登壇者紹介

小林:このセッションも引き続き、私小林が男なんですけども担当させていただきます。よろしくお願い致します。IVSに過去参加された方はわかると思うんですけども、登壇者の男女比率がほぼ男性、みたいな構成でして。がさすがにワークショップぐらいは、女性の方も幅広く色んな分野で活躍していらっしゃるので、セッションを作ってみようかなということで。

実は女性っていうタイトルが付いているのって、IVS史上10年やってるんですけど、初めてのセッションになっていまして。これだけSFCの卒業生でご活躍されている人がいるんだということで、非常に誇らしいことじゃないかなと思っています。

早速進めていきたいと思います。女性の働き方というか、女性に限らず男性にとっても当てはまることが多いと思いますので、ぜひ男性の方も寝ずに聞いていただければと思います。

では早速、簡単にスピーカーのご紹介をしたいと思います。未だに会社名が発音できないんですけども、Lalitpur(ラリトピュール)の向田さんです。よろしくお願いします。

次に、リクルートライフスタイルの加藤史子さんです。豆知識としては、そちらに座っているコロプラ千葉さんの奥様ということで、学生の時に出会い、キャンバスでデートして結婚に至るという。後でのろけ話がどちらかの話で出る可能性があるということで。僕も夫婦、奥様含めて仲良くさせていただいていまして、せっかくなので夫婦揃って登壇していただくことになりました。

最後にヒューマン・ライツ・ウォッチ、東京オフィスで活躍されています趙さんです。よろしくお願いします。

19歳・雪山ブームの仕掛け人

小林:では加藤さんからいきましょうか。

加藤:すいません、私パワーポイントを用意してなくてですね。自己紹介としては、色んな業界を活性化する新規事業の企画とか地域活性とか観光による地域活性とかを担当しています。

※加藤史子氏の最近の活動についてはこちらの記事を参照リクルート、「19歳・雪山ブーム」の仕掛人 - 東洋経済オンライン

小林:加藤さんが手がけているビアマジ!21とか雪マジ!19とか Jマジ!20 の恩恵を受けている人や知ってる人ってどれくらいいます?

加藤:結構すごい認知。これおじ様に聞くと誰も手挙げないんですよ。なので、ある意味プロモーション戦略は成功しているかもしれないです。

日本国籍がなく、外交官にはなれなかった

小林:じゃあ、続きまして趙さんに説明を。

:加藤さんの後で、ものすごく話しづらいんですけど、淡々と喋ります。国債人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチというところで、アソシエイトディレクターをしております趙正美と申します。

すごい簡単に、なんでそのヒューマン・ライツ・ウォッチという人権NGOで働いているのかということを、私の生い立ちからすごく簡単に振り返らせていただきたいと思います。

私、まず最初になりたかった職業は外交官だったんですね。ただ名前からもおわかりかと思うんですけど、私在日韓国人の2世でして、日本国籍がないと外務省に勤められないということを発見したのが中学生の頃で、すごいショックであったと。

じゃあ、外交官になれないんだとしたら国際的に活躍できる職業って何かなと思って、何となく国連職員かなという風に思っていました。その後に15歳の時に人生で大変な危機が訪れるんですけども、アメリカに留学しようとしたんですね、交換留学で。そしたら私、韓国籍なんですけど、韓国政府が「お前にはパスポートを出せない」と言ったわけです。

なんでそんなことが起きたかというと、韓国っていうのは、皆さんお若いので多分知らないと思うんですけど、昔、軍事独裁政権だったんですね。朴正煕っていう人が大統領で、いわゆる軍部のトップでクーデターによって大統領になったよ、みたいな。今の韓国の大統領の朴槿惠さんのお父さんです、この人はね。とても恐ろしい軍事独裁政権を当時やっていたわけです。

それに反対して韓国を民主化したほうがいいと主張していたのが、この金大中さんという人であり、この人は後に韓国で大統領になった人なんですけども、軍事独裁政権の時は「お前は死刑だ」とか言って、罪もないんですけど死刑みたいな感じにされたりして、それでも生き返って大統領になったすごい人なんですが。という歴史が韓国にはありました。

で、たまたまなんですけど私の両親が金大中さんをサポートする人権活動家みたいなことを仕事の傍らやっておりまして、「韓国は民主化するべきだよ」とか言って軍事独裁政権に楯突いたおかげで、私は韓国政府から「お前はもうパスポートをやらない、海外には出さない」と急に言われ、とばっちりを食った。というのが15歳のときの出来事でした。

15歳の時に「自分は難民なのか問題」に直面した

:ただ私はアメリカにどうしても行きたかったので、パスポートなくても留学してやるということで、パスポートなしで留学したんですね。どうしてそんなことができるのかしら? と、皆さんハテナと思うと思うんですけど、この緑のやつが韓国のパスポートで今私はこれをもらって普通に海外に行くことができるのですが。

パスポートもらえなかった時にアメリカに行こうとした時にどうやって行くかというと、まずアメリカからビザをもらう。アメリカは意外とフェアな国で、こうこうこういう理由で韓国からパスポートがもらえないんですけど留学していいですか? みたいなドキュメントを出したら、「いいよ、日本に帰るならね」ということでビザをくれたと。

ただ1回日本を出るともう1回日本に戻ってこないといけないじゃないですか。私日本に戻ってこれないと、韓国に強制送還されて軍事独裁政権にとっ捕まって多分牢獄とかに入れられちゃうみたいな非常に微妙な立場だったので、日本の国にもう1回入れてくれるっていうドキュメントをもらわないと、怖くてとてもアメリカに行けなかったんですね。

それが再入国許可証っていうんですけど、日本の法務省がお前はうちの国民じゃないんだけど1回日本から出てもう1回日本に帰ってきてもいいよってことを約束してくれるドキュメントでありました。

これをですね、法務省から受け取って。ペラってめくった時に開いたところに「日本は難民条約を批准しているので、お前はもう1回日本に戻ってきてもいいけど、お前が外国に居る間身分を証明するものでは一切ないよ」って書いてあったんですね。

「難民条約ですか」みたいな。私東京都出身で、一軒家で育って、私立の御嬢さん学校に通ってて、まさか日本政府から難民と呼ばれるとは思わなかったなって、ものすごい衝撃的な、15歳の時に難民なのか問題を突破したわけですね。思春期で感化されやすいので、和と難民のために働かざるを得ないであろうと思って、そもそも国連職員になりたいななんて思っていたので。

国連高等難民弁務官事務所という当時緒方貞子さん、皆さんもしかしたらお名前ぐらい聞いたことあるかもしれないんですけど。(彼女)が、日本人ですごく珍しく国連機関のトップを務めていたところであり、とにかく私はここで働くんだと心に決めたわけです。

SFCを選んだのも、国連職員になる時にすごい便利というか有利になるという視点はかなり大きくて、理想的にはそのままアメリカの大学院に行って国連職員になるつもりだったんですけど、大学4年になる前の春休みに親から「大学院にやる金はないぞ」と。

電通を辞めて転職したきっかけ

:もうちょっと早く言えよ、みたいな感じもあるんですけど、仕方が無く、一旦就職してちょっとして辞めて大学院に行きます。みたいな感じで急に就職することになりましたと。すごく必死に就活した結果ですね、とにかく3年で辞めるつもりだったんで、1番給料が高い会社に入りたかったんですね。何がやりたいとか全然なくってどれでも良くて、受かった中で1番給料が高かったから電通っていう会社に入ったんです。

その電通って会社に入りましてマーケティング局ってところに配属されて、14年半電通で戦略プランナーっていうお仕事をさせていただきました。1個前のセッションの川村さんという方ともお仕事させて頂いたこともありました、電通時代。

で、14年経って辞めて、今のヒューマン・ライツ・ウォッチに転職するわけなんですけど、この転機がどうやって訪れたかというとですね。ヒューマン・ライツ・ウォッチの日本事務所の代表をしている、この土井香苗っていう右にいる女子なんですけども、もしかしたら皆さんもテレビとかで見たことあるかもしれないですが、彼女と私は、実は高校の時の塾が一緒っていう腐れ縁的なお友達でありまして、彼女はもともと日本で弁護士をやってたんですけど。

ニューヨークに留学をして帰ってきた時に、ある日突然「私はもう弁護士を辞めてヒューマン・ライツ・ウォッチっていうNGOを日本に立ち上げる」とか言って本当にベンチャーの人みたいに急に叫びまして。「大丈夫なのかな、弁護士辞めて」とかも色々思ったんですけど、私はまだそのとき電通に勤めていて。

色々話を聞いていたら、ファンドレイジング(資金調達活動)、今で言う資金を集めるためにパーティーとかをやらなきゃいけないと。ただ彼女は、人生の大半を難民とかを弁護する弁護士やってきたんで、「パーティーって記者会見と一緒でしょ?」とか発言をして、私の度肝を抜いたんですけど、パーティーは記者会見と一緒じゃないよね、みたいなことだったので、「私、仕事柄パーティーとかそういうの得意なんで手伝います」みたいな話になりまして。

電通に勤めたまま彼女の活動を手伝うことになって4年くらいプロボノで、ずっとこのヒューマン・ライツ・ウォッチの活動を手伝っていたんですけども。1年半前に土井から急に電話がかかってきて「YOUもうやめちゃいなよ」みたいな感じで、「あ、そうすか」みたいな。私もヒューマン・ライツ・ウォッチをフルタイムでやるのもいいなと思っていたので、電通を辞めてしまってこっちに転職したという流れです。

どの国の政府からも資金援助を受けないNGO

:最後にヒューマン・ライツ・ウォッチって何なんですかっていうことだけ説明したいんですけども、世界で最大規模の人権NGOのひとつで、1997年に反地雷キャンペーンっていうのをたくさんのNGOと一緒にリードしたことで、ノーベル平和賞をいただいています。今ではグルーバルで400人くらいのスタッフがいて、東京には5人います。90か国の人権問題を調査しています。

年に150冊の報告書っていうのを出していて、英語なんですけども、大体100~150ページくらいある人権侵害についての調査報告書を、3日に1回のペースで発行しています。ヒューマン・ライツ・ウォッチの手法というか、ちょっと変わったNGOで、いわゆるシンクタンク型のNGOなんですね。

現場に毛布とか食べ物配るよっていう形ではなくて、人権侵害の起こっている地域に私達の同僚、調査員の人を派遣して、その人達が現場で何が起きているか調べる。それを、フェースを通して世界に発表する。日本だとあんまりニュースに取り上げてもらえないんですけど、CNNとかBBCとかアルジャジーラとかを見てると1日に3回くらいはヒューマン・ライツ・ウォッチ調べによると、みたいなとこで、シリアではこんなことが起きていますとか、アドメンションされる人権問題に関しては世界随所の情報、機関と国連からの認定もされているような団体です。

ただ知らせるだけだと世界がよくならないんで、あと主要な首都、日本で言うと東京なんですけど。政府に向かってですね、人権問題を良くするためにこうして下さいっていうモギー活動、アドボカシーとか政策定義って呼んでるんですけども、それをやっていて。

例えば、さっきも土井が安倍首相のところに行って「北朝鮮の問題とても今深刻だから、国連でリードしてちょうだいな」みたいなことをお願いして聞いてもらえる時もあれば、聞いてもらえない時もある。

こんな活動をしています。人権問題ってすごく広いんですけれども、日本にいると、そんな人権問題ってどんな問題があるのかなみたいな、ピンとこないくらい、日本ってとっても幸せな国なんですが、ここにあるように難民とか子供とか色々な、人権問題の総合商社と呼ばれるくらい多岐に亘る分野を取り扱っています。

私の仕事は安倍首相のところに行ってこうしろ、とかいう仕事ではなくて、そういう風にしたり、シリアにうちの調査員を送り込んで、爆撃が起きている中で聴き取り調査とかやってるわけなんですけど、それを実現するためにはお金が必要なわけですね。色々政府に対して、悪い事をしている政府のこととかを告発したりする仕事をしているんで、世界中のどこの国の政府からもお金はもらわないって決めているんですね。

日本のNGOは活動資金の中で政府からの助成金をもらわずにやっているところってほとんどなくて、結構大きな頼るべき収入源なんですけど、私達はそれを断っているんで、自分達で100%稼いでこないことには活動が前に回らない。ということなので、私のやっている仕事はファンドレーザーというお仕事で、いわゆる私達の団体の活動が前に進むための資金を調達すると。

どうやって資金を調達しているのかというと、日本だとちょうど先週なんですけども、1年に1回ものすごく大きなチャリティ・ガラディナーみたいなのを今全世界の21都市で開いておりまして、そこでの売り上げを、シリアに人を送り込んだり、うちの土井が安倍さんのところに行ったりするというような活動資金にしています。

化粧を通じて、アジアの女性のメンタルケアを

小林:はい、ありがとうございます。では、向田さんお願いします。僕もヒューマン・ライツ・ウォッチのチャリティ・ディナーには実は何回か参加させて頂いています。

向田:よろしくお願いします。私はLalitpur(ラリトピュール)という会社をしております、向田と申します。2009年卒業なので、5年前まではキャンパスに通っていた学生でした。まず始めに私がどんな仕事をやっているかということをイメージしてもらいたくて、ちょっとこの女の子の声を聴いて下さい。

(女の子の声が流れる)

向田:今なんて言ってたかわかる方っていらっしゃいます? まずですね、今の言葉はネパール語です。「私はすごく綺麗になった。あなたは何度もきてくれる?」っていう風に言ってくれてるんですね。

彼女はどういうバックグランドを持った女の子で、何をして嬉しくなったかと言うと、今12歳の女の子で人身売買の被害に遭って、ネパールの村からインドの売春宿に売られた女の子です。

その子は4年くらい売春宿で監禁された状態で働いていました。そこから国際NGOや警察などに保護されてネパールに戻ってきて、シェルターという家で暮らしているんですね。

彼女達に私達はLalitpurという化粧品の会社の他に、Coffret ProjectというNPOの活動をやってまして、彼女達に化粧のワークショップを提供して、そこでメンタルケア、あとは自尊心を育むという、そういったプログラムを提供しています。そこでワークショップに参加してくれた女の子が、先ほどのようにコメントしてくれたというものです。

この中でネパールに行ったことがある方っていらっしゃいますか? 1人もいない? 2人? あ、3人。嬉しいですね。ネパールという国は、インドと中国に挟まれた小さな国です。海のない内陸の国なんですけども、人口約3千万人暮らしています。そこの首都のカトマンズには大体300万人暮らしているんですね。毎年5千~2万人がネパールの農村地域からインドに売られるという風に言われています。

これだけ聞くと、ネパールってすごく恐ろしい国なんじゃないかって感じる方もいらっしゃるかもしれないんですが、見ていただきたいのが女性達のすごく元気な笑顔ですね。私達は2009年私が大学を卒業した年から、ネパールを始めアジア4か国で化粧のワークショップを実施してきました。

2009年からCoffret Projectという、化粧を通じた女性のメンタルケアのプログラムをやってきたんですが、特に2010年からは人身売買の被害者向けにやってきて、そこで女性達が仕事がすごく無く、見つけることが難しいという現実を知りまして、そこで私達Lalitpurという化粧品のブランドを起ち上げるに至ったんです。

ネパールに関わるようになった理由

向田:なんで私がネパールに関わるようになったかっていうことを必ずいつも聞かれるので、そのお話をちょっとだけしたいんですが、私が15歳の時ですね、高校1年生の時に私の通っていた高校に講演会で高津良平さんという方が来て下さいました。彼はネパールのNGOで働いてる職員さんだったんですね。

今のこのような会場で私がリスナーとして座っていて、高津さんが講演を始めた時に、こんなパフォーマンスをしてくれました。突然壇上に上がって、テーブルを叩き始めたんです。(テーブルを叩く)「3秒に1回鳴らしています」と。「この音は一体何の音だと思いますか? 5歳に満たない子供が、この世界では3秒に1人、食べるものがなくて亡くなっているんです」と。

「僕がこの講演を終える頃に、一体何人死んでいるんだろうね」と言ったんですね。私も15歳だったのですごくショックを受けて、その講演会が終わった後に高須さんに話しかけて、「ネパールにすごく関心があるんです。行ってもいいですか?」。

その後2年間アルバイト等色々して、お金を貯めて、学校を説得し、親を説得し、なんとかネパールを17歳の時に初めて訪ねることができました。そこから現地でヒアリング調査等をして、女性達がお化粧だったりお洒落だったり、そういったことにすごく関心が高いということを知り、そこから小さく化粧を実施するワークショップを始めたというような流れです。

これが去年の夏の写真なんですが、外でやったり、年間大体40回くらいワークショップを実施して、私は年の半分くらい、この時はネパールに住んでました。

世界一貧しい国に「夢みたいな瞬間」を作る

話が前後しちゃいましたが、失業率が40%を超えるネパールという国で、シェルターで暮らしている女の子達が仕事を見つけるのがすごく難しい、ということに気が付きました。職業訓練なども実施していたんですが、なかなかネパールって親類とのコネクションだったり親のコネクションだったりとか、すごく仕事を見つけるのに大事な国なんですね。

そこで親に売られた一人で生きている女の子達が、学校にも行ったことがなくて読み書きができない女の子達が、仕事を見つけるっていうことがすごく難しいということに気が付きました。

そこで、こういったヒマラヤのハーブを使った基礎化粧品を作り始めました。ここには今32名の女性達が働いて、このプロダクトの製造に関わってくれています。労働に応じて、私達もお支払をするということをしています。

ネパールって本当に資源の少ない国なんですけれども、ヒマラヤという山は世界的にもすごく特別な山で、そこに生息するハーブというのが、通常平地で栽培されているハーブよりも非常に厳しい環境で育ったということもあって、効能が高いと言われています。

こういったヒマラヤのワールドハーブを使用して、商品の中身を作ってるのは、7人の学校に行く機会が無かった女性達に教育をして実施しています。8歳から26歳の若い女の子達は、まだ手も小さく、これで小さいということがわかると思うんですが、こういう小さい子達25人が今、私達の商品の外側に結び付けているパッケージの飾り結びを作ってくれています。

日本の大手化粧品メーカーの科学者の方にも監修をいただきまして、非常に物としては、私達が自信を持って提供できるような物ができたと思っています。昨年ブランドをローンチしたんですけども、いくつかのメディアにも掲載していただき、反響をいただいております。私はネパールって「世界一貧しい」と言われている国のひとつなんですが、そういった国に夢みたいな瞬間を作るっていうことを目標にやっています。

今年の6月より、定期便という、定期的にお届けするというサービスやメンズのラインを起ち上げまして、つい2日前にローンチしたんですが、モーションギャラリーというクラウドファンディングサイトで購入して下さる方を募集しておりますので、もし興味を持っていただけましたら、「モーションギャラリー Lalitpur」で検索していただけますと2番目に出てきますので、よろしければ見て下さい。あとはWebサイトでも販売しておりますので、よろしければご覧下さい。以上です。