2016年5月9日、第一審判決後説明会にて話された内容はこちらの記事でご覧ください。 ろくでなし子「デコまんはポップアートとして認められた」歴史的な“一部無罪”判決にコメント

自身の身体を離れたデコマンに、肉体性はない

ろくでなし子:みなさま、こんにちは。本日、ここにこうして、海外の文化を背景に持つ皆さまの前でお話できることを、大変光栄に思います。勾留中の6日間は大変辛く、女子留置場の厳しい現状を目の当たりに致しましたが、弁護士の先生方、また全国、そして世界中の支援者の皆さまのおかげで、裁判所の判断により、無事こうして釈放され、今は大きな喜びと感謝の気持ちを感じています。

今回の逮捕は大変急なものでした。休日の朝9時に約10名ほどの捜査員が自宅に入り、作品の説明を求めた後に、乱暴に作品類を押収し、手錠を掛けられました。いち国家権力が、私のようなフリーランスで、週3日のアルバイトで頑張って生きているような人間をアッサリと逮捕した現実は、今でも非常に憤りを感じます。

今回の罪状は「わいせつ電磁的記録記録媒体頒布罪」ということですが、私はそもそも、警察がクラウドファウンディングというシステムを明確に把握していたのか、疑問でなりません。私は自身の女性器のキャドデータを、クラウドファウンディングで募金支援をしてくれた方々に対して、お礼の形として配布しました。キャドデータは特殊なソフトを介さなければ視覚化できず、それ自体は数字の羅列のようなものです。

頒布した理由は、データを基に、1人1人、マンコを使った面白い作品を作ってみてほしい、という考えからでした。

そもそも私は、自身の肉体から離れた造形物を私の身体の一部とはみなしておらず、デコマンなどの石膏・シリコン作品も、マンボートも、私の肉体を基にした造形ではあっても、肉体性を有するものとは考えておりません。

「ここを触ると気持ちがいいんだろ?」と石膏作品を触ってみせる男性もよくいましたが、石膏を触って気持ちがよくなれば、そんな楽なことはありません。そういった浅はかな男性の存在もまた、私のマンコアートの原動力となっていきました。

日本のメディアの報道基準はおかしい

日本のメディアでは「マンコ」と発言したり表記したりすることが、不可能な状況です。テレビではノイズにより「マンコ」という言葉をかき消され、「マンコ」と発言した女性有名人たちは番組を降ろされるという事件も実際に起こっています。

ちなみに「チンコ」という発話は、特に問題とならないのも大きな疑問です。紙媒体でも「マンコ」は伏せ字を使って表記されることがほとんどです。そういった女性器、わいせつ、隠して当たり前、という常識とその弊害について、改めて疑問を提示するために私は活動を続けてまいりました。

女性器は、女にとっては生理・セックス・妊娠・出産と、自分の肉体の一部としてあまりにも身近なものです。それが「ワイセツ」という言葉によって、女性の持ち物であるにも関わらず、女性器がどこか遠い存在になっている。これはおかしいのではないか、そういった想いが私の根底にはあります。女性器はありのままでいいじゃないか、という考えが、私にデコマンやその他の作品類を作らせているのです。

おかげさまで、女性の間でデコマンは大人気で、「作りたい」という女性からの声も多いです。女性は自分の性器と向き合う機会が非常に少なく、身体の一部なのに歪んだイメージを持っている人が非常に多いです。私もそうでしたが、デコマンは自分のありのままを愛するキッカケにもなっています。

海外の皆さま、日本では昔からの性器を奉る信仰がある一方で、こうした日本独特のワイセツ観が存在します。今回の私の逮捕は、そうした日本の性的なイメージに関する歪みが、私個人に対する逮捕として現れたものではないかと考えます。私は釈放はされましたが、まだ取り調べ中の身ですし、再逮捕という可能性も拭いきれません。

どうか、女性器のイメージについて問い直したい。卑下でも礼賛でもなく、女性器のイメージをもっと中庸なものにしたい、という私の活動の意図を、ひとりでも多くの皆さまに知っていただきたく思います。

また、逮捕後に私の釈放を求めるデジタル署名活動が起こり、1週間もしないうちに約2万人の方々の賛同を得たと伺いました。心より感謝申し上げます。これは、今回の逮捕は多くの一般市民の皆様方もおかしいと感じてくださっているのだと思い、改めて本事件の正当性を問うていきたいと思います。

今後も、逮捕・勾留の経験にめげず、新年の赴くままに創作活動を続けていきたいと考えております。ご支援のほど、どうか宜しくお願い致します。

※質疑応答編はこちら 「選挙に出るならマ●●党で」ろくでなし子、海外メディアへの会見に登場【質疑応答編】