インディゴは貴重な色だった
ハンク・グリーン氏:ちょっと膝に目をやってください。今履いているのはジーンズですか? 例え今はスウェットを履いているのだとしても、デニムの1着や2着は持っている、というならいいのですが。
ジーンズが珍しいものではなくなった今日では、伝統的なインディゴが自然界では滅多にお目にかかれない色だということを知っている人はほとんどいないでしょう。
現代の合成染料の技術がつくり出した深い青色は、今日ではすっかり当たり前の色となりましたが、かつてはそうではありませんでした。何世紀もの間、インディゴは貴重な色だったことから、人々は文化や宗教を超えてインディゴに無我夢中になってきたのですから。
この色を巡っての貿易戦争が勃発し、大西洋を横断した奴隷制度に拍車をかけたくらいです。インディゴの染料は通貨としての役割を果たしていたのです。
インディゴの大流行はニュートン作のカラーホイールにも影響を与えたに違いありません。色の専門家は青色とインディゴは似ても似つかない色であるとして、インディゴを虹の色の中には加えませんでしたが。
青色の染料は数多の植物からつくることができますが、深みのある、濃い、青よりもより青く、色あせないインディゴの染料は、熱帯地方や亜熱帯の低木のコマツナギ属(インディゴフェラ)に属する植物の葉っぱからつくられます。
どうしてインディゴという名前が付けられたのか、それはインディゴを知ればうかがい知ることができます。
染料をつくるためには、まず、葉っぱをすり潰して水の中に一定期間浸し、発酵を促します。その内色が出てきたら、灰汁と混ぜて固形化させたものを乾燥させ、それを粉状に砕くのです。
紺屋は紫がかった青い色合いをつくり出すためにその粉に水とほかの物質を混ぜて大桶に浸すのです。
このギリシャ・ローマ時代に、当時のインディゴの染料を独自の商業商品としてヨーロッパ中に貿易経路を張り巡らせていたのがインドです。「インディゴ」は古代ギリシャ語の「インディカン」、インドの染料という意味から来ています。
「青い黄金」は文化的に重要なものでしたので、ヨーロッパの至る所や日本、西アフリカで渇望されました。その栽培と取引きを行っていたことが、後のアメリカ植民地の独立戦争運動における資金面での大きな強みとなったのです。
虹にインディゴが含まれる理由
20世紀に変わる頃になるとインディゴの合成染料が表れ出し、自然染料であるインディゴ市場を窮地に追いやりました。
ニュートンとなんの関係があるんだろう、と自分自身に問いかけていることでしょうね。
17世紀中頃、リンゴが大好きなニュートンは白色光が色んな色が重なっているものだと言うことを証明しようとし始めました。ほかの科学者たちはプリズムを使った実験をすでに行っていて、光がさまざまな色から成る虹と成る所を見たのですが、虹はプリズムのガラスの欠陥によるものだと思ったのです。
ニュートンは2つ目のプリズムを使い、虹を硬い光線に戻しました。光のスペクトルはガラスの欠陥と関係がないことがわかったのです。
白色光線はさまざまな色を含んでいたのです。その後、ニュートンはカラーチャートと世代別の記憶力コードに我を忘れてしまいます。
ニュートンは目に見えるスペクトルをよく知られた7色の色、赤、橙、黄色、緑、青、インディゴ、そして紫に分けたのです。7色を頭文字で覚えた記憶もあるかと思います。
スペクトルの色は連続していて、双方分け隔てなく混ざり合っています。
世界中の人たちの中には同じような方法でまったく違う色として認識している人もいます。色盲というわけではありません。スペクトルの色というのは文化や歴史による影響を受けて区切られたり決められたりしているのです。色は一言では決められないものなのです。
ニュートンが光の色を7色としたのは7という数字が宇宙を表す意味があるからです。また、音楽の主音である、ドレミファソラシドの7音や他の7に関連するものと関連付けたかったからなのだと言うことが分かっています。
本当のところ、多くの人々はインディゴを一風変わった青、として受け入れることに抵抗を示していましたし、数多くのカラーチャートはインディゴを無いものとし、6つをスペクトルの色としています。
色彩の専門家は時が経つと色の言い方というものは変わってくるもので、ニュートンが青と言っていたものは今で言うところの青緑色に近く、彼がインディゴと言っていたものは私たちが今現在青と言っているものに近いのだと考えています。
いずれにせよ、光の色を7色選ぶ段階で黄緑は選ばず、インディゴ、としたのは当時のインディゴ貿易の重要さと力の大きさを表しているにほかならないのです。
次にジーンズを買う時には少し思いを巡らせてみてくださいね。