美術史を変えたアート

カリン・ユエン氏:1917年、1つの小便器が美術史の流れを変えました。

独立芸術家協会(Society of Independent Artists)が、どの芸術家も、1ドルの会費でメンバーになることができ、そして、どのメンバーも5ドルで「アンデパンダン展」に作品を提出できると公表しました。

これは、アメリカにおけるモダンアートの最大の展覧会であり、また、保守的で窮屈とみなされている国立アカデミーの動向に対して、知的な抵抗が求められていました。みなさんご存知のように、マルセル・デュシャンが、この展覧会に出した作品が男性用小便器だったのです。

それは、彼が自分で陶土を塑造し、窯で焼成した小便器でもなく、完全に大量生産で作られ、店舗で購入したふつうの便器でした。彼は、その背面を下にして置き、「R. Mutt 1917」というサインと制作年を記しました。そして、この作品を『泉』と名付けました。

言ってみれば、デュシャンは、すでに存在するオブジェを引用し、それを機能させないことにより、美術作品として位置づけたのです。彼はこの新しい美術の制作方法を「レディメイド」と呼びました。

では、どうしてデュシャンはペンネームである「R. Mutt」を用いてサインしたのでしょうか? 理由の1つは、デュシャンは、独立芸術家協会の創設に関わった1人であり、展覧会運営側である実行委員長でもあったからです。もう1つの理由とは、デュシャンは言葉遊びを好んだからです。

マット(Mutt)という名前は、小便器を購入した店舗のモット(Mott)という名前の洒落、あるいは、当時よく知られていた漫画の『マットとジェフ(Mutt and Jeff)』(アメリカのもっとも初期の新聞連載漫画)を参考にしたものだともいわれています。

この漫画でのマットは、ドジで欲張りなキャラクターで。常に一攫千金を夢見ています。ジェフは騙されやすい相棒で、病院施設に収容されています。このようにして、デュシャンは、堅苦しい美術の業界を茶化したのです。事実「R」は、リチャードを表し、フランス語の俗語では現金鞄を意味すると考えられます。

小便器が美術史上で果たした役割

よって、小便器が展覧会場に届いたとき、展示されるのに要請された6ドルが同封されているのにも関わらず、デュシャンの同僚の実行委員はこれを断固として拒絶しました。無審査の展覧会は「R. Mutt」の作品を除き、1,235人の芸術家による2,125点の作品全部を受け入れました。

多くの人々は、この作品は侮辱だと感じ、冗談の一種だとさえ思う人もいました。実際にこの作品はなくなりました。作り直されたと思われる作品は、2~3日後に写真撮影されましたが、それも同様に消失しました。すぐさま、デュシャンは、協会の本来の設立趣旨であった「自由で進歩的な芸術」が実行されなかったことを指摘しました。

デュシャンの代理人であるベアトリス・ウッド(Beatrice Wood)によって雑誌に発表された記事「リチャード・マットの場合(Richard Mutt Case)」には、以下のように書かれています。

マット氏自身の手によって『泉』が制作されたかどうかは重要ではない。彼は、それを「選んだ」のである。彼はありふれた物品を取りあげ、新しいタイトルや、見方を与えたことにより、実用上の意味が消えるように置いたのだ。つまり、オブジェに新しい概念を創り出したのである。

『泉』を見た人々は、それまでの過去の芸術の命題から出発する一歩を踏み出したのです。もはや私たちは、技巧やメディウムの美的な問題、嗜好の問題に関心を抱きません。存在論に対する、認識論に対する、そして制度的な問題に対する、新しい問いを立ち上げたのです。

そしてこの問いは、今日においても問い直され、いまだに議論され続けています。