「その日響いた銃声は、戦争ではなく平和への合図だった」 マラソンで母国に平和をもたらした女性

マラソンで平和を築く #1/2

政情不安が続くレバノンにおいて年に一度だけ国民がひとつになる、中東最大規模の陸上イベント「ベイルート国際マラソン」。その創設者メイ・エル=カリル氏が、マラソンという競技が持つ"平和を作る力"について語りました。(TEDより/この動画は2013年に公開されたものです

走ることは世界を変えられる

メイ・エル=カリル氏:私はレバノンから来ました、そして走ることが世界を変えられると信じています。私が今言ったことは、直ぐにはピンと来ないと思います。

国としてのレバノンはかつて、長く酷い内戦によって破壊されました。正直私は、一般市民に関係ないのになぜ「内戦」というのかわかりません。シリアを北に、パレスティナとイスラエルを南に、私たちの政府は今も尚バラバラで不安定な状態です。国は長きに渡って政治と宗教の間で分断されてきました。それでも、一年に一度だけは私たちは本当に一つになります、それがマラソンの行われる日なのです。

私はかつてマラソン走者でした。長距離走は健康にいいだけでなく、集中して考えたり、大きく夢見るのを助けてくれました。そうやって長い距離を走れば走る程、夢は更に大きくなりました、

運命のその朝までは……。練習中にバスに接触したのです。私は死にかけ、集中治療室を含めて病院に2年居ました。そして、36回の手術を経て再び歩けるようになりました。集中治療室から出て直ぐ、私はもう以前のように走れないとわかりました。

だから決心したのです、私が無理なら他の人たちは出来るようにしたい、と。病院のベッドから、夫にノートを取るよう頼み、数ヶ月後「マラソン」が生まれました。

戦争の瀬戸際において「マラソン」が果たす役割

事故にあったのにマラソンを組織することは、少し変に思われるかもしれません。しかし当時は、弱り切った時だからこそ、大きな夢を持つ必要があったのです。痛みを忘れさせてくれる何か、楽しみにする目標が必要でした。自分を哀れむのも、哀れみをかけられるのも嫌でした。

そして思ったのです、マラソンのようなことを組織すれば、地域に恩返しが出来るのではないか? と。外の世界へ橋を架け、ランナーたちをレバノンに招待し、平和という傘の下で走る。

レバノンでマラソンを組織することは、ニューヨークでそれをするのとは全く違います。常に戦争の瀬戸際にある国に、どうやって走ることの意義を広めるか? かつて戦い、殺し合った人々にどうやって寄り集まって一緒に走ってもらうか? それ以上に、当時マラソンという言葉すら馴染みが無かった人たちに、42.195kmの距離を走ることをどうやって納得してもらうか?

ということで、私たちは全く無の状態から始めなければなりませんでした。それから約2年かけて、私たちは国中を回り、人里離れた集落にも足を運びました。

私は個人的にあらゆる地位の人たちに会いました。市長、NGO、児童、政治家、軍人、モスクや教会の人々、大統領、そして主婦たちまで。私は一つのことを学びました、歩み寄って話せばみんな信じてくれる。多くは私個人の話に心動かされ、彼らは個々の物語を、私と共有することで応えてくれました。

私たちを一つにしてくれたのは、正直さと透明性でした。私たちは一つの共通語を話し、それは一人の人間として相手へ向けられたものでした。一度信頼関係ができあがると、本当のレバノンとレバノン人、そして皆が平和に暮らすことへの強い願いを世界に示そうと、みんなマラソンに協力したがりました。

マラソンが「平和と結束の場」に

2003年10月、49カ国から6,000人を越えるランナーが、決意を胸にスタートラインに集まりました。

今回響いた銃声は、戦争ではなく、みんなそろって「変化」に向かって走る為の合図でした。

マラソンの規模が大きくなると、政治的な問題も増えました。しかし困難にぶつかる度に、マラソンが皆をひとつにしてくれました。

2005年、総理大臣が暗殺されると、国は完全に停止しました。私たちは、5kmの「ひとつになって走ろう」キャンペーンを組織し、60,000人を上回る人たちが、政治的スローガンが書かれていない白いTシャツを着て、スタートラインに集まりました。

これを期に、人々はマラソンを平和と結束の場としてみるようになりました。

2006年から2009年までの間、私たちの国レバノンは不安定な時期にあり、侵略と更なる暗殺によって内戦の手前まで行きました。国は再び分断され、議会は解散し、私たちは1年の間、大統領も総理大臣も居ませんでした。でも、マラソンはありました。

(会場拍手)

私たちはマラソンを通して、政治的な問題は乗り越えることが出来るんだ、と学びました。野党が市街地の一部を閉鎖すると決定したとき、私たちは代替ルートを交渉しました。政府に抗議する人たちは沿道のチアリーダーになり、給水所の役割まで買って出てくれました。マラソンは本当にある種の「何か」になりました。レバノン人と国際社会の両方から信頼を得たのです。

昨年、2012年11月、85カ国から33000人を越えるランナーが集まりましたが、この時は、雨が降り嵐のような天気に立ち向かいました。道路には水が溢れていました。それでも人々は、国を挙げての一日に、その一端を担う機会を逃したくありませんでした。

BMA(ベイルート・マラソン・アソシエーション)は拡大し、全ての人を巻き込みました。若者、老人、障害者、知的障害者、盲人、エリート、アマチュア走者、お母さんとその赤ちゃんたちまで。走るテーマは環境、乳がん、レバノンへの愛、平和の為、もしくは単に走るだけ、などです。

より良い未来に向かって走る

「女性の社会進出」をテーマに、女性だけが参加する年1回のレースが、周辺地域で初めてほんの数週間前に開催され、ファーストレディーを含む4,512人の女性が参加しました。これは、まだ始まりに過ぎません。

(会場拍手)

ありがとうございます。BMAは、チャリティーやボランティアに支えられています。彼らはそれぞれのやり方で資金調達したり、人々に「与える」ことを働きかけることで、レバノンを作り直す手助けをしてくれました。

この「与える」、そして「いいことをする」文化は伝わり広がって行きました。固定概念は壊され、変化を作る人たち、未来の指導者たちが作られました。これらは未来の平和を作る一部分になると信じています。BMAは周辺地域の中で一目置かれるイベントとなり、イラク、エジプト、シリアの政府高官たちが、似たようなスポーツイベントを立ち上げる為の助けを求めて来ています。

私たちは今、中東で最も大きなランニングイベントの一つです。しかし重要なのは、これは世界でもかつてなく危うく不安定な地域での、希望と協力の場だと言うことです。

ベイルートからボストンまで、私たちは一つになります。全国的なマラソンや行事から小規模な地域のレースまで、レバノンで10年間に見てきたのは、人々はより良い未来に向かって走りたいのだ、ということです。

結局のところ、平和を作るのは短距離走ではありません、マラソンなのです。

<続きは近日公開>

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TED(テッド)

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