松井一郎氏が府知事選挙への出馬を決めた理由

松井一郎氏(以下、松井):市長が5月17日のあの日に辞めると言って。あの時点で一緒に言うとちょっと芝居がかるところもあるんで、ちょっと時間経ってからと思ってて。

その思ってる間にとにかくもう第1回の大阪会議で、大阪都構想の対案で「大阪会議は対案ですね?」って聞いたら違う言うんで。あのときはちょっと久しぶりにカチンときたね。あれで「この人ら一体何やろな」という、そういう怒りがこみ上げてきたというのもあって。

橋下徹氏(以下、橋下):自民党、民主党、公明党も、共産党も、維新以外の大阪都構想反対派が「大阪都構想なんか要らないんだ」「大阪会議でもう大阪の問題は全部解決できるんだ」と言い続けてきて。

本当に大阪会議で問題が解決できるんだったら知事はもう辞めようと思ってたんですか?

松井:思ってた。特に柳本さんなんて財政効果も大阪会議の話し合いで17年間で2,700億出る言うてたんで。

だからそういうのも全てクリアできるんなら、それは話し合いで決定してもらえれば、もう我々出番ないじゃない。

吉村:僕もあれ東京から見てましたけど、あそこは本当に反対派の人たちは正直大失敗したんじゃないかと思ってるんです。

っていうのはやはり69万の方が賛成して、結果70万の人が反対したから反対で通って都構想は否決されて。それで、大阪会議が出てきたわけ。

もし僕が逆の立場だったら、やっぱり69万の人が賛成してるわけですから、負けた人のほうを配慮してより良い大阪をどうするかっていうのをしないといけなかったと思うんですよ。

それがあくまで対案対案って言ってきましたんで。これ対案っていうふうにちゃんと位置づけてやればもっと良かったと思うんですけど、あそこで何もなかったかのように「知りませんよ」と言うと「69万の人の気持ちってどこ行くんですか?」って僕らはなりますよね。僕らはやっぱりそういう人たちの気持ちも汲んで。

だけども70万の人の気持ちを汲んで大阪会議でできるとこまで行こうって僕ら全員思ってたわけですけど。

松井:だから大阪会議に賛成したんだね。

橋下:だから本当は大阪会議っていうものがうまく機能して、大阪が前に進むんだったら、もう何にも言うことなかったんだけれども、それが機能しない。大阪がもう前に進まない。

しかも大阪会議、僕らが潰したって言われるけれども。潰したんじゃなくて「大阪会議でちゃんと大阪の課題を解決するってちゃんと言ってくださいよ」って言ったのにそれすら言わなかった。

松井:だからあれが都構想の対案と位置づけられたら、自ずと議題は決まるんで。要は17年間で2,700億の基礎自治体の効果、公益1,300億の効果が出るその統合案件の議題をやりましょうということで自然と議題が決まるんですね。だからそういう議題を決められるのがもう嫌やったのかね。

橋下:それで知事も、もう1回決断してもらって、吉村さんと一緒にやろうということで今回こういうことになったんですけども。

大阪の改革が政治家としての原動力

橋下:吉村さんは大阪都構想に対して、思い入れがすごい強かったですよね、もう最初から。市議会議員のときからね。

吉村:そうです。やっぱりそこは市議会のときの都構想の設計図のときもそうですし。やっぱり大阪にもう1個日本の軸になるような街をつくりたいっていう思いがあるんでしょうね。それが本当に原動力になってて。

衆議院の選挙のときも都構想の実現が、これ大阪が変われば日本も変わるっていうのも選挙公報に掲げて。

当時は「地方課題を何で国政選挙に持ち込むの?」「バカじゃないの」みたいなことは言われましたけど。

でもやっぱり、今でも思ってるのは、特に国会議員を経験して思いますけど、大阪はもっと力が発揮できる町やと思うんですよね。

それを今の行政の組織ではできてないと思うので、それを変えて日本でもう1個の軸になるような街になるっていうのが大阪にとっても必要だし、ちょっと引いて見たら日本にとっても絶対必要だと思うんですね。

だからそれを実現したいという思いはもう終始一貫して変わらない。これはもう政治家になってる原動力はそこだけですね。

当然維新の改革の話も今後させてもらいますけど。そこが一番僕個人としては強い思いを持ってるから、嫁さんもちょっと許してくれるでしょうね。もう頭おかしいと思われながら。

松井:いや、それで結局7人のお子さん、3人の子供たち、我々の次の世代に必ずプラスになるんで。だから吉村家の奥さんはもうとにかく子供たちのために亭主は思いきり頑張れと、こういうことなんやろうね。

吉村:でも休みの日とかあんまりやりすぎるとちょっと怒られちゃうんで。公文の丸つけとか嫁さんに「やれ!」言われて。サッカーとかもやるんですけど。目の前の公園とかもサッカーとかで。

橋下:でも奥さんがよくそれでOKしてくださったというか。やっぱりこれもすごいことですよ。やっぱり「大阪のために頑張って!」っていうことで後押ししてくれて。

コメンテーターとして文句を言っても何も変わらない

松井:それをいうと、橋下徹知事出馬が一番すごい決断やったやろう。

吉村:当時38歳ですから、僕よりまだ2歳若いですよね。

松井:そうそう。がっぽがっぼ稼いでるあとの。

吉村:そのとき頭の中どんなんやったんですか? 38歳でそれまで弁護士としてテレビ出て、全然畑違うじゃないですか。僕らやったらまだ弁護士実務やってあれですけども、有名人の中からそれに行かれて。

橋下:有名人ってことでもないけど。

松井:いや、有名やったよ。

橋下:やるしかないっていう。でも吉村さんと一緒だと思いますよ、そこはもう。

同じように僕は今度コメンテーターとして文句ばっかり言ってたから。いろんなことは言うんだけれども、そんなコメンテーターで文句言ったところで何も変わんないわけですよ。何1つ変わんないわけ。立派に事言おうが何であろうが、大阪に中学校の給食1つすらコメンテーターではできないわけですよ。

それだったらっていうことで、がむしゃらにやったところで。本当に吉村さんが同じような形でやってくれるっていうのはある意味うれしいし。でも何かしんどいことで申しわけないなという思いもあるし。

吉村:いやいや、もう幹事長がおっしゃるとおり維新の精神的支柱ですから。もうちょっと休まれてる間も精神的支柱で、しんどなったらこうやって。

橋下:よく言うわ(笑)。

吉村:うちひしがれそうになったときはもう。