YOSHIKI氏による演奏が終わり、三木谷氏との対談スタート

YOSHIKI氏(以下、YOSHIKI):これから対談ということで、三木谷さん、どうぞこちらへ。

三木谷浩史氏(以下、三木谷):むっちゃ上がりにくい雰囲気なんですよね~。

YOSHIKI:え、なんでですか!?

三木谷:むっちゃくちゃ上がりにくい雰囲気なんですけど。

YOSHIKI:上がりにくい?

三木谷:ステージに上がりにくい。

YOSHIKI:そうですよね。あそこに段差があるので、気をつけてください。

三木谷:そういう意味じゃなくて(笑)。

YOSHIKI:え、なになに(笑)。

三木谷:そういう意味じゃないんですよ(笑)。漫談やってるんじゃないんだから(笑)。

(会場笑)

YOSHIKI:あちらに座りますか。

司会者:YOSHIKIさん、素晴らしい演奏をありがとうございました。今一度、盛大な拍手をお送りください。

(会場拍手)

2人のつながりは楽天モバイルのCM

さっそくですが、YOSHIKIさんと三木谷さんといえば、現在放送されている楽天モバイルのCMが話題ですよね。せっかくなので、YOSHIKIさんがご出演されている楽天モバイルのCMを、ご覧いただきましょう。どうぞ。

(CM流れる)

三木谷:かっこよすぎない?

(会場拍手)

YOSHIKI:これ、携帯のCMなんだか、僕のCMなんだかわかんなくなっちゃう(笑)。

三木谷:いいんです、それで。

YOSHIKI:いいんですか(笑)。

三木谷:いいんです。でも、やっぱりかっこいいですよ。本当にありがとうございます。

YOSHIKI:いえいえ。なんて返答していいかわからないですね、そういうときって(笑)。

司会者:さぁ、そして、こちらのCMですが、先日公開された『WE ARE X』の映像が使用されていますので、そちらのトレーラーも合わせてご覧になってください。

三木谷:どんどんきますよ。

YOSHIKI:どんどんきますね(笑)。

(会場笑)

(トレーラー流れる)

司会者:YOSHIKIさんの生い立ちから、X JAPAN結成、海外進出、そして現在までを追ったドキュメンタリー映画です。ぜひご覧になってみてください。

「夢を叶えるため、ネガティブ要素をすべて削った」

それでは、トークセッションを進めていきたいと思います。私からYOSHIKIさんに質問させていただきますが、三木谷さんは、ご自身の経験を交えてコメントをいただければと思います。よろしくお願いいたします。

この映画、『WE ARE X』により、ご自身の半生やX JAPANを、改めて振り返ったかと思いますが、念願であった、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンに立つに至るまで、どんなポイント、どんなチャンレンジ、どんな想いがあったのでしょうか?

YOSHIKI:デビューして約30年くらい経ちまして。僕、アメリカに移ってからは、ロサンゼルスに住んでいるんですが、20年以上経ってるんです。

もちろん子どものときから、「いつかは、武道館でやりたい」「東京ドームでやりたい」という夢が叶っていく中で、「アメリカ、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンでやりたい」というのは、どこかであったんです。急にたどり着けるものでもないですけど。

ただ、夢は叶う。そういう経験がいつもあったので、自然にゴールにたどり着けると思ってたんです。

逆に言うと、ゴールを決めたら、なにがなんでもそこにたどり着くという感じで。なにかターニングポイントがあったわけじゃなくて、ひたすらそのゴールに向かっていただけなんです。気づいたらステージに立ってまして、さすがに感極まりましたね。

マディソンスクエアガーデンでやるために、「なんで僕はできないんだろう」というネガティブ要素をすべて削っていったんです。どうすればお客さんとコミュニケーションができるんだ? じゃあ英語を学ばなきゃいけない。

英語はできた。じゃあ次はなんだ? それくらい集客できるバンドにならなきゃいけない。それを1つずつクリアしていったら、ネガティブ要素がなくなったときに、普通にステージに立てたという感じですかね。

三木谷:努力がすごいよね。私も今、1年の半分くらいアメリカにいるんで、ときどきロサンゼルスでお会いさせてもらうんですけれども。英語も、1日5時間以上勉強してるんですよね。

YOSHIKI:I'm still learning English.

三木谷:You still learning. We thought about doing it in English, right?

YOSHIKI:Right.

三木谷:最初、このセッションは英語でやろうって話してたんですけど、結局、日本語になりました(笑)。

(会場笑)

三木谷:全部言うとネタバレになっちゃうんですけれども。YOSHIKIさんとはすごく長い付き合いで、最初から天才だということはわかってたんですが、アメリカに行ってわかったのは、天才の裏には、この振り切ったアナーキーさと、凄まじい地道な努力がある。

当然、ミュージックの面でもそうですし、それ以外の、英語の面においても尊敬しちゃいます。

YOSHIKI:恐縮です(笑)。

続けた努力が波になり、幸運になった

司会者:さて、90年代からチャレンジされているということなんですけれども、日本のアーティストが海外で活躍するその意義、そして、その難しさとはどういったところにあるんでしょうか?

YOSHIKI:映画を見ていただくと、僕はとても不幸な人生を歩んだようにも思われるんですが、実はすごく幸福な面もあって。

不思議なもので、努力をしていると、波ができてくるというか。僕は、昔からよく、「波は乗るもんじゃない、波はつくるもの」だと言ってきたんですが、30年前、もし日本のアーティストが海外でチャレンジしようとしても、たぶん無理だったと思います。

僕らの映画の中で、20数年前に、アメリカのロックフェラーセンターで記者会見を行ったんです。そのときに、ものすごい記者の方たちが集まっていただいたんですけど、攻撃も受けたんですよ。「なんであなたたちが成功すると思ってるんだ?」みたいな。これすごいなと思って、いきなり洗礼を受けまして。

それから、何年も経ったわけですけど、だんだん日本のカルチャーが、日本食、アニメーション、そういうものがどんどん海外に広まっていって。クールジャパンという言葉もありますが、気づいたら、日本人であることがかっこよくなってきた。

音楽はまだこれからだと思うんですが、自然と日本のカルチャーの中における自分たちの立場が、アメリカでも認められるようになってきた。極端に言うと、あまり僕が努力してないところでも、そうなってきたというので、重ね合わせて、X JAPANというか、僕らも一緒に努力をし始めたというか。とても不思議なことが起こったという。

それはまだ加速していると思うので。30年前というのは、LAで日本食屋を探すのが苦労したのに、今は、日本食屋がない街がないくらい。

それはロサンゼルスに限らず、ロシアに行っても、どの国に行っても。僕は毎年、十数ヶ国をコンサートで回るんですが、日本食が避けられないくらい、広まっています。そうやって、状況が好転してきた。

チャンスは突然くる。だからいつも戦闘態勢でいなきゃいけない

三木谷さんもそういうのはありますか?

三木谷:そうですね。でもYOSHIKIさんの場合、音楽性もロックだけじゃなくて、クラシック、それから作曲も含めてやってますよね。世界を見渡してみてもいないんじゃないですか? ロックとクラシックを両方やっている方。

この前、カーネギーホールで、私が理事長をやっている東京フィルハーモニーも少しだけご協力させていただいたんですけど、すごかったですもんね。

YOSHIKI:そうですね。今年の1月。三木谷さんが、東京フィルハーモニーの理事長をやられていて、その流れもあり、カーネギーホールで東京フィルと共演させていただいたんです。2日間ですね。あれは、僕も感極まりました!

僕はもともとクラシックピアノから始めて、父親を亡くしたときに、ドラムにいったんですけど。でもそれは、ドラムに転職したわけじゃなくて(笑)。そのままピアノも続けながらという。X JAPANでデビューしたときも、このマディソンスクエアでやったときも、いつかはカーネギーホールでやりたいなという、同じような夢をずっと抱いていた。

2014年に1度、クラシックピアノで世界ツアーを回っているんですが、当時アメリカのエージェントが、まだカーネギーホールから手は挙がらないって言われまして(笑)。いきなり挙がるわけがない、みたいな。

実績を作って、世界各地で……サンフランシスコもシンフォニーホールでやっていく中で、評判を聞きつけてくれまして。今回、カーネギーから手が挙がった。

スケジュール的には、ちょうどその2ヶ月後に、X JAPANのウェンブリーアリーナもあったので、そこに向かっている最中だったんです。このチャンスはなんとしても手にしなきゃいけないと思いまして。

そういうのって、突然くるじゃないですか。僕が思うのは、いつも戦闘態勢でいなきゃいけないんだなという。例えば、明日なにか来るかもしれない、そのときに、いつも準備ができてなきゃいけない。そんな状況の中で、カーネギーホールをやったんです。

コンサートを実現したため、紅白出演をノーリハーサルで挑む結果に

三木谷:素晴らしかったですよね。香港の話もすごかったけど。

YOSHIKI:三木谷さん、くわしいですね(笑)。

僕の話ばかりで恐縮なんですが、実は、去年の12月29日、香港公演がありまして、会場も6,000人規模の大きいところだったんです。19時から開演だったんですが、17時の時点では、プロモーターから、今日の公演はキャンセルですって言われたんですね。

お客さんはもう会場に集まってるわけですよ。ちょうど会場入りする寸前で「えっなにそれ!?」みたいなことになりまして(笑)。

次のドキュメンタリーがあったら、それもあると思うんです。僕、そのときに「カメラを楽屋に入れてくれ」と始まりまして。

いろいろと事情があったんですが。実は、2つのプロモーターがいまして、お互いに申請したと思ってたけど、お互いにしてなかったということで、キャンセルになったんです。やはり、ヨーロッパとか日本からもお客さんが来てまして。

それで、なんとかコンサートをやろうと。そうしたら、小屋は貸せないと。じゃあ、無料コンサートにしたら貸せるのかと言ったら、それも今から申請が必要だということで、1時間でできなかった。なんとかできないかずっと交渉したんですけど、やっぱりできなくて。じゃあ明日だったらできるのか? ギリギリまでやってみなきゃわからないということで。

急遽、明日、12月30日に無料コンサートを開きますと、僕がアナウンスをしました。それもギリギリまでできるかどうかわからなかったんですが、基本的に、全員、チケット持ってる人は招待に変えまして。

三木谷:すごいですよね。

YOSHIKI:いや、でもあのときは、次の日、紅白が入ってたので(笑)。

三木谷:ノーリハで(笑)。

YOSHIKI:そうですね。31日に日本に行きまして、とてもみなさんに迷惑をかけました。