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CTOトークセッション(全1記事)

2020.03.10

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CTOたちが語る「こんなはずじゃなかったのに」と思うこと 組織の成長とともに変化する、役割とキャリアを考える

提供:インターノウス株式会社

2020年2月6日、インターノウス株式会社が提供する国内初/国内唯一のCTO/VPoE養成講座・転職支援サービス「OCTOPASS(オクトパス)」のキックオフイベントが開催されました。全10回のCTO/VPoE養成講座とCTO/VPoE求人を提供するオクトパスが始まることに先駆け、IT業界で急成長を遂げるベンチャーCEO・CTOが一堂に会し、それぞれの知見を語る今回のイベント。第2部、CTOセッションでは、NewsPicks、EPARKテクノロジーズ、マネーフォワード、タイミーのCTOが登場。CTOになるまでの経緯や、エンジニアの上に立ってマネジメントする上で求められる能力など、知られざるCTOの仕事について語りました。

ニューズピックスCTOのキャリア

塩谷将史氏(以下、塩谷):みなさん、こんばんは。今日はすばらしいCTOの方々に来ていただいてどんな話をするかというと、タイトルにあるとおり、CTOになるまでどんな感じだったか、なってからどんな感じか、もしくはもう少し先の話をしていただこうと考えています。

簡単にみなさんから自己紹介をしていただきつつ、「こんな感じでCTOになったんですよ」という経緯をお話いただければと思います。

杉浦正明氏(以下、杉浦):こんばんは、NewsPicksの杉浦と申します。NewsPicksをご存じの方、どれぐらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

おっ、ほぼほぼですね。ありがとうございます。じゃあ、今日使った方?

(会場挙手)

ちょっと減りましたね。じゃあ、プレミアムプラン(1,500円)を購読いただいている方?

(会場挙手)

だいぶ減りましたね(笑)。

(会場笑)

ぜひみなさん、無料トライアルもできるので、これもなにかのご縁だと思って一度お試しいただければと思います。必要ないと感じた場合はトライアル期間中にやめていただければお金かかりませんので、どうぞよろしくお願いします。

自己紹介です。NewsPicksは、まさにここにいらっしゃる方々のために経済ニュースを届けるサービスです。

もともとはプラットフォームとして外部ニュースを配信しているだけでしたが、今は中で編集部を作ったり、動画スタジオを作ったりしています。あとはアカデミアという講座をやったり、最近は出版部門も作ったりして、どんどん事業の幅を拡大している会社です。

CTOになった経緯ですが、もともと「Simplex」という為替の取引システムを作っていました。実はマネーフォワードの中出さんと元同僚なんですけれども、その金融システムを作って、その後はトークノートという社内SNSの会社でCTOをやっていました。

トークノートはエンジニアが1人だったほぼ創業期から入っていて、そこでCTOをやって、そのあとNewsPicksを運営しているユーザベースに転職してきました。NewsPicksに入ったのはこれも6年前でやはりほぼ創業期で、エンジニアが2人ぐらいのタイミングで入って、今に至ります。

実はちょうど今週の頭にCTOを卒業しまして、今はCTOではないという状況なんですが、今年からアメリカで新規事業を立ち上げたいと思って、現在はいちエンジニアとしてサービスづくりをやっています。今日はよろしくお願いします。

(会場拍手)

EPARKテクノロジーズ齋藤氏の、ネットエイジから今日まで

齋藤勇氏(以下、齋藤):こんばんは。EPARKテクノロジーズの齋藤です。自分はCTOではないんですが、過去に何度かCTOを経験したので、そこでのお話ができればなと思い、ここに至ってる次第です。

EPARKは、回転寿司や焼肉屋さん居酒屋さんに入れていただいている順番待ちのシステムです。過去にCTOをやっていたときの経緯としては、1つ目の会社は現ユナイテッドの前段、ネットエイジですね。2000年頃に、渋谷でビットバレー構想みたいなものを掲げて、ベンチャー企業を集めてシリコンバレーのように渋谷を熱くしていこう、という構想がありました。その際にネットエイジの西川社長に採用されて、そこで3代目CTOを自分が担当することになりました。

どうやってCTOになったかという話なんですが、初代CTOがそのままCOOになり、2代目のCTOがスピンオフの関係会社の役員になり、じゃあ次は誰がやるの、という時にいろいろなプロジェクトを手掛けていた私に白羽の矢が立ちました。

なぜ選ばれたのかというと、基本的にはキャラ的なところもあり「お前しかいないだろう」みたいな話でCTOになったというかエスカレーター式にマネージャーになって、マネージャーからそのままCTOになりました。

逆に言うと、それまでのマネージャー業務は1プロジェクトを見るのではなく、1個1個スピンアウトするプロダクトを全部見ていたので、例えばここにはFringe81さんが入ってるんですけど、そこの初代CTOも自分が担当していました。

ネットエイジでは、インキュベーターというかたちでいろいろなネットベンチャー・ネットビジネスをやっていくなかで、どちらかというと必然的に「子会社作ったらCTOはお前な」みたいなかたちでいろいろ経験させていただきました。

ネットエイジを退職していろいろあったんですが、次に『@cosme』を運営しているアイスタイルに副部長としてやってくれというお願いされて入りました。半年経たないぐらいで部長がやめることになりました。その当時、@cosmeはフルリニューアルプロジェクトが進行中だったので、まずはフルリニューアルを完遂させてくれということで、現場を統括することになりました。

そうしてなんとかスケジュールを見直し、体制を見直し、2010年の1月に無事リリースを終えました。その時に評価していただいたらしくそのまま部長になり、その後執行役員CTOということでCTOに就かせていただきました。

そのあと、子会社の取締役として大阪に行ったり、別の技術とはぜんぜん関係ないところから幅広く経験させていただきました。今はEPARKで同じくリニューアルがあったので、それを手伝ってくれということで入社し、現在に至ります。

マネーフォワード中出氏がCTOになったきっかけ

中出匠哉氏(以下、中出):こんばんは、マネーフォワードの中出です。私は5年ぐらい前にマネーフォワードにジョインして、実はCTOになったのは3年ぐらい前なんです。

マネーフォワードってもうすぐ8年ほどになるのですが、私が入ったときは創業のCTOがいたので、別にCTOというつもりで入ったわけではなく、普通にいちエンジニアとしてマネーフォワードにジョインしました。その後2年弱ぐらい経過した時点でCTOに交代したという経緯です。なので、とくにCTOになるつもりがあったのかというとそういうわけではありませんでした。

きっかけとしては、創業のCTOがあまりマネジメントが好きじゃなくて。私に交代した当時はエンジニアがおそらく40〜50人ぐらいいたのですが、そのタイミングで「自分は降りたいと」いうことを創業のCTOの方が言いました。

結果的に私がその後任になったのですが、どのように選ばれたかは実はあまりわかっていなくて、マネーフォワードの中では比較的おじさんだったので、年功序列で私になったというような経緯なのではないかと思っています。本日はよろしくおねがいします。

(会場拍手)

アイデアしかない状態からジョインした、タイミーCTO阿部氏

阿部勇一郎氏(以下、阿部):株式会社タイミー・CTOの阿部と申します。タイミーという会社を知っている人はどれぐらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

お、意外といる(笑)。

タイミーという会社は、単発のアルバイトのマッチングプラットフォームを運営しているベンチャーです。サービスがリリースしたのは2018年の8月なのでまだ1年半ぐらいしか経っていないサービスなのですが、とりあえず伸びているという表現だけしておきます。数値はどこまで言っていいのかわからないので濁しておきます。

僕は創業以前の、アプリのアイデアしかない状態からジョインしています。ジョインしたきっかけも、僕自身はもともと学生だったんですが、Wantedlyを使って就職活動をしていたときに、適当に上から応募していって「なんだかおもしろうなことやってそう」みたいな感じで行ったら、1人で社長が構想だけを練っている状況でした。

おもしろそうだと思って、最初はたまに遊びに行くくらいの気持ちだったんですが、気づいたら週5で働くはめになっていて、気づいたらCTOになっていたみたいな感じです。

ですので「キャリアがあって、経験があって、CTOになりました」みたいなタイプではないので、みなさんのお気持ちを汲み取れるかわからないのですが、スタートアップでどんなことをやってきたのかをお話できればと思っております。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

CTOになって生きているスキル

塩谷:ありがとうございます。みなさんCTOになるまでの経緯がそれぞれあって、会場のみなさんの顔を見ていると、「そんなふうにポッとCTOになれちゃうんだ」みたいなそういう感想を持っている方もいるんじゃないかと思います。中出さんのようになんで選ばれたかわからない方もいらっしゃいますし、阿部さんのように創業から一緒にジョインしている方もいます。

それでは、CTOではない時の経験でものすごく役に立っていることや、あの経験しておいてよかった、ということについて聞いてみたいと思います。

中出:私はエンジニアを始めてから20数年経っていて、プログラムが好きで、書くのが好きでずっと書いてるんですが、20年前って技術もまだまだイマイチだったので、普通にCでプログラムを書いたり自分でサーバを作ったり、低レイヤーな部分も触って理解していました。

CTOになったりするとなかなか自分で新しい技術を学ぶ時間を確保するのが難しいんですが、比較的裏のことや低レイヤーのことがわかっているので、比較的早くキャッチアップできている実感はあります。

塩谷:なるほど。ちなみに低レイヤーってどのへんのことですか?

中出:OSのカーネルであるとか、OSレベルの部分でなにか問題が起こったときに書いて作ったり、そういったところぐらいまでですね。私もアセンブラで書いたことはあんまりないんですが、C言語ぐらいまでわかっていれば今はだいたい困らないんじゃないかと思います。

塩谷:ありがとうございます。齋藤さんはいろいろなことをやられているので、それぞれのCTOの経験が活きているとは思うのですが、ここが一番よかったということはありますか?

齋藤:そうですね。いろんな理不尽を経験できる。

(会場笑)

実は学生時代からだいぶ理不尽さを学ばさせていただいていたんですが、まぁ、いろんな耐性ができます。そうすると多少の困難がやってきても、前に比べれば、といったところの耐性はついているので。

あとは、1人のマンパワーなんてたかが知れているので、チーム、もしくは部門で解決しなければならないときの方向性ですね。自分の中で本当に頼れる人というキーマンを必ず決めておいて、ちゃんとその子をフックして、すべてを託して「じゃあ俺辞める」と言って辞めました。

そういった、ちゃんと仲間とキーマンを決めて、いつ自分が業務ができなくなっても会社に影響ないようにするということは頭に入れていました。そういったところは役に立っているんじゃないかと思います。

塩谷:みなさん頷かれていましたが、ブラックというか激しい経験をしたことは役に立っているんですかね。本日来ている方のでもそういう経験をされている方もいると思いますが、それは将来にすごく活きるので、自信を持ってブラックなところでやってみてください。

(会場笑)

まぁ、やっぱりいい経験になります。まぁ、いいや(笑)。

0→1→10→100で想定外だったこと

塩谷:あとは、CTOになってから「こんなはずじゃなかったのに」ということはありましたか? それは良い意味の場合もあれば、良くない意味もあると思いますが、そのあたりの話を伺いたいなと思います。

杉浦:想定外ですよね。NewsPicksで言うと、フェーズによって違います。0→1、1→10、10→100のそれぞれで想像してないことが起こるというのはありますね。

3つエピソードをお話ししたいと思います。0→1で想定外だったことは、とにかくなんでもやらなければいけないこと。つまり、技術以外のことをやる必要があったのが想定外でした。

具体的には営業に行ったり、イベントをやるときの椅子の片付けとか。社員が10人ぐらいしかいないからやるしかない。社長も椅子を片づけてますからね。

「エンジニアがそれ本当にやる必要あるの?」「エンジニアだったらコード書いてなんぼでしょ」というのは誰でもそう思うと思うんですけど、やはり0→1ではそうも言ってられないというのはあるかなと思います。

1→10の想定外は、上場です。ジョインして3年目ぐらいにNewsPicksの親会社のユーザベースが上場したんですが、上場はめちゃくちゃ大変ですね。いろんなものを整理する必要がありました。

システム面もチーム面も両方あるのですが、システム面ではセキュリティがかなり細かく見られたり、制度やドキュメントをいろいろと整理しなければいけないので、これはけっこうつらかったです。僕はそういったことがあまり得意ではないということもありますが、そこは想定外でした。上場を機にいろいろなガバナンスを整えていかなければならなかったのが2つ目です。

10→100のフェーズ、さらに拡大していくときに想定外だったことは、やはり組織マネジメント力が求められるってことですね。エンジニアが50人、100人を超えてくると、CTOのやる仕事はガラッと変わります。

コードを書いていいプロダクトを作るのが、0→1の時にCTOがやらなければいけないことでした。ですが10→100でやらなければいけないのは、いかにチームを動かしていくかということだったので、やはりコードを書けなくなります。先ほどマネーフォワード初代CTOの浅野さんが50人のときに辞められたというお話は、気持ちとしてはわかるかもしれません(笑)。僕もエンジニアが60〜70人ぐらいになって、またコードを書きたいということもあって、アメリカでチャレンジすることにしたので。

仕事内容がフェーズによって変わるというのは、僕にとっては想定外というか、みなさんにとっても想定外のことなのかなと思います。

技術のデューデリジェンスをやることに

塩谷:ありがとうございます。齋藤さんはなにかございますか?

齋藤:僕ももともとプログラマとして入って、コードを書いていたのですが、マネジメントをし始めると、だんだんコードを書く時間が取れなくなっていきました。当然組織をマネジメントしなければいけなかったり、プロジェクトを回さなければいけなくなって、だんだんだんだんプロジェクトの工程に自分のタスクを入れられなくなっていきました。

そうすると最終的にどうなるというと、プロジェクト数が多くなるので、もう管理の報告しか受けられない立場になってしまいました。おそらくターミナルにログインしたのは2007年が最後だと思います。

(会場笑)

だいぶ遠のいてしまっていて、エンジニアと言っていいのかと思うぐらい、エンジニアから離れてます。

とはいえ、先ほどあったとおり、僕も0→1をいろいろ経験しているので、自分たちでサーバを組み立ててデータセンターに持っていくのも僕らの作業でした。AWSでクラウドでみたいな、そんな話はぜんぜんなくて、サーバを1台増設するのに1ヶ月くらいのタイムスパンを見ていました。そうじゃないと、アキバに行ってもの見つけてきてCPUを組み込んでそれをデータセンターに持っていってという、納品するのにそれぐらい時間が必要だったからです。

でも、それって全部CTOどうこうじゃなくて、0→1の苦労なのかなと思います。

あとは、自分の中では想定していなかったのは技術デューデリジェンスです。もともとネットエイジそのものがキャピタルの方面が強かったので、そういった意味ではM&Aだのなんだのといったキーワードが入ってきて、「ちょっとあの会社見てきてよ」みたいなことがありました。

それでなんの情報もなくとりあえずそこに行って、「たしか今日ヒアリングすることになってる、ネットエイジの齋藤です」って言って会社に入っていって、その会社のシステムを1から10までヒアリングして、役員にレポートを書いて報告する。一応コメントで「このM&Aはやめたほうがいいです」みたいな情報を出すということもしました。

あとは、逆にM&Aをしていろんな技術部隊をくっつけたり離したりすることがあったので、いろんな面談をしました。組織を大きくするのも小さくするのも自分のひと言がジャッジになってしまうので、いろいろ悩みながらやっていました。やはりCTOなので、当然相談する相手はいるのですが、決断は自分1人でやる。そういったところでいろんな経験をしてきました。

もともとはただのマネージャーだったので、そこまで覚悟はありませんでした。いざなってみて、経営にも触れることはCTOなのでそれほど意外性はありませんでしたが、それ以外のいろいろな雑務、人事の給与テーブルを作ったり、「あれ、こんなことやらなきゃいけなんだ?」みたいなことから、いろんな経験をしました。まぁ、意外なことしかありませんでしたね。

エンジニアをワクワクさせることが大事

塩谷:ちなみに、エンジニアとしてコードを書きたい気持ちは今もありますか?

齋藤:まったくないです。

塩谷:あっ、ないですか。

(会場笑)

杉浦さんは、書きたくてというか、これから書きますよね。

齋藤:ネットエイジに入って4〜5年で「もうプログラマーはやめたいんだ」って。

塩谷:なるほど、そういうタイプのCTOもいらっしゃるといういい例ですね。では、中出さんはいかがでしょうか?

中出:そうですね、もともと何が起こるだろうなと考えてどうするか決めるタイプなので、いろんなことを考えていたんですが、今になって想定外だと思うのは、単に開発組織を作るとか技術を選定するとかそういうことではなくて、エンジニアたちに自分のビジョンを語ったり夢を持たせる、ワクワクさせるということが結局一番大事だなと思いました。今までCTOの経験を重ねるなかでいろいろ考え方が変わってきているのですが、今はそう考えています。

ですが、最初にCTOになったときはまったく思ってもなかったみたいな役割というか、そういうことに一番頭と時間をを使うようになるとは全く考えていなかったですね。

塩谷:それはどれぐらいの規模のときに必要性を感じたんですか?

中出:現在エンジニアはだいたい200人ぐらいいるんですが、小さい会社の場合は自分1人の活躍が会社に貢献している実感みたいなところがあると思います。ですが大きくなればなるほど、自分1人の会社に対する貢献度って相対的に小さく感じるようになるのかなって考えていて。

そうすると、小さい頃のほうがワクワク仕事ができてたなって感じます。ですので会社が大きくなればなるほど、エンジニアがみんなワクワクしているかどうかを考えるようになりました。

杉浦:北極星が必要になりますよね。50人ぐらい超えるとみんな迷い始めるんです。あらぬ方向へ行ってしまうので、それはプロダクト面も技術面も組織もそうですが、「ここにいくんだぞ」って誰かが言わないとだんだんバラバラになっていってしまうということは、僕も感じましたね。

想定するのではなく、事象として受け止める

塩谷:ありがとうございます。阿部さんはいかがですかね。この中でダントツで若くて、25歳でスタートアップのCTOをやられているので、また違う感覚があるんじゃないかと思います。

阿部:そうですね。たぶんみなさんみたいに経験がないので。

塩谷:おっさんじゃないってことですよね。

(一同笑)

阿部:いや、そういうわけじゃないんですけど、そもそも本当に経験がないので、自分に想定できることって大したことがないと思っています。だから、想定外というよりも「こういう事象が起きたな」ぐらいの気持ちで取り組むことのほうが多いですね。「このフェーズだったらこういうこと起きるよ」みたいな感じのことが多いです。

1つだけ想定外だったのは、初期メンバーにもう1人サーバサイドのエンジニアがいたんですが、彼がリリースして2ヶ月ぐらいで「辞める」と言い出したときは、マジで想定外でしたね(笑)。

(一同笑)

「これからがんばるぞ」みたいなタイミングで辞めると言い出されるとは思ってなかったので、それぐらいですね。あとは日々出てくる課題に対してどう取り組むかというのを考えるということだけをやっているので、そもそも想定できるだけの経験がないという感じですね。

マネジメントを学ぼうと思った理由

塩谷:なるほど。ちなみに、今日のセッションは、本番前に事前に質問をお願いして、それに回答いただいたことをもとにやっているんですが、そこで阿部さんがおもしろいことを書いていたのでお聞きしたいと思います。「CTOを目指したことはないけれど、マネジメント能力は将来求められると信じていたので、技術力以上に意識して学んで実践しています」。これを書かれたのは覚えていますか?

阿部:あっ、覚えてます。

塩谷:なぜそう思ったのかと、どうやってマネジメントを学んでいるのでしょうか?

阿部:技術はやっぱり経験も必要だなって思っていて。マネジメントも経験が必要なんですが、技術は時間がかかるという認識を持っていて、やっぱり実践しながら学んでいくしかないなと。

当時学生だったので、社会に通じる技術を学生のうちからきちんと身につけるのはあまり現実的じゃないのではないかと考えていました。最近はインターン生がめちゃくちゃ優秀で「そんなことはないんだな」っていう気持ちになってるんですけど(笑)。

なので、そういうところから、マネジメントは比較的年齢とかに関係なく、組織というかチームがあれば学べるという感覚を持っていましたし、今後自分が成長してキャリアアップしていく上で、マネジメントが降ってくるということをいろんな人が言うし、そうだという認識を持っていたので、マネジメントを学びたいと感じていました。

どう学んだかというと、けっこういろんなチームを、作るというほどではないのですが、研究室のメンバーをマネジメントしてみたり。それこそ会社のメンバーとコミュニケーションをとってマネジメントする。マネジメントを意識しながら接するということはけっこうやってきました。

塩谷:なるほど、ありがとうございます。それでは時間も来たようなので、今日のこのセッションは終わりです。ありがとうございました。

(会場拍手)

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