「ありがとう」の声がない農業はつまらない
生産者と販売者の“水と油の関係”は変わるのか

農業総合研究所・及川智正氏 #1/2

農業総合研究所・及川智正氏
に開催

アマテラス代表・藤岡清高氏が、社会的課題を解決する志高い起業家へインタビューをする「起業家対談」。今回は、株式会社農業総合研究所・及川智正氏のインタビューを紹介します。※このログはアマテラスの起業家対談を転載したものに、ログミー編集部で見出し等を追加して作成しています。

幼い頃にいだいた農業への疑問

藤岡清高氏(以下、藤岡):及川さんは幼少期から農業関係の仕事をしたいと考えていましたか?

及川智正氏(以下、及川):農業をしたいというよりも、農業をなんとかしたいという思いは幼いときからなんとなくありました。その根本にあるのは子供の頃父から聞いた話にあると思います。

父は無口であまり弱音を吐かない人物ですが、農業については「いやあ、しんどかったよ」とよく話していました。父は岩手県の農家の次男として生まれた、いわば「金の卵世代」にあたります。

中学卒業後、すぐ会社に入社し、プラント建設関係の仕事に携わっていました。私が幼少の頃はアルジェリアで工場を建てる仕事にもかかわっていたこともありました。私も一緒にアルジェリアで過ごしたので、一応帰国子女になりますね。

そんな父は幼少の頃から相当に働いていたそうです。朝は誰よりも早く起きてゴルフ場に行き、キャディーのアルバイトをし、その後川に行って朝食の食材を捕まえ、農作業を手伝い、そのあとようやく学校に行っていたようです。また、午後からも農作業を手伝うという生活を送っていました。

父は高校にも大学にも行きたかったようですが、そういう状況ではなく、農家は非常に厳しかったと幼少期を振り返っていました。同様に、祖父と話をしていても辛い生活が続いているように見えました。その様子を見て、「食べ物を作っている人たちがなんでこんなに苦労しないといけないのか?」と考えていました。

お酒の飲み方と人間関係を学んだ大学時代

藤岡:どのような学生生活を送ってきましたか?

及川:高校時代は暗い性格だったと思います。今から思うと斜に構えていましたね。自分でなにかができない煩わしさ、自分だけで生きていけない煩わしさ、親と意見が違っても養ってもらっている以上は最後は折れないといけない口惜しさというのがあり、社会やそのなかにいる自分が嫌でした。授業中はちゃんと聞いているけれども、小説ばかり読んで授業はあまり受けていませんでした。

大学は東京農業大学に進学しました。先ほど語ったように「食べ物を作っている人たちが何でこんなに苦労しないといけないのか?」というもやもや感が、農大に進学する1つのきっかけだったと思います。

及川:大学ではローバークルー部という部活に所属していました。ローバークルーはボーイスカウトの最上級にあたり、普段はスポーツや山登りなどで精神力と体力を鍛え、何か有事が起こったらボランティア活動を行うというのが主要な活動でした。私が幹事を務めた時期にに阪神淡路大震災が起きたため、発生後すぐに募金活動をはじめ、1週間後には現地に入ってお手伝いさせていただきました。

大学で学んだのは農業に関する知識と思われるでしょうが、実際はお酒の飲み方と、笑いの取り方だけだったと思います(笑)。驚いたことに、大学内で一番偉い人は勉強ができる人やスポーツができる人ではなく、お酒が飲める人でした。

幸いなことに私はたまたまお酒が飲めましたので、先輩にとてもかわいがられました。濃密な部の上下関係や人間関係に触れ、とても楽しく過ごしました。ついには帰るのが面倒になりキャンパス内の部室にこっそり住んでいました。シャワーや光熱費はタダなので、ゴキブリさえ我慢すればとても快適でした(笑)。

お酒とともにあった濃密な大学生活で、私は高校時代から比べると、一気に明るくなりましたね。ただ、部活は横の連携や内部の人間関係、計画書作成などけっこう厳しい側面もありました。この厳しさと先輩後輩との人間関係の楽しさに触れたローバークルー部の活動こそが、今の私のベースになっていると思います。

一方、明確に農業をなんとかしたいと思うようになったのも大学時代です。私は比較農業を専門とするゼミで、卒業論文を書くことになりました。5年後・10年後・100年後日本の農業がどうなるかという予測を、当時の数字データから調べてはじき出しました。すると農業をやる人がどんどん減っていき、高齢化率が年々増加し、耕作放棄地が増加し、そして食糧自給率が下がって行くというデータになりました。

今まさに農業について言われているのと同じ結果が出ていました。大学生の自分がやってもこのような悪い結果しかでないのに、もっと頭のいい人がやればさらにまずい結果が出てくる。このままいったら本当に農業は良くない方向に進むと思いました。

そして何とかするためには、ただ農家の数を増やすとか、作るのを増やすということではなく、農業を構造的に変える必要があると思うようになりました。

就職氷河期まっただなかでガス専門商社に入社

藤岡:及川さんの頃は就職氷河期まっただ中ですね。どのような就職活動でしたか?

及川:氷河期でしたね。農業や食品関係の企業に関心を持っていましが、学業の成績も悪く、酒しか飲んでいなかった私には、農業、食品関連企業からは、まったく声がかかりませんでした。結局、当時流行の合同会社説明会の中から会社を選ぶことになりました。

しかし、面倒くさがり屋の自分にとって、100社のなかから自分の行きたい会社を探すのは難しい作業でした。そこで全部回るのは無理だと考え、合同説明会を運営している会社のスタッフ数名に声をかけて、「もし会社を辞めたとしたら、ここのなかで入りたい企業はどこか」という内容のアンケートを取り、そのなかで最も得票数が多かったのがガス専門商社の巴商会でした。全国各地に営業所がありましたが、働くならば一番厳しいところに行きたいと言ったところ、宇都宮行きを命じられました。

宇都宮時代では、ニコン・キヤノン・コマツといった大企業ユーザーを中心にガスの販売をしていました。仕事は楽しく、自分は本当に営業マン向きだなと思いました。お客様からもかわいがっていただき、食事やゴルフに連れて行っていただきました。今でも当時のお客様とは年賀状でのやり取りや困ったときの相談などの交流機会があります。

小さい会社でしたが、人材教育がしっかりしていて研修制度が充実していたことにはとても満足しています。社員研修は2ヶ月に1回全国から同期を呼び、同期何名かと1日ディスカッションする機会が設けられていました。

とくに最初の研修はよく覚えています。「なぜ働かないといけないかを考えてください」と言われ、その回答が終わったら「では、なぜ巴商会じゃないといけないのかを考えてください」と言われ、みんなでああでもない、こうでもないと考え、議論し続けました。かなり本質的なテーマについて考えて得られた経験は貴重なものだったと今でも思います。

最初の会社の影響力は大きいと言われますが、巴商会で人材教育をしっかりやってくれたことは大学のローバークルー部と同様、今の自分のベースになっている部分だと思います。またガス販売という薄利多売の商売は農業とも通ずる部分があり、営業の方法などのノウハウ、考え方、ロジックなどは今でも活きていると思います。

巴商会では6年楽しく勤めていましたが、いつかは農業の仕事をやりたいという思いが残っていました。そのきっかけが結婚でした。自分のやりたいことができるチャンスだと思い、結婚を機に農業をしようと考え、男には珍しく寿退社しました(笑)。

農業の仕組みを変えられるような仕事をやりたいと思っていましたが、まずは現場で農業を実践することが重要だと思い、義父の元で研修というかたちから入りました。

“ありがとう”のない農業はつまらない

藤岡:サラリーマンから農家への転身はどうでしたか?

及川:農業の生産現場で3年間働きました。1年目に感じたことは、農業は「つまらない仕事」だと思いましたね。やはり仕事のやり甲斐は、相手からの「ありがとう」の多さと深さだと思います。感謝されモチベーションが上がり、また仕事を頑張る、このサイクルが、仕事の楽しさだと思っておりました。

しかし、私の農業にはそのようなことがまるでありませんでした。作ったものを農協へ持っていき伝票をもらうという日々の連続でした。一生懸命きゅうりを作ったのに、「ありがとう」という感謝も言われずに、ただきゅうりとその品質のみを書いた伝票を渡され、事務的な手続きで終わる。

この仕事が続くことで、農業のどこに面白味を見出していいのか、わからなくなってしまいました。そこで私は2年目から独立すること考え、ハウスを借りて自分で農業をすることにしました。

独立後、月収数万円のドン底生活

及川:独立してうまくいくかというと、やはり甘いものではありませんでした。作るのも売るのも半人前の状況では、良い品質の作物ができず、農産物の販売先をどこに持っていいかもわからない状況でした。結果、月収は数万円になってしまいました。しかもこの時期に子供ができてしまい、共働きしていたとはいえ生活は苦しい状況でしたね。

数万円の所得ということは、食べることが苦しい、生活が苦しいというよりも心のプライドのほうが辛かったですね。会社のなかでは絶対一番だと思っていたのに、農業の世界に入り1人で働くと月数万円しか稼げない。

「ほかで働いている同期に負けているのではなかろうか?」そう考えてしまうとプライドがズタズタになりました。ここから立ち上がるのは大変でした。とても悔しかったです。どうにかしたい、同年代には負けたくないという気持ちもあり、今があるのだと思っております。

3年目に入り食べて行くことが難しそうなので、東京に戻りまたサラリーマンをやろうかと思っていました。しかしその年には、去年注文してくれた人がリピーターになり、自動的に注文が入るようになりました。

そして、ほかの野菜や、漬物、サラダなどの加工品の需要も増え、さまざまな販売手段が増加。結果地元の農家さんより.数倍収益が上がりました。相手が欲しているものを出荷する、付加価値をつけるなど、お客様の要望に応えて的確な商品を持っていくことが成果につながったのだと思います。

農業の仕組みを変えたい

及川:私が農業に携わるきっかけは、農家で儲けたいからという理由ではなく農業の仕組みを変えたいと思っていたからでした。

その第一歩として、スーパーに自分で営業に行き、要望に応えた商品を持っていくというマーケットインの発想を普及させるなど自分の考えた仕組みを、和歌山から情報発信したいと考えていました。しかし農家という立場では情報発信していくのは難しいものがありました。

試しに地元の農家の方々に自分の試みについて話してみると、「お前えらいね、東京から単身で来て自分たちができない営業もやりながら農業も行っている」と評価をいただき感動してくれました。しかし最後には「でもね、農家はキュウリを作ることが仕事だ」と言われてしまいます。

農家からすれば、「作ることに専念しておけばいい、流通は管轄外」という考えです。地方では自分が考えた農業の仕組みを変える工夫を理解してくれるけれども、さまざまな絡みもあり、なかなか新しいことができる素地がないということを実感しました。これではいくらいい仕組みを考えても、農家というなかで仕事をしていたら情報発信はできないと悩むようになりました。

生産者と販売者をつなぐ農業総合研究所を設立

このとき知り合うことができたのが、野菜ソムリエ協会でした。協会から「農業経験を生かして、自分たちの会社を手伝ってみないか?」と誘われました。その当時、野菜販売部門が東京から大阪に進出し、野菜の流通部隊を作るという話になり、その責任者として任命されました。

この仕事は大阪の千里中央に八百屋を立ち上げ、生産者から野菜を仕入れて生活者に売るというものでした。こうして私は生産者側から販売者側に立場が変わりました。そこで驚いたのは、生産者側と販売側ではまったく考えが異なることを知ったことです。

生産者側は1円でも高く売ろうとしていたのに、逆に販売者側では利益率を考えて農家から安く買い叩いているということでした。

その状況を見て、やはり生産者と販売者を両方関わった人でないと、この水と油の関係を調和させることはできないということ感じました。

また、生産するのも販売するのも大変ということを実感しました。これ以降、生産と販売をつなげることが大事だと考えるようになり、農業流通の仕事をしようと考え、再び和歌山へ戻りました。

和歌山に戻って最初にしたことは、生産と販売をつなぐ仕事を探すことでした。そこでハローワークに行ったところ、紹介された仕事が2つありました。1つは農協(笑)、もう1つが市場。

これは自分のやりたいことではないとハローワーク側に伝えると、「そのような仕事はない」と言われたため、自分でやるしかないと思い会社を立ち上げました。そして自己資金をかき集めてつくった現金50万円をもって、2007年に株式会社農業総合研究所を立ち上げました。

最初のうちは専門家に頼むお金もないため、3万円という一番安い手数料で登録できる電子認証を行いました。このとき周りからは「司法書士でも行政書士でもない人間が、電子認証できたのは初めてだ」「というより、和歌山県で電子認証初めてです」「よくやるなお前」などと言われました(笑)。

こうして会社はできたものの、具体的にどんなビジネスをやるのかまったく決めていなかったため、仕事はまったくありませんでした。

そして仕事がないとまた例のごとく子供ができてしまう(笑)。そこで家族会議を開き、1年間やって会社から給料が払えるようにならなければ会社はたたむという約束と、アルバイトをしてでも月10万円だけは家に入れるという約束をしました。

これを妻に話したところ、あっさり承諾を得ることができたので、今この会社があるのは妻のお陰ですね(笑)。

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