本の未来を考える8つのポイント

内沼晋太郎氏(以下、内沼):ちょっとここから、本のいきなり奥義大公開みたいな。まぁ、奥義でも何でもないんですけど(笑)。色んなことを考えたり喋ったりしていく中で、これから多分オウジと僕が喋るんですけども、僕の基本的な8つの考え方があるなぁって最近気が付いたんですね。

本の未来を考えるにあたって、どういう視点に立って考えると「あぁそうだな」っていう風に思えるのかっていう考え方のヒントみたいなものが、僕は8つあると思っているわけです。

1つ目は、「本の定義を拡張して考える」。これ何を言っているかというと……この中身は後で喋りましょうか。先に8つ、ざーっとやりますね。

森オウジ氏(以下、森):電子書籍っていうのじゃなくて、大きく捉えた「本」っていうことですよね?

内沼:そうです、そうです。2つ目は「中身=データ」としての本と「モノ=プロダクト」としての本とを分けて考える。「情報・知識」としての本と、「論点・ナラティブ」としての本とを分けて考えるっていうのが3つ目です。

「本のハードとソフトについて考えよう」っていうのが4つ目です。「本とインターネットとの接続について考えよう」というのが5つめです。「本のインターフェイスの最適化について考えよう」というのが6つ目。

「本の国境について考えよう」というのが7つ目です。で、あと「本のある場所について考えよう」っていうのが8つ目。僕、今日持ってきたスライドはこれだけなんですけど、この8つでたいていの事は説明できると思っていて、その話をというかですね、今日はざっくばらんにいろいろな話をするという風に聞いているので、とりあえずまずは……。

:今のその8つのポイントで、今から1つずつちょっと……。

本の定義とは

:まずこの「本の定義を拡張して考える」というのは、スタート地点はどこからで、どう広げていくんですか?

内沼:うん。例えばウィキペディアとか見ると、「本」ていう項目になんて書いてあるかというと、なんか印刷されて綴じられた紙の束でなんとかかんとか、って書いてあるわけなんですよ。

でもまぁ電子書籍っていうのを仮に本だっていう風に捉えると、もうもはやそれは本じゃない。本の定義として間違ってるわけですよね。

でも電子書籍を本だっていう風に考えた途端に、どこからどこまでが「本」かわからなくなるんですよね。じゃあWebサイトはなんで本じゃないのかとか。これね、僕これについての資料もあるんで、ちょっと出していいですか?

:どうぞ、どうぞ。

内沼:時間が結構ありそうなので。

:ごゆっくり。

内沼:これもですね、僕が前にschoo(スクー)っていう今流行りのネット上の学校みたいなのがありまして、そこでプレゼンをした時に「本とは何か」っていうテーマで喋れっていう風に言われて、それで作った資料なんです。

それは「本の定義を拡張して考えよう」みたいな話とほとんど一緒で、それの中身なんですけども、これもせっかくなんでお見せします。

えぇとですね、これは僕が書いた本なわけです。

で、本の歴史っていうのはこういうものから始まるわけです。シュメール語が書かれた粘土板です。

最近では、これも本だっていうわけです。電子書籍ですね。

で、辞書。辞書も当然本屋で売ってるから本だと。

だとしたら、電子辞書って昔からあるけど、これは本なんだろうか? 僕は本なんだろうなぁと思うわけです。

2ちゃんねるのまとめサイトは絶対に「本」

内沼:これっていうのは、もはや懐かしい本ですよね。『電車男』っていう本があるわけですけど。

だとしたら、2ちゃんねるのまとめサイトっていうのも、もはや絶対にこれは本で。なぜかというと、さっきの本は2ちゃんねるのスレッドをまとめたものだからです。

ミニコミとかリトルプレスとかZINEとか、最近はこういうものも本だっていう風に言うと。いわゆる薄くて個人的なことが書いてあって、ホッチキスで留めたような冊子であっても、本であるというわけ。

という場合に、この企業のパンフレットみたいなものってもともと本って言うんだっけ? これが本じゃないっていう説明がなかなかできない。で、これが本なんだとしたら……紙の本で、電子書籍も本なんだとしたら。

まぁこれだって本なんだということになるわけですね。企業のサイトみたいなものも。これはなんで本じゃないんだろうか。

で、文庫本はもちろん本なわけです。昔の本って手書きだったわけです。

そうすると、例えばこれは無印良品の「文庫本ノート」っていうノートですけれども、これに自分で小説書いても、これは本。だって昔の手書きのものが本なんだったら、これももう絶対に本ですよね。でも、あんまり本だっていう風に今は言わない。

ツイッターも「本」

内沼:最近はこれも本だっていう風に言いますね。さっきも言いましたけど、iPadアプリみたいなのも本だっていう。

だとすると、今さっきここで僕がいじっていたのは、このアプリなんですけども、「MUJI NOTEBOOK」っていうiPadのアプリだって、本。なんで本じゃないと言えるんだろうか。

こんな本が一家に1セット昔はあったわけです。日本文学全集みたいな。

で、これは任天堂DSの「DS文学全集」っていうソフトなんですけど。これはDSって見開きだし、もう完全に本じゃないかなぁっていう風に思うわけですね。

これは僕、いろいろ本好きの人に会うと「どうして本が好きになったのか」っていうのを聞くわけですけど、まぁ「かまいたちの夜」とか「弟切草」とか、そういうサウンドノベルみたいなスーファミのゲームソフトがきっかけで小説を読むようになったっていう人が、1人や2人じゃないんです、実は。たまに会います。

そうすると「ファイナルファンタジー」はなんで本じゃないんだろうっていうのが、ちょっとわかんないわけですよね。

なんでそう思うかっていうと、ファイナルファンタジーの本がいっぱい出てるからですね。攻略本とかガイドブックとかノベライズ。これは確実に本なわけで、じゃあさっきのはなんで本じゃないんだろうと。

これは、横尾忠則さんとか嶋浩一郎さんの本なわけです。紙の本なんですけど。これご存じの方はわかると思うんですけど、どちらもツイッターのつぶやきをそのまま本にした本です。これは本なわけですね、どう考えても。

そうすると、ツイッターも本なんじゃないかと。

しゃべっている時点で本かもしれない

内沼:「マスコミ電話帳」とか「オーガニック電話帳」とかって、これ本屋さんで売ってるから本だと思うんですよね。

しかも図書館にもあるわけですよ。こういうタウンページとかハローページとかあるんですけど。

だとすると、これが本じゃない理由が全然ないなぁと思うわけですね。さっきまで、いろいろiPadだって電子書籍だって……、これちょっと補足しますけど、例えば「これが本だ」っていうのは無茶じゃないかっていう人もいると思うんで、これが本であることの説明をしようと思うんですけど。

僕の知り合いですごくグルメな人がいるんです。その人はiPhoneを2台持ちしていて、1台のほうのiPhoneには、飲み屋とかおいしいお店の情報がいっぱい入ってるんですね。それをみんな欲しがるわけです、つまりそのデータを。そのデータそのものコピーしてくれと。これは本だなぁと思うわけですよ。

それはその人が編集したグルメ本だし、しかも超便利なわけですよね。押せば電話かかるし、住所書いてあるから押せば地図出てくるしみたいな。そう考えると、それはもうどう考えても電子書籍と変わらない、マスコミ電話帳みたいな本だなぁって思うわけです。

これまた別の話ですけど、これはホリエモンさんとひろゆきさんの「語りつくした本音の12時間 なんかヘンだよね……」っていう本なんですね。これは、12時間ホリエモンさんとひろゆきさんがしゃべった本だと。電子書籍版も出ていると。

こういうトークをこの2人はニコ生とかでやってるわけですね。これニコ生で放送してる時点で、本とどう違うんだと。つまり、それは動画ファイルと文字ファイルなのとで、どう違うんだろうなぁっていう風に思うんですよね。

ひょっとしたら、もうしゃべっている時点で本かもしれないなぁと思って。まぁ居酒屋で僕らが12時間喋ったら、それはなんで本じゃないんだろうと思うわけですよ。

トイレットペーパーでできた本が書店に売られていた

内沼:またちょっと話は変わって。これは小林秀雄全集と吉本隆明全集なわけです。

小林秀雄の講演っていうのは昔からすごく有名で、カセットテープが出ていて、今はCDも出ていて、iTunes Storeでも買えます。

同じですね。吉本隆明の講演もCDになって、これ糸井さんとこの事務所から出てますけど、なんでこれが本なのに、これとかこれは本じゃないのかって言ったら、多分本だろうなと思うんですね。これとか昔本屋で売ってたし。

また話変わりますけど、これは荒川修作さんの「建築する身体」っていう本です。

これは、トイレットペーパー版っていうのが出ていて、本屋さんで売ってたんですよね。じゃぁ、トイレットペーパーも本なのだろうなぁ、みたいな。ことを思うわけです。

これは鈴木心さんていう写真家の写真集なんですけど、鈴木心さんは写真家なんだけど珍しく、自分のWebサイトにどんどん、超高解像度の写真をバンバン上げているわけです。

まぁ、例えば写真展やった時に写真集と同じ内容だったら、写真展はなんで本じゃないんだろうか、とか。

同じだったとしたら、Webサイトもなんで本じゃないんだろうか、とか。

あとは、写真っていうことで言うと、例えばこれ、電子書籍とすごく似たものとしてデジカメの画面っていうのがあると思うんです。このまんま人に「これさ、この間こういう写真撮ったんだけど」とかって言って見せる。

その時の感じって、写真集見せたりとかしてるのと何が違うんだろう、とかって思うと、デジカメのこっち側の画面もひょっとしたら本かもしれないなぁとかっていうことを考えるとよくわかんなくなるっていうことなんだと思うんですよね。

で、まぁウィキペディア先生に聞くと、さっきも言いましたけど「本は書物の一部である。書籍、雑誌などの印刷・製本された出版物である」っていうのは、もういつの話だよ、っていうくらい古い定義なんですよね。

最近っていっても、もう3ヶ月くらい前なんですけど、ケヴィン・ケリーって、WIREDの元編集長の人のインタビューで「本は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティブだ」というのがあったんですね。

実はさっき、情報・知識としての本と論点・ナラティブとしての本をわけて考えるっていう風に言ったのは、このケヴィン・ケリーの言葉から取っています。

「本のようなもの」の未来は明るい

僕が思っているのはここまで見てた「本のようなもの」っていうのを全部広義の本だと捉えると、それはなんかやっぱり拡張してんな、と。つまり、後から出てきたものがいっぱいあるわけじゃないですか。トイレットペーパーは昔、本じゃなかったけど本屋で売ってたりとか。

デジカメの画面とかだって誰も本だとは思ってなかったけど、電子書籍が本なんだとしたら、本じゃないって言い切れないなぁ、とか。っていうことを考えると、日々、ひょっとしたら本かもしれないものがいっぱい増えてるなぁ、って思うわけです。

で、それを全部広義の本だと捉えると、それは相変わらず人々のそばにあるし、これからも必要とされるのは間違いないだろうな、っていう風に思ってるんですよね。

そこから言えることは、「出版業界の未来」っていうのは、もし暗いとしても、そりゃあ暗い暗いって言われるわけなんですけど、少なくとも「本のようなもの」の未来っていうのは、多分関係なく明るいんだろうなぁ、っていうような事を思っているわけですね。

これは歴史的にもほぼ証明されていることで、つまり複製技術が進化しているだけなんです、ただの電子化って。進化の中で産業構造が変わるのは今までも当たり前で、写植の人とか活字拾う人とか、今までもなくなってきた人たちっていっぱいいたわけです。

ただ、それが今メディアの人だからなんかこう、大げさなことになってるだけで、「本みたいなもの」は出版業界よりもずっと前からあったし、これからも続いていくだろう、っていう風に思うわけですね。