょっとでも逸脱が許されなかったりします。みんなと同じように振る舞わなければいけないし、空気を読んだ発言をしないといけない。

そうしたときに、じゃあそこからどうやっても逸脱しちゃう人はどうすればいいんだということになりますよね。

これは逸脱しがちな人たちだけの苦しみではなくて。みんな実は本当は均質ではなくて多様性を持った存在なので、なんらかの基準で切れば、みんな必ずどこかは逸脱しちゃう。みんなが逸脱者になりうるんですけれども、その可能性をなるべく小さくしようとして自分を殺して生きなければならないのが「仲の良い社会」です。

「変えたい人たち」は、変えたあとのことまで考えていない

この閉塞感を打ち破ってほしいけど、とても自分にはできない。というときに、破天荒にその社会を打破してくれるような人に可能性を感じるという現象が起こる。その代表例がトランプ現象だったんじゃないですかね。

――コミュニティそのものを壊してほしいと思っているわけじゃない?

中野:コミュニティそのもののリアルな崩壊は想像していないんですよね。だけど、この現状、この空気を変えてほしいと思っている。

――でも、変わったとしても、多様化した状態のコミュニティが残るんじゃなくて、たぶん逆サイドに振り切れちゃったりとかするだけですよね?

中野:その通りです。

小泉元首相が300議席獲ったとき、メディアではなにが起こっていたかというと、小泉首相は「ぶっ壊す」というキーワードですごくみんなに支持された人でしたね。それでなにが起こったかというと、メディアでは小泉首相を批判することがほぼ禁忌のような状態になりました。

官邸サイドからなにか規制がかかったというより、メディア側が斟酌して言わなくなったんですよね。視聴率が落ちるから。彼を褒めないと。「人気があるから、やっぱりここは批判することはやめておきましょう」って。

そうすると、「ぶっ壊す」って言ってたはずなのに、「あれ? 閉塞感って逆の方向に振れただけで、結局続いているよね」ということが起きる。

トランプ大統領だってそうですよね。アメリカを変えてくれそうな人だと思いきや、「あれ? トランプ大統領を褒め称えないと政権から排除ですか? 偉大なアメリカ! って言い続けないと裏切り者扱いされそうですか? もしかして」という、実はよく考えるとより閉鎖的な社会を構築してたりするんですよね。不思議なことに。

――具体的にこう変えてほしいというよりは、「今と違えばなんでもいい」みたいな感覚があるんじゃないかなと思うんですが。

中野:そうですね。今の状態を変える、ということに基本的にヒトは、意識の大半を奪われてしまいます。その結果のことにまで目を向けることは難しい。

経営者はサイコパシーが高い

――仕事においては、サイコパス的な人って、活躍できるのでしょうか?

中野:みんなが斟酌してやりにくいことを、バシッとやれるという才能があるでしょうね。

――それはわかるな。なんか想像しやすいですね。

中野:非情な判断とか。例えば、外科医の例。外科医はサイコパスが多い職業の3番目ぐらいに出てると思いますけど、外科医であまりにも共感性が高い人がいたら、その人はきっと手術下手だろうなと思いません?

――そうですね。メス入れるたびに自分も「痛え」みたいな感じになるってことですよね。

中野:共感性の低さが活きる場面というのは必ずあるので、そういう活かし方をぜひしていただきたい。外科医だけにかぎらず、組織を立て直すときに外科医的なことをしなきゃいけない部分もあったりすると思うんですよね。組織の舵取りだったり、国の舵取りだったりということもあるかもしれない。

あるいは、外交の場面もそういうことがあるかもしれない。相手側の事情に共感せずに、理解はするけれども、自国の利益をできるだけ強く打ち出していくことができる人が、外交官のほうがよかったりするわけですよね。

――経営者にはサイコパスが多い、って中野さんの著書(『サイコパス』/文春新書)にあったじゃないですか。この本の話をうちのスタッフにすると、「社長、めっちゃ当てはまってますね」と言われるんですよね。

中野:言われるんだ(笑)。スコア高そうですね。

――あ、でも、著書にあったサイコパステストみたいなものをやってみたら、思ったより点数低かったですよ。

中野:いえ、これは自己評価すると低く出がちなものなので。

――なんと(笑)。

強すぎる承認欲求が生み出す「ファッションサイコパス」

中野:ただ、自分でやると点数が高くなる人もいます。

――「ファッションサイコパス」とかすごいありそう。

中野:ありますね。

――えっ、本当にあるんですね。

中野:うん。これが3番目に多い感想ですね。1番目の感想は「周りにいるいる」。2番目は「自分もそうじゃないか?」。3番目は「俺もサイコパスになりたい」「俺こそサイコパスだよ」って自慢げに言う人。

そういう人は、サイコパスに対する理解が不足しているというのと、自分がサイコパスのように振る舞えていないということを、おそらくどこかで知っているはずです。あんなふうに冷たくなりたいけど、自分はできていないなという残念感的なものが。

――それで言うと、個性重視みたいな風潮があるじゃないですか。この間、私の知人がやっている会社に入社した新卒の子が1ヶ月で辞めちゃったらしいんですけど。辞め際に「こんな仕事私らしくない!」って言ったとか。

中野:……(笑)。

――でも、そういう子が最近多いみたいな話は聞いていて、個性があるほうがカッコイイみたいな風潮が若い子たちの間であるのかな、と。だからファッションサイコパスみたいな感じで、ある意味、他者と違えば違うほど目立って承認されるみたいな。人と違うことに対する憧れって、やっぱり誰しも持ってるかなと。

中野:そうですね。承認されたいという。ファッションサイコパスで極めて問題なのは、「人を殺してみたかった」といってサイコパスの振る舞いの真似をする人が出ることですね。

――それ、ファッションなんですか?

中野:「自分にはサイコパス的な振る舞いができる」と証明するための、その証拠としての儀式の殺人。わざわざそんなリスクを冒して証明しなければならないほどなら、偽装ですよね。殺人を行ったところで、別に脳が変化するわけではないですし。

――でも、そこでブレーキがかからない時点で本物じゃないかと思うのですが。

中野:いや、承認欲求が強すぎてやる、ということはあると思います。人を殺せば自分も「特別な人たち」の一員になれると思ったら、リスクを冒してやってしまう。それに対して、後ろめたさ、罪の意識は本当は感じているんだけれども、感じていないと思い込もうとしたり。

――情動のほうが瞬間的に上回っちゃって、殺しちゃうということですね?

中野:そうそう。自分は普通の人とは違うんだ、特別なんだということを、認められたいという気持ちです。

――それって、実際に事件として存在するんですか?

中野:これはあくまで推測なんですけれど……。2014年の、佐世保の事件。自分の同級生を殺して身体を切断したという。

――ああ、あの事件ですね。あれはファッションサイコパスなんですか?

中野:ファッションでしょうね。「自分は普通の女の子とは違う」というメッセージをどうしても発したい、止み難い思いがあったのだと思います。

――中野さんは元々サイコパスに興味関心が強くて、おもしろがってるような印象があったんですが、著書を読んだらそういう雰囲気ではありませんでした。それは、こういった犯罪の助長にならないように、というのもあるんでしょうか。

中野:そこはすごく気を遣いました。「自分はサイコパスです」って周りに言うのは自由なんだけれど、それが犯罪に結びつく手前で止めてほしい。持っている資質はどんなものであれ、必ず建設的な方向に活かすことができます。できるだけそうしてほしいという、強い気持ちがあります。

サイコパス (文春新書)