出発点は「呪いの掲示板」

古川健介氏(以下、古川):よろしくお願いします。nanapiの古川と申しますが、自己紹介させてください。

何をやってるかというと、「nanapi」というHowtoサイトですとか、「アンサー」というコミュニティサイトとか、そういったものをやっております。

起業家人生の始まりはどこかなと思ったんですけど、一番最初は16歳くらいでインターネットにハマってホームページを作ったりしました。初めて作ったのは「呪いのホームページ」。「このサイトを見たら10人に教えないと死ぬ」というサイトをやっていました。

(会場笑)

古川:ここに「呪いの掲示板」というのを作っていたら、各地から誰かを呪いたい人が集まって、呪いたい人の名前を書くっていうコミュニティサイトができあがって。「インターネットってすげえな」と思った記憶が。

小野:(笑)。これは何年くらいの……?

古川:95年とか96年とかですね。

小野:かなり早いですね!

古川:ただ、霊媒師の方から「この掲示板は悪い気が集まっているので閉鎖したほうがい」とメールが来て。霊媒師じゃなくてもわかるんですけど(笑)。で、消しました。

その後の2000年ですかね、19歳の浪人生のときに、「ミルクカフェ」という大学受験サービスをやっていました。大学受験情報があんまりネットにないなと思って作ったんですが、これが1ヶ月に何千万ページビューになって、「これはすごいな」と。

当時の大学受験生はみんな知っていて、受験情報が1日に何千投稿もされると。「1人で作ったこんなちっちゃいサービスでも大きくなるんだな」というのがおもしろくて、この辺からかなり本格的にやりはじめています。

学生時代に何千万円もの賠償金の請求をされた

古川:その後、2ちゃんねる型のレンタル掲示板の『したらば』というサービスの社長をやりました。

何をやっていたかというと、当然サービスの運営などもあるんですが、さきほどのミルクカフェとか『したらば』では、弁護士から「これ消せ」とか内容証明が何百件も来たりとか、警察対応ですごく電話がかかってきたりとか、あと訴えられたりされたので、そういう対応をしていました。そんな感じで、僕は学生時代に何千万円もの賠償金の請求をされていたというのが、すごく心の温まるいい話だなと。

小野:(笑)。具体的にはどんなことで訴えられたんですか?

古川:企業とかで「誹謗中傷を書かれました。削除してください」とか、「管理責任ありますよね」ということで訴えられるという感じですね。

この会社は2004年にライブドア、今のLINEに売却したという流れです。

ティッシュ箱の上にパソコンを置くと姿勢が良くなる!?

古川:その後、自分で会社をつくるのは難しいなということで、1回リクルートに入ろうと思って。普通に新卒で就職しました。

ここで3年間くらい新規事業立ち上げとかをやっていたんですが、その間の2007年にリクルートにいながら副業っぽく今の会社を立ち上げたという感じです。当時は「ロケスタ」、ロケットスタートという名前でやっていました。

当時は「オフィス借りるのダサいな」という思いがあって、「みんな副業でスカイプとかでやり取りすればいいじゃん」ということでやったんですけど、やっぱりすごく難易度が高いんですね。結局、「そういうトリッキーなやり方をしてもしょうがないよね」ということでオフィスを借りました。

最近のベンチャーとかを見てると、ちゃんとしたオフィス借りて机とかあったりするんですけど、当時はそんなにお金がないので、本当に部屋があるだけで机も何もない状態で。座りながらパソコンやるみたいな感じでやってました。

ただ、エンジニアは環境とかをすごく気にするので「この方法じゃだめだ」と。なのでティッシュ箱を買ってきてこんな感じでやったら非常にうまくいきまして。ティッシュの上にパソコンを置くと姿勢が良くなる。こんなことをやって過ごしていました。

2009年6月くらいにリクルートを辞めてフルコミットして、nanapiというサービスをリリースしました。

これが最初の頃の合宿なんですけど、こんなふうに非常にオーラがない感じで、しょんぼりとやってました。

家賃を振り込まなくてもバレない「出世ビル」

古川:で、オフィスも移転して。これは6人くらい入る、代々木の本当にちっちゃいマンションみたいなのを借りました。ここはpixivとかいろんな有名なベンチャーが出ている「出世ビル」と呼ばれる所で、何がいいかというと家賃を振り込まなくてもバレないんですね。

地主さんがその辺の土地を持ちすぎていて、どんなに滞納しても入金確認をしていないので、ベンチャーにとってはすごくいいと。「払えるときに払う」っていう。ウチもpixivも最終的にちゃんと払ったんですけど、その辺は「いいよいいよ」みたいな感じだったので助かりましたね。

最初の忘年会のときはこんな感じで。「サイバーエージェントみたいにしたい」というカッコ悪い思いがあって、たくさん女性を雇おうと。女性ばっかりでした。

その1年後くらいに、ベンチャーキャピタルのグロービス・キャピタル・パートナーズさんから3.3億円の調達をして、ここから拡大するという形になっています。

最初のオフィスはこんな感じなんですが、だんだん人が増えていって、nanapi3周年くらいでこんな感じで。今は70人くらいいるんですかね。そういう規模になっています。

サービスのほうもこんな感じで、行ったり来たりしながらも去年の5月には2000万ユーザーを超えるという感じで成長しております。

去年の10月にKDDIの子会社になりまして、そこの中で今Syn.というプロジェクトをやっております。要はKDDIも、ソフトバンクでいうヤフーみたいに、「オープンなインターネットでちゃんと戦おう」というプロジェクトに参加しているという状態です。

会社としては、最近はアンサーというサービスに結構力を入れていて。簡単に言うとスマートフォンのコミュニティサービスです。2ちゃんねるみたいな感じが一番近いと思うんですけど、それを抜いて日本一になりたいなと思っている感じです。

その投稿は「アンサー劇場」という、要は2ちゃんねるまとめみたいなのを自分たちでやっていくとか、そういうことをやってます。なので、実は15年くらいこういうサービスをずっとしつこくやっているような、そういう人生ですね。以上になります。

(会場拍手)

どんな大学生になりたかった?

小野裕史氏(以下、小野):ありがとうございます。けんすうさんは本当にネタが多くて、今日も知らない話が続々と出てきて。これからがまた楽しみです。そんなお三方にこれまでの経緯をお話しいただいたんですけども、皆さんのほとんどが学生ということで、もう一度学生の視点に戻っていただきつつ。

まあ、けんすうさんは学生の頃から起業家というか、自分でサービスやっちゃったりというのはあるので、一番起業家に近い存在だったのかなと思うんですが、吉田さんは学生の頃は演劇ですよね。金山さんはバンドですよね。

そこのさらに前、大学に入る前には自分はどんな大学生になろうと思ってたんですか? 「大学にあこがれてた」とか。大学に入る時点ではどんな未来をイメージしてたんですか?

(吉田さんは)演劇とかやってなかった? (金山さんは)音楽もやってなかった?

吉田浩一郎氏(以下、吉田):さっき申し上げたように勉強がとにかくできなかったので、勉強以外のことをひたすらやってました。中学高校のときは同人誌を描いていて、コミケに出したりとかしていて(笑)。あとはボードゲームとか、今はあれだけ売ってますけど、自分たちで方眼紙とかで作ったりとか。

あとテーブルトークRPGという、ゲームのRPGをシナリオも含めて自分たちで紙で運営するっていうのがあったんですけど、とにかく自分たちの手で何か作るというのが結構好きで。そういうのをやってるのと、とにかく現実逃避がしたかったので、太宰治とか谷崎潤一郎とか坂口安吾とか……。

小野:ちょっと重めの本ですね(笑)。

吉田:倉橋由美子とか、ああいったベタな小説をずっと読んで浸る。とにかく逃げるっていう(笑)。そんな中学高校でした。

「呪いの掲示板」を作った理由とは

小野:なるほど。金山さんは18歳のときからバンドってことですか?

金山裕樹氏(以下、金山):高校のときもバンドやってたんですけどヘボかったので、大学に入って心機一転「やり直すぞ」みたいな感じでしたね。

なので大学に入った瞬間からバンドのことしか頭になかったんですが、たまたま僕が行った立命館の政策科学部って(学部が)できて4年目で。大学を選んだ理由のひとつなんですけど、そこでMacを買わされたんですよ。当時のPowerBook 1300みたいな、すごくMacがダサかった頃。

小野:ボコボコ、ゴツゴツのやつみたいな。

金山:そうです。あれでパソコンの勉強ができるというのもあったので、「音楽」と「パソコン」、ここら辺で何かやっていこうかなみたいなイメージはありましたね。

小野:じゃあ、当時から音楽をやりながらコンピュータ、パソコンに対しての興味はあったわけですね。

金山:そうですね。音楽つながりであったという感じですね。パソコンで曲作ったりできるので。

小野:けんすうさんはもともと、呪いのサイトを作ったという話が……。

吉田:そもそも、なんで呪いから始まったんですかね?(笑)

古川:そうですね。なんででしょうね(笑)。

吉田:何か呪ってたんですか?(笑)

小野:その後のミルクカフェは自分が浪人生だったので、自分のニーズはあったじゃないですか。ということは呪いたい人がいたとか、そういうニーズはあったんですか?

古川:たぶんバカだったからだと思うんですけど、「1人に見せると10人に見せないといけない」となると、すごくページビューを稼げるんじゃないかっていう。

小野:すごく賢いですよね。

古川:95年ですからね。

吉田:マルチ(商法)に思えてきた。スパム(笑)。

小野:頭いいですね。

古川:……そうですね(笑)。

2ちゃんねるに電話番号を書いたら、ひろゆき氏から電話が来た

小野:共通して感じるのは、何かしら「自分の手で何か作りたい」とか「自分で何か表現したい」とか……そしてそこに対するこだわりが少し異質っていうか(笑)、熱いものがあったのかなという。そういう所からじょじょにきっかけを生んでいってるのかなと、聞いていて思ったんですよね。

吉田:そういう意味では、中学高校で6年間「36キロマラソン」というのが必須だったんですよね。

小野:36キロマラソン? 結構な学校ですね。

吉田:毎年、全校生が36キロ走らされるんですよね。めちゃくちゃなんですけど、そこで1回学年で2位を取ったんです。私は6年間の中で、2位なんて上にいたことはないわけですよ。私が2位になったとたん、すごく勉強ができてたやつらが「悔しい悔しい」って言いはじめて、「なるほど」と。それで山岳マラソンとかやってたんですね。

小野:なるほど。

吉田:だからちょっとベンチャーみたいな、人と違う切り口で勝つみたいなのはそこで結構経験したかもしれないですね。

小野:「これいけるんじゃないか」という自信を持つきっかけのひとつがマラソンだったんですね。

吉田:そうですね。マラソンとかぜんぜん得意だと思ってなかったんですけど、なんか勝っちゃって。そういう経験はあります。

小野:けんすうさんも、コンピュータとかコミュニティサイトに関しては神のような存在ですけども、どこで何かをつかんだんですか? ミルクカフェが大きかったんですか?

古川:そうですね。

その時代にやってたミルクカフェがあって、そのときに2ちゃんねるのひろゆきさんとかと遊んでいたりして……。

吉田:なんで遊んでるんですか、その段階で(笑)。

古川:僕、2ちゃんねるに電話番号とか書いてたんですね。「どうなるんだろう」って。

吉田:(笑)。

古川:そしたらひろゆきさんから電話かかってきて、「今病院にいて、友達が怪我をして超おもしろいんだけど見に来ない?」って言われて。で、見に行って。周りは全員知らない人なんで「すごいっすね」みたいな感じで知り合ったっていう感じですね。

吉田:壮絶ですね(笑)。これはちょっとログミーにしにくいですね。

古川:わけがわからなすぎて。

小野:ここはカットで。

量のみが質に転化する

古川:要は、行動するといろいろ開けるというのが当時のインターネットだと結構新鮮で。

小野:なるほど。原体験だったんですね。

古川:そうですね。今は高校生くらいだと大人と知り合わないじゃないですか。だけど「掲示板に電話番号とか書くと知り合える」というのがおもしろかった感じですね。

小野:当時はそんなことをやる人はいなかったし、しかもそれが高校生だったんですね。

古川:高校……大学生かな? そんな感じですね。

小野:そういう年齢の人がそういうことをやるっていうのがレアだったから、より興味を持たれたのかもしれないですね。

古川:そうですね。「バカがいる」って電話がかかってくる。そんな感じでしたね。

小野:金山さんは、その辺の自分の自信……音楽の方向性だとかコンピュータだとか、「いけるんじゃないか」という原体験ってどのあたりにありますか?

金山:やっぱり、誰よりも練習してましたね。本当に、狂ってるくらい。音楽中心でそれしかやってなかったので。バンド全員が。そこの練習量というのは自信がありましたし、今も仕事量という点は僕自身は重視してます。「仕事は量じゃなくて質だ」とか言う人いるでしょ? 「マジかよ」って思うんですよね。絶対ないですね。

「量のみが質に転化する」と思っていて、一部の天才は別ですけど、ほとんどの人たちは天才じゃなくて、いきなり「質」とか言うやつはダメだと思います。特に皆さんは若いと思いますので、いきなり「質だ」とかいうのはダメだと思いますね。狂うくらいに量をやって……僕は今、夢の中でも仕事できますからね。

吉田:(笑)。

金山:本当に、夢の中で意思決定して「あれどうなってんだ?」みたいな話をして、社員がポカーンみたいな。そのくらいやっても、成功確率って半分もないと思います。ベンチャーも、音楽だともっと低いですし。なので、当時は結局メジャーデビューできなかったですけど、それなりにいけたっていうのはやっぱり「量」が助けてくれたのかなと思います。

絶望が原動力に

小野:僕も走る人なので、さっきのマラソンの話もそうですし、音楽もそうでしょうし、例えば英会話みたいな言語でもみんなそうですよね。ある程度の量をやらないと必ずクオリティを上げていくことはできないんですよね。質も求めるというのは大事だとは思うんですけど。

吉田:あと、マラソンとかああいうスポーツがいいのは明確に順位がつくじゃないですか。

小野:数字でわかりますね。

吉田:そうすると「マラソンにおいては自分は極められないんだ」というか、「この分野で1位はほど遠いな」と。1位との差がわかるというのは、今までを振り返ると挫折でもあるんですけど、自分の成長のきっかけになるというか。それに対して向き合いたいんだったらどうしたらいいかとか、「これは極められないからやめよう」とか(判断できる)。

そうやってきた中で、どうしてもあきらめきれずに「成長しよう」と思えたものが経営だったという感覚は結構ありますね。今のステージだと、孫さんとか三木谷さんを見ても……絶望はしますけど(笑)。「この差はどうやって埋められるんだろう」と思いますけど、チャレンジしようと思えるっていうか。

マラソンのときは、速い人って本当に速いじゃないですか。富士登山マラソンの……あれ、自衛隊ですよね?

小野:勝てないですよね。日々走ってますから。

吉田:1位の人って自衛隊なんですよね。「これはもう勝てないな、自衛隊になるつもりはない」みたいな。そういう差を見るっていうのはいい経験でしたよね。だから、何かあると常に差を感じるようにするっていうか。

例えば今上場して、普通に考えると「おめでとう」って言われるんですけど、さらに差を見るために一部上場企業のトヨタとかソフトバンクを見てる。そうすると絶望するじゃないですか。その絶望はやっぱり原動力になるっていうか、成長の伸びしろがわかるわけじゃないですか。成長があったほうがいいわけなんで。そういうことを思ってますね。

偉大になりたければ、大胆さと行動量が必要

小野:今の話はすごく重要で、たぶんお三方ともそれぞれ自分を引き上げるきっかけになった人だとか事象があったと思うんですけども。金山さんって高校時代はそんなにバンドやってなかったのに、大学に入って突然死ぬほど練習したって、それは何がきっかけで……人との出会いなんですか?

金山:なんですかね? 大学デビューっていうか、環境の変化というのをとらえて。誰も自分のこと知らないわけですし。ひとつは、恥ずかしさとかがなくなったというのはあるかもしれないですね。

やっぱり「あいつ高校のときに下手だったのにイキってる」みたいな、環境が動きにくくしてるとこもあったと思うんですけど、環境をスパっと変えることによってゼロからスタートできるし。「失うものは何もない」って思うと、それで行動量が増えたり行動が大胆になったりしたのかなと思います。

何も起きないの(理由)ってたいていたった2つで、やっぱり大胆さと行動量だと思っていて。さっきのお二人の話を聞いてても、めっちゃ大胆ですよね。けんすうさんも大胆。

吉田:大胆すぎるだろ(笑)。内容証明届いちゃうんだから。

金山:吉田さんのマラソンも「行動量」だし。やっぱり、何か違うものになりたいとか偉大になりたければ、何か変えないといけなくて。その「何か」っていうのは量だったり方向だったり、あとは質だったりするのかなと思います。

ひろゆき氏「このままいくと、おいらみたいになるよ」

小野:違いというところでは、まさにけんすうさんもそうです。突然、普通の人がやらないような「2ちゃんねるに電話番号を書き込む」というのもそうですし、コミュニティに来いと言われたら行っちゃうというのもそうですし。吉田さんもそうですよね。

けんすうさんはたくさんネタがあるので、自分を変えるだとか自分の成長を作ったターニングポイント的なきっかけ、出会いの話を……。

古川:先ほど話に出た、2ちゃんねるとかニコニコ動画の管理人をやってる西村博之さんと会って……当時の僕は「働かないで幸せに暮らせるほうがいい」と思ってたんですね。周りの大人がみんな定職に就いていなかったので。

小野:そうだったんですか(笑)。

古川:働かなくても暮らしていけるというのを見てたので、そう生きようかなと思ってたら、大学3、4年くらいのときに西村博之さんから「このままいくと、おいらみたいになるよ」って言われたんですよ。それはすごく嫌だなと思って。こんなダメな人間になってはよくないと思って、ちゃんと就職しようと思ったのが結構大きなきっかけで。

やっぱり3年間、リクルートという会社で会社員をやったという経験はすごくよかったですね。あのまま人生なめててダラダラやってたら、たぶん同じような生活だったと思うんですけど、そこでちゃんと働いて成果を出す、「ちゃんとお金を稼がないとユーザーにサービスが届かない」ということを学んだというところはありますね。

「これはめちゃくちゃいける」と毎回勘違いしてやっている

吉田:けんすうにちょっと質問なんですけど。聞いてる人の立場になって想像すると、音楽とか演劇というのは大学に入ったらすでにやってる人たくさんいるじゃないですか。だからひとつの道としては選択しやすいと思うんですけど、呪いのホームページって誰もやってないじゃないですか。

要は、日本社会って同調圧力が結構あって、人と外れたことをすると「ちょっとサムいやつ」「付き合いにくいやつ」「意識高い系」とか言われちゃうじゃないですか。そういう中でオンリーワンの選択をしてるっていう源泉は何なんですか? だって怖いと思うんですよ。自分に何もないときに誰にも認められない趣味を持つっていうか、それを好きだと思うっていうのは。

古川:それは、「これはめちゃくちゃいける」って毎回勘違いしてやってるんですよ。

吉田:(笑)。あ、本当にこれがいけるって思ってる。

古川:呪いのホームページの後に作ったのが、「インターネット上で電卓が打てる」っていうサービスで。「これはすごく画期的だ!」と思ったんですけど、アクセス数が7とかで。

小野:すごいですね(笑)。電卓をクラウド化したわけですね。

古川:そうですね。あの……僕のときだけ前の(席の)皆様がメモを取らないのが気になっていて……。

(会場笑)

古川:どういうことなんだろうっていう(笑)。

金山:再現性がない(笑)。

吉田:参考にならない。特殊すぎて。(メモに)「呪いのホームページをやる」って書いても参考にできない(笑)。