19世紀に生まれたトンデモ捜査法

マイケル・アランダ氏:信じられないかもしれませんが、ビクトリア朝といえば、コルセットや面白い形の自転車しかなかったわけではありません。

1800年代は、たくさんの科学が生み出された時代でもあるのです。チャールス・ダーウィンと彼の進化論については恐らく聞いたことがあるでしょう。

それともロード・ケルビンという熱力学の問題に取り組んだ物理学者については?

しかし、多くの革新的な理論や技術の進歩があった一方で、同時に誤った情報を広める疑似科学もほんの一握り存在していました。

「法医学オプトグラフィー」(注:犯罪捜査の一種。網膜光像に残った映像で犯人を割り出すという捜査方法)を例にとってみましょう。これは、殺害された被害者の目の裏、光に敏感な網膜という組織に残された画像を使って犯人を見つけるというアイディアです。

この方法は、銀板写真の発明により写真がより実用的になった1840年代まではそれほど注目を集めませんでした。

もしカメラがレンズの感光面(注:光を当てるとそれに反応して化学反応を起こす面)に光を当てて、適当な化学物質にさらすことで永続的な画像を残すことができるなら、私たちの目でも同じようなことができるのではないか、と考えられたのです。

1876年、ドイツの生理学者フランツ・クリスチャン・ボールは網膜がどのように画像を感知しているのか更に詳しく研究をしました。

彼は、光の感知や目から脳に信号を送る手助けをする、ロドプシンと呼ばれる色素を発見したことで有名です。

光がロドプシンに当たると、一部が変形・分裂し、色素が一時的になくなります。そうすると、再び光に反応できる状態まで、細胞がロドプシンを再結合しようとするのです。この過程は、光を写真乾板の上にあてた際に起こる化学反応に似ています。ただ、写真の中では、光が写真乳剤を明るくするのではなく、代わりに暗くするのですが。

オプトグラフィーはここからアイディアを得たのです。

オプトグラフィーは実現した……のか?

もう1人、ウィルヘルム・キューネというドイツの生理学者は、網膜内のロドプシンを正しい化学薬品を使うことにより、修復することができるのではと考えました。

そうすれば、動物の目のどこに光が当たっていたかを、色素を失ったロドプシンの形跡を辿ることで知ることができ、物体のおおよその枠組みを表すことができると考えたのです。彼が提唱した、動物が最後に目にした物の画像を現像するという「網膜光像」は、理論上では展開可能でした。

彼は、この理論をウサギやカエルを対象にした動物実験で証明しようとしました(あまり気持ちのいいものではありませんでしたが)。中でも、最も成功した網膜光像は、ウサギを暗がりに入れ、次に明るく晴れた窓を強制的に何分間か見つめさせた時の実験です。

その後彼はうさぎをすぐに殺して眼球を取り出し、その網膜をミョウバン(注:工業で製造過程や写真でよく使用される化学化合物の一種)浸しました。ミョウバンは恐らく、組織を縮小・凝縮することで網膜を硬化し、すべての細胞を元あった正しい場所に戻したのでしょう。そのあと、彼は窓から差し込むまぶしい光の像を網膜現像によって再現させたのです。

キューネの研究に興奮した多くの西洋の人達は、オプトグラフィーが殺人事件の解決のカギになるのではと信じたのです。まるでCSIのように。このアイディアは瞬く間に、フィクションと現実世界の両方に広がりました。例えばジュール・ヴェルヌの小説の中では、主人公は、法医学オプトグラフィーのおかげで船長殺害の罪を免れています。

新聞でも、「網膜に残る殺人犯を写す写真」や、「被害者の目が犯人を写しだす」などの見出しが特集されました。これらの誇大報道のせいで、警察が法廷の証拠に使えるかもしれないからと、被害者の目の写真を撮る事すらありました。実際は、気持ちの悪い眼球でしかなかったのですが。

網膜光像は、決して被害者が最後に見た瞬間を映し出すというものではありません。しかしこれらセンセーショナルなニュースにより、念のためにと被害者の眼球を潰す殺人者までも現れたのです。

過剰に期待されすぎた科学技術

オプトグラフィーは、科学的根拠がいくつかあったものの、決して法科学ではありませんでした。現実より、大げさに騒ぎ立てられてしまっただけにすぎません。さて、キューネの動物実験に話を戻しましょう。動物の網膜光像は、暗くて明暗のコントラストの激しい部屋という完璧な環境下においても、すぐに消えてしまう上に、ほとんどの場合は不明瞭でぼやけていました。

その上、持ち主が死んだ眼球はかなり早く腐敗がすすむため、映像を再現するには素早く行動にうつす必要があったのです。つまり、仮に人間の目から網膜光像を再現しようとする場合には、被害者は暗い部屋で、明るい照明にさらされた犯人の顔を少なくとも数分は見つめ続けなければなりません。

さらにその後、被害者が死んだらすぐに科学者がその眼球を取り出して網膜を保管し、画像を現像する必要があるのです。ウィルヘルム・キューネは斬首刑になった犯罪者の眼球を使ってオプトグラムを作り出したと主張しましたが、彼が書いたスケッチのみしか残されていませんでした。

ある人たちはそのスケッチを見て、ギロチンの刃に見えると主張しましたが、受刑者は斬首刑が執行された時目隠しをされていましたから、おそらく作り話でしょう。キューネの手法を再現しようと試みた最後の挑戦は、生理学者のエバンジェラス・アレクサンドリディスが1975年に、ドイツのヘイデルバーグの警察から、法医学オプトグラフィーに、はたしてメリットがあるかどうか確かめてほしいと依頼された時でした。

キューネの実験は、動物を痛めつけて殺すものだったので物議をかもしていましたが、それでも彼が残したウサギの網膜光像のいくつかは納得できるものでした。オプトグラフィーは緻密に調整された状況下でおいてなら、技術的には再現可能かもしれませんが、人間相手の法科学には決して向いていません。なので、人間の眼球をカメラのように使って殺人事件を解決するというアイディアは推理小説では素敵かもしれませんが、現実ではあり得ないのです。あくまで、フィクションの中だけで。