「"エコ"はいつから宣伝文句になった?」 ある猟師が語る、資本社会のムダと欺瞞

Being a hunter in modern society: Shinya Senmatsu at TEDxKyoto 2012

国際投票監視委員として派遣された東ティモールで受けた衝撃から、猟師として生きることを決めた千松信也氏。効率を目指して発展してきたはずの現代社会は、あまりに多くの資源や価値観を見捨てていると訴えます。(TEDより/この動画は2012年に公開されたものです)

ある罠猟師の生活

千松信也(以下、千松):ここは、秋の終わりの広葉樹の森。落葉した木々の間から木漏れ日が差し込み、たくさんの野鳥たちがさえずっています。

私はそんな森に分け入り、獲物の痕跡を探します。けもの道に残された足跡。「これは、イノシシが昨日の晩に通ってるな。鹿は3、4頭の群れでおって、子連れやな」。木の幹についた、キズや泥。「このイノシシは体重50キロぐらいで、オスやな。鹿の群れは昨日来てへんけど、3日にいっぺんぐらいは来てる」。

罠猟師は残された痕跡から、そこにいない動物の行動を手に取るように把握します。私は、街でも猟師です。例えば3月の引っ越しシーズン。まだまだ使える家具や電化製品、そんな大型ごみがたくさん出ます。「来週の大型ごみは火曜日か……よし」。

(会場笑)

千松:取り壊し中の家を見つけると、「大将! その廃材、ちょっともらえんかな?」「ええで、ええで。いくらでも持っていきや! こんなんどうせ、どかす物だしな。」タダで必要なものを手に入れる。そういう点では、山でも町でも私は同じような感覚です。こんな言い方をすると、野生動物をゴミ扱いしているように聞こえますか? でも、野生動物をゴミのように扱っているのは、実はこの現代社会です。

鹿の絶命を見守る10分間に考えること

2009年に狩猟によって捕獲された鹿の数は、15万6700頭。それとほぼ同じ数の15万4800頭の鹿が、有害な動物だということで殺されています。みなさんが食べるお米や野菜を食い荒らす、害獣だからという理由で。そしてその鹿は、ほとんどが焼却・埋没処分されます。つまり「野生動物も増えすぎて邪魔だ! ゴミとして燃やしてしまえ! 殺して土に埋めたらいい!」というわけです。

罠にかかった鹿の命を奪う時、私はナイフで、鹿の首の頸動脈を切り取ります。そこから血が流れて、約10分間の間に鹿は息絶えます。ちょうど今日私に与えられた時間、このスピーチの時間ぐらいの間、山の中で私は、鹿とふたりっきりで、静かな時間を過ごします。鹿は死ぬ間際、息を荒げ、痙攣し、足を突っ張り、目を見開きます。

「殺すことにもう慣れましたか?」と、よく聞かれます。確かに、命を奪う技術は向上しました。でも、慣れることはありません。本当に殺す必要があるのか、常に自分に問いかけています。猟師がこんなことを言うのはおかしいのかもしれませんが、私はなるべくなら鹿は殺したくありません。自分や家族、友人たちが生きていくため、食べるため、そのためだけに私は猟をしています。

東ティモールで味わった資本主義の現実

猟を始める1年前、私は東ティモールにいました。そこでは、現地の独立を決める住民投票が国連によって準備されており、私は国際投票監視委員として関わっていました。投票後、東ティモールの独立に反対するインドネシア軍や民兵組織によって、多くの家が放火され、銃声が響き、たくさんの人々が殺されました。

私も国外に脱出し、東ティモールに戻れたのは、独立が決まって半年も経った後のことでした。再び東ティモールに戻った私は、ショックを受けました。現地の人々がまだ住む家もないというのに、国連やNGOが、焼け残った建物を利用しています。

金儲け目的の外国人も多数入国しており、東ティモール人のための食堂や市場が出来る前に、外国人向けのバーやカフェが……。そしてそこで働く東ティモール人の給料は、1日たったの1ドル。呆然としました。

これが、新たに独立を決めた国の姿か。そしてそこでは、私もその他大勢の外国人のひとりでした。すぐに帰国を決意しました。ここはもう私のいるべき場所ではない。その一方で、東ティモールの人々は独立を勝ち取り、喜び、新たな国づくりを始めていました。

経済優先の社会が見捨ててきたもの

それを見て思いました。私も自分にとって責任のある場所に戻り、自分自身の側の問題に取り組もう。帰国して、まずは自分自身の生き方を見つめ直そうと思いました。その中で、自分の食べる肉を自分で確保したい、そういう思いが生まれました。そして狩猟を始めました。始めてびっくりしたのは、すごく楽になったこと。

見知らぬ誰かに殺してもらって、自分はただパック詰めされたお肉を食べるだけ。そういうのが嫌だったんですね。そんな後ろめたさから解放されました。また山には山菜やキノコ、川魚などの豊富な食べ物に加えて、スギやヒノキの間伐材が利用されずに転がっていました。私はそれを薪として利用しました。これで我が家の暖房、ストーブ、お風呂を、石油やガスに頼る必要は無くなりました。

ここには、自分自身の生活を自らが作り上げていっている、という喜びがありました。解放感がありました。全ての事について自分に責任がある代わりに、間に他人が入らない、シンプルで自由な暮らしです。そして私の生活は、貨幣経済からゆるやかな脱出を始めました。一部の人々が便利さを求めるあまり、非効率で無駄が多いのが、この現代社会。その隙間を縫うように、私の生活は出来上がっていきました。

便利さと引き換えに、やりたくもない仕事をさせられていませんか? 近くの山に鹿がたくさんいるのに、レストランで出る肉は外国産。まだまだ使える大型ゴミがたくさん出るのは、新しい商品を常に売らないといけない企業の理屈。

「エコ」「CO2削減」。いつから商品の宣伝文句になったのでしょうか? 「修理するより買ったほうが安い」「採算が合わない」、そう言って無駄になるものが、あまりにも多い。

私にとっての狩猟採集生活は、今の経済優先の社会が放棄しているさまざまな資源、そして見捨ててきた技術や価値観、そういったものを取り戻すという意味を持ち始めています。社会を変えようと声高に叫ぶのではなく、自らの生活として実践していくことが、最終的に力を持つと信じています。

東ティモールの友人が取った肉と、私が取った肉に、価値の違いはありません。いつか、笑顔で、食べ比べしてみたいな。そう思います。ありがとうございました。

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