中世の日本人が想像した地獄の風景

源平合戦が終わった数年後、「六道絵」と呼ばれる種類の絵が現れました。これは、私が好きなもので、グロテスクで、ショッキングな絵です。救済に到達できない人間が、生まれ変わる6つの種類の存在が描かれています。つまり天国に行かないのなら、地獄に行くのです。いいですね?

平安時代中期の貴族階級は、中世の楽観的でない世相もあって(注:末法思想)、阿弥陀浄土に行く以外の末路を考えませんでした。これらの絵巻は、先に待ち受けている苦しみを思い出させ、それを避けるために現世で功徳を積むように促したのです。六道の世界を図解した最も知られているもののひとつが、聖衆来迎寺に伝わった15幅の掛け軸です。

オリジナルの作品の写真で確認するのは若干難しいですが、19世紀の模写を用いて見てみましょう。それぞれの絵の上部の長方形には、描写された場面の説明書きが抄録されています。腐敗した人体がとりわけ写実的です。

この絵では、新しく死んだ女性がむしろの上で横たわっています。まだ白い衣服を着て、その髪は乱れていて、左手には花咲く樹木があり、その下に再度同じ人体が表されていますが、今度は衣服が取り去られ、腐敗したガスで腹部が充満しています。

霧の流れる層の下に、秋の紅葉の木のもと同じ女性の肉体が、さらに分解が進んだ状態で晒されています。最後の下層部には、もう3つの女性の肢体が見え、1つは生の肉体が黒い鳥やさまざまな野生の動物たちに食いちぎられています。その下の2つの肢体は骸骨です。

この掛け軸は、とりわけ風景の扱いに大和絵の影響を強く残し、舞台装置の中に見られる他の要素は、唐絵という中国式の水墨画に影響を受けています。これらの「六道絵」は同様に、より親密な距離から鑑賞できるように、小さな絵巻物として制作さました。

奈良国立博物館所蔵の『地獄草紙』(あるいは地獄絵巻)は、十六小地獄のうち7つの描写であり、それぞれの罪を犯した人がどのような地獄に行き着くかが図解されています。7つの地獄は、

屎糞所(糞の地獄)

函量所(測量の地獄)

鉄磑所(鉄の臼の地獄)

鶏地獄(炎の雄鶏の地獄)

黒雲沙(黒い砂の雲の地獄)

膿血所(膿と血の地獄)、狐狼地獄(狐と狼の地獄)です。

誰が考えついたのでしょうか? これらの地獄はなかなかのものでしょう。燃えている雄鶏もいます。どんなふうに翻訳すべきでしょうか……。函量所(測量の地獄)は、量目不足で売って顧客をだました人たちの地獄です。彼らは、そこで熱い石炭の入った金属の箱を火から取り上げ、その重さを判断するように強いられています。それを、恐ろしい三つの目、白い髪の年取った悪婆が監視しています。

この地獄の空気は、暗く煙に満ちていて、中央で焚かれた火が唯一の光源です。迫りくる姿の見張り人は、たるんだ皮膚が、幅広い筆による書道のような筆致で描写されています。青ざめた裸体の苦しんでいる人たちは、拷問の痛みで疲弊しています。