ウルトラマンにあこがれて…
ヒーロー番組を自ら立ち上げた男が語る、ドキドキし続ける生き方

ふるさとのヒーロー夢を見るチカラ #1/2

子供の時に夢見た希望や願望というものは、多くの人が大人になると同時に諦めていきます。子供の頃に憧れたヒーローへのドキドキを忘れず、スーパーヒーロー『薩摩剣士隼人』を作り上げた外山雄大氏が、夢を実現させる生き方について語りました。(TEDxSakurajima 2013より)

病弱だった子供が心を動かされたもの

みなさんは今何かドキドキすることってありますか? 今どんなことにドキドキしてますでしょうか? 僕は小さいころ比較的病弱な子どもで、一カ月の3分の2くらいを布団の上で寝て過ごしました。

あんまり体が丈夫じゃなかったもので、その時の遊びといえば、家の裏のほうのブロックをひっくり返し、ダンゴ虫やハサミムシと遊んでいたりしたような少年だったんですね。そんな僕をすごくドキドキさせてくれる存在がありました。

例えばウルトラマンとか仮面ライダーとかゴジラとかですね。いわゆるスーパーヒーローと言われるものです。僕がドキドキさせてもらったのっていうのはゴジラやウルトラマンや仮面ライダーそのものっていうよりも、いろんな怪獣の本、特撮の本の裏にちょっと載っていた撮影の様子、そのヒーローを作り出す人に対して僕すごく勇気を、元気をもらってた少年だったんです。

そういうふうに僕はずっと幼少のころそういうスーパーヒーローをすごく見て育った少年でした。僕、ずっとずっと見て育ったんですけども、中学校二年生の時にあることに気付きます。それって見るだけじゃなくて自分で作ることができるんだ。これは僕が14歳の時に初めて作った着ぐるみなんです。(会場笑)

僕これを作って自分で着てみて鏡に映し、それ見た時にすごくドキドキしてきて、これをどうしても誰かに見せたい! ということで学校に行きました。そしてあるお友だちに、給食時間にまた別の友だちと「じゃあ、あんた、いじめる役ね、あんた、いじめられる役ね」っていうふうに役を決めて、いじめごっこをしてもらいました。

その間に僕はトイレでこのヒーローに着替えまして、いじめが始まるとですね、「いじめはやめろ!」っていうふうに、いじめを撲滅するようなショーをしておりました。本当に14歳の時にこの衣装を自分で作ろうと思い、動かして作ったんですけども、これを作ってから僕の人生がすごく大きく動き出しました。これ。

未確認生物を見つけるべく探検隊を結成

さっきのは2学期だったんだったんですけど、3学期には仲間がずいぶん増えまして、5人に増えます。で、一緒にやってくれるピンク役の子からレッド役の子、そして怪獣役の子もいて、戦隊ショーができるようになりました。っていうふうに、どんどん動いて、学生時代にこういうヒーロー物をやり続けた少年でした。

そして高校卒業して会社に就職もしたりするんですけども、なかなかやっぱサラリーマンというものが合わなくてですね。何か自分で自由に生きたいなっていうのがあって、選んだ道が露天商だったんです。

一番はじめに占い師を天文館で、街角でしまして、それを皮切りに手品師をしたり、駄菓子を売ったりとか靴磨きをしたこともありました。そういうふうにすると、いろんなテレビ局の取材が入ったりとか、新聞の取材が入ったりしたんですね。

それだけではなくて、僕もう一つ夢があって、もともと怪獣とかが好きだったんです。ゴジラとかガメラとかは作り物で、中に人が入っていて特撮というもので作られてるんですけど、もしかしたらこの世の中には、空想上の生物だと思っていたものが本当にいるかもしれないんです。

例えば鹿児島だと池田湖にイッシーというものがいます。世界を見るとヒマラヤに雪男というものがいたり、スコットランドにネス湖っていうのがあってネッシーという怪獣がいるかもしれないと言われているんですね。

もしいるとしたら、こうやって僕たちが生きている間にも湖の底で大きな生物が、もしそういうふうに悠然として泳いでいるんだったら絶対に見たいなと思いまして、探検隊を作りました。

30歳を過ぎてツチノコが存在しない生物だと気付く

探検隊もただ探すだけでなくて、5人隊員がいまして、ヒーローショーの仲間からの続きなんですけども、制服がありました。僕、露天商してお金を貯めまして、4WDのワンボックスカー、そしてジープ、そしてオフロードバイク、マウンテンバイク、そしてあとボートと、5台のマシンを集めました。

5人の隊員がこのマシンに乗り込みまして、いろんなツチノコを探しに行ったり、いろいろ探検活動をして。これは池田湖に、僕の研究だと未確認生物は比較的、夜行性動物が多いんじゃなかろうかということで、夜の2時に池田湖に手こぎボートで行きまして、調査をしてるところです。

遠いところではイギリスのスコットランドのネス湖というところがあるんですけど、一カ月探検に行ったりしておりました。こうしているとテレビの取材だったりとか新聞の取材、雑誌でいろんな原稿を書いたりそういうチャンスが増えてきまして、こういう活動を僕は30(歳)過ぎまで続けてたんです。

いろんなマスコミとの知り合いが増えると、この映像っていうのがフェイクだったとか、これはいなかったとか探していくと現実にぶち当たって。このころ探検のために何をしてたかというと、露天商はしてなくて日雇い労働者をしてたんです。

いつでも一カ月ぐらい休める仕事で定期収入が入って、探検をしないといけないので、体作りのためにも日雇い労働をしようということで日雇い労働をしてたんですけど、それを30過ぎまで続けていて、ある朝僕目が覚めてちょっと思ってしまったんです。「あれ? もしかしてツチノコっていないんじゃないかな?」って思ってしまったんですね。

そう思ってしまったら自分の中でその思いをなかなか止められない。なんかもういないんじゃないかな? っていうふうに。そうしながらもいろいろとテレビの出演依頼とか雑誌からのオファーが来たりとかして、自分の中で心苦しくなって。

隊員で居続けてくれたのは女の子にモテたくて

今まで一緒に10年間、いろんなところで一緒に危険なことをした隊員、僕以外にもあと4人いるので、4人を集めて「ちょっと話があるから集まってくれないだろうか」ということで。

集まって、言いました。「ちょっと、みんなと一緒に10年くらいこういうふうにやってきたけども、僕の中で未確認生物の存在を信じられなくなった。だから一旦この活動を休止しようと思うんだよね」っていうふうに。そしたらですね、他の隊員が「え! 信じてたんだ!」って言ったんですね。

そういうふうに、みんなテレビとかに出ると結構女の子にモテたりとか、女の子から飲み会の話とかあったり、そういうのが楽しくて付き合ってくれた部分があって、僕もすごく大きな決断だったんですけどそういう隊員の反応を見るとちょっと気が楽になって。

でもちょっと冷静になって、僕30(歳)過ぎて、今の自分から探検を取ったら自分に何が残ってるんだろう。僕はただの日雇い労働者なわけです。僕はいまから何を糧に生きていけばいいんだろうと思って、すぐひらめきました。

そうだ、しばらく休んでたヒーロー物を本格的にやろう。ということで、またその隊員を集めまして、「話があるから集まってくれ」「僕たちも30(歳)を過ぎて、大人の財力と技術でヒーロー物をもう一回やろうよ」と。

僕の中には企みがあって、どうせヒーローをやるんだったらテレビ番組をやりたいというのがあったんです。自分で考えたヒーローのテレビ番組を作るぞ。僕もだいたい隊員の内容をわかっているので、「よし、みんなでヒーロー物をやって保育園をボランティアで回ろうよ。そしたら保育園の先生と合コンができるよ」と。

そしたらみんな「よし! やるか!」ということで、5人いたんですけど1人3万ずつ出しまして15万のお金が集まります。そのお金でヒーローを作り怪人を作りっていうふうにして、できたのが「オモチャキッド」というヒーロー物なんですね。

日雇い労働者から番組プロデューサーへ

僕、意外にマスコミとかの知り合いが多くて、これやろうと思った時にまずあるテレビ局が電話かけてきて、「外山さんまた始めるんですか? 始めるんだったらまた自分たち取材かけるんで」っていうことで九州ネットのドキュメンタリー番組でずっと追いかけてくれて。この企画立ち上げからデザインが決まって、みんながアクションの練習をして初公演をするまでをテレビで取り上げてくれたんですね。

それと同時に結構、新聞でもすごく大きな紙面で取り上げてくれまして、初公演で華々しくデビューを飾ったわけです。そしたらなんと不思議なことに僕の友だち以外のいろんな人が僕に連絡を取ってきました。

「僕音楽ができるから音楽で参加させてください」とか「造形ができます」「特撮の技術を知ってます」「編集ができます」「カメラマンできます」「CGができます」。いろんな人が僕に声をかけてくれたんです。

そしてそういうふうに集まると「こんだけの人がいればテレビ番組作れるじゃん」と思ってですね、あれよあれよという間に、なんと帯番組のテレビが始まることになったんです。その時、僕は仕事何してたかっていうと日雇い労働者なんですね。

日雇い労働者なのになんとテレビ番組の枠が持てるなんて、こんなすごいことはないなと思って。やったものがオモチャキッドという番組なんですけども。そういうようなこともあって、今故郷の鹿児島を題材にした「薩摩剣士隼人」という番組を僕が監督で、考案も僕で作っております。

敵を倒さないヒーロー

オモチャキッドもそうなんですけども、薩摩剣士隼人というのは正義の味方と言っても悪を倒すヒーローではないんですね。これは僕が昔からやりたかったヒーローで、隼人が持ってる剣「無尽剣・十字丸」というものには刃物がないんです。

戦う時にも相手の剣には自分の剣を当てるけど、相手の体には一回も当てないという戦い方で、剣と剣、魂と魂をぶつけることでどんな悪い相手とでもわかり合えるんじゃないか、という思いのもとに戦ってるヒーローなんですね。

これは始まってテレビで今2年くらいになるんですが、すごく反響が多くて、今いろんな嬉しいお便りっていうか、メールが多いんですけども、あとイベント会場へ行った時に言われたりする。

ある保育園の先生からこういうこと言われました。「隼人が始まる前は子どもたちがヒーローごっこをして友だちを蹴ったり殴ったりとかして、それが火種で喧嘩になってたんだけど、隼人が始まってからは最後に必ず仲直りするところで終わる。だから私たちはすごく隼人に感謝してます」っていうことを言われたんですね。

薩摩剣士隼人が子供たちを変えた

あるお母さんからもらったメールがすごく嬉しくて、お子さんが保育園にいらっしゃるんです。その保育園に息子さんを迎えに行くと、息子さんが女の子とすごく喧嘩をしていた。泣きながらですね。「いいから女の子と喧嘩したら謝んなさい」っていうふうに言わせて、一回謝らせるんです。

そして車に乗った時にその男の子は「ワーン」って泣き出しちゃった。「なんで泣くの? ちゃんと喧嘩の理由を先生に言えなかったから?」って言ったら、理由を聞いてみると、女の子が木切れで一方的に叩いてきたらしいんですね。

だからそれを止めようと思って、もみ合いになってる時に喧嘩になっちゃって、一方的に悪いのは女の子なんですけど、その女の子が悪いっていうことを先生に言えなかったんじゃなくて言わなかったんだ。

「なんで言わなかったの?」「だって隼人だったらそうすると思うもん」っていうふうに、「だってそう言うとその女の子が先生に怒られるでしょ?」っていうふうに言って、それで感謝のメールが長文で来てすごく僕は嬉しい。自分が作ったものが、こういうふうに子どもたちにいい影響を与えられてすごく良かったなと思っているんですね。

薩摩剣士隼人が鹿児島の人々を繋げる

今日(イベント当時)は5月5日ですので天文館やいろんなところで、お母さんが隼人の衣装を作りそれを着た子どもだったりとか、そのキャラクターのいろんな洋服を作った人たちがたくさんいます。

僕自身がもともとテレビ局で働いた経験もなければ、映像の専門の勉強をしたわけでもないんです。ただ好きなヒーローをずっと追いかけて、こういうチャンスに恵まれています。いろんな展開をしていく上で、やっぱ一緒に夢を見る人たちとやっていきたいなと思ってですね、今、隼人の中で使っている曲っていうのは、全部プロの作った曲が全然ないんですね。

全部、鹿児島に住んでるアマチュアミュージシャンの人たちが作って、アマチュアの子たちが歌った曲を使っております。隼人のソフビっていうのが出てるんですけども、フィギュアですね。これも鹿児島のオタクの人が原型を作ってくれているんです。それを工場で生産してるんです。

カードゲームっていうのも発売してるんですけども、これも鹿児島のオタクの子がイラストを書いてくれて、それを発売してくれています。もうすぐゲームが発売され、これもハイテク専門学校というところが開発してて、生徒たちが自主的に作ってるんですね。こういう素晴らしいゲームもできております。

それ以外にも純真短期大学というところに英語学科がありまして、そこで「薩摩剣士隼人 英訳プロジェクト」という、鹿児島弁を英語に直そうというのに取り組んでくださいまして。英語字幕を付けて、それを皮切りに英語圏に今度は隼人を売り出し、隼人を使って鹿児島の文化、焼酎だったりとか美味しいものを売り出すツールとして使えないだろうか、というような動きがあります。

また番組の中で隼人のキャラクターだけじゃなくて鹿児島県のキャラクターだったり企業のキャラクターだったりとか、いろんなキャラクターが登場しています。イベントでも一緒に活躍したりとか、お話の中に出てきたりとかしています。

自分の胸のドキドキに耳を傾けて、一歩踏み出す

そういうふうに、僕ら本当に好きなものたちが集まって、本当にいいものを作っていきたいなと思っていて、それをいろんな企業や行政とかと協力しながら鹿児島を元気にするような流れになっていければいいなと思っているんです。

その先には僕たちがしたいもう一つの夢がありまして、こういうゆるキャラのことをボッケモンスター、略してボッケモンというふうに名付けてるんですけども、鹿児島にすっごくでっかいテーマパークを作るのが夢なんです。

「ボッケモンランド」という。そこにはゆるキャラが200匹ぐらいいてですね、パレードを繰り広げたりとかですね、ミュージカルをしたりとか、そこにもちろん遊園地があったりとか焼酎のパビリオンがあったり黒酢のパビリオンがあったり地産地消のレストランがあったりとかですね。

例えばその焼酎のパビリオンでも、ある特定の企業だけが運営するんじゃなくて、鹿児島中の酒造メーカーが協力して、そこに行くと全部の焼酎が試飲できてそこで買えて県外発送ができる、とかですね。そういうようなものを、夢を見てる今の才能のある若い人たち、若くなくてもいいんですけどそういう人たちと一緒にテーマパーク作っていけたらいいなと思っております。

さらにもっと嬉しいことがありまして、最近もらったメールなんですけども、「自分の子どもは薩摩剣士隼人の大ファンなんです。というより監督さんのファンなんです。大きくなったら監督さんみたいにヒーローを作る人になりたいと言ってるんですよ」っていうメールをもらいました。

僕、本当にそれで自分がやってきたことが次に伝えられてすごく嬉しいなと思っています。みなさんはどんなことに今ドキドキしますでしょうか? 僕は14歳の時の自分のドキドキに耳を傾けて一歩踏み出しました。

そこから大きく自分の人生っていうものが冒険に変わっていきました。みんな、とりあえず自分の胸のドキドキに耳を傾けて、一歩踏み出してみましょう。すると冒険の旅に出かけられるかもしれません。ありがとうございます。

<続きは近日公開>

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