松下幸之助の研究所でのプロジェクト

辻篤子氏(以下、辻):先生、研究のお話にだいぶ入ってきてしまったんですけれども。研究者としての歩みと、先ほどのお話にちょっと戻させていただくと。

最初、私、お二人に共通点があると申し上げたその1つは、お二人とも大学の研究室でまっすぐ過ごされたという方ではないんです。

赤﨑先生は企業におられたし、山中先生は臨床医の経験がおありだし、という経験がやはり研究にすごく大きな意味を持ったと思うんですが。それをちょっとひと言ずつ言っていただいて、次に研究のお話に進みたいと思います。

山中伸弥氏(以下、山中):今の松下の研究所に行かれたのは64年ですか。ちょうど私が生まれたのが62年ですので、随分大先輩だなというようなのが良くわかるんですが。でも、その頃って松下だとおそらくまだ松下幸之助さんが。

赤﨑勇氏(以下、赤﨑):ええ、幸之助さんがつくられた研究所です。じかに呼ばれたわけです。

山中:じゃあ、松下幸之助さんとお会いしたこととか、こういう研究も、支援というか、「やりなはれ」という感じだったんですか。

赤﨑:そうです。私は特別なプロジェクトをいただいてました。赤色、緑色とやってるうちに、ふっと気が付いたら次は青だと。青がないっていうことに気が付いたんです。

それで、そのとき青がないというからいろいろ調べたんですけど、やってる人はいたんです。ですけど、確かにもう、さっき言ったP型はできないっていう論文まであって、実際やってみてもなかなかできないもんですから、ほとんどやめちゃった。

私はそのときに、自分が何か将来やりたいと思ってるということは、これだと思ったんです。みんな「そんなものは、とてもじゃない」と言ってたんですけど。

山中:企業だと、リスクの高い研究はあまりお金が出てこないというか。

赤﨑:出てこないです。

山中:当時、松下は?

赤﨑:ここでもそうです。ほかの赤とか緑は、私は世界で一番良く光るのを作ってましたので、幸之助さんのプロジェクトに直接入っていて、そちらのほうで面倒見ていただいてたんですが、青に関してだけは導入されてなかったんです。

それでとうとうしびれを切らせて、会社に内緒で通産省のプロジェクトに自分で応募したんです。

当時他の人がやっていなかった手法に着目した

山中:今、辻さんからもありましたが、その企業の研究所におられたということが先生の研究スタイルなどに、すごい影響を与えたんですね。

赤﨑:もう1つ、一番大きかったのは、もう当時松下は大企業になってましたので全国部長会議っていうのがときどきありまして、基礎研究をやってる人から最先端の営業の人まで、この会場くらいの人数ですかね、ホテルに集まってふた月に1回ぐらい研修があったんです。

我々研究職は10人ぐらいしかいませんので、たまに当てられるぐらいでしたけど。

その営業の方と生産技術の人がやりとりしてるのを聞いてると、「コンシューマープロダクトというのはどんな使われ方をするかわからないので、とにかく安全で絶対に大丈夫だというものじゃないと駄目だ」と、よく言ってたんです。

その研究職の人がどういうことを感じたか、それは一切話したことはないんですけど、私自身はそれが非常に心に残ってまして。

実は青色をやるときに、もっとやりやすい、非常によく光る他の材料はいろいろあったんです。世界中の青色を目指す研究者は、もう98パーセントぐらい全部そちらに長いこと人的な資源を導入してたんです。

ですけど私は、作りやすいものは壊れやすい、と。窒化ガリウムというのは、後でちょっと出てくると思うんですが、非常にタフな材料で厄介でもあります。

でも先ほどの名大時代にゲルマニウム単結晶をやっていたときの経験から、なんとかして結晶を良くすれば、丈夫で安定した素子ができるだろうということで、セレン化亜鉛には一切見向きもしなかったです。これは当時の青色をやってる人たちとしは珍しかったんじゃないでしょうか。

まず手を動かすことが大切

山中:私は企業の研究所で、今共同研究はしておりますが、企業の研究所が主体で働いたっていうことはないんです。やはり最初、臨床医を短い間、特に外科医でしたので、そのときに叩き込まれたことは、考えてばかりいないで、ともかく手を動かしなさいということ。

赤﨑:そうですね。

山中:それはいまだに染みついてます。やっぱり僕も医学部で勉強をよくして、教科書を覚えるという作業で国家試験を通って医者になりましたから、どうしてもまず考えたくなるんですが。「そんなん考えてたら患者さん死んでしまうやろ」と。「血圧がどんどん下がってるんだから、何か行動しろ」というのを、ものすごく叩き込まれて。

残念ながら外科医としては全然駄目だったんですが、研究者になってから、それは本当に役に立ってます。論文を読むのも大切なんですけれども、まずやってみよう、試しに実験してみよう。それでヒントが出てくるから。

赤﨑:それは同じですね。私、実はその松下東京研究所で研究室長になったときに、たくさんの部下がいて、いろんな個性がありますから、じっくり考え込んでる人もいるんですけど。

「とにかく半導体屋は、まず手を動かして」ということをよく言ってました。「まず結晶を作ってみろ」と。もちろんできないかもしれないけど、とにかくやってみろということ。それは2回目に名大に帰ってきてからも同じでした。

型破りな研究をするためには、基本が大事

:今のお話を伺っていると、お二人の研究は、大学の研究室だけにいたら出てこないものですね。

赤﨑:私の場合は少なくともそうです。

山中:特に今、高校生の方たくさんおられますが、やはり高校のときってどうしても覚えて、それをそのまま答えると正解、100点、大学に行ける。僕たちもそういうトレーニングをしてきました。だから先生の言ってることは正しい。教科書に書いてあることは正しい。

でも研究を始めると、もちろんちゃんと勉強はしないと駄目なんですが。基本的に、「もしかしたら教科書に書いてあることが間違ってるんじゃないか」「そして、先生の言ってることも、もしかしたら間違ってるんじゃないか」という気持ちを持たないと、新しいことがわからないんです。

赤﨑:同じですね。

山中:だから、勉強は絶対しないと駄目なんですが、2、3年前に坂東玉三郎さんが京都賞を取られて、京都で授賞式に出たときにお話されたのを聞いたんです。

そうするとやっぱり、彼は「型破りなことをやりたい」とおっしゃっていって。僕たちもやっぱり、型破りな研究をしたいんですけれども。

でも、彼がそこで言われていて、僕も本当そうだと思ったのは、「型破りになるためには、まず型をしっかり学びなさい。型をしっかり学んだ上で、それを破る努力をしなさい」と。

おもしろかったのは、「型をしっかり身に付けなかったら、それは型破りじゃなくて、かたなしや」と。でも、本当にそう。

私たち研究者も、やっぱり教科書も読み、論文も読むんですが、そういう知識がないと無駄になるかもしれないですよね、ほかの人がすでにやってることを繰り返しても仕方ないですから。でもやっぱり、その上で疑ってかかるというか。

だから、今日赤﨑先生が言ってることは全部正しいと思いますが、僕が言ってることなんて半分ぐらい間違ってると思って。学生にはいつもそう言ってるんです。

赤﨑:今おっしゃってることを聞いてると、碁を少しやったことがあるんですが、碁もやっぱり同じような感じがします。

山中:そうですね。ちゃんと定石を学んで。

赤﨑:一通り勉強してからね。

途方もない研究を発想できた理由は何か

:わかりました。では、いよいよ本当に研究のお話に移っていきたいと思います。

事前に皆さまから、お二人の先生方へのご質問を伺ったんですけれども, その中で、やはりどうやってこの研究テーマに巡り会われたのかという質問が大変多くありました。そこで、このテーマにどう巡り会われたのかということを伺っていきたいと思います。

赤﨑先生からも、ぜひ伺いたいとおっしゃっておられましたが。

赤﨑:山中先生に前からお伺いしようと思っていたことが1つございます。

私の仕事は窒化ガリウムで青色をやろうとして。品質は非常に良くなく、PN接合でもありませんけども、違うタイプのやつを作った人はいるんです。だから窒化ガリウムで青色をやること自体は、初めてのことではないんです。

山中先生の場合、今までの生命科学の常識では、一遍出来上がった臓器が初期化されるということはないと言われてたように、私は伺っているんです。

それをあえてご提案されたという、私の場合とはちょっと違った、途方もないと言うのはちょっと失礼な言い方なんですが、それを発想されたのはなぜでしょうか。

山中:ちょうど2000年ぐらい、私が37歳のときですけれども、初めて自分の研究室を持つことができたんです。それまでは誰かの下で働いていたんですが、37のときに奈良にある大学で、准教授でしたけれども独立することができて。

そのときに自分の研究室のテーマを決めようと、すごくいろいろ考えました。