FacebookのCOOが語る「立ち直る力」

シェリル・サンドバーグ氏:サンズ理事長、尊敬すべき教員の方々、誇らしげに座っていらっしゃるご両親方、献身的に支えてくれた友人、ずぶ濡れの兄弟……みなさま、おめでとうございます。そして、なによりもまず、バージニア工科大学2017年卒業生のみなさん、本当におめでとうございます!

いまこの場で、みなさんにお話ができることをなによりも誇りに思います。サンフランシスコでのこの夏は、まるで実家で過ごしたような気分でした。そしてなによりも、「科学技術」という言葉そのものが示すようなことを、まさにしてきました。

友人であるレジーナ・ダガンと一緒に今この場にいられることは、とても光栄です。先ほどお話があったように、レジーナはDARPA(米国国防先端研究計画局)で働いていました。フィクションではなく、本物の。今はFacebookで新しい技術を発展させ、新たな突破口を見出そうとしています。バージニア工科大学らしく表現すると、彼女はブルース・スミスね。そして彼女は、世界中ですばらしい活躍を遂げている、数多くの卒業生の中の1人でもあります。

今日、2017年度卒業生のあなたも、そのうちの1人になるのですよ。私は、あなたたちにとってもワクワクしています。もちろん、あなたを支え、その背中を押し、そして涙を拭いて一緒に笑い合い、今日という最初の日を一緒に迎えてくれる人たちにも。彼らに、最大の感謝を。

セレモニーでのスピーチはどうしても一方通行になりがちです。私という話し手が、苦労してやっと手に入れた知識を授ける、またはそうしようと試みる場所になりがちなのです。

あなたたち卒業生は、雨の中座っていかにもなにか考え込むようなフリをしてその話を聞いている。そしてそれが終われば、帽子を空中に放り投げて、友人と抱き合い両親にたくさん写真を撮ってもらう。さらにその写真をインスタグラムに投稿するとか。ただの一案ですけど。そして、それぞれ素晴らしい人生へと出発していく……出かける前にプレートに残った最後のシャーキーズ(チキンが有名な飲食店)のチキンウィングでもつまみながら。

本日のスピーチは、ほんの少し違います。今日は、私が知っていて、みなさんがまだよく知らないことを話すつもりですから。けれど、バージニア工科大学の人たちなら誰でもよく知っているようなことを。

本日は、「立ち直る力」についてお話させていただきたいと思います。

本大学は、多方面でよく知られています。優しさ、礼儀正しさ、学問のすばらしさにそしてその愛校心の高さ。私は大学で、多くの時間を費やしました。もちろん仕事のためなのですが、それと同時に20代に持っていたあの気持ちをもう一度感じていたいという想いも少しありました。

何人かの人が、ここの卒業生がバージニア工科大学について話をするように、自らの大学生活を振り返ります。自分が何者であるかというような自己と、誇り、そして結束力がそこにはあり、1つの単純な質問によってそれをみなさんに証明したいと思います。

「Hokieとは何?」(Hokie……バージニア工科大学の生徒の愛称)。

(会場が「私たちのこと!」と答える)

その通り。あなた自身は気が付いていないかもしれませんが、バージニア工科大学の生徒であるという愛校心は、あなたがた全員に、より強固な「立ち直る力」を与えているのです。この2年間、私はこの「立ち直る力」について勉強してきました。なぜなら、この数年で私の人生に起こったことは、これまで私ができると想像していたよりもずっと、この力を必要とすることだったからです。

立ち直る力は愛する人たちのなかに根付いている

2年と11日前、私は夫のデイブを失いました。それは突然で、予期せぬことでした。今でも時々、それが現実だと信じることができず、言葉にすることすら辛い時もあります。私はいつもと変わらないように目覚め、普段通りの1日を過ごすのだと思っていました。そして、私の世界は一変しました、永遠に。

それは忘れられない日です。雨が降っていました。私は今ここで、「死」についてみなさんにお話したいと思います。でも安心してください、このお話にはきちんと理由があって、悲しいだけのお話ではありませんから。

夫のデイブを亡くして以来学んできたことは、私が生きているこの世界をどう感じ、これからをどう生きていくかという点において、私の従来の考え方を根本的に変えました。本日は、それをみなさんとシェアできたらと思います。このお話は、みなさんがより幸せに、そして喜びに満ち溢れた人生を歩むための手助けになるかと思いますので。

本日に至るまで、みなさんはそれぞれ違った道を歩んできました。何人かは、トラウマになるような体験をした人もいるでしょう。みなさん全員が、失望、心労、喪失、病気などといった困難に直面してきたことでしょう。そしてそれら困難があなたに降りかかってきた時、あなたにとっては、とても個人的な問題に見えるかもしれません。けれどそれはとっても一般的な、誰の身にも起こるべきものなのです。

例えば、みなさん全員が共有した、あの深い喪失。バージニア工科大学のみなさんなら誰でも知っているはずです。今朝、私がサンド理事長としたように、ドリル・フィールドにある32個のホッキー・ストーンの前で立ち止まって祈ったことがあるはずです。友人と、「Run in Remembrance(バージニア工科大学銃乱射事件の追悼イベントの1つ)」に参加したでしょう。そして人生が、いかに簡単に変わってしまうかを実感したでしょう。そして、一体になること、協力しあうということ、一緒に悲しみを分かち合うこと、けれど、最後にはそれら全てに一緒に打ち勝っていくということを。

デイブの死後、私はこれまで困難に直面した時やっていたことと同じことをしました。猛勉強です。「生きる意味をどう見つけるべきか」を研究している心理学者のアダム・グラントという友人とともに、私は立ち直る力とその治癒方法について徹底的に勉強しました。

私が学んだなかでもっとも重要なことは、私たちには生まれながらには必要なだけの回復力を身につけていないということでした。それは筋肉のようなものです。ゆえに、自ら鍛えてつくりだすことができるのです。私たちは、それだけの力を内に秘めています。そしてそれは、愛する人たちのなかにすでに根付いているのです。そして、それを一緒にコミュニティの中で構築していくことも。

それを、集団的レジリエンス(collective resilience)と呼びます。それはとても強力な力を持っています。そして私たちの国だけではなく世界中でいまより多く必要とされている力です。それは、私たちが生きる意志を見つけ、人を愛する中で築き上げていく関係性のなかに存在し、そして世界に変化をもたらす能力でもあるのです。

2017年度卒業生のみなさん、みなさんはこの集団的レジリエンスを築き上げる力を学んできたのです。だって、このバージニア工科大学を卒業するのですから。

このようなコミュニティは自然につくられるものではありません。これらの集まりは、一緒になにかを成し遂げようとする人々が意志をもって集まり、つくりだし、そして強化されていくものだからです。気が付かないうちに、あなたもその一員となっているのです。

あなたがここを立ち去り、リーダーとして人々を導かねばならなくなった時――そう、あなた方はこれから誰かを導いていかないといけないのです――あなたは自身が所属するコミュニティを作り、それをより強固なものにしようとするでしょう。

他人に頼ることでもっと強くなれた気がした

さて、最初に取り組むべきことはこうです。

体験を共有することで、集団的レジリエンスをつくり上げてください。すでにたくさん持っていると思いますよ。

例えば、jumping to “Enter Sandman”(バージニア工科大学フットボール部の応援歌。その歌に合わせて全員でジャンプすること)。今朝も見ました。とてもすばらしいですね。冬のドリル・フィールド――まるでジョン・スノウ(ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の主人公の1人)が壁にいる時のような――を横切った時、私は新しい愛を見つけ、そしてまったく新しい愛のかたち、ともに絶望を乗り越えた者同士の勝利のかたちを見つけたのです。

どのクラスにも、食事の時や夜寝る時も、困った人々に手を差し伸べ、Hokiesの絆を繋いでくれるたくさんのWebサイトがあります。

これらの絆は、ただ繋がっているという以上のことをしてくれます。サポートです。およそ30年前、大学進学までずっと、環境的にはとても恵まれたとは言えない状況にあった才能溢れる若者がいました。彼はこれらの繋がりを築き上げたにも関わらず、卒業することができませんでした。

大学を中退した時、彼は「もし同じ思いを共有できるコミュニティがあったのなら、卒業できたのに」と言いました。この一言は、デボラ・バイアルというすばらしい女性に、Posse Foundationを設立するきっかけとなりました。この団体は、才能ある若者を同じ市から10人単位で募り、同じ大学へ進学させるという活動をしています。この活動によって進学した生徒は、国内でも有数の大学を実に90パーセントもの確率で卒業しています。

人生のなかで困難に直面した時こそ、私たちは自分たちだけの「集まり」が必要となるのです。バージニア工科大学を出て世界に旅たつ時、あなたたちは自分自身でこのつながりを作っていかなければいけません。そして、それは時に周囲の助けが必要となることです。

それは、私にとって決して簡単なことではありませんでした。デイブが亡くなる前、私は極力周囲に迷惑をかけないようにと生きてきました。そう、「人に迷惑をかける」。私はこれまでそう捉えてきました。

しかし、人生が変わり、友人、家族や大学時代の友人の助けがこれまでよりもずっと必要となった時、私の考えは変わりました。父ととてもよい関係を築いている私の母――今日も私の傍についていてくれます、あなた方のお母さまと同じように――は、デイブが亡くなった最初の1ヶ月ずっと一緒にいてくれて、私が泣き疲れて寝てしまうまで文字通りずっと抱きしめていてくれました。

弱虫になったとは思いませんでした。それよりも、他人に頼ることでもっと強くなれた気がしたのです。お互いに寄り添い、支え合う、まさにそれがその時だったのです。

絆を作ることは、友人の困難を受け入れること

絆を作るということは、また同時に友人たちの困難を受け入れるということです。デイブを亡くす前、もし友人がなにかつらいことを乗り越えようとしていたら、私はこう言ったでしょう、「お気の毒に」。そして、つらいことを思い出させないためにも、その話題を再び出すことはなかったと思います。

夫の死は、それがいかに間違ったことであったかを教えてくれました。あなたが私に、デイブを失った悲しみを思い出させるなんてことはないから。けれど、私が他の人たちにしてきたように、デイブの話題をみんながあえて避けることで、私にとってはまるでとても大きな1頭の象が私の行くところをどこまでも背後からついて回っているような気分になるのです。

これは、その象がいなくなったというだけのお話ではありません。部屋で、完璧な静寂が欲しいですか? あなたががんに侵されているとしましょう。父親は刑務所にいて、しかも現在あなたは職も失っています。お互いに必要な際には、自分だけで考え、沈黙を守るのもいいでしょう。誰もかれも全員が全てを話したい、分かち合いたいといつも思っているわけではありません。

けれど、「とてもつらい経験をしたことはわかっている、けれど私はここにいるよ」という友人の一言が、あなたの内側のとっても醜い部分を心から追いやってくれるのです。

もしあなたが誰かのコミュニティの中にいるのなら、もっともありがちな方法で手助けをしようとは思わないでください。デイブを失う前、私は、友人が辛い境遇にいた時「なにか私にできることはないか」と尋ねていました。善意で言っていたのですが、それが時に相手の重荷になってしまうということに気が付いていませんでした。

実際に、みんなが私に同じ質問をしてきた時、どう答えるべきかわからなかったのです。「父の日にどこかへ誘ってもいい?」これはまた違ったアプローチです。友人のダン・レビーの息子が病気で入院していた時、友人は彼に「もしよければだけど、バーガーでも食べに行かないかい?」とメッセージを送りました。他の友人は、「降りてきてくれなくても構わないけど、あなたにハグするために今から数時間、病院のロビーにいるよ」と病院のロビーからメッセージを送りました。

なにか大きなことをしようとしなくていいのです。誰かが、「これをしてほしい」と明確な指示をくれるのを待っている必要もないのです。また、1年生で出会った時から誰かの親友でいなければと構える必要もありません。友人のためそこにいて、あなたのために彼らがそこにいてくれる、それだけでいいから。痛みがなくなるまで一緒に笑ってくる、泣いている時に抱きしめあえる、または、聞かれる前に違うトッピングをバーガーに入れられてしまった時でさえも。

これらの経験は、立ち直る力を与えてくれるだけじゃなくて、人生をもっとも有意義で、実りのあるものにしてくれます。