「アーティストとして生きること、社会との接点」

田中研之輔氏(以下、田中):クリエイターズマッチの呉さんです。拍手で。

(会場拍手)

田中:あとで、自己紹介していただきますけれども。デジハリのOBですので。受講者の方は、ぜひこういう華やかな先輩になってもらえればいいかな。

呉京樹氏(以下、呉):よろしくお願いします。

田中:はい。じゃあ、時間通りいらしていただきました。キングコング西野さん、どうぞ。あの、2015年一番おもしろい芸人?

西野亮廣氏(以下、西野):いや、違う。違います。

田中:芸人じゃなくて?

西野:いや、一番嫌われてる芸人ではあるんですよ。

田中:そんなに嫌われてないですよ(笑)。

西野:いや、僕と品川さんは本当に嫌われてる。

田中:じゃあ、かけていただいて。

西野:どうも。よろしくお願いします。

田中:さっそくいきましょう。じゃあ、呉さん。どんなことやられたか。まず自己紹介というか。

:僕からですか。

田中:うん、そうそう。呉さん、西野さんという感じで。1人3分あるので。

西野:3分!?

:今日はスライドがないんで、口頭ですみません。

クリエイターズマッチ・呉社長のプロフィール

:ただいまご紹介に預かりましたクリエイターズマッチの呉と申します。よろしくお願いします。

(会場拍手)

:実は私も1999年のデジタルハリウッド大阪校の卒業生です。まあ、いろいろやってきたんですけれども、僕は13歳から働いていて。

いま39歳なんですけど、25年社会に出て、30職種くらい仕事を経験してきて、いま社長をやってるという。IT業界のなかではあんまりいない経歴を持っている者です。

もともと一番最初に何をやってたかというと、餅屋さんからキャリアがスタートしました。(次は)レストランになって、働いていたレストランが阪神大震災で全壊して全焼してなくなっちゃって、無職になりました。

そこから神戸の災害復興を助けたいというので、地域復興で現場監督になって、マンションを12棟ぐらい、復興で立てて。それから、マンション建築を12棟やったので、これからは自分のやりたいことをやっていこうと思いました。

社会貢献はある程度落ち着いたので、自分がやりたいことをやろうと思って、翌月にハリウッドに渡米して。映画監督になりたいというむちゃくちゃなキャリアなんですけれど(笑)。

そこで、ハリウッドに当時あったdhimaという、デジタルハリウッドが姉妹校提携してた3DのCGアニメーションスクールがあって。そのdhimaと出会って、日本にもう1回戻ってきて、デジハリに入学したというのがデジハリとの出会いですね。僕がたぶん24歳ぐらいのときなので、15年前ぐらいになります。

田中:デジタルハリウッドへ入る前にいろんな社会経験を積んで、本物のハリウッドに行って。なにか繋がりがあってデジハリに?

:そうですね。

田中:今もデジハリと提携があるんですよね。

:そうですね。うちらはデジハリとカリキュラム提携をしていて。デジタルハリウッドの専門スクールのほうですけれど、スクールとスタジオで講座を2年前から持っています。

2年間で500名くらいの受講生がいて、デジハリさんとはずっと仲良くやらせていただいています。

田中:もともと、呉さんも作る?

:そうです。もともと僕は3Dアニメーターの仕事をしていて、ちょっと映画監督にはなれなかったんですけど。

ゲームは有名なところで言うと、『バイオハザード』というカプコンのゲームのアニメーションをやってたり、グラフィッカーをやってたり、Xboxの『BLiNX』というゲームをやってたり。

タイトルを4本ぐらいやっていて、一応エンドロールにも名前が載るグラフィッカーだったという。もともとそういうキャリアを踏んできた感じですね。

田中:ありがとうございます。今回、セッティングをいろいろ考えたんですけれど、西野さんって本当におもしろいのね。一度法政でも講演してもらって、めちゃめちゃ盛り上がったんで(笑)。

西野:あがらないようにお願いします。

田中:その第1弾の盛り上がりを超えてデジハリでやる際に、どのキャスティングがいいかなって考えまして。

(呉さんは)デジハリ卒業生だし、会社経営もされていて。こんなに迫力のある人はいなくて、呉さんにお願いした次第です。この2週間くらいほとんど家に帰らずに、転々としているくらい忙しいんですよね。

:そうですね。2週間いなくて。一番最初、米子のデジタルハリウッドスタジオからスタートして。米子、倉吉、鳥取、東京……。社員の結婚式で1回戻ってきて。そこから京都、福岡、新潟、今ここ、みたいな感じですね。

田中:この番組は僕と呉さんで90分しゃべって、西野さんにしゃべらせないっていうのはどうですか(笑)。それでやってみようか。

西野:うそでしょう。恥ずかしいから。もうそわそわしてますよ。

ストーカーのおっさんが問われた3つの罪

田中:じゃあ、西野さんいきましょう。

西野:なんでしたっけ? 自己紹介?

田中:自己紹介。

西野:あのね、お笑い芸人やってるんですよ。非常に好感度の低いお笑い芸人。嫌われ芸人。

街中で「キングコングの西野さんですよね?」って声かけられて「ああ、どうもどうも」って手を出したら「いや、大丈夫です」って言われるぐらいの。声かけられて振られるっていう、非常に嫌われちゃってる芸人なんですけれど。

自己紹介……なんだろうな。最近は波田陽区が嫌いですね、ざっくり言うと。嫌いな芸人波田陽区と。なんか別にしゃべることないんですけど。せっかくだから、最近学んでいることを。

田中:いいですね。

西野:ちょっと和やかにしたいから、最近非常に勉強になったことを教えましょう。

うちの女性スタッフがストーカーに遭ったんですよ。50代ぐらいのおっさんにずっと付けまわされたんですって。まあ結局捕まったので、ぜんぜん被害はなかったんですけれど。

毎日付きまとわれて、帰り道についてくるんですね。毎日ついてきて。ある日ピンポーンってインターホンがなって、覗き穴を覗いたら、ドアを挟んで向こうにおったんですわ、おっさんが。

:危ないですね。

西野:危ないですよ。オートロックじゃないから。ドア1枚挟んで向こうにおったの。

こいつが超ヤバいやつで。ドア挟んで向こうにおって。おっさんが下脱いで、パンツも脱いで、ポコチンを郵便受けに入れてきたんですって。こう入れて、出し入れしてきたんですって。

これはヤバいということで、うちの女性スタッフが警察に通報して、まあ現行犯逮捕になったんですけれども。じゃあ、このオヤジがなんの罪に問われたか?

3つの罪に問われたんですよ。1つは脅迫罪。要はついてきたから、これは堂々たる脅迫。2つ目は脱いじゃったから、わいせつ物陳列罪。

:そうですね。

西野:それで、僕が勉強になったのは3つ目。「ああ、そうなんや」って。3つ目なんですけど。これは「住居侵入罪」(笑)。

だからストーカーされる方は、ここ(郵便受け)に(ポコチンを)入れたらもうアウトやと。ここ(郵便受け)だけでもカウントされるという。

田中:ここ(ポコチン)が入ったという?

西野:ここ(ポコチン)が入ったら、男が入ったってカウントされますんで。男性の方、お気をつけください。西野でございます。よろしくお願いします。

(会場拍手)

今日の軸は「アーティスト論」と「クリエイター論」

田中:西野さんはやっぱり声がいいね。スピーカーで聞くといい声だなって。

西野:いい声してますか。

:うん。やっぱりよくしゃべってらっしゃるからね(笑)。

田中:西野さんをお呼びする理由はいくつかあるんですけれど。芸人として芸能活動もずっとやられていて、知名度は本当にすごくあるんですけれども。

ちょっと、今のひな壇芸人とは違う動きを意図的にやっている方で。それが全部身になってきて、急激に可視化されているのが昨年ぐらいからなんですよね。この時期に西野さんの話を聞きたいというのがあって。

今日の後半でクラウドファンディングのお話も聞かせていただきたいですし、あとは、サロンの話。あと記者の方がぜひ聞いてくださいというのは、この前の渋谷ゴーストバスターズ。

西野:ああ、やったんですよ。渋谷でハロウィンの日にゴミが超出るからっていって、ゴーストバスターズに仮装してやったんです。

田中:その話とか順番に聞いていきたいんですけど。今日はデジハリのみんなに聞いてもらいたいなと思って仕掛けたイベントなんですけど。作るんですよ、みんな。

西野:そうですよね。

田中:法政でやったときは、作り手になれない学生もけっこういるんだけど、デジハリは作り手になれる人たちばっかりが集まってるんで。

2人ともモノを作るじゃないですか。手で作品であったり、あるいはお笑いであったり。そういうことを聞いていきたいなと思うんですけど。(西野さんは)なんで絵を描いているんですか? 

今日はちょっと「アーティスト論」と「クリエイター論」という軸を立てて。芸能活動の芸人としての西野さんにも迫りたいんですけど、第一部として聞いてみたいのは、絵を描かれてると思うんですけれども。

西野:僕ですね。あの話ですね。

田中:そう。あれはどういった狙いとか思いとか。

20歳で上京、『はねトび』で全国の嫌われものに

西野:僕は小学校の2年のときに、将来はお笑い芸人さんになりたいなと思って、そのままズルズル今まで来てるんですけれど。

19歳で始めたんですよ。だから高校卒業してこの世界に入って。なんか「スターになりたいぞ」と思ってデビューして、大阪でうまいこといったんですよ。本当。

漫才の賞も、ワーって取っちゃって。全部1年目で取っちゃうんですよ。「すごいな、この才能」とか思って。それですぐ東京に来て、20歳のとき……たぶんみなさんぐらいですか?

田中:うん。

西野:『はねるのトびら』という番組がスタートして。これはどういう番組かといったら、フジテレビが8年に1回スターを出すという。

ダウンタウンさんが『夢で逢えたら』という番組をやられてて。それがゴールデンになって『ごっつええ感じ』になって。その8年後に『とぶくすり』という番組があって。これがゴールデンに上がって『めちゃイケ』になってという。

8年ごとにそういう番組をフジテレビがやっていて、その次の8年目だということで、全国からオーディションに来たんですよ、日本中のお笑い芸人が全員。おぎやはぎさんとか、アンタッチャブルさんとか、みんなです。

(それで)やって、選ばれたんですよ。「お前真ん中な」とか言われて。超ラッキーじゃないですか? 何千組とか何万組とかオーディションして。5組選ばれて、自分が真ん中だって言われて、「めっちゃいいな」と思って。

これをゴールデンに上げたら、自分はダウンタウンさんとか、ナインティナインさんとか、そういう時代を作っちゃう人、もうスターになっちゃうと思って。それでスタートしたんですよ。

スタートするときにフジテレビの局長さんだとか、今めっちゃイケてる片岡飛鳥という人だとか、なんか偉い人に呼ばれて。「お前、『はねる』の真ん中するんやったら、本当に国民からは嫌われるけれど」と。要は振り役になるから、「お笑い芸人なのに、なんでお笑いしないんだ?」みたいな。

例えば、お葬式のときに、芸人だったら本当は屁こきたいんですけど、屁こいて怒られたいですけど。でも、「みんな静かにしようぜ」とか「まじめにやろうぜ」と言って場をしめて。

秋山竜次とか、ドランク塚地さんとか鈴木(拓)さんとかが屁をこいたら「バカヤロー」ってツッこむ役です。芸人のくせにおもしろいことをしちゃダメという約束の元、『はねるのトびら』ってスタートしたんですよ。

田中:役割みたいな?

27時間TVで抗議のFAXが殺到

西野:要は役割があって、お前が売れることじゃなくて、番組が売れることが大事だから、11人いたんですけど、「お前はほかの芸人のために死ね」って言われて。

「死ね」とは言われてないですけど、「国民から本当に嫌われるぞ」「お笑いファンからとくに嫌われるぞ」って言われて。

本当にそうなのかなと思いながら。でも、『はねるのトびら』の真ん中をやれるんだったら超いいじゃんと思って。「やれますよ」って言って、手を挙げちゃったんですよ。

それで始まってみたら、確かにおっしゃるとおりで。僕は「真面目にしようぜ」って言うんですよ。それは崩してほしいから。みんなにボケてほしいから。

1回、27時間テレビで『はねるのトびら』の時間が8時~9時まで生放送を受け持って、そこに明石家さんまさんがゲストで来られて。

実は生放送だけど台本はあるんですよ。要は、僕が真面目にやろうとしてるけれども、さんまさんが僕の趣旨説明を全部邪魔してしゃべりすぎて、「結局ゲームできなかったやないか!」みたいな。

僕はずっとゲームコーナーを進行しようとするけど、それを邪魔するさんまさんと一般のお笑い芸人さんという構図で、1時間ゲームできないというのが台本のシナリオなんです。

始まってみたら、そのとおりに行ったんです。僕が「真面目にやろうぜー!」とか言ってやるんですけど、さんまさんが趣旨説明してる途中に邪魔してきて、僕がしゃべりづらいように横切ったりして。

「もう邪魔ー!!」「もう1回説明しますよ。ちゃんとゲームやりましょう。真面目にやろう」とか言って、それを全員で茶化してみたいなことをやって。

それで本当に1時間終わって、ドッカーンとウケたんですよ。「さすが、さんまさんやな」と思ったし、「さんまさん、しゃべり過ぎやー!!」って台本通りに言ったんですけど、ドッカーンとウケて終わった。

「やったな」って言って、芸人30人ぐらいでスタジオ出たら、フジテレビに抗議のFAXが何万件も来ていて。見たら、「キングコング西野はなんでそんなにゲームがしたいんだ?」っていう……。

俺は別にゲームなんかしたかないんですよ。俺は、この(台本通りの)ゲームをしたい俺を邪魔して終わらせたかったんですけど。「けっこうテレビって額面通りに伝わっちゃうんだな」とか思って。

思い描いていたスターにはなれなかった

それでも「ゴールデンに上がったらいいや」って思ってけっこう我慢して。5年間ぐらいやったから、25歳のときに番組がゴールデンに上がって。毎週(視聴率を)20パーセント取ったんですよ。要は、日本で一番視聴率を取ってたんですよ。

何千万人も見てるわけじゃないですか? スターになれると思ったの、その瞬間に。そのときは冠番組も朝から全部やってて。

みんなが思い描いてるところとか、僕が一番こうなりたいなというものになれたんですけれど。なんか思い描いてるところにいったんですけど、「スターにはなってないな」と思って。人気タレントさんにはなったけど。

収入も良くなったし、生活も良くなったし、知名度も増えたけど、スターにはなってない。僕がなにか起こしたら時代が動いちゃうような、すごい影響力みたいなもの、カリスマにはなってないなと思って。「やべー」と思ったんですよ。「ここでならんかったら、いつなるの?」と。

田中:波が来てますからね。

西野:はい。完全に瞬間風速が吹いてて。要は、打席に立たせてもらってるわけね。ゴールデンで。売れてなかったらまだ言い訳できるんです。売れてるし、打席に立たせてもらってるし、追い風吹いてるし、4番手打たせてもらってるし。

このタイミングでホームランを打てないってことは、「俺、打てないじゃん」と思って。これは「やべー」と思って、その時に1回ガクーって落ちちゃって。

突き抜けるために、テレビを辞めた

そのときに30代、40代、50代の自分の姿がなんとなく見えて。たぶん50代でも芸能界にはいるんやろうけど、なんか右肩下がりで、なんとなくいるやつになっちゃうなと思って。「この確認作業を生きるのやだなー」と思った。

25歳のときに、マネージャーとか社長とか梶原……梶原雄太って、生活保護の不正受給でおなじみの。みなさんの税金でマンションを建てたという。とんでもないですよ。それ記事にしてくださいね。あいつの好感度が下がれば、僕が上がりますから。

あいつを呼んで、「もうテレビ辞めよう」って言って。まあ、あいつがテレビを辞めるかどうかわからないけど、僕はとりあえず辞めるって言って。要は、ゲストで出てる番組を全部辞めるって言って。ひな壇とかグルメ番組とかクイズ番組とか全部辞めようって言った。

全部辞めて、空いた時間を使ってなにか別のことをしまくらないと、「このまま行っても、もう俺はビートたけしに勝てないな」と思ったの。俺は勝ちたいんですよ。

田中:もう勝つ気満々ですね。

西野:勝つ気満々ですよ。俺はウォルト・ディズニーにも勝ちたいんですよ。あいつ、超ヤバいんです。めっちゃおもしろいんですよ。ウォルト・ディズニーに勝ちたいなと思ったときに、このままじゃ無理だと思って。

よくやるんですけど、自分が何者でもないときって、すっげー変化がないと、バッて突き抜けないじゃないですか。

けっこう自分が全体的に60点、70点ぐらいの人間だなと思ったから。そういうときによくやるんですけど、本当に一番便利なものを切っちゃうんですよね。

今、腕って超便利じゃないですか。腕は便利だけど、この腕の能力が60点ぐらいだったら、こんなん60点だったら、プロの世界に入ったら0点ですから。需要もないですから、切っちゃって。腕を切っちゃうんですよ。

腕って最初はむっちゃ便利じゃないですか。お茶とか水とか持てるし。でもこれを切っちゃったら、たぶん3年後ぐらいに足でこれを持てるようになるかなと思ったんですよ。変なところが伸びて。

そうなると思って、なんかヤバいときは一番便利なものを切るようにしてるんですけど。そのとき一番便利だったのがテレビだったから、テレビを切っちゃって。