美術史に残る5つの門

カリン・ユエン氏:「門」は、空間への入り口であり、出入りする者を管理できるものです。また、装飾として使われることもあります。今日は、美術史に残る5つの門についてお話をさせていただきますが、順番は気まぐれで時系列ではありません。

まず最初は、南ギリシア、ミュケナイ(ミケーネ)の要塞の入り口に築かれた獅子門です。紀元前14世紀にアクロポリスの北西に建造され、予想はつきますが、門の上部の2頭の雌獅子のレリーフ彫刻からその名がつけられました。

獅子門は、ミュケナイで現存する唯一の彫像であり、紀元前エーゲ文明の最大の史跡でもあります。幅3.1メートル、高さ2.95メートルという巨容を誇り、実際に開閉可能な観音開きの扉をも有していました。

獅子像のレリーフは門に高く掲げられ、その構成は中央の柱に脚を置く三角状を呈し、頭部は別構造で彫られていましたが、現在は欠損しています。また雌獅子は、ミュケナイ王の紋章でもあり、被征服民族や異国人に対する権力示威の象徴でした。そのため、領内に足を踏み入れるすべての者が目にする場に掲げられたわけです。

次はインドのマディヤ・プラデーシュ州にある、サーンチーのストゥーパ(卒塔婆)北門です。ストゥーパとは、仏陀の遺骨を納めるために作られた、塚状の円形構造物です。また、仏教徒による医療施設としても利用されました。

サーンチーのストゥーパは、紀元前3世紀に着工されたインド最古の石造建築物です。これにトーラナと呼ばれる精緻な彫刻を施された門が加えられるのは、時代を下った紀元前1世紀になってからです。これらの門は、仏陀の生涯を描いた彫刻で装飾されました。

物語の1つは、修行下にある、仏陀の前世を示しています(注:本生図)。仏陀は、貧しい人々に財産のすべてを分け与え、妻や子どもたちさえも与えたのですが、自らの無私無欲を悟り、無事に家族と財産とを取り戻しました。

これらの彫刻は、寄進者の功徳となる一方で、文盲の信者に仏陀の物語を伝える役割を果たしました。

運慶、快慶からロダンまで

東大寺は、日本の奈良にある仏教寺院であり、世界最大の銅製の仏陀像である「大仏」が安置されています。今回は、門についてお話を進めましょう。今回、特に取り上げるのは「南大門」つまり南の大きな門です。オリジナルが元の時代に台風で破壊されて以降、12世紀末に建立されました。

運慶、快慶とその門下により、ほぼ同時期に作られた8.4メートルの2体の門番を擁し、彼らは「阿吽」像と呼ばれています。一体は口を開けた「阿」像、もう一体は口を閉じた「吽」像で、生と死を表しているとされています。彼らは門の両脇に、門番として立ち、その威圧的な怒りの形相は、寺院の境内に邪神や盗賊を寄せ付けないためのものです。

次にお話する門は、先の3つの門とは異なり、実際に通ることのできるものです。この門は、完全に門として機能します。

「地獄の門」は、オーギュスト・ロダンの、私の心の拠り所である彫刻作品です。高さ6メートル、幅4メートル、奥行1メートルのこの門は、「ダンテの神曲」の「地獄編」を表現しています。

18世紀に「装飾美術館」の門扉として制作受注され、美術館そのものの築造がとん挫した後も、ロダンは1917年の彼の死まで、足掛け37年間、制作を続けました。この門においてもっとも興味深く、特徴的である点は、その登場人物たちです。15センチから1メートルに渡る1,080人もの人物がおり、そのいくつかには、見覚えがあるはずです。後の作品の習作や、独立して一つの作品になるものがたくさんあるからです。

みなさんは、恐らく「考える人」と「三つの影」はご存じでしょう。

しかし「接吻」が、実は「地獄の門」のために制作され、苦悩する他の群像と合わないということから、外されたことはご存じでしょうか。

さて、この話の終盤は、現代アートの作品、「クリスト&ジャンヌ=クロード」の「門(ザ・ゲーツ)」でしめくくりましょう。

「門(ザ・ゲーツ)」は、ニューヨークのセントラルパーク内で、全長69メートルの7,503もの門の列から成るサイトスペシフィック・アートです。個々の門は、深いサフラン色のナイロン生地でできており、2005年2月12日から22日まで展示されました。

この「門(ザ・ゲーツ)」は、さまざまな反応をもって迎えられました。ある人たちには「寒々しい冬景色が華やぐ」として歓迎され、ある人たちには不評でした。また、見物客が増えることを喜ぶ人も、そうでない人もいます。いずれにせよ、作品は跡形もなく撤去され、素材はリサイクルされました。

以上が、私のお話しする5つの門です。今後取り上げてもらいたいおもしろい話題がありましたら、ぜひ私までお知らせください。