CLOSE

LINEのengineer culture(全2記事)

2020.01.16

Brand Topics

PR

多様性のあるチームで、グローバルに通用するサービスを作る––LINEのエンジニア組織のこれまでとこれから

提供:LINE株式会社

2019年12月8日、エンジニアの知的興味を満足させるエンジニアのための祭典「JULY TECH FESTA2019」が開催されました。今回のテーマは「Share! Your Engineering Culture!」。さまざまな業界で活躍するエンジニアたちが、自社の開発文化にまつわる知見を語ります。プレゼンテーション「LINEのEngineer Culture」に登壇したのは、LINE株式会社 上級執行役員 LINEファミリーサービス開発統括の池邉智洋氏。LINEが大切にしているエンジニア文化のこれまでとこれからについて語ります。前半パートとなる今回は、自身の経歴とLINEの開発組織の概要について紹介しました。講演資料はこちら

18年前に入社したオン・ザ・エッヂのカルチャー

池邉智洋氏:こんばんは。ご紹介いただきましたLINEの池邉です。よろしくお願いいたします。

本日の最後のセッションということで、みなさんお疲れだったりするのかなと思うので、私のセッションではあまり技術的な話はせず、LINEのカルチャーについて若干肩の力を抜いて聞いていただけるようなお話をしたいなと思います。

私のセッション紹介を見ると「エンジニアカルチャーの変遷について、その中で何を重視してきたのか」という感じのことが書いてあったんですが、これまで私がITのエンジニアとしてけっこう長いことやってきたなかで、重視するもの、会社が変わっていくなかでどんなカルチャーがつくられていったかという話をしようかと思います。

私、「変遷」と言いましたが、この業界ではけっこう珍しいと思うのですが、実はいわゆるアクティブな転職というのをほとんどしたことがなくて、だいたい18年ぐらい同じ会社にいるつもりなんです。“つもり”というのは、ちょっとこれからが大事な話で、まずは私が18年ぐらいどういった環境でやってきたかを説明して、そのあとに今の所属であるLINEではその結果としてこうなってる、という組み立てでお話ししたいと思います。

このロゴ、見覚えある方いらっしゃいますか?

これ、今はLINEなんですけど、その前はライブドアで、その前にはオン・ザ・エッヂという会社がありました。私はこのオン・ザ・エッヂに当初入社したつもりです。

私が入社したのは2001年でして、いわゆるブロードバンド元年と言われている年なんです。インターネットがそれまで「ピー、ガー」といっていたところから「常につながってるよね」みたいな状況になってきたのがこのぐらいの時期です。私、この時まだ大学に籍を置いていて、籍を置いたまま結局戻らなかったんですけど、ネットのプログラミングをしていて、そのままオン・ザ・エッヂに入って今に至ります。

当時この会社は何をやっていたかというと、受託制作をしていました。キャンペーンサイトやメール配信のシステムなど、今見るとわりと懐かしめのガチガチの受託をやっていて、その時どういうカルチャーでやっていたかというと、なかなか大変なんです。

受託開発って、コストも決まっていて、その中で営業は「そんなの簡単ですよ。すぐやれますよ」みたいなことを言ってものすごく短納期の仕事を取ってくるんですよ。そこをなんとか怒られないようにやっていくと、まあまあ個人技の世界になっていくんですね。この時のエンジニアに一番求められていたのは、個人でコードを書けることと身体が強いことみたいな感じになっていました。

当時はオフィスも、よくあるレイアウトだと思うんですけど、左右でエンジニアとセールスで分かれていました。完全に文化が違って、やっぱりここで利益相反しているのでなかなか大変な環境でした。

仮眠室があったり寝袋があったりする環境で、本当にインターネット黎明期で、私のように大学を中退した方も多いような、かなり混沌とした職場でしたね。

ライブドアで責任者としてマネジメントを経験

そのあと、このロゴは見たことがある方がいらっしゃるかもしれないですけど、オン・ザ・エッヂという会社がライブドアという会社を買収しました。

このライブドアという会社は、オン・ザ・エッヂが買収する前から、インターネットのサービスとしては当時では珍しく、テレビCMをやってたりしていて知名度は高かったんですね。

私は18年いると言いましたが、おそらくこの買収する寸前ぐらいが一番会社を辞めようと考えていた時期でした。先ほど言ったような過酷な環境と、結局言われたものを作ってやっていくという環境だったんですね。無茶振りされるので技術的には伸びる感じはあったのですが、自分で思ったものを作りたい気持ちもありました。それで、自社サービスの会社に転職しようと思ったら、この買収があり「ここの責任者やりませんか?」という話があったので、それならおもしろそうなので残ろうかなという感じですね。

受託開発をしていたところから、開発者を30〜40人ぐらい引き連れて立ち上げたという感じです。

そうして開発と開発以外との関係が変わってくることで、カルチャーも少しずつ変わってきて。やはり言われたことをやるわけじゃなくなりますし、ビジネスモデルとしても、ものを作った時点では売上が0円というか、単純に我々の人件費分でマイナスにいったん落ちるので、ここから広告を売ってもらったり課金してもらったりしなければなりません。その結果、これまで意見が対立していたセールスや企画の人は一緒にものを作っていく仲間になりました。

そうすると、技術的なことばかりを言ってセールスを押し込むというコミュニケーションではなく、エンジニアが一番技術に詳しいのは当たり前で、その上で技術を使って何ができるかということを提案していく、そういったコミュニケーションが取れる人が評価されるような時代になってきました。

そのあと会社は一気に多角化して、ご存じなのかどうかわからないですが、2006年にちょっとした軽い何かがあったりして……。

(会場笑)

色々なものが1回リセットになったんですね。そのとき私は執行役員・CTOという立場で経営に関わっていたのですが、会社が切り出されました。そうすると、個人としては、技術のこともそうですが、人をマネジメントするという要素がどんどん増えてきて、「次はこの会社をどうしていくんだ?」みたいなことを考えることが増えました。

この時、事件が起こってテレビでものすごく報道されていたのですが、この時期に今主力で頑張っているメンバーがけっこう入ってきました。なんといいますか、「大丈夫?」みたいに親が電話をかけてくるという話もある中で、逆にいったんゼロにリセットされて混沌とした中に飛び込んできてくれた人もけっこういたんですね。

その状況でもきっと成果が出せる、おもしろいことができると思って入ってきたメンバーがいまだに残っていて、今となっては非常におもしろいことが起きたなと思っています。

買収やスマホの登場で文化が変わっていく

そのあと、ライブドアはいわゆるイグジットというか、NHN Japanという会社に買収されます。NHN Japanグループとして、NHN Japanと、NAVER。当時たぶん「NAVERまとめ」と言われるものができた頃ですかね。それとライブドアの3社が統合されました。

当時のM&Aの交渉の中で、私たちは当時のネイバージャパンの経営陣と会って、いろいろと「今後やっていけそうか」みたいな話をしました。その時に今のLINEの経営陣のメンバーと話して、僕ら的には非常にエンジニアリングを大事にしている会社で、カルチャーが合うと感じました。

ただ、それまでのライブドアとぜんぜん違うなと思ったのは、ライブドアは純日本の会社というか、ほとんど日本人という会社だったのが、すごく国際化された会社になりました。いろいろな国の方が当初から非常に多くて、多様性のレベルが非常に上がりました。

そうすると、日本人独特の「行間を読む」じゃないですけど、そんなに細かいことまで言わなくても伝わる文化がありました。ですので、ライブドアはわりとオフィスが静かだったんですね。それよりは面と向かってコミュニケーションをしていくという状態に変わりました。

あとは、この頃ちょうどスマホが出てきました。それまではWebサービスなので基本的にサーバサイドが強いエンジニアが多い組織でした。それがスマホが出てきてクライアントサイドのエンジニアが増えてくると、異なったものを扱っている人同士が協業していくので、やっぱりそこでもコミュニケーションが必要になり、エンジニアの会話もここで非常に増えました。

ここで今の社名でもあるご存じの「LINE」が生まれるんですけど、LINEの成り立ちも、創業したてのスタートアップとはちょっと違っていて、韓国から「日本で絶対成功させるんだ」という気持ちでチームとしてやってきて、最初から会社のチームでやっているので、そこが今につながる文化というか、チームで物事をすすめることが非常に重視される文化なのかなと思います。

LINEになるのは実は意外と最近で、2013年です。ここで社名自体がLINEに変わりました。

おかげさまでサービスも順調に伸びています。そうすると、内部でも多様性が生まれました。あとは外部との関わりでも非常に多様性が増えてきて、ジョイントベンチャーの会社も増えましたし、日本以外の拠点、とくに台湾やタイでもユーザー数が増えてきたので、そちらの開発拠点もあります。なので、LINEが生まれて以降、多様性はさらに拡大しています。

これは我々の会社だけの話じゃなくて、今はインターネットがなくなったら、めちゃめちゃ困るというか、世の中がだいぶ麻痺してしまいます。

インターネットが世の中で大きな位置を占めていてビジネスが拡大してくると、閉じこもってコンピュータを触っているのが楽しいというところから、もう少し外部とコミュニケーションをとる機会が増えてきました。そういったことがエンジニアや開発組織にもより求められるようになってきたのが、この20年弱で大きく変わってきたところですね。

私の細かい昔の話はこれぐらいにしたいと思います。当時の話というか変遷の話をしたのは、私は文化に対する考え方として、事業など何かやっていることがあって、それをうまくやるために文化が形作られていくのではないかと思っています。最初から文化を作ってやるという話ではなく「事業をやっていてこういう環境なので、こんな文化がいいんじゃないか?」というかたちで作っていくものかなと思っています。

1日50億件のメッセージが流れる大規模インフラ

ここから少し弊社LINEのご紹介を少しさせていただきます。

私たちは「CLOSING THE DISTANCE」をミッションとして掲げているのですが、LINE自体は東日本大震災をきっかけに生まれています。

当初の目的として、人と人の距離を縮めて、コミュニケーションのインフラとなりたい。そういった想いで、コミュニケーションのツールとして生まれています。

最近はその概念を拡大して、人と人だけでなく、人と情報であるとかネットとサービスの距離も縮めていって便利な世の中にしたいということを考えて、こういったミッションを掲げています。

LINEはメッセンジャーのアプリなのですが、それ以外にグローバルで70ぐらいのサービスを提供していて、いろんな場面でLINEのサービスを使っていただきたいと思っています。

例えば、とくに最近ですとFinTechといわれるお金に関わる分野であるとか、あとは買い物をスマホでやるとか、食事のデリバリーのような、O2Oでもう少し現実とネットつないでいく。あとは、音楽を聴いたりライブのチケットを買ったりといったエンターテイメントのサービスもあります。さらに最近では、これらをさらに賢くサポートするために、AIをより広い領域に導入していっています。

さて、ここで少しLINEの技術的な特徴をお話しします。LINEのインフラのお話なんですけど、LINEのインフラはネットワークもサーバも基本的に自前で構築しています。私はいわゆるソフトウェアエンジニアで、私のチームはプログラムを書いている人が多いんですけど、LINE全体で見るとインフラのエンジニアも相当数所属しております。

インフラの特徴としては、やっぱり第一に規模がかなり大きくなってきているのがあります。1日最大でだいたい50億件ぐらいのメッセージが流れていて、最大1Tbpsを超えるぐらいのトラフィックが日常的に流れています。

また、日本だけではなく海外でも利用してもらっているので、インフラ拠点としては日本以外にも、アジア、北米、あとはヨーロッパの主要な箇所にインフラ拠点があります。それらの拠点が結ばれているという感じになっています。

ネットワークはそんな感じで、物理サーバとしては今は全体で4万台を超えるぐらいになっています。物理サーバをそのまま使うということは当然やっていなくて、プライベートクラウドを自前で構築しています。そういった感じで、運用の自動化や便利なツールだとか、そういったこともやっています。

こちらは「Verda」というプロダクト名で、社内の開発者向けにいわゆるクラウド的なコンソールですとか様々なツールなども提供されています。これ自体はだいたい60名ぐらいのインフラエンジニアが作っています。

最近はインフラをパブリッククラウドでなく自分たちでやるというのは比較的珍しくなって来ていると思います。

「LINEのエンジニア」とざっくりと言っていますが、とはいえその中で非常にいろいろな職種があります。ソフトウェアエンジニア、インフラ以外にも、例えばセキュリティを専門にする部署もありますし、また外部に提供するユーザーさん向けのサービスだけじゃなくて、いわゆる社内システムについても内部に専門のチームを持ってコードを書いてやっています。

これはどういうことかというと、会社としてフルスタックなエンジニア組織を抱えていることになるかなと思っています。そうするとやはり同じ会社の中で異なる専門領域のエンジニアが共通の目的に向かってやっていくことを志向していて、そのため違う専門の領域の中でちゃんとチームワークを発揮していく必要があるかなと思っています。

多様性に富むLINEの開発組織

ここからLINEの組織というか環境の話をしたいと思います。LINEの開発拠点のポイントはこういったものなんですけど、日本だけではなくて、アジアを中心に10の拠点があります。

日本だと東京以外には、まず福岡ですね。福岡はけっこう長いことあって、2018年には京都を立ち上げて、日本で3拠点あります。海外も、韓国、台湾、タイ、最近はベトナムと増やしていて、いろいろな都市でLINEのエンジニアは日々開発を行っています。

LINEグループ全体の数字では2,500名ぐらいのエンジニアがいます。国籍としては30ヶ国弱の国から集まってきていて、LINE株式会社単体では700名ぐらいのエンジニアが日々サービスを開発しています。

また、エンジニアだけではなくて全体の社員数もものすごく増えています。これ、2014年以降はどこを切っても3年で2倍という増え方をしているらしいんですね。そういった感じで、日々人は増えています。

人が増えると何が増えるかというと、オフィスが増えるんですね。このようにいろいろな地域にオフィスがあります。

こんな感じで都市名が入っていますが、グローバルに国をまたがって開発することが多いので、オンラインのチャットであるとか、当然LINEも使っています。でも、テレビ会議等のオンラインのコミュニケーションはもちろんですけど、なんだかんだやっぱり顔を合わせて話すのは大事だよねというのは文化的にすごく重視しています。そのため、エンジニアの多い会社にしては、非常に出張も多い会社かなと思っています。

出張は確かにいいんです。オンラインでは伝わらないことがちゃんと伝わったり、やっぱり顔を見て一緒に食事をすると、人間なのでだいぶ打ち解ける。そういったことが非常に効果が大きいんですけど、ただやっぱり疲れるんですよね。海外まで飛行機で行って、そこで新しい知らないオフィスに行って言葉も通じないし、みたいなところがあって。

なので、少しでもいい感じで仕事ができるようにするというか、元のオフィスとできるだけ近しい環境にしておいたほうがいいかなという感じで、これ(写真を)見ただけじゃどこかわからないぐらい全部似ていて、そういった感じのオフィスをわざと作っています。各国の特色も少しずつあるんですけれども、基本的には統一されたオフィスを作る。これも自前でやっていて、社内で専門の空間デザインのチームを置いていて、統一された雰囲気にしています。

あとはシステムとしても、出張に行ったら無線LANがつながらないとすごくテンションが下がるので、そういったことがないように社内システムのほうもちゃんとやって、普段いるオフィスと同じように仕事ができるようにして、出張の負荷を下げる。そういった感じで設備を用意しています。

多様性のあるチームで、グローバルに通用するサービスを作る

ここまでのお話をいったんまとめると、LINEの開発者の置かれる環境は非常にDiversityに富んでいるというか、日本語でいう多様性がある組織になっています。

前半で話したように、私はM&Aで入っていますし、私以外にも規模はさまざまですけどM&Aで入ってきたメンバーが多いです。一方、最近はありがたいことに新卒のメンバーがけっこう入ってきてくれるので、そういった人はいわばLINEしか知らない。そういった人もいます。

また、国籍も非常にさまざまですし、あとはエンジニアもフルスタックで揃えているので、エンジニアという根っこの部分のセンスみたいなところは一緒の部分も多いんですけど、やっぱり日頃やっている仕事は違いますし、あとは大事するものもちょっとずつ違うというか。

例えば、セキュリティ側の人とサービスを進めたいときって、ある意味ちょっと対立ではないですけど、第一に大事にするものが違ったりする場面もある。そういった意味で、非常に多様性があることが我々の特徴だと思っています。その中でグローバルに通用するサービスを作っていきたいという、まずそこがLINEのカルチャーの出発点かなと思っています。

続きを読むには会員登録
(無料)が必要です。

会員登録していただくと、すべての記事が制限なく閲覧でき、
著者フォローや記事の保存機能など、便利な機能がご利用いただけます。

無料会員登録

会員の方はこちら

LINE株式会社

関連タグ:

この記事のスピーカー

同じログの記事

コミュニティ情報

Brand Topics

Brand Topics

  • ランサムウェア攻撃後、わずか2日半でシステム復旧 名古屋港コンテナターミナルが早期復旧できた理由 

人気の記事

新着イベント

ログミーBusinessに
記事掲載しませんか?

イベント・インタビュー・対談 etc.

“編集しない編集”で、
スピーカーの「意図をそのまま」お届け!