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【直前インタビュー】吉藤オリィ 氏(全2記事)

2019.11.25

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「体が資本」が通用しない時代をどう生きるか 吉藤オリィ氏が“分身ロボットカフェ”で描く未来図

提供:SEMIジャパン

2019年12月11日(水)~13日(金)に開催される、半導体製造装置・材料の国際展示会「SEMICON Japan 2019」。その講演に先立って、登壇者の一人である吉藤オリィ氏へのプレインタビューの模様をお届けします。遠隔操作可能なロボット「OriHime」の開発者であり、「孤独の解消」を人生のテーマに掲げる同氏に、現代社会を取り巻くさまざまな課題への向き合い方や、SEMICON Japanの見どころをうかがいます。本パートでは、「体が資本」という常識が通用しなくなる時代の働き方や、新しいことに挑戦し続けていくモチベーションの源について語っていただきました。

人生100年時代は「体が資本」が通用しなくなる

――今年10月に期間限定でオープンされた「分身ロボットカフェ DAWN ver. β 2.0」では、新たなテレワークの可能性を模索されていますが、そのコンセプトについておうかがいできますか?

吉藤オリィ氏(以下、吉藤):私はそもそも、「テレワークをすればいいじゃないか」と言っている人ほど、テレワークを真剣にやったことがないと思っています。

世の中は身体至上主義であり、「体が資本」と言われてきました。我々もいつかは体が動かなくなりますが、体を動かせなくなったあとの人生論を誰も作ったことがない。

どうやら日本は人を100年生かそうとしているわけです。今の健康寿命は75歳で、平均寿命の85歳までの10年は老人ホームに入ったり、病院に入ったりして老後を過ごすことが運命付けられています。

我々は当然、そういう世界をイメージできないし、きっと誰も望んではいないはずなんですよね。私は、そこをどうすれば解決できるのかをずっと研究しています。

私自身、小・中学校時代に3年半くらい不登校で引きこもりでした。本当に居場所を失って、天井ばかり見ている時期がありました。うまく日本語を話せなくなったし、笑うこともできなくなっていた頃があって。ほとんどうつのような状態になって、夜中に勝手に体が動いたことも、池の前に立ったこともあります。

世界から隔絶されるだけじゃないです。自分のことも自分でできずに誰かに全部世話してもらって生きていた。社会の荷物でしかないとか、家族に申し訳ないという気持ちは本当につらいです。

今後の人生で、いつかまた同じ状態になると考えるのが一番つらいんですよね。それを経験した私だからこそ、「どうすれば人間は孤独にならずに生きていけるのだろうか」ということを研究テーマに、13年くらいやっています。

「3つの障害」を克服すれば、孤独は解消できる

私は、孤独を解消するには「3つの障害」を克服すればよいと思っています。1つ目が移動の障害。まず体を運ぶということ。体を運ぶことができないのであれば、心を運ぶ車椅子があってもいいんじゃないかという発想で作ったのが、「OriHime」という分身ロボットです。

私は学校に行こうと思ってもお腹が痛くなってしまったり、親に車で送り迎えをしてもらっても、学校が近づくだけでしんどくなって吐いてしまったりしました。周りからは仮病だとなかなか理解されなくても、そういったことは実際にあります。

どんなところかもわからないなかで、いきなり体を運ぶのは不安なので、まずOriHimeを通して参加して、最後に体を運ぶような復帰方法や復職方法。例えば、北海道に住んでいる患者さんが東京で行われる患者会に参加しようと思ったって、車椅子で飛行機に乗ったら何十万円というお金がかかります。おもしろくなかったり、ためにならなかったりしたら後悔するじゃないですか。

それも、まずは分身ロボットで参加して、よければ次に生身を運んでくればいい。体を運ぶのはコストがかかるので、心を運ぼうというのが分身ロボットを作っている理由です。

もう1つは対話の障害です。我々もふだん、さまざまな人たちと会っているわけですね。例えば、初対面の人と名刺交換をしたとしても、そのあとその人と個人的に連絡を取り合ったり、「今度一緒に食事でも行こうよ」と言う人って、たぶん100人に1人くらいしかいないはずなんですよね。

だから、人と会ったときにどう会話を弾ませて友人になるか。そういうところにおいて、しゃべれない人やコミュニケーション能力をうまく持ち合わせていない人、なんなら英語を話せない我々がアメリカに行ったときなど、さまざまな対話の障害がある。これを取り除きたいと考えています。その一貫として、目だけで操作できるコンピュータを作って、ALSの患者さんが会話できるシステムを作ったりしています。

最後に挙げているのが役割の障害です。移動、対話ときて、役割であると思っていて。例えば、学校などには普通に行けて普通に会話できていても、ぜんぜん知らない人ばかりのパーティーでは場違い感を感じて「やばい、帰りたい」と思うことってありますよね。

でも、そこでちょっと主催者から「お前、受付やってくれ」と言われたり、「カメラマンやってほしい」という役割をもらっていれば、話しかけるきっかけもできるし、参加している感が出やすい。

障害のある人たちや車椅子の人は、「そこにいればいいよ」と言われがちなんですよ。我々が一緒にキャンプに行ったとしましょう。みんなでカレーを作ろうというときに、「俺は薪を拾ってくるよ」とか、「ニンジンを切るよ」と言っているけれど、車椅子の人は「無理せずそこに座っていてくれたらいいよ」となったあと、一緒に食べようと言って、最後にみんなでいただきますと言って食べるカレーの味は、果たして同じ味なんだろうか? と。

分身ロボット「OriHime」が生まれた理由

吉藤:移動ができたとしても、対話ができたとしても、そこでどうやって役割が得られるか。この3つを揃えることによって、孤独という問題を解決できるのではないか。それが、いろんな仮説と検証を重ねてきたなかでの、今の私の結論なんですけど。

これらを解消するための分身ロボットを作って、「OriHime eye」を作って、最後の役割の部分を担うために研究しているのが、“働ける場”です。それが今回の肉体労働ができるテレワーク、分身ロボットカフェプロジェクトである、という位置付けです。

――そうすると将来は、移動ができない方だけじゃなくて、どなたでも使えるようなものになっていくということですよね。

吉藤:そうですね。実際、今やもう健常者のほうがよく使っています。NTT東日本さんで66台使っていただいています。100社を超える企業がテレワーク目的で使っていますね。

今は育児中の女性の方が多いです。育児ノイローゼになってしまったり、家にいて誰とも話さないときも、自分がもともと勤めていた会社でいろんなアドバイスをしたり、会議で意見を言ったりして、ちゃんと自分が参加できる場がある。

ただ会議のときにパッと呼ばれるだけじゃなくて、ふだんみんなが雑談する間にも参加したり、会社での居場所を維持できる。だから、(育休に入って)2~3年経って「子どもが保育園に入ったので会社に戻ろう」と思ったときも、優秀な方が辞めずに済むとか。最近は、そういう目的でテレワークとして使われてはいますね。

分身ロボットカフェも、別にOriHimeを使わなくてもテレワークがあるじゃないかと、みんなが言うんですけど。「テレワークすればいいじゃん」と言っている人たちは、めちゃくちゃ優秀でテレワークができるほど、みんなからアドバイスを求められていて、それでお金をもらえるほどの能力を持っているか、専門知識や資格を有していればやりやすいですけど。

同じ能力を持っている人で……例えば、新卒で会社に来られる人と来られない人がいたら、当然来られる人を雇いますよね。会社に来られない人にどうやって教えればいいか、どうやって人間関係を築けばいいかを誰も知らないんですよね。そういうところでは、テレワークってやっぱり難しい。

「働けなくてつらい」という状況をどう克服するか

吉藤:我々が高校生のときに初めてのアルバイトで何をするかというと、荷物持ちとかレジ打ちとか、なにかしら指示された肉体労働をやっていく。その中で、後輩が入ってきたら教える側に回って、徐々に指示を出す側になっていく。肉体労働を経ないと、その仕事を知っていくステップを踏めないわけですね。

つまり、テレワークで肉体労働をする方法があれば、どんな人でも働きやすいのではないかという仮説です。今回検証していった中では、特別支援学校に通う男の子と女の子1人ずつに、それぞれが住んでいる地方からOriHimeを操作して、人生で初めてカフェで働いてもらって、ちゃんとアルバイト料を払いました。

カフェは本気で常設化したいと思っています。研究という観点から見ても、常設であることによって、研究室よりもお客さんたちを交えてやるほうが、とにかくトライアンドエラーが早いわけです。失敗などにすぐ気付けるという意味でも、完成品というよりは常に研究をし続ける、“世界一失敗し続けるカフェ"を1つ作る必要があるなと思っています。

しかも、そこで働いたメンバーたちが、ほかの企業から雇用される事例が出始めています。例えば今回は、カフェの中でOriHimeを使ってプレゼンができるようになりました。働く人たちの中でも、役割をいくつか細分化して回していて、それを見に来た人は「あ、なんだ働けるじゃん。この子たち」と思ってもらいやすい。

そうすると、そこで普通に「じゃあ、うちの企業の受付やってもらおうよ」という話が生まれます。だから、スカウトされた人も何人かいます。今回のカフェを行うにあたり、「うちのカフェで働きたいかい?」と募集をかけたら、短い間だけで100人の応募がありました。「2年前まで保育士やってました。働きたいんですけど、いきなり事故で……」とか。世の中にはいろんな人たちがいます。

そういった人が、もう1回働きたいと思って連絡してくれることが本当にいっぱいあって。みんなすごく熱意があるわけです。「働くことがつらい」と言われて久しいこの時代において、「働けなくてつらい」ということも当然あるわけです。

障害者年金をもらっていて、働かなくても生きてはいけても、やっぱり誰かの役に立ちたいとか必要とされたいというのは、人間の欲求としてとても大事なものだと思っているし、それが生きる活力になったりします。

今の世の中が身体至上主義で、肉体があることを前提にデザインされている。それであれば、こういったロボットの肉体を用いて、接客したり人に出会いに行くというコンセプトで一番いいものは何か、ということを考えたのがカフェだったんですね。

困っている人と一緒に研究をすることが解決の近道

吉藤:カフェの常設化を目指していきますけれど、カフェにこだわっているわけじゃなくて、それ以外にも今声がかかっているいろんな企業の受付なども、ぜんぜんできます。最近はモニターも操作できるので、遠隔でパワーポイントのページもめくれます。そういうことができれば、会社説明もできます。

最近は、うちの会社の展示会で説明員が足りないと、OriHimeが説明をしています。モニターチェンジさせながら、「これはこういうものなんですよ。よかったらお手元のパンフレットをお持ちください」「よかったらペットボトルをお持ちください」とご案内できます。

そういうものが、うちの会社だけじゃなくてほかの会社にも増えていくと、離島や海外にいる人でも関係なく、遠くに住んでいるおばあちゃんや、話が上手な人たちが雇える。

シフトチェンジにはなんのタイムラグもないので、体調を崩してしまって「やばい、誰か来てくれないか!?」とか、「あ、やばい、フランス人来た。フランス語話せる人いる?」となっても、その後ろに代わりに入れる人がいたら対応できます。

生身の人間しかできないこともあるけれども、瞬間移動しながら移動の時間がまったく必要ないという意味では、OriHimeのほうが有利に働けるケースも最近はだいぶ見つけてきていますね。

みなさんが寝たきりになったあと、どうするかを考えていただきたいんです。今の仕事をそのまま続けられるかというと、難しいかもしれない。手が動かないかもしれないしね。移動することも難しいかもしれない。

でも、今まさにその困難に衝突している人たちがいて、どうすれば彼らが全身の痛みや苦しさを抱えながらも、楽しく生きていけるかを一緒に考える。これは、寝たきりになったあとの人類のロードモデルを、開発できるんです。

だから障害者雇用とか、「いいことだからやらなきゃ」ということではないんです。ダイバーシティは、人と違うことが価値という意味なのでね。弱者救済という意味でもなくて、本来、種としての生存戦略として意味がある。だから、今一番困っている人はある意味一番最先端なんです。そういった人たちと研究することが一番の近道だと考えています。

本当に「新しいもの」は最初は理解されない

―― 1人でアイデアを考えていらっしゃる時間は孤独なのでしょうか? また、そういう時間をどう乗り越えていらっしゃいますか?

吉藤:私の中での孤独の定義は、周りの誰からも必要とされていないと感じる状態です。1人でいるときに、なんとなく「あ~今日さみしいなぁ」と思うことはあっても、それは私の中では孤独ではなくて。

孤独というよりは、理解者がいないという状態はよくあります。新しいことを発想すると、だいたい理解してもらえないんですよ。これはとても大事な考え方で、上司やみんなが「それいいじゃん! 絶対いけるよ!」と理解できる時点で新しくないんですよね。4Kのテレビより8Kのテレビのほうが高スペックだし、なんか良さそうな気がするよね、くらいの問題だと思っていて。

そういう意味で言うと、分身ロボットカフェも今はこれだけ理解者が増えましたけど、やっぱりやってみないとわからなくて。やる前は「AIのカフェでいいじゃん」「回転寿司でよくない?」「寝たきりが働かなきゃいけない世の中にする気か!」とか、いろいろ言われました。

でも、私は逆にそういうふうに言われることが、新しさの基準だと思っているんです。要は「新しいもの」は反対され、友達はいなくなり、親は泣くものであるということを前提に、それでもやる。新しいことをやるときは、誰かしらが泣くことの覚悟と、自分が手を動かしてササッと作るところは、いつもすごく意識してやっていますね。

あとはやってみたらわかるので、あまり他人に理解を求めない。分身ロボットカフェを開催してみて、あかんかったらあかんかったで辞めればいいし。それがウケて、みんなが「いいね、それ!」と言ってきたならば、また次のことを考えればいいと思っています。

失敗を恐れずに挑戦できる人の思考法

――理解されなくてもやり続ける勇気やモチベーションは、どういったところにありますか?

吉藤:私は孤独の解消のために生きようと思うくらい、自分の人生が孤独だったので、基本的に他人に理解されないことに慣れているとは思います。こうじゃなきゃダメだという考え方があまり好きじゃないですし、そういう考えは更新できると思っていて。

「こういうのがあってもいいかもね」と思えるものを徹底的に作ったら、その状態は更新できます。それはやって見せるしかないかな。やって見せたところで、理解されないこともよくありますが。

あと、モチベーションコントロールとして1つ優れているのは、誰かに食べさせるために料理を作るようなところがあります。おいしい料理ができたら喜んでくれる人がいる。それは、ひいては自分が楽になる方法でもあるんです。“どうすれば孤独を解消できるか”を紐解いて考えている人たちがいないので、それについて考えることは自分にとってはすごくやりがいがあるし、そのために命を使うのはぜんぜん悪くない。

それに「失敗するとなにを失うのか?」をちゃんと考えれば、そんなに怖くなくなると思います。失敗して信用を失うのは、自分が万能ぶるからだと思っていて。「私は超失敗するよ」と言いながら、それでも仕事をくれる人たちがいる環境にいれば、そんなに失敗は怖くないです。失敗をちゃんとフォローしてくれる仲間も揃えておくとかすればいい。

あと、プログラミングをやっているとわかるんですけれども、失敗せずにいきなり動くことなんてあり得ないですよ。小さな挑戦ならすぐ成功して、「やったー、成功した!」と言えるんですけど。大きな挑戦でいきなり成功したら、むしろ怖くなりますよね。

つまり、本当に成功するというのは、失敗を潰していって、もう失敗しない状態になり、まぐれではない成功をしたとき。いろんなことに挑戦している人たちは、そのために無数の失敗をこなさなきゃいけないことはわりと理解してくれると思うので。

もう1つは、全人類から必要とされる必要はないということ。むしろ、たくさん挑戦しているがゆえに転んで傷だらけになっている人たちは、本当に成功したときにめっちゃ喜んでくれたり、応援してくれたりする。そういった人たちと一緒にいればいい、という考え方もできると思います。今はネットの時代なので、自分に合うコミュニティを探せるんですよね。

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