NPOの経験は区政にどう役立っている?

長谷部健氏(以下、長谷部):NPOでわかったことは区政にも役立っていたりします。だからトライセクターということで言えば、それぞれのセクションを経験しながら、けっこう同じような考えでずっとそれぞれやってるところもあるのかなと。

あとは、広告代理店の時にタイアップというものをやっていたんですけど、タイアップというのは企業と企業を組み合わせてよいところをくっつけるみたいな。なるべく費用を安くして、成果を大きく取ろうということですから、なかなか広告界ではビジネスにならないんですよね、メディアも乗らなかったりするし。小さく終わっちゃったり。だから、なかなか積極的にならなかったり。

今は、そこで学んだノウハウとかを積極的に。渋谷にはおもしろい会社がたくさんありますから、そういうところとタイアップする。例えばLINEもそこ(ヒカリエ)にありますけど、区の保育所とかでもお母さんがみんなLINEやってますから、そういうのが全部LINEでわかるようにしたり。「窓口、どこが混んでる」というのも、全部LINEでわかるようにする。

それは1から渋谷区で開発すると非常にお金がかかるけど、LINEの人に「これ、全部初の行政との取り組みで、渋谷区モデルというのができたら、ほかの自治体に売れますよね」と言って口説いて。

それは、広告で学んだり、NPOを通して経験した社会に対してのタイアップみたいなところで、役立っているのかななんて思ってます。

そういったことで区議会議員を3期やったんです。3期やったんですけど、「もう1期やろうかな」とちょうど思ってた時に、去年の1月くらいに前の区長から「後継指名するから区長にならないか」と言われて、「どひゃー」と思って。区長が大変な仕事だと、重々わかってたつもりだったし、区議会議員くらいのペースが僕にはすごくよくて(笑)。NPOもできて政治も関われてて、飲食店もやってたりとか、いろいろ好きなことができてて楽しいなと。

green bird以外にも、あとはシブヤ大学というのを企画したり。ピープルデザイン研究所という、障害者と交われるところを作ろうみたいな。「超福祉」というテーマもそうなんですけど、「こういう活動をやってるほうが合ってるんだよな」と思って、すぐには返事ができませんでした。だけど、対立候補の人たちが出てきて、「この人たちが(区長に)なるのもいかがなものか」と。

また1から新しい区長と関係を作って、自分のやりたいことを通していくには、「なんか手間だな」というのもあって。40も過ぎたし、次のなにかに勝負してもいいのかなと、いろんな要素があって、悩んで決断して。

あとはもう1個、さっき言った同性愛者のパートナーシップ証明書の発行というのを4年前に議会に提案して、委員会も作って積んできていた。そしてやっとやるとなった時に、それが選挙の争点になろうとしていて。それを潰そうという候補だらけだったんで。これはなんとか自分でするしかないという思いもやっぱりあって。いろいろな思いが絡まって、区長選に出たという感じなんです。

コミュニティリーダーを作るための試み

区議でのことを全部話すといろいろ長くなっちゃうんで、そういった流れでここまできてます。ちょうど、区長になって1年とちょっと経ちました。去年1年間については、前の区長さんが作った予算を粛々と執行しつつ、今年度からから始まるプロジェクトについて1年間準備をしてきました。

今、保育園が足りないと言われてるんですけど、来年は500人以上の(入所できる)目安をつけてます。3年間で1,500人分。今、待機児童が350人ですから、3年間で1,500人分くらい作っておけば、きっと足りるかなと。今年の4月からは、行政には色気が少し足りないと思ってたんで、広報紙を少し改めて写真を使ったおもしろいものにしたり。

あとは、コミュニティのリーダーをもっとたくさん作りたいという思いから、今、「区ニュース」という広報紙の表紙をコミュニティリーダーが出るものにしているんですよね。かっこいいい写真。それが100枚くらい集まれば、写真展もできるようなつもりで作っていたり。

渋谷のラジオという、新しいメディアも作りました。そこにスタジオが、(渋谷)駅のそばにあるんですけど、いろんな人に参加してもらってやってます。そこも夜とかはけっこう有名人が参加してくれて、箭内道彦さんという、僕の博報堂の先輩でタワーレコードのプロジェクトを一緒にやってたクリエイターなんですけど、彼が(運営する)NPOの理事長になってくれて。

あとは福山雅治さんが参加してくれて、スペシャル・ファウンダーになってくれたり、谷村新司さんなんかも。渋谷でやるというと、みんな「なんかいい感じするよな、渋谷」と言ってくれるんです。僕らも汚い手口でレトリック使っておもしろおかしく言うんですけど(笑)。

それで参加してくれる人が増えて。HKT48の指原(莉乃)さんとか、渋谷系ですとピチカート・ファイブの野宮(真貴)さんとか、いろんな人に夜に出てもらってたりとか。

昼の時間はローカルスターに出てもらおうと思って、多くの区民に出てもらうラジオ局。普通は聴く番組なんですけど、出るラジオ局というつもりで、毎日平均すると1日で50人くらい、区民の方に出てもらってます。そうやって知ってもらって、災害時にもラジオなんて役立ちますから、そういった媒体に育てたいなと。そんなこともやっています。

それはやっぱりgreen birdで学んだ、コミュニティを作るということ。コミュニティを作るにはコミュニティリーダーというのがいて、そういう人たちをどうやって見つけて育てるか。そういう人たちの背中をどうやって押すことができるかということを、今でも考えてやっています。

だから、その3つの場所を経験しながら感じたのは、やっぱり究極は人だし、人がやりたいことをやるのにどういう環境を作っていったらいいのかを、いつも考えながらやってるという。かっこつけて言いましたけど、そんな日々を送っている次第です。ざっと、こんな感じでよろしいでしょうか?

(会場拍手)

「同性パートナーシップ条例」の背景

金野索一氏(以下、金野):どうもありがとうございます。ここから対談というかたちで進めさせていただきます。

今、お話にもありましたけど、区長が区議時代からやられて、選挙の時も大きなテーマというか、大きな政策にもなった「同性愛パートナーシップ条例」ですか。このことは全国にも注目されて、社会にいろんな意味で問題意識を投げかけたと思います。長谷部さんが今4年前とおっしゃりましたよね。そこから始められた、その深い志というか、その思いというものをぜひお聞かせいただきたいなと。

長谷部:正確に言うと、大きく転換したのは1人の人に出会ったからなんですね。それはさっき言った、歌舞伎町のgreen birdのリーダーをしてくれた杉山文野という人で。体は女の子だけど、心は男。今はもうヒゲも生えて。ホルモン(注射)とか打って、どう見ても男の子になってますけど。彼との出会いですね。ただ、LGBTについてどう感じたかというと、子供の頃とか高校生くらいまでは、あんまりよくわかってませんでした。

テレビによく、おすぎとピーコが出てるなという感じだったんですけど。音楽の世界とかアートの世界とか、海外にはいっぱいいて。ちょうどそういうところに興味を持っている……デヴィッド・ボウイとかカルチャー・クラブとか、当時の。「おー、スカートはいてるぜ」くらいの認識だった。

大きく変わりだしたのは、初めて20歳の時にアメリカに友達と2人で旅行に行って。当時、ニューヨークに行ったんですけど、まだ地下鉄も落書きされている頃で。そんな時代だったんです。それで、美術館を巡ってたんです。学生で暇だから。メトロポリタン(美術館)行ったり、スミソニアン(博物館)も15個全部回ったりしたんですけど。

なぜか、美術館の警備員の男の人に4回ナンパされまして。人間、一生のうちに2回か3回はモテる時があると言うけど、ここで使っちゃうのかというくらい(笑)。

(会場笑)

それくらい向こうの男性にナンパされて。最初は正直「えっ!?」と思ったけど、頭の中で「気持ち悪いと思っちゃいけないんだ」と言い聞かせる自分がいたりとか。

それがすごく衝撃的で。続いて、西海岸に行ったら、サンフランシスコでモヒカン頭の人と禿げたオジサンが手を繋いで横断歩道渡ってて。「すごいな」と思って、遠目で写真撮ったくらい。それほどに知識のない感じだったんですね。

「東京とはぜんぜん違うな」と思って帰ってきたんですけど、原宿でよく見回してみたら、「(そういう人たちが)いるな」と。気づいてなかっただけで、美容師さんとかにもいるし、デザイナーの人にもいるし。

「ああ、気づいてなかったから見えてなかっただけなんだ」というところで、すごい(ショックを受けた)。20歳の頃から気づき出して。でも、すぐに納得というか消化はできなかったです、正直なところ。

LGBTの人は思った以上に多いと気付いた

社会人になって、博報堂とかにもやっぱりいて、カムアウトされる方がいたり、新宿2丁目に連れて行ってもらったり、六本木の「(六本木)金魚」というニューハーフの店に連れて行ってもらったりとか。だんだんと慣れていきました。

撮影の現場とかに行くと、タレントさんでもちょっとそれっぽいなという人とか、メイクさん、スタイリストさん、マネージャーさんとか、明らかに多いなと。「この部屋では俺がマイノリティだ」みたいなことがあったりとか。

嫌な言い方かもしれません。当事者の方にとっては申しわけない言い方かもしれないけど、そういうことに徐々に慣れていった20代だったと思います。

でも、30過ぎてgreen birdを始めて、杉山文野くんに会うまでは、いわゆるLGBTの中でずっと会ってきた人はゲイの方たちだったんですね。文野くんに会って、初めて元女性というか、女性で悩んでる人たちの存在を知ることになりました。

当時、10年くらい前は、人口の5パーセントぐらいLGBTの方たちがいると言われていました。5パーセントというと、日本人の苗字のベスト4、鈴木さん・佐藤さん・田中さん・高橋さん、これが(合わせて)5パーセントくらいなんですよ。あと、AB型の人が5パーセントくらい。左ききの人もそう言われてますけど、まあ7~8パーセントくらいかもしれない。それだけの人がいるんだと思って。

冷静に考えたら、それまで会ってきた男の人は、言ってみればわかりやすい人で。テレビに出てる方たちもわかりやすい人ばかり。もっと、言えなくてわかりにくい方たちが裏にたくさんいるなと。同じように、文野くんみたく元女性という人が、男性と同じくらいいるはずですから。そう思うと、「これは思った以上に(たくさん)いるな」とだんだん思えてきて。

優秀な人間がなぜそんなことで悩まなければいけないのか

文野くんの話をずっと聞いてて、彼は本女(日本女子大付属中・高)に行ってたんで、制服がすごい嫌で、スカートは着たくないし、ルーズソックスは履きたくないし。なんでルーズソックス履いてたのかわかんないですけど、浮かない顔してルーズソックス履いた写真見せられたりとか。

でも、親に言えない話とか、兄弟・お姉ちゃんとの関係とか、そんな話をどんどん聞いて。(彼は)自殺を考えたりとか(していた)。

そんな話を聞くと、こんなにまともで優秀なやつなのに、なんでそんな悩みを抱えなきゃいけないんだろうと、思うようになって。これは、自分の立場になったら助けてあげたいというか。助けてあげたいというのは……偉そうですね。自分がなにか手伝ってあげられることはないかと思うようになりました。

地方議員という立場でできること。まずNPOでは「そういうのはフリーだ」と言って。歌舞伎町にそういう方たちが来ても、「ぜんぜん構わないよ。どんどんやれ、どんどんやれ」と言ってましたし。あとは区議会議員としてできること、地方行政としてできることを考えた時に、戸籍はいじれないけど証明書の発行ならできるんじゃないかと。

というのは、僕自身、人前式で結婚してるんです。レストランウェディング。「みんなの前で誓った時が僕たちの結婚記念日だ」なんて、ロマンチックなことを思ってたんですけど、別の日に入籍届を出しに行った時も、けっこう「これで結婚したな」とジーンと感じたんですよ。そういった感覚が、彼らにも持ってもらえるんじゃないかなと。

ただの紙切れかもしれない。戸籍とも違うけど、「行政がパートナーとして認めた証明書を受け取ることができたら、うれしい?」と聞いたら、みんな小おどりして「本当ですか、そんなことできるんですか?」と。それがきっかけで、あとは企画を掘り下げていくみたいな感じで、どんどん。

弁護士の先生に相談したりとか、当事者の人たちに相談したりしながら企画を作っていって、4年前に議会で初めて提案をしたという経緯なんです。