ブルーイノベーション社長の生い立ち

藤岡清高氏(以下、藤岡):熊田様の生い立ちについて教えていただけますか?

熊田貴之氏(以下、熊田):家族構成は両親、弟ですね。出身は埼玉県和光市です。幼少期は運動が得意な子供でした。主にサッカー、野球をやっていました。とくに記憶に残っているのは、小さい頃から父からリーダー教育を受けていたことですね。

「社会に出たら主と従の関係になる」と。それで「社会に出るからには、リーダーの立場で動けるようになれ」とずっと言われていました。ですから今振り返れば、確かに学級委員長、部長、生徒会長など、リーダーになることが多かったと思います。

熊田:小学6年生のときに大きな転機がありまして、父の仕事の関係で香港に家族で移住しました。当時香港は世界のおへそと言われ、多くの日本企業が進出していたので、日本人学校の人数も多くて、1学年に6クラスぐらいありました。

そこに集まってくるのは企業のエース級のお父さんの子供たちが多く、優秀な層に揉まれた日々でした。

今でも香港時代の友達と一緒に仕事をすることが多く、会社の財務や広告に関することは香港時代の友人にいろいろと手伝ってもらっています。

実は、今の取締役の野島さんという方も元バンダイ香港の社長です。香港で培った人脈がブルーイノベーションの素地になっています。

香港から日本に戻って感じたギャップ

熊田:中学時代は香港でイギリスのラグビーチームに入っていました。当時はものすごく足が速くて、50メートル5秒台でした。チームでウイングをやっていて、香港のU15代表に選ばれたこともありました。香港の代表としてオーストラリアとか、いろんな国と戦いましたね。

父は何年香港にいるかわからないということで、僕は高校から日本に戻ることになりました。日本でもラグビーをやりたいと思ったのですが、意外とラグビー部のある高校が少なくて……。あっても偏差値の高い高校が多くて、結果的に高校受験はことごとく失敗して、ラグビー部のある高校には受かりませんでした。

家が近いという理由で、近くの高校に通うことになりました。当時そこは男子校でかつラグビー部がありませんでした。

香港時代は、自分をアピールすることが目立てる唯一の方法でしたが、日本だと目立ってアピールをすると白い目で見られることがカルチャーショックでした。考えてみると、高校時代は1回もリーダーというものをやっていませんね。

藤岡:暗黒の高校時代を経て大学時代はどうでしたか?

熊田:大学に進学してからは、窮屈さから少しずつ解放されることができました。相変わらず勉強はまったくできなかったので、勉強を避けていました(笑)。スキーサークルに入って、2年生まではずっと山に籠ってスキーをやっていました。

大学3年生ではゼミに入ることが必須でした。勉強嫌いだったのですが、大学の先生が非常にかわいがってくれました。それもあって、そのままその先生のゼミに入りました。先生は本当によく面倒をみてくださって、そのおかげか、研究っておもしろいなと思うようになりました。

先生から沿岸域に生育するマングローブの研究を勧められ、取り組みました。研究すればするほどおもしろいと思うようになって、大学院に進むことになりました。

藤岡:良い師と出会って、今まで嫌いだった勉強に目覚めた。

大学院時代の研究テーマ

熊田:そうですね、大学院に進んで、次は海岸侵食の研究をすることになりました。当時マングローブの研究でタイとベトナムに行った際に、洪水で家が流されている光景を見たことがきっかけです。地盤が柔らかいところに家が建っているから、一度洪水が起こると大災害になってしまうんです。

去年あった家がないことがあるぐらい洪水の影響が大きいと。それが衝撃的で、災害対策の研究しようと思いました。家が流されないためにはどうすればよいかという研究をしようと。

藤岡:人の役に立つ意義のある研究テーマですね。

熊田:日本でも海岸侵食の問題はすごく重要視されていました。そのときに学会で海岸侵食対策の権威である先生に出会って、それから海岸侵食対策研究に没頭するために博士課程に行くことを決めました。

博士課程では海岸の形状予測しかできなかったシュミレーションモデルを発展させて、砂の粒子まで考慮に入れて予測できる海浜変形予測モデルを作りました。

それまでは砂を補給しても、ただ流されていましたが、どういった粒径の砂を盛れば、海岸が安定するかということまでわかるようになりました。これは当時、世界的にも画期的な研究で、国にとっては相当なコストダウンにつながりました。

ブルーイノベーション起業の背景

藤岡:博士課程を経て起業する背景を教えてください。

熊田:大学院時代はバイトする時間もなく、お金がありませんでした。そこで大学の諸先輩方が建設コンサルタントに就職していたので、何か仕事がないかと相談しにいったところ、仕事はあるけど、個人には外注できないと言われてしまいました。

その時に、父が帰国後会社を辞めて、1999年にブルーイノベーションの前身であるアイコムネットという会社を立ち上げていたので、それを活用しようと考えました。父の許可が出たので海岸事業の仕事を受注できるようになりました。

最初に稼いだお金が1つの調査をして15万円でした。自分にとっては大金で、商売ってこんなに儲かるものなのかと正直思いました。

それから、うちはどこよりも安く海岸事業ができると建設コンサルタントなどに営業を始めました。本当にどこよりも安いので仕事がたくさん取れました(笑)。

“冬の時代”を経てドローン事業の発展へ

藤岡:アイコムネットに参画されてから、今のドローン事業に発展されてきた背景を教えてもらえますか?

熊田:海岸事業の仕事をしていましたが、2011年に東日本大震災が起きて、海岸復旧の調査に対して多額の国家予算が割り当てられました。震災後の3年間は本当に仕事が多かったですね。その後、仕事がない冬の時代がやってきます。

震災後の3年間ぐらいは海岸のプランニングの仕事が多いので、僕たちのような予測分析をする人たちが活躍できますが、その後は施工の段階に入るので、プランニングの仕事は少なくなりました。

こうした背景があって、新しい事業を立ち上げる必要性が出てきました。僕らが海岸の予測分析をする際に、空撮がキーポイントになります。けれども当時は、セスナ機撮影の航空写真しかなくて、それも1〜3年に1回程度の航空写真しかない状態でした。

災害原因を究明するときは、災害直後の写真が必要になります。直後の写真が欲しいのですが当時はセスナ機を1回飛ばすと数百万円しました。

そこで何か良い撮影方法がないかなと考えていたときに東京大学航空宇宙工学科の鈴木先生と出会い、そこでドローンに出会いました。

当時はまだ飛行ロボットと呼ばれており、パソコン上で高度と飛行経路を設定すれば何回でも同じ位置で飛行してくれる優れものでした。

鈴木先生は、もともとジャンボ機が御巣鷹山に落ちた事故をきっかけに、人が手を介さなくても自動で飛ぶ飛行制御技術を研究していました。その実験として、ラジコンに制御システムを搭載していました。それが今のドローンです。

鈴木先生は、当時はまだドローンの産業用途を考えてなくて、私たちが海岸で撮影する方法を探していますと先生に相談したら、「おもしろいからやってみるか!」ということになり、このドローンを活用した海岸モニタリングシステムを検討することになりました。

使って行くうちに、ドローンを使って低空で撮影した写真はセスナ機で撮影した写真よりも明瞭でした。さらにドローンは動画も撮れるから波の動きも撮れます。波長、周期、流速などもわかるようになりました。

その時に、これはすごい技術だなと思いました。ドローンが見えなくなるぐらい遥か向こうに飛んで行くんですよ。そこから本当に自動で戻ってきました。「この技術を使う時代は絶対に来る!」と思いましたが、それから結局6年間ブームは来なかったですね(笑)。

でも僕らはこのドローンを使った技術を磨いて行こうと、海岸事業の中で提案して仕事を請けて実績を少しずつ積み上げていきました。

そうこうするうちに3年前から問い合わせ内容が海岸調査についてではなく「ドローンって何ですか?」「ドローンについて教えてください」という内容ばかりになってきました。

Yahoo! JAPANとの共同開発

熊田:2013年に、Yahoo! JAPANからドローンを使って、空からGoogleのストリートビューみたいなことをやりたいというお話がきました。これはおもしろくなると直感で感じました。

その年から共同で研究開発することになり、それがドローン事業に本格的に足を踏み入れるきっかけになりました。この頃、社名をアイコムネットからブルーイノベーションに変更しました。

それでYahoo! JAPANとドローンを使ってどんなコンテンツが作れるかを真剣に検討しました。新コンテンツは、空から全方位見ることのできる地図コンテンツで、メディアにも大きく取り上げられました。

Yahoo! JAPANとブルーイノベーションがドローンを使って新コンテンツを作るという報道をきっかけに「ブルーイノベーションってドローンの会社?」という感じになり知名度も上がりました。

地図コンテンツのほかにいくつかのサービスをリリースしました。例えば、ドラえもんの3DCG映画の『STAND BY ME』のプロモーションとして、タケコプター試乗会というアトラクションサイトをYahoo! JAPANで提供しました。

画面で上空からの景色を全方位見ることができて、ドラえもんのキャラクターが登場して、一緒にタケコプターで飛んでいるかのような雰囲気を味わうことができます。