アフリカで50社以上を経営する男

司会:みなさん、本日はお集まりいただきましてありがとうございます。今回のこのイベント、前半は金城拓真さんの出版記念講演、後半はDMM.comの亀山会長をお招きしてのスペシャル対談をお届けしたいと思います。

それでは早速金城さんをお迎えして、ご自身と、アフリカでのビジネスについて語ってもらいましょう!

(会場拍手)

金城拓真氏(以下、金城):みなさんこんにちは。金城拓真と申します。

「世界」で働く。 アフリカで起業し、50社を経営する僕が大切にしていること

先ほど、著書にサインをさせていただいてたんですが、その席で「金城さんてこんな人だったんですね」って何回か言われました。

「アフリカで50社以上経営している」っていうと、どんな熊みたいなやつが出てくるんだろう、どんないかついのが出てくるんだろうと思っていたら、こんなガリガリの声の高いやつが出てきたと。

それで意外に思われて、ヤバイやつじゃないかと怪しまれることが多いんですが(笑)、決してそんなことありません。

ぼくは2年か3年前に大臣表彰を受けましたけど、その時にどうやら「身体検査」をされてたらしいんです。「マフィアと付き合いはないか」とか「違法行為してないか」とか。そういうのを一応クリアして表彰されていますから、まあまあクリーンな人間として扱っていただければうれしいです(笑)。

金城って何者なんだ、アフリカで仕事やってるというのはネットなんかに出てるから知ってるけど、どういうふうにやってるんだ、という向きもあろうかと思うので、簡単に説明させてください。

学生時代に韓国の中古車をアンゴラで売る

金城:ぼくがアフリカ向けの仕事を始めたのは2003年でした。当時大学2年生の春でしたね。韓国の大学に留学してたんですけど、そこでたまたま出会ったアンゴラ人の友達と仕事を始めることになったんです。韓国の中古車をアンゴラ人に売る、という仕事です。

当時はまだ、アンゴラは内戦中で危険なイメージがあったんですが、ぼくはあんまり気にしてなくて、アンゴラで売れるんだったら送ろうと、気軽な感じで始めました。

そうしたらなんと、そのアンゴラ人のお父さんが、警察のトップだったんです。そのコネでばかばか売れるんですよ。それこそ2ヶ月先に送る車の代金がもう振り込まれているという、すごくおいしい商売でした。

そして大学を卒業したとき、じゃあ日本車を売ろうかと。日本人だし。それで日本車を送るようになったんです。もちろん売れると思ってました。それまで売れていたし、それはぼくらの商品やサービスがいいからだと思っていた。

でもそれは完全な勘違いでした。なんのことはない、それまではただ単に、友達の父親のコネで売れていたんですね。

それがわかっていなかったぼくは、アフリカへ片道切符で行ったんです。車が売れて帰りはファーストクラスだ、なんて意気込みながら。

しかし、まったく売れなかった。どこの馬の骨かわからないぼくに車1台分の大金を支払う人はひとりもいなかった。資金がどんどんなくなっていくのに、できることが何もない。この時のつらさといったらなかったですね。

しかし何とかそういうことを乗り越えていまこうしてしゃべらせていただいている。これはもう目茶苦茶ラッキーだと思います。

アフリカのビジネスはコネがすべて

金城:さきほど本にサインをしていたとき、多くの方が「わたしもアフリカでビジネスをしたいんです。何かヒントをください」とおっしゃっていましたので、そのあたりを少ししゃべります。

アフリカのビジネスをひとことで言いますと、「コネがすべて」。

大学在学中に起業したとき、メンバーは4人でした。2人がアンゴラ人でぼくともう一人が日本人。その4人が卒業と同時に2人ずつに別れて、片方は韓国に残った。ぼくと一緒に日本に戻ってくれたのが金谷さんといって、いまでもうちの会社にいます。

この金谷さん、アフリカ生まれのアフリカ育ちで8カ国語を話すことができるというすごい人で、ぼくらがここまで仕事ができているのは、この金谷さんのネットワークを使わせてもらっているからなんです。

彼はアフリカでインターナショナルスクールではなく現地の学校に通っていました。そうすると、先輩後輩、同級生たちに、大統領の子供とか、財界の有力者の娘とかがいたわけです。

そしてぼくたちがある程度の資金を持って、30歳手前で西アフリカの彼の故郷へ行ったとき、学校時代の友人たちもまた政財界にデビューするタイミングだった。それで一緒にこれをやろう、あれをやろうといって、お互いに大きくなっていった、という経緯があるんです。

ニーズがある分野の会社をどんどん作る

金城:具体的に何からやったかというと、中古車販売以外では、まず中国とアフリカの間の貿易を始めました。この貿易は、日本で考えられている貿易と少し違うと思うんでお話ししますね。

まずぼくたちは、中国でいろんな商品を仕入れてきます。それをアフリカで売る。そうすると現地の通貨が手に入るので、それで現地の資源を買うんです。木材とかカシューナッツとか、金とか。

今度はそれを中国に持って行き、売って、人民元をもらう。また中国で仕入れて、アフリカで売る。これを繰り返すんです。いまでは毎週30コンテナ、往復で60コンテナを行き来させています。

こういうことをしていると、自然といろんな中国人がぼくたちのところにやってくる。「どうやってこんなマーケットを構築したんだ?」と聞きに来るんですね。彼らも商売をしたいわけだから、ぼくたちは彼らのためになる、役に立つようなモノを用意してあげればいい。

たとえば、中国から持ってきた商品をアフリカで売ろうとしたときに、彼らはまず、宣伝、広告をうちたいと考えます。ところがそれを請け負ってくれる会社が見つからない。そこでぼくたちは広告会社をひとつ作ってしまった。

すでに見込み客がいて競合する会社もないから、すごく有利な条件でのスタートでした。そのようにして始めた広告会社はいま大きく成長しています。

広告を出して商品が売れて、うまくいき始めた企業は次に何を考えるか。「現地駐在員を置きたい」と考えるんですね。そうしたら彼らが泊まるホテルが必要になる。だから作る。オフィスが必要なら、オフィス街を作る。そうしてどんどん拡がっていったんですね。

小売と物流の両方をやっているからこそ気づくこと

金城:そうやっていま50社を経営しているんですが、ぼくたちの内部でお金を回しているということが、すごく大きいんです。景気が悪くなったときに「ブロック経済」ができるからです。

景気が悪くなると本来なら、売り先や仕入先に困る状況になります。そんな時、確実に買ってくれるところ、仕入れさせてくれるところが内部にあるということは、会社にとってすごく大きい。

それに、多くの会社を経営しているからこそ、気づくこともあります。

ぼくたちは地方に小売店を持っています。また、そこにモノを運ぶ物流会社もある。その物流会社の景気がどうも良くない。一方で、地方の小売店が儲かっているという情報を得たとします。

経済の構造から言ってそれはあり得ない。小売店が良ければ、商品を届ける物流会社の景気もいいはずです。そこに気づいたぼくは、物流会社に対して戦略を立て直すように指示ができる。小売店と物流、両方やっているから気づくことができるわけです。この点も多くの会社を経営することのメリットです。

少し話がずれますが、ぼくらの小売店の売上がよくなったのは、リーマンショックがきっかけでした。

小売店というのは、老舗で実績があれば、仕入れ代金を後払いすることができます。でも新規参入組のぼくらの店は、それをさせてもらえなかった。しかたがないので、先払いでどんどん払っていました。

そこにリーマンショックがやってきました。不景気で、仕入れ先の資金繰りも厳しくなってきたので、先払いするぼくらの店に優先的に商品を卸すようになりました。納入を後回しにされた老舗の店は、どんどん潰れていって、結果的にぼくらが残ってしまった。

こんな、ちょっとしたボタンのかけ違いで正解と不正解が逆転することが、アフリカではよくあります。ぼくらのようにたくさんの会社を経営するのは、そうした状況でのひとつの解決策でもあるんですね。

そんなふうに事業を拡げていくうちに、いろんな業種で50社を経営するようになった。亀山会長と出会えたのも、そのおかげかもしれませんね。

タンザニアで一緒に焼きそばを焼く

司会:それではここから、昨年「DMM.Africa」を立ち上げた亀山会長をお招きしてのスペシャル対談に移りましょう。亀山会長、お願いします!

(会場拍手)

まずは金城さんから、亀山会長との出会いについてお話しください。

金城:ぼくがアフリカにいるとき、知人のある社長さんの紹介で、アフリカに一人旅に来ていた亀山さんと会うことになったんです。ジンバブエでしたね。

それで一緒に食事してたら「金城くん、あしたどうするの?」って聞かれて。少し観光してからタンザニアに戻ります、と答えたら「じゃあ一緒に行くよ」と言い出した(笑)。

そのときはちょうどタンザニアで「日本人夏祭り」というのがあって、ぼくはもともとそこで焼きそばを焼く予定だったんですが、亀山さんが「おれも焼く」という(笑)。で、2人で焼きました。

そのあとの二次会が、ある商社の現地法人の社長さん宅であったんですが、そこで2人とも酔いつぶれて寝てしまった。それが最初の出会いですね。

亀山敬司(以下、亀山):ぼくは3、4年に1回一人旅をするんですが、そのときは会社とかみさんに頼んで、自分探しに行ってきます、という感じでたまたまアフリカに行ったんです。だからまずは仕事のことなんか考えずに、ジンバブエとかボツワナの奥地に入って、ライオンとかキリンとか見ながらブラブラしてました。

これからはB to Gの時代

亀山:旅をしながら、そろそろ仕事のことも考えなきゃいけない、いや仕事以外の人生もあるぞなんて考えてたわけですが、最後の3日間で金城さんに会っていろいろ話をしたら、すごく景気のいい話をするわけ(笑)。アフリカで400億だなんて言うから、このアンチャンで400億なら、おれだったら4000億くらいいくかな、なんて思って(笑)。いきなりスイッチが入っちゃった。

最初はハッタリだけの男かな、なんて思ってたんだけど、一緒に焼きそば焼いてたら政府の偉い人なんかが来るし、「亀山さん、もうB to BとかB to Cは古い。これからはB to Gですよ」なんていう。GovernmentのGね。

それ聞いて「カッコいいー」って思って(笑)。日本じゃなかなか政府とどうこうなんて考えないから。特にわれわれのような新参者の企業は。偉い人に会う機会も少ないしね。

でも、タンザニアにわずか3日いる間にいろんな要人に会えた。これはつまり、日本の戦後すぐのような、アメリカ人だったら日本の要人に誰でも会えるという、そういう時期なんですね。

金城:そうですね。ただアフリカ全部がそうではなくて、例えば南アフリカ共和国なんかはぼくらの中ではヨーロッパって呼んでるくらい発展していて、新参者がお金持って入っていってもあんまり意味がないマーケットなんです。昔からのコネがモノを言うから。でもほかの国は大体そんな感じですね。

どんな状況になってもビビらないやつじゃないと難しい?

亀山:そういう状況であればいろんな新しいことができるなと。たとえば日本では、いまさらインフラをやるとか発電所作るとかできないけど、アフリカならできる。日本ではスキマを探してやらざるを得ないから。インターネットだとかIoTだとか、新しい、大手がまだやってないことをね。

でもアフリカ行くとなんでもできそうな雰囲気があって、だったらモノは試しにやってみようかなと。そんなことで、金城さんに弟子入りをしている(笑)。そういうわけです。

金城:ありがたいことに「『DMM.Africa』を立ち上げるぞ。生みの親はおれがやるから、育ての親は金城やってくれよ」って言われて、ぼくにとってはすごく光栄なことです。

亀山:おれももう行きたくないしね、アフリカ。やっぱり暑いよね(笑)。

それはともかく、若いやつにチャンスをあげたいなと思ってはいます。おれが行きたくないだけなんだけど(笑)。

会社の若手に「アフリカ行きたいやついないか」って手をあげさせたら、20人くらいいたのかな、そこから7人選んで。あとアフリカ人に4人入ってもらってるから、11人のチームで「DMM.Africa」を立ち上げました。

いまその半分がアフリカに行ってます。でも何をやるか決まってない(笑)。みんなに100万円ずつ渡して、しばらく帰ってくるなと(笑)、なんか見つけたら戻ってこいと言って送り出しました。

金城:ぼくも亀山さんと同じ考え方で、何をやるか決めないでアフリカに行くっていうのは、無謀なようでいて実は効率がいいやり方だと思うんです。ぼく自身も、何か大きい目標があってやってきたわけではなくて、その時にあるもの、その時できそうなものをひとつひとつやってきた結果がいまの状態なんですね。

やることが決まっているといいように思えますけど、逆に急にビジネスチャンスが来たときや何かが起きたときに方向修正しにくい、というのがあると思うんで、亀山さんのやり方がすごく面白いなと思うんです。

亀山:まあ、行く人はね、どんな状況になってもビビらないやつじゃないとちょっと難しいかな。金城さんはアフリカでビジネス始めて何年になるんだっけ?

金城:2003年からなんで13年ですね。

これから数年間がチャンスである理由

亀山:この間金城さんから聞いた話では、あと5年くらいすると、アフリカから国外に留学している優秀な人たちが戻ってくるらしいんだよね。そうなると、そのときに外国人が行っても、あんまり偉い人に会えなくなるかもしれない。いまならまだ珍しいから、提携しようとか組んでみようかって話もあるけどね。

だから、これから5年の間なら、うちの若いやつがアフリカへ行っても何か見つけてくることができるんじゃないかと思ってるんです。この認識で正しいですか?

金城:その通りだと思います。ただ、あともうひとつ、2020年〜2023年あたりが節目だと思っている理由があって、その頃が、経営者の世代交代の時期にあたるからなんです。

ぼくが起業した2003年前後っていうのは、アフリカで新興企業が生まれたゴールデンエイジでもあるんです。それらの企業が代替わりするのが、2020年頃というわけです。

世代交代してしまうと、前の世代と違って叩き上げの苦労を知らないから、ぼくたちの言葉や気持ちが響かないかもしれない。少なくとも響く層が薄くなる。そこはちょっと厳しいな、と思いますね。

海外でも人間関係・人脈が鍵になる

亀山:なぜアフリカへ行くかっていうと、今後日本の人口が減るということは誰でもわかっているわけで、世界に出ざるを得ないという危機感があるからですね。でも本当に何も決めていなくて、ITやろうかとか水力発電やろうとか、いろいろと考えていることはあるけど。

金城:うちの弱いところはITなんです。アフリカにいるから当然と言えば当然なんですけど、ITを伸ばそうと漠然と考えていたところに亀山さんと出会って。DMMさんはIT企業としてのすごい実績と経験とノウハウ、いろんなものを持ってらっしゃる。

一方でぼくたちは、アフリカでそういったものを運営するとき、うまくやるノウハウを持っている。で、どんなことをやりたいかっていうと、たとえばこんな話があります。

みなさんは中国のファーウェイという会社を知っていますか。この会社はいろいろと記事にもなっているんで知っている方も多いと思うんですけど、彼らのアフリカでの事業を知っている人は少ないと思うんですね。

ファーウェイは4、5年前に、アフリカでポケットWi-Fiを売り出したんです。それもほとんどタダ同然の値段で。

そんなときに事業を統括する人物に会う機会があって、「そんな値段で大丈夫?」と聞いてみたんですよ。そうしたら、「狙っていることがあるから、3、4年この会社を注目しておいたほうがいいぞ」と言われました。

そのファーウェイが去年何をやったか。彼らは、タンザニアという国、政府と、ITインフラに関するすべての顧問契約を結んだんです。

ファーウェイがタンザニア全土に光ファイバーを引く見返りに、今後、ITインフラの整備など、ITに関わる国のすべての事業をファーウェイを通して行う、という契約です。

この契約で、タンザニア政府はITに関してはファーウェイの手のひらで踊らざるを得ない。すごいなタンザニアは、ファーウェイとこんな契約結んで、と思うけど、ほかにも3か国くらいこの種の契約を結んでるんです。

先ほど少し話が出た「B to G」ですね。こういうことを、アフリカではまだできるな、と、亀山さんとよく話してます。

亀山:中国の人は頭がいいからいろいろ戦略を練ってやってますね。たくさん来てるし。日本人は数が少ないね。中国人100人に対して1人くらいかな。

でも日本人は評判はいいです。きっと、先駆者たちが良い人達だったんでしょう。だから人間関係も作りやすいと思いました。結局、海外行っても人間関係、人脈ができてないと何もできないからね。

チャンスはどこにあるのか?

亀山:「DMM.Africa」は、アフリカで何をやるかわからないまま、スタッフにとにかく行ってこいという非常にざっくりしたやりかたで始めるわけだけど、いままでやってきたビジネスも正直言ってそういうところがあるんです。

インターネットもとりあえずやってみようということで始めたわけ。ビジョンみたいなものがもともとあったわけじゃなくて、やっていくなかで、じゃあ次はこのビジネスだという感じでやってきたんです。

ただ、18年前かな、インターネットっていう業界に入ったというのは結構大きくて、この業界にいなければ、こういうことにはならなかったことは間違いない。

田舎でレンタルビデオやCDを貸したり本を売っていたとき、社員は店員しかいなかったけど、インターネットを始めてエンジニアが入って、さらに新しい知識を得て、テクノロジーを覚えて、彼らが新しいビジネスを考えてくれる。その時はテクノロジーを覚えろ、だったけど、今度はアフリカを覚えろ、アフリカを理解しろ、ということです。

別にアフリカじゃなくてもいいんです。キューバでもいいしイランでもいいし、東南アジアでもいい。チャンスがあるところならどこでもね。ミャンマーでもいい。

まあ、アフリカ行くぞ、っていって集まって来るやつはどこへでも行くだろうと(笑)。

金城:本当にざっくりしてますね(笑)。

亀山:死ぬかもしれないよ、捕まるかもしれないよって脅しても入ってくるやつは使えるなと思う。さっきの金城さんの話じゃないけど、南アフリカなんか行ってんじゃないぞ、できるだけヤバイとこ行けって(笑)。そっちのほうがチャンスあるから。

ただもちろん、自分の命は自分で守らなきゃいけないから、選択は最終的に自分でしろと言っています。チャンスはどこにあるかって聞かれたら、そういうところにあるよって言い方してますね。

今日ここに来ている皆さんで、うちで一緒にやりたいとか、提携してビジネスしたいと思う人がいらっしゃったら、ぜひ声をかけてくださいね。

「世界」で働く。 アフリカで起業し、50社を経営する僕が大切にしていること