宮里氏が考える、自身が世界で活躍できた要因

司会者:続きまして、新聞を代表して、スポーツニッポンさまです。よろしくお願いします。

記者2:新聞各社を代表しまして、スポーツニッポンのトクナガと申します。新聞各社を代表して質問させていただきます。まずは、残り試合がありますが、お疲れさまでした。

宮里藍氏(以下、宮里):ありがとうございます。

記者2:いろいろメディアに協力的な活動をやっていただきまして、ありがとうございました。プロになって15年、いろんな試合があったと思うんですけど、一番思い出に残っている試合、それから一番思い出に残っているショットなどがあったら教えてください。

宮里:やはりアマチュアで勝ったミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンは、自分のなかでもターニングポイントになった試合ですので、あの試合なくしては今の自分がないですし。今パッと思い浮かんだ試合がその試合だったんですけども……。

アメリカではやはり、エビアン・マスターズの初優勝が記憶に残っていて、4年かかってもぎとった優勝だったので、すごく自分のなかでも達成感はありましたし、その前にドライバーのスランプもあったので、プレーオフの18番のティーショットっていうのも自分のなかでもスランプを乗り越えた一瞬だと思うので、そのショットはすごくよく覚えてます。

記者2:日本でもアメリカでも優勝されて、世界ランキング1位にもなりました。これだけ世界で活躍できた要因はなんだとお思いでしょうか?

宮里:自分自身と向き合えたことだったんじゃないかなと思っているんですけども、私はアメリカツアーで小柄なほうなので、パワーもそんなにないですし、そこをショットの精度と小技で勝負するところで、さらにメンタルトレーニングも加わって、そこが土台となって戦えたんじゃないかと思っているので。

そこがゴルフのいいところというか、必ずしも体格の差がハンデになるわけではなくて、自分自身をしっかりコントロールして自分自身を信じるというところで、私はここまでできたと思うので。逆に言えば、私ができたので、これからの選手は、もっともっと、いろんな選手ができるんじゃないかなというふうにも思います。

記者2:引退を決めるにあたって、影響を受けた人物とか、かけてもらった言葉とか、そういうのがあったら教えてください。

宮里:そうですね……。誰にも話してなかったことなので、本当に自分自身で決めたことでしたし。でも、逆に引退を発表してからロレーナ(・オチョア選手)にメールをもらったりですとか、今後、彼女の言葉が参考になったりですとか、ゴルフに携わっていくのにどういうふうにしていくのがいいかっていうアドバイスを求める機会が、逆に増えるんじゃないかと思います。

記者2:2020年には東京でオリンピックが開かれて、ゴルフも競技として行われますけども、東京オリンピックに対する想いですとか、携わってみたいという思いはありますか?

宮里:今はちょっと考えられないというか……。本当に今シーズンの残りの試合に全力を注ぎたいと思っているので、今シーズンのその先のことはちょっと頭にはないんですけども、でも、なにか私にできることがもしあるのであれば、それは積極的にやらせていただきたいとは思います。

記者2:第二の人生はまだ具体的なプランはないということでしたけれども、拠点はアメリカ、日本どちらに置かれて活動するのか、そのあたりは決まっていますでしょうか。

宮里:そのへんもぜんぜんまだ決まっていないですね。逆を言えば、決めていないという言い方もできるんですけれども、今回いろいろ自分のなかで決断するにあたって、物事を先に決めることが自分をちょっと苦しくしてしまうと思ったので、あえてそこは決めずに。

本当に今シーズンいっぱいがんばって、やり抜いた先にある自分の想いを大事にしていきたいなと思っているので。本当に元々選手としても感覚派なんですけれども、終わってみて自分の感覚に正直に生きたらいいなと思います。

記者:代表質問は以上です。ありがとうございます。

「今年いっぱい」と決めたことが力に

司会者:それではこれより各社様の質疑応答に移らせていただきます。質問は挙手でお願いいたします。

記者3:日本テレビ『NEWS ZERO』と申します。お疲れ様でございました。

宮里:ありがとうございます。

記者3:いつかは迎えるこの引退の日でしたけれども、改めて今これだけのメディアのみなさんを前にして今の実感というのはいかがですか? ほっとしているのか、ちょっとさみしい思いがあるのか、いかがでしょう?

宮里:本当にこんなに大きな反響をいただけるということは自分ではぜんぜん想像もしていなかったので、今日すごく、今もですけども緊張してますし、でも逆にこれだけたくさんの方に集まっていただいてすごくうれしいですし、先ほども言ったんですけれども、本当に今、感謝の気持ちで胸がいっぱいで、自分の引き際のさみしさというよりもそこに気持ちがいくので、今日これだけの方が集まってくださってすごくうれしいです。

記者3:先週金曜日、日本中、いや世界中が正直驚いたと思うんですが、もちろん驚かせるつもりはなかったと思うんですけれども。

宮里:ないです(笑)。

記者3:周りのリアクションとか反応はいかがですか?

宮里:そうですね、アメリカツアーの選手も連絡を直接くれたりしたんですけれども、どうしても、いろいろと考えた末このタイミングになったというところではあるんですが、シーズン初めにみなさまに発表してもよかったんだとは思うんですけれども、やはり今年いっぱいと決めたことで、1試合でも多く自然体で自分の力を出し切る、それが優勝につながってくれればいいという思いのほうがちょっと強かったので。

でも、日本の試合に出場できる機会も数少ないですし、みなさんに想いを伝えて、1試合でも多くの試合でたくさんの方がまた見に来てくだされば、それはそれですごくすてきなことだなと思えたので、このタイミングになりました。

記者3:最後に、かつてのインタビューで、ゴルファーとしても、そして人生においても30歳がピークになるのではないかと、そういった意味でも先週もすばらしい結果を残してますし、まだまだやれるんじゃないかと思っている人も多くいると思うんですが、そのあたり悩むことはなかったですか?

宮里:そう言っていただけるのはすごくうれしいですし、まあでもあの、本当に、先ほども申し上げましたけれども、戦い続けるという意味においては、今の自分ではやはり足りないですし、本当にそれを痛感していて、プロとして結果を残し続けていくというところがすごく難しくなってしまったので。

今、期間を設けることでがんばれているモチベーションというのは、本当に期間限定だと思ってますし、これがきっかけでずっと続くかどうかっていうふうに言われると、やはり自分のなかでは「今年いっぱい」と決めたことで今このプレーができてるんじゃないかなという感覚があるので……。でも、それでも今年いっぱい、こういうふうに感謝の気持ちを持って、モチベーションを高められたということが自分にとってすごくうれしいです。

モチベーションが上がらなくなった要因は

司会者:では今挙げられている、前から3列目の、キャップのお隣の方。

記者4:TBSアナウンサーのイシイです。本当に勇気、感動ありがとうございました。

宮里:ありがとうございます。

記者4:その中で4~5年前から、モチベーションが上がりにくくなったということをお話しされていました。それは要因として、どんなことが一番挙げられるんでしょうか?

宮里:2012年の後半なんですけれども、2012年のシーズンは確か2勝していて、自分のなかでも2009年に試合を勝ってから、4年間勝ち続けていて、ナンバーワンになったり、自分のなかでも、プロゴルファーとしてピークを迎えてるという感覚があって、それなのにメジャータイトルが取れないということで、すごく逆に葛藤もありまして。

そこで自分のなかで、そういうふうに考えなくてもよかったんじゃないかなっていうふうに今思うんですけれども、「こんなに一番いい時に、調子がよくて自信があるときに、メジャーで勝てなければ、次はどうしたらいいんだろう」っていうふうに、一度立ち止まってしまったところが原因だと思っていて、そこから自分自身をちょっと見失ったというか、次はどこにモチベーションを置いて、どういうふうに立て直していったらいいんだろう、というところですごく悩みましたし、そこが一番難しかったですね。

記者4:そのなかで自分自身を奮い立たせて、この4~5年戦ってきたということですが、世界で戦う厳しさ、これから若い選手たちに、それからこれからゴルフで世界を目指す人たちに、一番ご自身が経験したなかで伝えていなければならないこと、どんなことでしょう?

宮里:もちろんいろんなかたちの挑戦があると思うんですけれども、私が経験したなかではやはり、アメリカツアーは移動も多いですし、芝のコンディションも毎回変わっていて、天候もめまぐるしく変わりますし、そのなかでいろんな引き出しを作っていくということで私の場合は時間がかかったので、そこでどれだけ自分を忍耐強く保てるかというところが、勝負になるんじゃないかというふうに思っています。

私もそうだったんですけれども、そこで一度自分がわからなくなるというか、今まで戦えていたものが戦えなくなるというか、つまり今まで武器だったものが武器ではなくなってしまう瞬間がどうしても出てきてしまうので、それはアメリカでやるにしろ日本でやるにしろきっと誰もが一度は通るところだとは思っていて、場所は関係ないというふうに思うので、私の場合は自分と向き合うっていうところが、まあ、ほぼほぼ趣味に近かったというか(笑)。

それは苦痛というよりも、追究していくほうにエネルギーを持っていくのが好きだったので、それがうまく作用したんじゃないかなというふうには思います。

記者4:最後になりますが、改めてお父さまに一言、声をかけるとしたら、何といいたいと思いますか?

宮里:うちの家族でゴルフを始めたのは実は母なんですけれども、ほんとに両親ともども、すごく今までたくさん支えてもらいましたし、とくに父はコーチとしても、たくさん喧嘩もしましたし、素直じゃない私の部分も理解してくれて、最後のほうはうまく歩み寄れたかなと思っているんですけれども、でもたくさんの思い出を一緒に共有できたんじゃないかなとは思っていて。

プロゴルファーとしてすごく幸せなことだと思ってますし、両親には感謝の気持ちしかないないので、「本当にありがとうございます」ということを伝えたいです。