なぜトランプは快進撃を続けるのか?

岡田斗司夫氏:ということで、今日一般放送でやると予告していた「空想政治学教室」ですね。「第3回 なぜトランプは快進撃を続けるのか?」。人によってこういう話に興味ある・ないはあると思いますけれども、そっちのほういってみましょう。

えーと、ドナルド・トランプさんですね。アメリカの不動産王。不動産王って言われているんだけど、実際は、持ってる不動産はわりと失敗しつつあるんだよね。トランプ・タワーもいくつも閉鎖されたりしたので。

実際は今、叶姉妹みたいなもので、「有名人である」ということがビジネスになってるんだ。

ニューヨークに「トランプ・タワー」っていう、ポストモダン建築ですごい有名な、ガラスの塔みたいなのがあるんだよ。長方形がいっぱい集まってできたみたいな。ちょっと段々になってる。

大阪万博のケベック館みたいって言ってもわかんないよね(笑)。まあ、そんな感じの建物があるんだけども。そこは行ったことはあるんだよね。

取材でニューヨークに行った時に、山賀(博之)君と、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の世界観は、とりあえずポストモダンの建築でやってみよう、というふうなことになったので。

「じゃあ、実際にシカゴのシアーズ・タワーとかも含めて、ポストモダン建築見たい」って行ったんだけど、シカゴに行く便が取れなかったので、ニューヨークで。

その頃、一番有名なニューヨークでのポストモダン建築というのが「トランプ・タワー」だったんだ。それ以前の、例えば、アールデコ、アール・ヌーヴォーの建築の代表例であるような、クライスラー・ビルとか。

トランプ氏の名前を全面に出したアイスクリーム屋

エンパイア・ステート・ビルというのは、いちおう対比のために見て、「こういう部分がポストモダンかと言われるゆえんか」と思ったんだけどさ。

地下行ったら、なんか雰囲気が違ったんだよね。「あれ、なんだったんだろう?」と思って、去年と一昨年、2回ニュヨークに行った時に、ニュヨークのトランプ・タワーの地下で、トランプのアイスクリーム屋というのがあってさ。すごいびっくりしたんだよ。

ちょうど夏だったから、「ああ、アイスクリームパーラーができたのか」というふうに思ってたんだけども。トランプの名前を全面に出した、「トランプアイスクリーム」とかそんな名前でさ。そのほかにもトランプの名前を使ったショップがいっぱい開いてたんだよね。レストランとかいっぱい開いてて、おみやげグッズ屋があって。

それは、今トランプというのは、もちろん不動産事業もあるし、そのほかにも投資してるんだけど、かなり多くがトランプ自身をキャラクターにした商売をしてる。そこが叶姉妹みたいだって言ったところなんだけども、そういうふうになってるらしいんだ。

じゃあ、なんでそんな人がアメリカの大統領として快進撃を続けてるのか? まあ、理由はいくつかあってね。よく言われるのが、アメリカの有権者、国民がプロの政治家にはもう飽き飽きしてると。もう飽き飽きどころかイライラしてると。

いわゆる、インナーサーキットと言うんだっけ、インサイドサーキットっていうんだっけ、知ってる人いるかな?

アメリカの大統領になるためには、上院議員か下院議員にならなければいけない。議院になるためにはまず州知事にならなければいけない。州知事になるためにはどこかの市長になって、みたいな。

とりあえずワシントンを中心とした政治の巨大なサーキットがあって、そのサーキットの内側々へとトラックを進めていくことによって、どんどん大統領になる、というのが一般的なアメリカの……。

(コメントにて)「インナー・サークル」ですか。ありがとう。「インナー・サークル」だって。

政治家の上がり方なんだよ。どんな野心、志、希望を持った奴でも、このインサーサークルの中に入って、下のほうから政治家を積み上げていくと、大統領選に出る頃には、もう誰もが押しも押されぬプロの、悪い意味で政治家になっちゃうんだよ。プロの政治になっちゃうと。

アメリカ人は「トップを変えることによる変化」を期待している

なので、アメリカの政治というのは根本的に変えるような奴はなかなか生まれてこない。こんなこと言い出したら、別に日本だってどこだって、たぶん同じだと思うんだけど。

でも、アメリカっていうのは「トップ変われば、すべて変わる」の国なんだ。これ、アメリカンヒーローの話でも、そのうちちゃんと話すつもりなんだけども。基本的に大統領が変わったら、政府の行政機関の上のほうの人間がごっそり入れ替えられてしまう国なんだよね。

日本では、例えば、大臣が変わろうが総理大臣が変わろうが、いわゆる官僚の人間たちの入れ替えというのは事実上ないじゃん。でも、アメリカという国は、各省庁のトップからだいたい重役クラスの首がぜんぶ変わっちゃう。それぐらい、アメリカというのは「トップを変えることによる変化」というのをすごい期待するんだ。

日本って、別に社長が変わったからといって大きい変化というのを期待するのではなくて。それよりは新製品とか、世の中のブームだというのにすごく強く動かされると思うんだけども。

スティーブ・ジョブズが復帰したあとのアップルを見てわかるとおり、アメリカというのは、そういうトップ挿げ替えによる大変化というのを期待する国なんだ。

オバマでさえも大きな変化を起こせていない

で、話もう1回戻るけども。ところがインナー・サークルの中をたっぷり走っていった、プロの政治家になっちゃった人たちというのは、もうヒラリーであろうが、誰であろうが、主義主張にそんなに変わりはないんだ。

あえて見れば、ちょっとずつの差はあるんだけども。もうほとんど大統領選に出るような奴というのは同じようなことしか言わなくて。ただ、単にあら探し探しになるからさ、あらが少ない人間が出てくるような感じに、アメリカの国民からすれば、見えてしまう。

「黒人の大統領にまですれば大丈夫だろう」と思った、大変化のオバマですら、なにかあまり大きな変化を起こせてない気がしてる。

ということで、よく言われるのは、アメリカの一般市民というのはプロの政治家、それはどんな優秀そうな奴であれ、ジョン・F・ケネディーみたいな若くて志を持ってるような奴でも……。

まあ、ルビオみたいな奴だよね。そのような奴であれ、基本的には、「でも、どうせプロの政治家だろう?」というふうなことで絶望していると。

「だからこそ、トランプに投票するという人がすごく多い」というふうに言われて、「なんか、その気持ちわからないでもないな」というふうに思うわけよ。

トランプは本音言ってるだけマシ

というのは、これね、80年代のトラウマということもないんですけど。ニコ生では何回も言ってるんですけど。俺は80年代の自分自身のやってはいけなかった行動というやつで。

社会党に投票して村山政権を発足させたということと、あとその時UFO党に投票した、ということで。人生で一番考えて投票したやつがよりによって社会党とUFO党かよっていう、自分の中の後悔があるんだよね。

でも、あの時の自分を動かしたのは「とりあえず、既存の政党の中から誰も選べない」という判断だし。あといまだに、ちょっと次回から変えようと思ってるんだけども、まあ、「とりあえずは共産党に入れとけ」というふうに僕は言ったりやったりしてるのも、やっぱり既存の、民主党であれ自民党であれ、やっぱりこれもプロの政治家に対する嫌悪感なんだよね。

そういうふうなものがある限り、まだトランプみたいな奴は、デタラメだけども、本音言ってるだけマシじゃんと。それはもうプエルトリカンに対する差別がひどいし、黒人に対する差別もひどいし。もう本当にその意味ではダメなんだろうけども、ただ、単にダメな部分が見えやすいと。

いわゆる欠陥部品なんだけど、欠陥部品としてわかってるほうが、ヒラリーみたいに、本当は欠陥かもしれないんだけども、法廷で争っても欠陥を認めないような女よりは、髪型を含めて欠陥すべて丸見えのトランプのほうがまだマシというふうに考えちゃう。

それは別に僕だけの考えではなく。『正義のミカタ』でさ、豊島先生が先週フロリダに行って、予備選見てきたんだって。トランプの演説も聞いてきたんだけども。豊島(逸夫)先生がすごい嬉しそうに言うのが、「いや、ウォール街は案外トランプの味方なんですよ」というふうに言ってて。

それをCM中に言うから、「なんで本番で言わねえんだ!」って全員で怒鳴ったんだけども。豊島先生、「だって誰も聞かないんだもん」っていう堂々と答えてた(笑)。ウォール街が案外トランプの評価が高いというのは、かなりのびっくり仰天ニュースなんだけども。

「不道徳なこと」の何がダメかは誰も説明できない

「なんでそんなことになっちゃうのかな?」というのが、僕がFacebookのほうにリンク先で貼った、橘玲さんのブログの「芸能人の浮気を道徳的に攻め立てる快感について」というやつで。これは、もともとはベッキー騒動のことを考えようと思って貼ったリンクなんだけども、そっちよりもですね、そんな話題よりもこっちのほうが役に立つなと思って。

ここで橘玲さんが書いてるのはですね。実は不道徳なこと、例えば、不倫だよね。浮気って言ってもいいんだけども。そういうのが出てきたら必ず被害者でもないような人から、「許せない」とか「謝罪しろ」とか「なんとかしろ」というような声があがる。

それはなんでだろうか、というのを書いてると。「道徳の特徴とはなにが不道徳かを知っていても、その理由を説明できないことです」と。

ある心理学者が、心理学の実験なんだけれども。実の姉妹と避妊したうえでセックスする。つまり、「自分の妹や姉とちゃんと避妊をしたうえでセックスすること」「捨てられていたアメリカ国旗でトイレを掃除すること」「自動車事故で死んだ犬を飼い主が食べること」。

すべて、それはものすごい心の中で「いやいや、それダメでしょう」ってダメが出るようなことで。でも、「それがなぜダメなのか?」というふうのを聞いたら、すべての人が「不道徳だ」と答えた。

しかし、「それをなぜやってはダメなんですか?」と言ったら、なんでそれがダメなのかをちゃんと説明できた人は1人もいなかった、というアメリカの心理学者の実験がありましたと。

不道徳な行為に共通するのは、他人になんの迷惑もかけていない。今いったこの3種類の、「実の姉妹と避妊したうえでセックスする」「捨てられていたアメリカ国旗でトイレの掃除をする」「自動車事故で死んだ犬を飼い主が食べる」というのは、実は他人にはなんの迷惑もかけていない。でも、それを端から聞いてる人からしたら、「それは罪に問われて当然だ、当たり前だ」という道徳的な判断が明らかに働く。

それはなんのか、ということで、橘先生の結論としては、道徳的な理由で他人を責めるというふうなことはものすごく快感で、快感を出すという本能が人間に備わっているから、だから、道徳的、道義的なとこで人を責めるという行為は生涯なくならないだろう。

それがいい・悪いではなくて、それが僕らの脳に生来プログラムされている、社会生活を保つためのある種の仕掛けなんだと。

人間の愚かな行動は止められない

だれが非道徳的なことをしたら、その非道徳的というのは、もちろん社会によっても違うんだけども。その時にみんなが不安に感じて一斉に攻撃するというのを持ってると。

で、こういう理由がないような怒りとか、理由がないような衝動みたいなものを収める装置というのがいつも必要だから、だから、「生け贄」というのが社会にはつねに必要になってくる。

だから、不道徳なことを有名な人がやったら、それはもうベッキーにしてもそうだし、ショーンKにしてもそうだよね。そういうふうにすると、必要以上に攻め立てる人が出てきて。

実はそいつにはなんの攻め立てる権利があって攻め立てるのかわからない。だいたいそういう場合は数の論理の中にやってきたり。例えば、新聞社とかテレビ局に電話して、「あれをなんとかしろよ、降ろせよ」というふうに言って、「あなたは誰なんですか?」って言ったら、「俺が誰かは関係ないだろう」みたいなことでどんどん責めるというふうなものが当然になっていくんだけども。

それは、橘先生によると、そういう人間の愚かな行動は止められない。なんでかというと、それは本能にプログラムされたもので、動物的な衝動としてそういうことをやってるだけだって言うんだよね。

これ、もともと「生け贄の倫理学」というようなかたちで何週間か前に話をしようとして、なんか話せなかったやつなんだけどさ。

王様は生け贄のための道具だった

王様というのはなんのためにいるのか? 僕らはついつい「古代の王様というのは偉い人であって、すべてをそれが支配してた」というふうに考えるんだけども、実はそうじゃなかったという事例がすごい多いんだよね。

古代の王様というのは、もちろんその社会が安定的に運営されているうちはいいんだけども。ところが、そこに地震が起きたり、もしくは日照りが起きたりして作物が採れなかったりしたら、往々にして殺されるということがよくある。

それはなんでかというと、本来、地震とか、日照りとか、作物が採れない、というのは誰も責任が取れないわけだよね。でも、誰も責任が採れないからといって、みんなの感情が納得しない。さっきの不道徳な衝動を同じので、感情が納得しない。

じゃあ、どうすればいいのかというと、不道徳な場合はそれやってる張本人を。それは別にショーンKでもいいし、ゲスの極み乙女の人でも、ベッキーでもなんでもいいけど、吊るし上げればいいいんだけども。

国家に対するそういう不満というのは「王様」というのが一番いいんだよ。その王様というのを、例えば、廃位したり、別の王様にする。これはかなり後のほうの平和な解決法なんだけども。

歴史の始まりのほうでは、王様の首を切ったり、もしくは王様の身代わりの人を殺したりとか、いろんな方法で実は王様というのは生け贄のための道具でもあると。生け贄のための道具だからこそ、生きているうちは栄耀栄華のついを尽くすというのかな。ものすごく贅沢な暮らしをさせて、それと同時に、私たちの社会全体がうまくいきますようにって。

現代における生け贄は政治家や経営者

中国のあれだよね。王道論みたいなみたいなものだよね。つまり、王の体がそのまま中国大陸を示しているので、王様の体に異常があると、中国大陸のどこかの陸地に異常が起こる。なので、逆に言えば、王様を栄養満点なようにして、もうごきげんなようにして、すごいいい環境にしておけば、中国全土も平和になるに違いない。

というような、ちょっとおかしなロジック。まあ、気持ちとしてはわからないでもないんだけど……。というのがあって、王様に自由の限りを尽くさせたと。そのかわり、悪いことがあると、王様の首をもうちょん切っちゃって、別の王様にする。

この社会というのはやっぱりそのシステムで動いてるから、僕らは経営破綻したりした企業というのは、誰かの責任を取らさせなきゃ気が済まないし。アベノミクスが失敗した、成功したといったら、誰かにしないと気が済まないと。

でも、さすがに最近は首をちゃん切るのではなくて、政治家をクビにするとか、社長をとっかえるという、民主的な手段で済むようになってよかったね、というのが現代の到達点。民主主義というかなりうまくできた仕組みのゴールなのではないのかな、というのが今回空想政治学のお話でありました。

基本的にやっぱり、そんなに政治学って、政治というのは何かというと、民衆とそれを管理する話なんだよね。民衆の気持ちとか動きというのは、別に独裁体制であれ、合議制であれ、民主制であれ、社会主義であれ、そんなに変わらないんだよ。

それより大事なのは、そこで出てくる絶対に解決できないはずの不満というのを、例えば、未来への労働に向けさせるのか、よその国への敵意に向けさせるのか、生け贄を見つけて、政権交代というかたちでつねにリニューアルさせて、そこのなかに持ってくるのかという、手法だけが違うんじゃないかな、というふうに思ったわけであります。

もう55分になっちゃったので、そろそろ限定放送にいきましょう。限定放送のほうは、なんだっけな。サークルクラッシャーだった話と、ニコ生とLINE LIVEの話だよな。その話をしようと思います。それでは、一般放送のみなさん、また来週。限定放送のみなさん、おまたせしました。限定放送の開始であります。

有料会員放送に続く)