失敗しないということ自体が失敗

ここにいる皆さん全員が、私ほどの失敗を経験することはないでしょう。しかし、失敗は人生につきものです。生きていれば誰でも失敗します。失敗しないのは、慎重になりすぎて自分の人生を生きていないと同じこと。つまり、失敗しないということ自体が失敗なのです。失敗は学校の講義からは学ぶことのできない経験を私にもたらし、結果、自分に自信を持つことに繋がりました。

私は失敗から自分自身についてよく学びました。他の経験だけではこのように学ぶことは決してなかったであろうと思います。失敗を通じて私は気が付きました、私には夢を叶えるための確固たる意志があるということ、そして自分が思っていた以上に夢を叶えるために必要な行動を取ることができるということに。

人生の醍醐味は、「やったことリスト」をつくることじゃない

更に気が付きました、私にはどんな宝石よりもずっと価値のある友人がいるということに。どんな困難も自分は乗り越えていけるのだという事実は、これから何が起きても自分は絶対に大丈夫だ、という自己信頼感を生みます。

困難に見舞われなければ、本当の自分を知ることも、真の友情の意味を知ることもないでしょう。辛いことを乗り越えると、このように素晴らしいギフトを受け取ることができるのです。そして、困難を乗り越えた経験は、私が今までに得たどんな資格よりも価値を持っています。

もしも私にタイムターナーの魔法が使えれば、21歳の私にこう言うでしょう、「人生の醍醐味は自分が何をやり遂げたかのチェックリストを作ることではない」と。「大人の多くは何を持っているか、どんなことをやり遂げたかを幸せの基準と思いこむけれども、資格やレジュメがあなたの人生を決める訳ではない」と。人生とは時に理解不能で複雑です。人生を自分の力でコントロールすることなどできません。それを知ることが人生を生き抜く力を与えてくれます。

想像力とは、他者に寄り添うことができる力

私が「想像力」をもうひとつのテーマとして選んだのは、それが、私が人生を再構築するのに役立ったからだけではありません。もちろん、子供のために読み聞かせする物語の力を信じています。しかし、私が想像力に価値を置くのには、もっと大きな理由があります。想像力とは、今ここにないものを想像する人間独自の力であり、この力によって、人類は様々な発明をして進歩してきました。この能力により、私達は、私達が経験したことのないことを経験する他者に寄り添うことができるのです。

ハリー・ポッターが生まれる前、私が体験した素晴らしい経験についてお話します。この体験はハリー・ポッターの中にも反映させています。それは大学を卒業して間もなく働いていた頃のことです。ランチの時にはこっそり小説を書いていたものですが、20代前半、私はロンドンにあるアムネスティ・インターナショナルの本部内、アフリカ調査部に勤めて生計を立てていました。

小さなオフィスの中で私は、バレれば投獄のリスクがあるにも関わらず書かれた手紙を読みました。それは男女問わず、独裁政権下で、国内で何が起きているのかを国外へ知らせるための彼らの必死の行動でした。アムネスティには行方不明になってしまった人々の写真が家族やその友人から送られてくることもありました。

拷問を受けた被害者の証言、そして彼らの拷問によって受けた傷の写真も見ました。アムネスティに送られてくる処刑、誘拐、レイプの手書き目撃証言の手紙も読みました。私の当時の同僚の多くが、過去に政治犯として捕えられた経験がありました。もう自国にはいることができずに、やむを得ず国から脱出してきた人達でした。すべては彼らが自国の政府に盾突いたからです。情報提供者や自国に残してきた人々のその後を知る為に多くの人々がアムネスティを訪れました。

拷問で精神を病んだアフリカ人男性の記憶

当時の私と同年代の拷問被害にあったアフリカ人男性を決して忘れることはないでしょう。彼は、自国で受けた拷問により精神を病んでしまいました。彼は当時受けた拷問の数々をビデオカメラの前で証言する際、自身の身体の震えを抑えることができませんでした。彼は私より1フィートほども背が高かったのですが、とても怯えており、今にも心が壊れてしまいそうで、弱々しい子供のようでした。

私は地下鉄まで彼を見送ったのですが、こんなに精神を虐待によって痛めつけられた彼なのに、彼は私の手をやさしく取って言いました。「今後のご検討を、あなたの幸せをお祈りします」と。

それまで聞いたこともないような恐怖と痛みにもがく悲鳴を、あの声を、ひっそりとした廊下を歩いていて突然聞いた瞬間のことを、私は今後も忘れることはないでしょう。ドアが開き、スタッフが顔を出し、何か温かい飲み物を彼のために持ってきてはくれないだろうか、と私に言いました。このスタッフは、彼にとても辛いニュースを伝えたところでした。彼が自国政権へ反逆した罰として、自国に残してきた彼の母が処刑され、亡くなったということを。

アムネスティで「悪夢」と「善意」を目にした

20代前半、仕事をする毎日の中で、私は自分がどれだけ幸運であるかを思い知りました。私は民主主義国家の国民であり、弁護士を立てて裁判で闘う権利を誰もが持っている国に住んでいる。この事実がどれだけ恵まれているのかを、毎日毎日思い知らされました。

当時は毎日「どれだけ非道な行いが世界でなされているか」の証拠を目にし続けました。それらはすべて権力を得る、または維持するために人間が他の人間に危害を加えるという「悪夢」でした。私は文字通り、夜中に悪夢にうなされるようになりました。仕事で見るもの、聞くもの、読むものについてです。

しかし、アムネスティに勤めることによって、それまでに感じたこともなかった人の善意を目の当りにしたのも事実です。アムネスティは拷問を受けたり、政治犯として投獄されたりした人々の代わりに、何千もの人を巻き込んで行動を起こしています。

そしてその何千の人々には、拷問をされた経験も投獄された経験もありません。私達人間が持っている人に寄り添う力が、共に立ち上がり行動を起こす原動力に、そしてそれが多くの命を救い、投獄された人々を解放することに繋がります。身の安全を心配することなく「普通」に生きている人々が、会ったこともない、そしてこれからも決して会うことのない人々を救うために大勢集まります。彼らの仲間として少しだけ貢献できた経験は、私の人生で最も謙虚な気持ちになる、そして心が鼓舞したものの1つです。