コピーとデザインの共通項

田中里沙氏(以下、田中):野老さんはデザインの方、建築の方というイメージがあったのですが、宣伝会議賞はコピー、キャッチフレーズの世界です。

なので、これを調べてもらって「コピーの力ってすごいですね」って言ってもらった時に、私たちもあらためて自信を持つ感じがありましたし、うれしい気持ちになりました。デザインの立ち位置からコピーをどう見るかというところも、私たちには新鮮でした。

魅力の再発見というか、どこにスポットを当てるのかという視点が、外部の目から見ると明らかになるところってけっこうありますよね。

野老朝雄氏(以下、野老):そうですね。たまたま宣伝会議の「宣伝」という字の真ん中がお日さまの「日」という字で。それを中心にどうやって合わせるかというのでかなりトリッキーなことをしてるんですけれども。とにかくそれが伝播するというか。

例えば、ぜんぜん違うところで生まれ育っても、コマーシャルを通して知ってる世界観があったりとか、それが世代感みたいのを作るんですけれども。眞木準さんのちょっとおもしろい、あの……。

田中:「ダジャレコピー」と私たちが言うと、いつも「オシャレコピーだよ」と返していただきましたが(笑)。眞木準さんは宣伝会議賞の育ての親のお1人です。。

野老:「でっかいどお。北海道」とか、ある意味詩のような、不定型詩というか。言われたときに、行ったことなくても「でっかいんだろうなぁ」っていう、ちょっと大雑把なところあるじゃないですか。

でも、おそらくそのノリでは京都は語れなくて。例えば「そうだ、 京都、行こう」みたいなものができる背景って……。

グラフィックにおける、ほかにここに並べなかった案。ダメ案という意味じゃなくて、候補だったり。いろいろ描いては、「ダメだ」みたいなところが。

例えば『でっかいどお。北海道』のオルタナティブってなんだったんだろう?」とか、そういうのをすごく考えるのが楽しみというかね。「やっぱりこれしかなかったんだな」というものが今、名作として残ってるんですよね、やっぱり。

僕は本当に言葉ができないから、今しゃべってるのも本当に大汗をかきながらなんですけど(笑)。

田中:いつもそうなんです。丁寧に丁寧に言葉を紡ぎ出すように話されるので、こちらも気持ちが引き締まります!

野老:文章って推敲ができますよね。もちろんこれ(会話)が録音されたものを編集することはできると思うんだけど、それと推敲ってぜんぜん違いますよね。推敲の「こう」って原稿の「稿」ですか?

それに近いことをしまくるんですけれども……図形においてはどういう字なんでしょうね。わからないけど。

田中:デザインを推敲する?

野老:合ってるかもしれないですけどね。これも「稿」と考えれば。

で、この宣伝会議賞に関してはそれが、「てにをは」を変えるとか、なんだったら「、」じゃなくて半角スペースのほうがビジュアルとしてよいとか。

あと、今まで原稿用紙で書かれていたというのが、今タイピングだろうし、どういうふうにそれを読むかというのが、スマホだったり、でっかいテレビだったり、いろいろあると思うんだけど。あと言い方だったりね。

ここで込められたものというのは、漫画でいうと「ダダダダッ」みたいな、方向性みたいなもの。

本当にそれが一言でもすごく強く残ったりというので、たまたま真ん中に1つ中心を置けたのですが。かつ、「頂」のようなことを表現できればいいなと思ったんですけど。

五感を使うようなデザイン

あと、そうだ。子どもがね、中高生のための賞ができるんでしたっけ? すごくいいなと思って。

田中:ありがとうございます。そうなんです。小さい頃から広告とかCMが好きな人はたくさんいますし、広告を通して企業を知ったり好きになったりというお子さんもたくさんいるので、そういう若い世代に裏側にある、コピーとかデザインのことをもっとよく知ってもらいたいなという思いがありまして。

時折感度の高い中学生とか小学生がぽつんと応募してくれるんですけど、中学校・高校生の部を作れば、グループで、チームでわいわい考えて盛り上がりながら応募をしてくれるだろうということで発足いたしました。

野老:「あ、そこがコンペティティブなことになるんだ」っていうことだったりとか。それって勉強に直結してなくても、お笑いの方とかもそうだと思うんだけど、現代国語とかで何点取るというのと違う世界ってあると思うんですよ。

だから、例えばそれが地方性というか、「大阪のお笑いの人はおもしろい」みたいな意味で、「コピーライティングに関しては、実はここが強い」みたいなこともあるかもしれないですし、出てくるかもしれないですし。

もう十分に大人を凌駕してしまうような……詩とかもそうだと思うんですけれども、子どもがふと言った言葉がものすごく本質をついてたりとかすることありますもんね。

田中:身近なところでも、私たちの大学のようなところにもマークは必要ですし、なにか企画を進めるときにキャッチフレーズを作ろうという動きは日常的にありますから、たぶん世の中にはそのようなニーズが多々あふれてると思うんです。

野老:そうですね。

田中:だから、デザインの力はますます重視され、求められると思いますし、企業が戦略的にデザインを取り込んで成長していくためには、もっとデザインの力を信じて、もっともっと身近なところに引き寄せて、日常的に活用しようというような考えが重要かなと思います。

野老さんは建築出身で、こういう平面のものもいろいろなさるということですけど、今「体験のデザイン」というようなことも言われています。視覚を中心とされながらも、見える形のみならず、触感、香り、音など。

野老さん制作の2020五輪エンブレムのは触ったときの感触がでこぼこと感じられるような、そういうマークでもあるというお話も先日の打ち合わせの時に伺いました。五感を使うようなデザインというのは、これからどんなふうに考えていけばいいか、どんな取り組みをされるかをぜひ教えていただきたいのですが。

野老:たぶん認知心理学とかデザインのほうが、もっと密接に語られることがあると思うんですけど。visible見えるとか、audible聞こえるとか、tangible触ってわかる。

だから、エンブレムに関してはものすごく……目の見える人、目の見えない人だったり、後天的か先天的かというのもいろいろあって。

で、想像するしかないんだけど、今例えば3Dプリンターだったり、UVプリント、厚盛りとか、いろんな技術があったりしますよね。だから、本当に僕は、あれが本当に直径2センチぐらいになったときに、1センチでもいいんですけど、親指の腹でどう触るかみたいな、どう認識するかというのを想像しながら。

まあ、あまりダイレクトに聞ける人はいなかったんだけど、それはお互い歩み寄れるなと思いますし。

目の見えない方に対してのtangibleもあるかもしれないけれど、audibleみたいな、サウンドのジングルみたいなものもあると思うんです。かなりそこで、やっぱりデジタルプラットフォームにおける、どういうふうに佇まうのかというのは変わってくるでしょうね。

もしも亀倉雄策氏がパラリンピックもデザインしていたら

今まではやっぱり印刷物の上が多かったと思うんだけど、動いたりとか、映画会社のフライオーバーのロゴみたいなのものというのは、あれが見える、「じゃあ裏側はどうなってるんだろう?」「じゃあ側面はどうなってるだろう?」とか、奥行きを与えたりとか、重さを与えたりとか、聞こえたり、味もそうかもしれないですね。やっぱり今までなかった解像度。

ちょっとすごく違和感があったのが、「どのスケールでも同じような印象が持てるのがいいロゴだ」というふうに(これまでは)たぶん書いてあったと思うんだけど、そうじゃなくて、すごく大きくなったときにこんな感じ、小さくなったらこんな感じとか。

要は、どんどんピクセルとして潰れていって単純な丸になるという意味では、この宣伝会議のロゴはけっこうギリギリで、密度が高いんですよね。

これはアウトラインで描くと本当にちょっとグラっとくるぐらいの錯視。でも、それがどこでくるかというと、この距離かもしれないし、(もう少し離れた)この距離かもしれない。

「どのようなデバイスで見るか?」みたいな意味では、最初に鉛筆で描いてるときにはその効果はないんだけど。それはやっぱり手書きのときだったらまた違うアプローチだったろうなって思うし。例えば亀倉(雄策)先生がこれをやったらどういうふうにするんだろう?」とか。

あ、そうそう。すごく見たかったのが、亀倉先生のときはなかったけど、亀倉さんが、パラリンピックもデザインしたらどうだったんだろう?」と思うんですよ。64、68、72(年)って黄金期だと思うんだけど、パラリンピックないんですよね。

エキスポ(大阪万博)のときも、田中一光さんだったりそうそうたる方々が落選になるわけだけど。やっぱり時代を表した人がこういうロゴを作るんだと。

当時の万博とかってすごく明確ですよね。日本の技術を世界にどうやって見せるかとか、印象づけるか。あの時はやはり桜の花びらっていうのはすごく重要だったと思いますし。

田中:そうですね。田中一光先生は私が編集長の時代に『宣伝会議』の表紙を制作していただいたことがあり、よくお話を聞かせていただきました。

いつも編集部に対して「生き生きとした今を切り取るような編集をしなさい」って言われて。「すごくいいお話だな」と思いながら「でも実行は難しい。どうしたらよいか」と考えつつ、いつも心に留めていました。

デザインを世の中に打ち出していく人というのは、そのぐらいの気合いと気負いと、世の中に対する愛情やメッセージ性のあるお考えというのがあるのだと思います。

野老:本当そうですね。だから、僕の親が持ってた本で、『日本の伝統』って紫色のシリーズの本があるんですけれども、まあ文字組みとかも綺麗ですし。

田中:そうか、そういう本がお家にあったからこういう深いデザインができるのかも。

野老:でも、それはね、あとで。その時は「田中一光の本だから、これは重要なんだよ」ということではないんじゃないですかね。残り続けていて、いまだに枕元にあるんですけど。

文楽とか生花とか、いくつかのセクションに分かれてるんだけど。やっぱり田中一光さんがまとめるというと、文字書くと緊張すると思うんですよね。実際残ってるわけだし。あの本は小さな全集みたいなものなんだけど、すべてが融合している。カメラマンもすばらしいし。

いつそれを再び刷っても大丈夫みたいな、1つのパッケージとして。別にそのこと知らなくてもいいんですよね。ただ、「すっごく魅力的な本だな」というのが伝わるでしょうし。

『ブレードランナー』のような世界観に近づいてきた

田中:野老さんのデザインを見ていると、発注元であるクライアント、企業のことも考え、その企業の先にいるお客様のことも考え、そして社会・未来のことも考え、いろんな方へのオマージュも入っているような感じで。

深く、そして、今日キーワードだなって思ったのは、柔軟なデザインといえばよいでしょうか、受け手への思いが制作のスタイルとしておありなのかなと思いました。

例えば、「小さくても大きくてもきちんと見えるように」という条件のオリエン自体が違うのかもしれないなって思わされるような。人が離れて広角で見るときには大きく、そういうふうに体に降ってくるような見せ方というのがあるのでは。それらをたぶん想定して作っていらっしゃるんだなということを感じました。

野老:とくにやっぱり今2016年に生きていて、長く残るといいことってやっぱり、見る人が倍、3倍って増えていきますよね。

だから、僕のときはデジタルプラットフォームという概念も身近でなかったけど、例えば有楽町とか東京の駅の地下道とかガンガン動いてますよね、いろいろ。僕は「『ブレードランナー』のような」って最近よく言うんですけれども、やっぱりSFのほうが引っ張っていった。文章ですね、それも。

それに挿絵が加わって、次の段階、コンテになって、映画になったときに……という。時間軸が伴う芸術というか。やっぱり文章だけのすばらしさもあるだろうし、ほかのジャンルを引き込む力。

田中さんとか亀倉さんというのはものすごく突出し続けて、なんだか相手にプレッシャーかけちゃうのかもしれないけど、それこそお互いの敬意があって、みんなで料理にしていくみたいな、もしくは奏でていくっていうのかな。

そのなかで、今ちょっとやっぱり全体として「デザイン」ということが非常にあまりよく語られないような数ヵ月があったと思いますし。僕はグラフィックの人間ではないですが、やっぱり次の世代がね。

日本人は得意なところだと思うんですよ。とくにコピーに関しては、日本語というものを使っているわけだから。でもそれがだんだん英語のほうに侵食していくってこともすてきだと思いますしね。

田中:そうですね。たくさんお話を伺ってきましたが、本当に野老さんが広告業界、グラフィックの業界にもいろいろ刺激を与えてくれるところは、これからも大きいと思いますし、2020年に向けてはたぶんご活躍の機会がますます多くなると思います。

またこれからクライアントのお仕事もいろいろ手がけられて、世の中に向けて、日本への愛情や、未来に向けたメッセージが野老さん流のものから出てくると嬉しいです。

今日会場にいらっしゃるみなさんは、コミュニケーションの仕事に関わる方々ですので、またいろんなかたちでコラボレーションができるといいのかなってことも想像しています。

1個だけエピソードを。五輪エンブレムの賞金で、野老さんは事務所にそれまでなかった冷蔵庫をお買いになられたそうです! バラしちゃいました、いいですか?(笑)。

そういう本当に生活感があって、温かくて、いろんな方をリスペクトされて、おもしろいことをやろうと常に考えていらっしゃるお人柄なので、これからも野老さんには注目させていただきたいとみなさんが思っています。

最後にメッセージを野老さんからお願いします。

野老:ちょっと拙い話で申し訳なかったんですけれども、いろんなデザイナーの方、ここにもいらっしゃるかもしれないんですが、やっぱりお互い敬意を持ちあってすごく楽しい時間で、なにかが生み出されてる。それがきっちりビジネスとして回っていくということ。

僕はすごく遠いところから見てるんですけれども、今回の(リオ五輪の)閉会式をご覧になった方、すごいいらっしゃると思うんだけど。やっぱりアンチの方とかも引き込めたりとかいろんなことを。

あれは舞台芸術っていうところで、文章の天才的な人、振り付けの天才的な……天才的じゃないな、もうみんな天才ですよね。ああいうことが起こりうるんだというのはすごく思います。それはスケールの小さいプロジェクトだろうがなんだろうが、やっぱり異なった才能の人たちがなにかを作り出すっていうのかな。

田中:そうですよね。企業ロゴを作って、印刷物にして、それ使っておしまい、ということじゃなくて、「ロゴを使っていく」ということへの考え方も、大きなヒントになったかなと思いました。

本日は限られた時間で、凝縮していろんなこと聞きたかったのですが、普段じっくりと時間をかけて制作にあたる野老さんに、ハイスピードでお話しを伺うことができました。今日はみなさん朝から参加をいただいて、本当にありがとうございました。

(会場拍手)