リーダーシップとは、「思いやり」と「明るさ」

金野:この日本において、枠、セクターを越えたリーダーシップを発揮するにはどうしたらいいのか。今までのお話のなかにもいろいろヒントがたくさんありましたけれども、改めてどうでしょうか?

下村:リーダーシップのノウハウ本とかよくありますけれども、私はあえてすごく幼稚なキーワードを使わせてもらいます。そもそもリーダーシップというのは、テクニックじゃないと思いますし。

発信の世界で言うと、発信上手な人ってどういう人か。つまり「あの人のリポートは、なんかすごいわかりやすいんだよね」っていうリポーターに共通していることはなにか。あるいは、会社でものすごく説得力のあるプレゼンをする人の共通点はなにか。

これは、テクニックじゃなくて「思いやり」なんですよ。「受信する相手がこれでわかるかなぁ」「もうちょっとここをこうした方が、もっとわかるんじゃないかなぁ」って、あくまでも情報の受け手のことを考えて考えて、相手のことを考えて自分の発信の言葉を組み立てていく。

相手のことを考えるというのは、これは思いやりでしょう。思いやりのある発信は、非常にわかりやすい、相手に届きやすい発信になるんです。思いやりのない人は、ただ「伝える」。思いやりのある人は「伝わる」。この「伝える」と「伝わる」の違いが非常に重要なんですね。

あともう1つは、まとめ上手であることですよね。まとめ上手な人たちがなにを持っているかというと、私は「明るさ」だと思います。集魚灯とかあるじゃないですか。夜、明るいところに魚が集まってくるでしょ? まったく絶望的な状況の時も、トンネルの出口の光があったらみんなそこに向かうんですよ。

やっぱりなにかビジョンを示した時に、問題点を指摘してしかめっ面してるリーダーよりも、「こっち行ったら上がれるよ!」って本当にご機嫌なリーダーであれば、そこに向かって、さっき言った鍛えられたたくましい市民としてのフォロワーたちも「よし、こいつと一緒に動いていこう」ってなりますよね。だから「思いやり」と「明るさ」っていうのはすごく大事だと思います。

好奇心がある人は物理的に目がキラキラしている

あともう1つ言うならば、もっと幼稚な表現しますけども、「目をキラキラさせていること」。これはすっごい大事で。「なんじゃ、そんなことか。2時間も話聞いてきて、結論はそれか」って言われそうですけれども、これはね、物理的に本当なんです。抽象的表現ではないんです。

私はTBSの新入社員面接の面接官を2~3年やったことがあるんです。テレビ局ってなんだか知らないけどいまだにすごい人気があって……いまだにって言っても、私が面接官をやったのはもう20年以上前ですけどね。40人とかそのぐらいの採用枠に5,000人とか来るわけです。

面接官をやれって言われた時に、人事部の先輩に「どうやってこの人数から30~40人選ぶんですか?」って途方に暮れて聞いたわけですよ。そしたらベテランの人事の人は、こともなげに「いや、簡単だよ。目がキラキラしてる奴を採ればいいんだよ」と言うんですよね。

それはどういう意味かと聞いたらば、「好奇心を持って世の中をキョロキョロしながら見てる奴は、本当にまぶたが上がってるから。太陽は空にある。夜なら電気は天井にある。だからまぶたを上げてキョロキョロしてる奴は、いつも上から来る光を反射して、本当に物理的に目がキラキラしてるんだ」と。

なにも興味がなくてうつむいてる奴とか、スマホの画面ばっかりいじってる奴は、まぶたが落ちてて本当に光を反射してない、ということですね。瞳を覗き込む。それがキラキラしていたら、そいつを採る。すごく簡単だって言うんですよ。「なるほどね」と思ったんですけど。

だからこれも、1つリーダーの要件だと思いますよ。思いやりがあって明るくて、目がキラキラしている。なんか幼稚園の砂場ですべてわかるような話で申し訳ないんですけど(笑)、そういうことだと思います。

金野:ありがとうございます。時間もないのでさっそくこれから質疑応答に移ります。では質問ある方、どうぞ。

嫌な理由が並ぶうちは辞めないほうがいい

質問者1:私も新聞記者を辞めて都の広報に携わっています。1つだけ聞きたいことがあって、記者・マスコミを辞めて後悔したことってありますか?

下村:1日もないですね。本当に見事に1日もないです。

私のように企業を辞めた人間のところには、「私も辞めたいんだけどどうやったらいいのか」って相談が来たりするじゃないですか。その時には、「なんで辞めたいの?」っていう質問をして、「○○が嫌だから」って、嫌な理由が並ぶうちは辞めないほうがいいと。

「これとこれとこれがやりたいから」って次にやりたいことが並んだら、その時は辞めろということを言ってるんです。

だから、私の場合も次にやりたいことがあったから、首相官邸で政府と国民を近づけたいとか、うまくいったかどうか結果論は別として、やりたいことがあって辞めていれば、後悔はしないと思います。自分で選んだ道だから。というのがお答えでよろしいでしょうか。

質問者1:ありがとうございました。

金野:はい、じゃあほかにはどうですか?

質問者2:貴重なお話ありがとうございます。たぶんここにいる大半の人がそうだと思うんですけど、やっぱりなんだかんだ言っても企業セクター側の目線を圧倒的に強く感じるんですよね。

僕の価値観もものすごくそうですし、いろいろな方々のお話を聞いても「それぞれのセクターを尊重して受け入れて、その感覚を身につけることが大事だ」と言いながらも、やはり企業セクター側の倫理がちょっと先行しちゃってるように感じるんですけども。

行政とか政治のセクター側から見た「企業セクターはもうちょっとこういうふうにしたほうがいいんじゃないの?」っていう意見とか、NPOとかいわゆる公共の人たちから企業セクターに対してモノ申したい意見みたいなものっていうのをたぶんお近くで見られていたと思います。

そういった方たちは「企業セクターの連中はすぐこういう発想になっちゃうからな」みたいな感覚をお持ちだと思うんですけど、その辺りを少しお聞かせいただけるとありがたいです。

企業、NPO、政府、それぞれミッションが違うことを認め合うべき

下村:官僚が企業セクターの人たちに対してよく言ってるのは、「あいつらは特定の顧客のことだけ考えてりゃいいから、いいよな!」ということです。「我々は全納税者のことを考えなきゃいけないから、そんな簡単じゃねぇんだよ」って、これはよく言ってますね。

だからこそさっきの網羅的な物言いとかが生まれてきちゃう、っていうのはすごくあります。でも、それを指摘してもしょうがないですよね。「だから企業はもっと全国民に網羅的に売れるものを考えろ」ってことにはならないわけですから。

これはもうそれぞれの属性・ミッションですから、ここはお互いがそういうミッションのもとに動いているんだっていう、まさにさっき言った「文化の違いを認め合う」っていうことで乗り越えていくしかないと思うんです。お互いに「相手はバカだ」とか言ってないで、ということが大事です。

それから、市民セクターから見た企業セクターに対する批判ということで言えば、やっぱり当然ながら「あの人たち、『結局それでどうやって儲かるの?』っていう話にばかり持っていくんだよね」っていうことをすごく言いますよね。

「そうじゃなくて、意義のあることをやろうよ」と。利益があるかないかより、社会的意義があるかないかを考えよう、ということを市民運動の人たちは言いがちです。でも僕が市民セクターのなかにいる時には、「そんなこと言ってるから、このNPOはいつまでも貧乏なんだよ!」って言うんですけど(笑)。

だからどっちも大事で、市民セクターの人は「利益追求」っていうと悪いことのように捉えてるけれども、儲けるのは悪いことじゃなくて、次の生産をするための元手を得ることなんだから、それはいいことなんだよということを企業人は堂々と胸を張って市民セクターの人たちに言うべきです。

また市民セクターの人たちはそれを聞いたら「そうだな」と思いながらも、例えば「銀行って、なんのために人にお金を貸すんだっけ?」「それを元手に社会のためになにかできるっていう人たちを応援するために、お金を貸すんじゃなかったか?」「こうやったらもっとたくさん回収できるってことだけで決めちゃっていいの?」というように、企業セクターが原点を忘れておかしくなっちゃってることに対して、市民セクターから言えることっていうのはやっぱりあると思います。

そうやって、互いが話をしてみることがすごく大事だと思ってます。

質問者2:ありがとうございます。

相手にわかる文法を使う

金野:もともと人間の社会ってNPOセクターじゃないんですよ。企業セクターもパブリックセクターも、近代になって人がたくさん多くなりすぎて、みんなで広場に集まって決めるっていうことみなったから、代表者を選んで決めましょうっていうパブリックセクターだったり、企業セクターも最近ですよね、産業革命以降ですよ。

もともとは自分たちのことは自分たちでやる、原始時代はみんなで狩りに行って食べ物を取るとかっていうわけなので、そういう意味では企業セクターと税金のセクターに依存しすぎた。

だから逆に言うと、そういう意味じゃ、とくに企業セクターはチャンスというか。社会性とか、世の中のことを今言われたように考えようっていうところがまだまだ少ないわけなんで、まあどう見られていようが何しようが、ビジネスなわけですから。

チャンスっていうか、みんながやらないところのほうがチャンスが大きいんで。みんながやってからやっても、もうレッドオーシャンでおいしくないわけですよね。

そういう意味では、さっきの江副さんとか小倉さんの話じゃないですけど、もうとっくの昔からビジネスっていう枠を超えてやろうという人たちはたくさんいて、少ないからやたらとそれでうまくいくわけなんで、チャンスと捉えれば、どう見られてようと、少ない時にやったほうがいい。

ということで、個人の仕事のレベルから企業全体っていうレベルまで、まさに今のセクターの壁がなくなってる時に、社会的なことを考えてやる、企業が、ビジネスのほうがどんどん先にうまくいくっていうところを活かしていったほうがいいですよね。

下村:あと、もう1個具体的な例を言うなら、違うセクターの人と話をする時に、なるべくそのセクターの人にわかる文法というか、言葉で話してあげるといいんですね。

私がある市民セクターの運動をテレビで紹介したい時には、番組のプロデューサーに「これは有意義な活動だから紹介すべきです」なんて絶対言いませんでした。テレビ業界の文法で、「いや、これたぶん数字取れますよ」とか。それでも動かなかったら、まったく嘘でもいいから「これ、フジテレビも動いてるみたいですよ」って言う。

(会場笑)

下村:そうすると「先に出されるぐらいなら、じゃあやろうか」っていう話になって、それで放送にこぎつけたネタがいくつもあります。当然フジテレビは、こっちの放送後も一向にやらないから「おかしいなぁ……」ってとぼけてみたり。そうやって、それぞれのセクターにわかる言葉で話を進めていくっていうこともありなんじゃないですかね。

質問者2:はい。ありがとうございます。

報道してくれなかったら、自分で発信すればいい

金野:じゃあ、ほかにありますか?

質問者3:貴重なお話どうもありがとうございます。下村さんが話しているなかで、国民聴取会で結局メディアが原発をゼロにするかどうかっていうことにしか興味がなくて、プロセスを捉えてくれなかったとおっしゃってたんですけど、じゃあメディアをどううまく使っていくのかっていう、その使い方というところがもしあったら教えていただきたいなと。

下村:企業が使うということ? 自分たちがメディアをどう使っていくか。つまり、出してほしい情報をどう彼らに表示させるかということですかね?

質問者3:そうですね。

下村:今までの20世紀はなんとかメディアを乗せるようなプレスリリースを書いて、それを汲んでもらってっていう、プレスリリースの技術に結構かかってたんですね。で、番組や記事に採り上げてもらえないと、「あいつら、感度悪いな。わかってないな」ってブツブツ言うしかない。

でも21世紀になってから、これは完全に変わってます。「報道してくれなかったら、自分で発信すればいい」だけのことですよ。どんどん市民メディアは増えてます。市民メディアという、メディアのなかの新しいセクターがどんどん発信していって、それが共感を呼ぶとバッと実際に広がっていきます。

実数で比べると、テレビの視聴率は1パーセントで100万人で、今でもネットの世界でそこまでアクセスが増えることはなかなかないですから、そういう意味ではテレビはまだ当分でかいです。

けれども、テレビの100万人って、実は勝手につけてる人含めて100万人であって、インターネットの方は自ら見に行った人たちの数です。100万人のボーッと付けてる人と、1万人の能動的に見に行った人と、どっちの反応の方が濃いかって、本当にわかんないですよ。

実際に私も今インターネットで対談番組をやっていますけど、世田谷一家殺害事件のご遺族の入江杏さんという方と対談をやってるんです。27,000アクセスぐらいしかないから、視聴率的に言ったら即打ち切りレベルなんですけど、その27,000人が濃いわけですよ。

そのなかからメールとかが来るわけです。「私も非常に悲しい思いをしたけれども、入江さんの対談を聞いて勇気づけられた」みたいな話が。そういう人が1人でもいれば、その配信は価値があったっていうことになりますよね。そうやって、自分たちで発信していくということがどんどん増やしていけばいいと思います。

国によってメディアリテラシーは違う?

ちなみに入江さんは、まさに今日、ついさっき「テレビ朝日に世田谷一家殺害事件について猟奇的な、好奇心を煽るような報道をされた」ということでBPOに申し立てをしてきました。そうやって大手メディアに対して、前は文句を言うしかなかったけど、今は違う。「じゃあ下村と組んで、自分の言いたいことをインターネットで発信しよう」と、それが27,000人に届く時代はもう来ていますから。

これからどんどんそういうことを市民メディアがやっていって、それが力を得るとマスメディアも後追いで報道しますから、そうやっていけばいいと思います。

さっきのOurPlanet-TVも、結局屋上が使えなかったから何をやったかというと、みんなに募金を呼びかけて、ヘリをチャーターして、自分たちでヘリを飛ばして空撮で7月29日の脱原発国会包囲デモを報じました。それ以来、大手メディアも無視できなくなって、国会前のデモを報じるようになりました。

そうやって、まさにメディア界にもボトムアップで変革が起き始めています。企業も、必要とあらば自分がメディア化しちゃえばいいんです。

質問者3:ありがとうございます。

金野:はい、ほかにありますか?

質問者4:ちょっと勉強不足なんですけど、日本人は、世界と比べてメディアリテラシーは低いんでしょうか?

下村:世界中を比べて歩いたわけじゃないのでそれはなんとも言えませんけれども、少なくともメディアリテラシーって国によってすごく違うんですよ。お国柄を反映してるっていうか。

世界で最初にメディアリテラシーのカリキュラムが必修になったのはカナダなんです。なんでカナダで早くそうなったかというと、アメリカ合衆国とあれだけ長く国境線を接しているから、USA発の情報洪水をなんでも鵜呑みにしちゃう子どもたちが育つと、カナダのアイデンティティがなくなっちゃうということで。だからカナダのメディアリテラシーは、非常に防衛的です。防波堤のような動機で導入されてるんです。

国によっていろいろ、南アフリカはこうだとか、オーストラリアはこうだとか色んなカリキュラムがあるんですね。さっき申しました通り、これから中国のメディアリテラシーはどうなるかっていうのは興味津々なんですけれども。

そのなかで日本のメディアリテラシー教育は、「メディアを疑ってかかれ」「メディアは嘘つきだと思え」みたいな若干暗い感じが私は気になってます。大学の研究者レベルは結構明るいんですけど、中高の現場がちょっと……。

それはそれで、ヘタすると過度にメディアを全否定する世代を育ててしまうかもしれない。それは不幸なことです。メディア人のほとんどは、一生懸命真実を伝えようと思ってやっていますから。

だから私が今伝えたいのは、光村の教科書の最後のほうにも書きましたけど、「メディアも一生懸命やろうとしてるけれども、やっぱり情報キャッチボールのエラーは起きる。受け手の君たちも、もっと窓を広げて広い景色を見よう」っていうこと。メディアリテラシーはそういう明るい学問であるというのが、これから日本型になっていったらなぁと思っています。今、期待を込めながら、そういうふうに教えてねって先生たちにレクチャーして歩いています。

基本は、リーダーシップと同じですけど「No/But」じゃなくて「Yes/And」で行こうっていうことですよね。「メディア側にももちろん問題はあるけれど、全否定するんじゃなくて、こちらはこちらで自分たちの受け入れ方を鍛えようね、そしていい発信をしていこうね」みたいな、プラス志向の「Yes/And」の発想で行ければ、きっといいメディア社会、情報社会ができると信じてやっていこうと思っています。

質問者4:ありがとうございます。

金野:ほかにありますか? はい、では、今日は本当にありがとうございました。

下村:どうもありがとうございました。

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