「テーマはバカ」のバイオレンスアクションフィギュア

古賀:それで次の写真にあるのは。

宮脇:これは古賀さんとの。

古賀:海洋堂と僕っていうのが、僕、『ペッパーショップ』っていう名前でグラフィックデザインをやってまして。水中ニーソをどうこういう前に海洋堂さんと、もうこれ90年代ですもんね。

宮脇:そうですね。でもいちばん楽しい「YouはShock」のパッケージが無い。北斗の拳のオチが最初に。今でこそ本当に、これも僕らいつも自慢し続けるからこういう前におるんですけど。自慢しかしませんけどね。「今のこういうアクションフィギュアがあるのはうちのおかげやからな、クソッ!」っていう。

(会場笑)

宮脇:日頃『何とか魂』とか、そういうのもあるのも全部、『ヒグマ』も、なんでも。スポーンという、90年代の『マクファーレントイズ』というのが95年ぐらいかな、日本に入ってきたときに、「これはやられたねぇ」と。

僕らが作ってきたフィギュアの持ってる美味しい所を、アメリカ人に大量生産された。『宇宙刑事』を見て『ロボコップ』作られたようなもんで。そういう意味ではやられちゃったなぁ。

でも「やられたままは嫌やしなぁ」ということで、アクションフィギュアを僕らも、遅ればせながらスポーンにちょっと対抗して『マクファーレントイズ』にも対抗して。でも、初めて金型を作ったり、中国でそんなフィギュアを作る技術はそれほどないので、ちょっと照れ隠しで、照れを持って北斗の拳という、なんか。

古賀:バカを出す。

宮脇:おバカを出して、古賀さんにも「テーマはバカです」ということでバイオレンスアクションフィギュア。

古賀:商品名。

宮脇:「よい子のお子さんは買っちゃいけません」ということで、最初デザインしてもらったのが北斗の拳で、その後タイガーマスクとボトムズが同時期ですよね。アメリカのアクションフィギュアにはちょっとないような、日本的なテイストも入れてということで。

これを古賀さんに作っていただいた。まともなお仕事、ビジネスというか、商品のお仕事ってこれが最初でした?

古賀:海洋堂さんとの出会いはもっと前から、村上隆さんを通して。村上さんが海洋堂とフィギュアのプロジェクトをやるって言った時に。僕は村上さんにくっついて行って。

宮脇:フリーペーパーをいっぱい作ってはった?

古賀:フリーペーパーを作っていた時代です。

誰得? 誰でも得ですよ

本橋:『Project Ko2(プロジェクトココ)』の頃ですか?

古賀:『Project Ko2』が始まる頃ですね。その時はでも、そんなに『Project Ko2』のフィギュアがすぐ商品化するわけでもないし。でもそれと同時に、僕は当時モデルグラフィックスという雑誌で、これは海洋堂とは直接関係ないんですけど。

宮脇:模型雑誌のこの連載はすごい楽しかったです。

古賀:ありがとうございます。僕はアートとかデザインの前に、僕も僕で、プラモが大好きな人で。このアホな連載は、プラモを作っている人が見ると、ふざけて書いているんじゃなくてちゃんとプラモだってわかる絵なんです(笑)。これはセンムとかに喜んでいただいてて。こういうのも見てて、アクションフィギュアにバカを出した時に、「この人だ」と思ってくれたみたいで。

宮脇:そうですね、これが。

古賀:ある意味、これがあったんで海洋堂のお仕事につながる。

宮脇:ということで村上さんに紹介された時も、「じゃあ何かあったら」っていうことで、ちょうどお菓子のバブルの前ですね。食玩バブルの前にアクションフィギュアをやる時に、ちょうど紹介してもらった後に、「じゃあお願いします」ということで。いちばん最初にアクションフィギュアのパッケージをデザインしてもらった人なんですね。

古賀:昔からバカなんですね。

宮脇:最初からバカでしたね(笑)。

古賀:どっちかっていうと世間的な評価はバカなんで(笑)。

本橋:誰得ってやつですか。

古賀:誰得? これ結構誰でも得ですよ。

志のない模型はやめたらええねん

宮脇:これ本当にねー。でもこのエッセンスを使って、こういうプラモデルは出したいですけどね。面白じゃないですか、こういうプラモって。ちょっと脱線ばっかりするんですが、プラモバカ話からすると、最近のプラモデル業界を見てたら『タミヤ』『ハセガワ』『バンダイ』以外は本当に中国で全部金型を作り、やりたい放題。

コンピューターのCADといわれる設計も、画面の中でフニューとやってる。実は実物のタイガー戦車も、某中国のメーカーが作ろうとすると、写真と図面さえ適当に放り込んだら、ソフトがあればそれなりにパーツに分けたりとかして、本当になぞっただけ。中国の得意な1分の1のコピーじゃなくて、35分の1の戦車のコピーを作りよるんですよ。

心も何もないし、節操がない。精度は高いけど、実際にいちばん、これ皆さんプラモデル見てもらったらわかる。これも日本のメーカーでもなんでもそうですが、パッケージの横を見るんですよ。そうするとCGだけで描いたような、自分が作ってもいないようなプラモデルの完成品の写真が載ってるようなものは、みんなだめな模型と思ってもうたらいい。だいたいそれが頭の悪い、志がない模型というか、そんな奴はみんなやめたらええねんと思うけどね(笑)。

(会場笑)

宮脇:そんなものが多い中では。

古賀:センムが言ってたのは、最近のプラモがパーツを分けすぎてて。ランナーを眺めていて楽しくない。

宮脇:楽しくないですね。本当にあれは何のおいしさもない。今回『タミヤ』さんがまたモスキートと言って、32分の1の飛行機を出すんですが。見本市にプラモデル、パーツを見ているだけでね、本当にそれだけで納得できるぐらいなんか楽しいんですけど、そこに設計者の思想とかデザインとかがある、本当に。

例えば某中国製のタイガー戦車みたいなものでも、キャタピラ1個をひたすら5個ぐらいのパーツに分けると120個になる。それだけでも600個のパーツになるわけですよ。そんなもん、いうたら作る人に苦労を強いるというか。他に言うたらいろんな日本のメーカーでも、全部そういう作りもせんようなものを、どんどんどんどんと提供しているようなプラモデル、「なぞっただけのもの」と呼んでます。

そんなプラモデルは、こういうプラモに駆逐されるべきやけど、負けてしまうんで。こんな楽しい模型のジャンルって今、なくなっちゃいましたね。これ見たら、もっぺんこれは、何かやりたいですね。と思うんです。またまた脱線すいません。

本橋:いいえとんでもございません。

宇宙世紀には関われない

古賀:2000年より前だから。

宮脇:すごいですね。

古賀:15年以上前のですね。

宮脇:96年からやっている、ちょうどアクションフィギュアのちょっと前。これ見ながら、まさにこれからインスパイアされて、パッケージはこういう感じでっていうのが。

本橋:このあと、例えば90年代終わりから2000年代に入ったあたりに、『relax(リラックス)』のようなマガジンハウスの雑誌が模型とかフィギュアの話題を取り上げるようになりましたが、この古賀さんの仕事はその前にあるような流れですよね。

古賀:僕がやってたのは前の話ですね。

本橋:渋谷原宿界隈にこういう動きがあったっていうのは、ちょっと僕はつながっている気がするんです。

古賀:たぶん2000年ぐらいになると、たぶんセンムとも疎遠になる。ガンダムに行っちゃうんで。

宮脇:もうB帝国に(笑)。

(会場笑)

宮脇:そっちのほうに行かれると、僕らも「わっガンダムの人かぁー」って。

(会場笑)

本橋:そういうものなんですか(笑)。

宮脇:ガンダムイコールちょっと。ガンダム帝国は全く別世界というか、大帝国なので、そこはそこで僕らの絡む余地が、何もできないんですよ。もう我々みたいな、あそこはもう全部、ポーズでジェスチャーで言葉では言えへんからね。

こういう風なことをして、僕らはこうされるわけですよ。

でも80年代後半は、86、7年のファイブスターやってたから。ワンフェスをゼネプロさんがやって、ガイナックスをやってる時は、彼らだってキュベレイとかね。

古賀:出してましたね。

宮脇:あの時はまだいい時代だったんですが、そっからグワァッってなってしまって。シッシッシッっていうことで。最近はもう厳しい状態です。

古賀:宇宙世紀には関われない。

宮脇:しばらくはそういうふうになっちゃったんですね。

力さえあれば……

古賀:疎遠になってて帰ってきたのが。

宮脇:これか!

古賀:さっき(開演前)何か本格的に帰ってきた感じですよね。

本橋:会場にムービーが流れてて。

宮脇:これ流れてるのみんな知らん。行ったことないでしょ? ここ(海洋堂ワンフェスカフェ)行ったことある人、この場所って知ってます?

本橋:僕は行ったことがあります。

宮脇:あります?

古賀:秋葉原のね。

宮脇:海洋堂でちょっと頑張りすぎて。

古賀:家賃が高すぎる。

宮脇:家賃というか、家賃だけではなく様々なランニングコストをいろんな意味でちょっと無理やったから。もう少しうまくできてんけど、これはもう。

古賀:センムの夢のお店ですよね。

宮脇:もうちょっと力入れたかったけどな。まぁいろんな意味で中途半端になって。でも夢の店ですね。素晴らしいですね、やろうとしたことは。本当にこうやって写真で見ていると涙が出てきそうに、ねぇ。

古賀:「もうなくなるのが決定したんですよ」って言われて、「もったいないので映像に残しましょう」って言って。なんか踊れる女の子を集めてダンスムービーを撮ってるんですけどね。

宮脇:ワンフェスカフェという。秋葉原の「バックステージパス」がある大きなビルの地下1階に僕らがカフェスペースを作って、ある種海洋堂がやりたかったことを全部詰め込んだんですけど。

本橋:アイドルの街になる前ですよね、要するに。

古賀:AKBは既にあった。

宮脇:ありました。AKBカフェはこの後できましたけど。

古賀:カフェはね。

宮脇:劇場はありましたよ。プラモデルとかフィギュアとか、消費じゃなくて、サロンというか、みんなこういう場所で常に情報とか、みんなでいろんなものを語り合ったりとか、集まる場所を作ろうとしたんですけどね。

古賀:あくまで海洋堂カフェというか、ワンフェスカフェなんですよね。

宮脇:そうです、はい。ワンフェスの方が海洋堂カフェより、海洋堂のほうがよかったかなぁと今も思いながらも。だってワンフェスの方が集客力があるかと思ったんですもん。

(会場笑)

宮脇:海洋堂って、やっぱり海洋堂色が強すぎるんで。ワンフェスだと全部ほら、すべてを含めたような。

古賀:包容力があってね。

宮脇:海洋堂となるとどうしても説教臭いし、模型屋だけの店よりはフィギュアでありオタク全体の、そういった意味ではワンフェスであろうっていうのが、1つのああいう混沌とした場所を目指したかった。我々だけではなく、全部を入れるのにはワンフェスという言葉がわかりやすい。

それが本音の部分でありまして、それでワンフェスカフェという何でもありの店にしたかったのが、もうちょっとうちに体力があったら頑張れたんですが、ちょっと体力が衰えていた時期でございまして、会社としてね。

古賀:ビルが建つぐらいの時代だったら全然いいですね。

宮脇:そうですよ。だから最初からうまくやって、もうちょっと投下するものがあれば、初期投資がね、行ければよかったですけど。まぁこの時はちょっと逆風がいろんなものが吹きまして、ちょっと力不足でございました。力さえあれば(笑)。