カヌーでアジア初の銅 羽根田卓也選手・記者会見

司会者:羽田選手、今の率直なお気持ちをお聞かせください。

羽根田卓也氏(以下、羽根田):昨日は本当に一睡もしないまま一夜が明けてしまったんですけど、まだ1日経った今でも、自分がオリンピックのカヌースラロームでメダルを獲ったということが信じられなくて、昨日から何回も自分のほっぺをつねったりして実感しています。

記者1:試合を通して、「もう少しこうできたな」という改善点がなにかあればお願いします。

羽根田:ちょっとレース前に体調が良くなくて、もう少し気をつけて臨むことができれば結果が変わっていたのかもしれないですけど、でも逆に体調が悪いことによって、いい気つけになったので結果オーライということで。

記者2:産経新聞のササキと申します。今一番したいこと、食べたいものはなんでしょうか。

羽根田:自分はずっとスロバキアにいて、日本食を食べることが少なかったり、一年のなかで日本にふれることが本当に少ないので、まずおいしい日本食を食べて、夏祭りとか日本特有のものにふれて楽しみたいです。

高校卒業後、スロバキアで10年間トレーニング

司会者:羽根田選手はブラチスラバに行かれてもう10年ほど経つということですけれども、日本から出て行って、海外を拠点にして活動することの意味とメダルとの結びつき、それをどのように実感されてますか?

羽根田:18歳のときにスロバキアに行くと決断したんですけど、その決断と周りの方々の後押しがなければ僕は絶対にこの場所にいないと思うので、スロバキアで10年間トレーニングした賜物だとこの結果を受け止めています。

記者3:産経新聞のアオノです。先ほどレース前に体調が良くなかったとおっしゃっていたんですが、もう少し具体的におっしゃっていただければありがたいです。

羽根田:リオには去年から定期的に何回も合宿に来ているんですが、だいたい1週間くらいするとだんだんお腹の調子が良くなくて、なにが原因かはわからなかったんですけど。

今回は水に徹底的に気をつけるようにして、選手村のサラダをとらないようにしたりとか、きっと水道水で洗っているものもたくさんあると思うので、そういうものを控えたりだとか、あとは歯磨きもちゃんとペットボトルの水を使ったりだとか、そういうことに気をつけました。

スロバキアにいた10年のなかで、おそらく最初は言葉が通じなかったと思うんですけど、そういった苦労があれば教えてください。

羽根田:スロバキアに渡ったときは、本当にまったく未開拓の地でしたので、そういう面での不安はもちろんありました。

言葉の面でも英語のカタコトも話せないような高校生レベルの英語でしたし、師事していたコーチもあまり英語が上手じゃなくて、コミュニケーションに困ることがたくさんあったんですけど。

まあコーチも英語を使うようになって上達していくようなこともありましたし、そういう逆境によって自分もどんどんスロバキア語を覚えるようになっていったりだとか、自分のプラスになったことが多かったと思います。

北京五輪で事故に遭った友人への思い

記者3:報道部分で知ったことでたいへん恐縮なんですけれども、事故で障害を抱えられた高校の同級生と励ましあいながら競技生活をしてきたという報道を見たんですが、今かける言葉と言いますか、お互いの関係性を教えていただければと思います。

羽根田:彼とは高校の同級生で、一番仲の良い友達の1人で、北京オリンピックのときに事故に遭ってしまったんですけど、そこから本当に奇跡的に回復して、僕も励ましをもらったりして、僕もカヌーの競技で彼を励ませるように頑張ってきて、今回も彼のリハビリの動画を日本から送ってもらったり、その励ましに今回のメダルというかたちで応えることができて、とてもうれしいです。

記者2:たびたびすみません。産経新聞のササキと申します。今日のテレビで日本で非常に羽根田人気が高まっているということを聞きました。カヌーの普及についてひと言お願いします。

羽根田:カヌースラローム競技は本当に見ごたえのある、見ていただいた方には絶対におもしろいって思ってもらえるような素晴らしい競技だと思っています。

普及という面ではこれからいろいろな課題があると思いますが、この銅メダルをきっかけに認知度だけでも上がれば、「カヌー」って聞いて、「ああ、あのカヌーね」って言ってもらえるような競技なってくれればいいなって思います。