スコッティ、ごめんね

デニス・ロッドマン氏:(会場内にかつて試合中に殴って怪我をさせたスコッティ・ピッペンを見つけて、檀上から)スコッティ、ごめんね。

(会場笑)

このような機会をいただいて、すべての人に感謝したいと思います。カレッジ時代のコーチ、ロン・リースマンから、先週、オクラホマにいる彼の長男が心臓発作で亡くなるという不幸があって、ここに来られなくて申し訳ないと連絡がありました。

フランクは本当によき友人です。ありがとう。とてもよく面倒を見てくれたペギー・キング。ありがとう、ペギー。スティーブ・サイモン、毎日、自分がここにあるのは、あなたのおかげです。ありがとう。

ニッキー・C・ブライアン、ペニー・マーシャル。ペニーは今日ここに来てくれています。ありがとう、ペニー。彼女は、ドキュメンタリーを作ってくれました。

私のブルズ時代(涙)。私はお金のためにプレーしていたのではありませんでした。有名になるためでもありません。みなさんが目の当たりにしているのは、イリュージョンです。私はただ、カラフルな自分自身でいたかっただけなのです。

NBAコミッショナーのデイヴィッド・スタンとNBAコミュニティには、この建物に私を入れてくださっただけでも、感謝しています。

(会場笑)

その節は、すみませんでした。

シカゴ・ブルズのメンバーへの感謝

でも、本当によい選手生活でした。よいゲームに恵まれました。私は世界のどこにいてもおかしくありませんでした。死んでいたかもしれないし、ドラッグ・ディーラーやホームレスになっていたかもしれません。実際、私はホームレスでした。私にとってそれは困難な道のりでした。

ここで私にとって特に影響の大きかった4人をご紹介したいと思います。彼らは、父親のいない私にとって、父のような存在でもあります。

私の父は、私がまだ5歳のときに私たちのもとを去りました。彼は私がシカゴの時代に本を書いて、お金を儲けたけれど、一度も会いには来てくれませんでした。でもそこで人生を投げ出さずにいられたのは、みんながいたからです。

4人について少しだけ紹介したいと思います。フィル・ジャクソン氏、ジェリー・バス氏、ジェームス・リッチ氏、チャック・デイリー氏、この4人でした。よきメンターであり、ときに泣きたいときにはいつでもその肩を貸してくれる父親のような存在と言ってもいいかもしれません。心の中でいつも、励ましてくれます。

彼らはいつも私を正しく導いてくれて、私が四六時中、どんなことをしても見捨てることはありませんでした。プレッシャーで感情的になっていても、見守ってくれました。

それからもちろん、スコッティ・ピッペンとマイケル・ジョーダン。神に誓って、彼ら2人は私が共にプレーした選手のうち、間違いなくトップ2の選手です。

そして、ここにいるフィル・ジャクソンです。ご存じのとおり。ジェリー・ロスの家で、ブルズでプレーしてほしいけど、その前にひとつやるべきことがある。キッチンに行って、スコッティ・ピッペンに謝れと言われました。

(会場笑)

それで、「OK、わかった。謝ってくる」と言いました。「もうひとつ、聞きたいことがある、シカゴ・ブルズでプレーしたいか?」 と聞かれ、快諾しました。それでフィル・ジャクソンが「シカゴへようこそ」と言ったのです。

母、シェリー・ロッドマンへの感謝の言葉

それから、私の人生においてとても重要な人がいます。私の妻、ミシェルです。正直に言って、私はよき父親ではありませんでした。よき夫でもありませんでした。できなかったのです。でも彼女はすべて受け入れて11年間、3人のいい子供たちを育ててくれました。

DJと右側がトリニティ。それからさらに右にいるのがティアナ。彼女は母親であり、父親も役割も果たしてくれました。彼女は私が望んでいることを完璧にやってくれました。

もし誰かにバスケットプレイヤーのキャリアにおいて、なにか後悔していることがあるかと聞かれたら、ひとつ後悔していることがあります。よき父親になれなかったことです(涙)。

(会場拍手)

最後に、母、シェリー・ロッドマンに感謝を捧げます。

(会場拍手)

まずは、謝りたいと思います。私と母は、一緒にいたことがありませんでした。私はよい子供ではありませんでした。母の面倒も見ていませんでした。

私の母は、仕事を3つ掛け持ちしていました。母は、もう面倒を見きれないと私を家から追い出しました。私は長年、母を憎んでいました。母は、めったに私や私の兄弟姉妹をハグすることはありませんでした。どうやればいいのかがわからなかったのです。でもなんとかしようと努力していました。

私は、多くのNBAプレイヤーが、「両親のおかげで今日がある」と言うのが嫌いでした。私は自分勝手にも、母親が私にやったことを考えると受け入れられなかったのです。でも時間を経て、違った見方ができるようになりました。私はよき息子ではなかったけれど、今はこうして、そのことを笑い合えるのです。先ほど挙げた4人のおかげです。

私は長い間、キャンドルを両端から燃やすように生きてきました。だから、まだここに居られることに驚いています。でもまだ記録を更新したい。よき人間になれるよう子供たちにとってよき父親になれるよう、努力しています。

みなさん、どうもありがとうございました。

(会場拍手)