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パネルディスカッション(全3記事)

2019.03.14

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日本には若手アーティスト育成の機運が足りない 気鋭の彫刻家たちが芸術を取り巻く環境に警鐘

提供:文化庁

2018年11月30日、文化庁が主催するシンポジウム「芸術資産『評価』による次世代への継承─美術館に期待される役割─」が開催されました。人口減少と超高齢化社会が進行する日本では、美術品などの芸術資産の活用と次世代への継承が極めて重要になってきています。そこで、文化・芸術資産の活用の重要性、価値評価を高めていくための方策、今後の美術館の在り方などを議論するシンポジウムが行われました。パネルディスカッションでは、アートコレクター岩崎かおり氏、東京大学大学院 准教授・加治屋健司氏、建築家・田根剛氏、彫刻家・名和晃平氏、京都大学大学院 准教授・柴山桂太氏らが日本のアート市場の問題点を議論します。(撮影:古澤龍)

年代記を編さんする重要性

青柳正規氏(以下、青柳):加治屋さん、MoMAから出た、戦後の1945年から1989年までの日本のドキュメントを集めた本『Primary Documents』が出たとき、私は国立美術館の理事長をやっていて、非常にショックで。MoMAでは基本的な土台づくりまでもがやられていて。こういうものが日本では出ていなかったんです。

それで美術館にいるときに若手の学芸員の人をみんな集めて、「こういうものこそ日本で作らなくちゃいけないんだから」ということをお願いしたんですよね。

こういうものができているから、実は最初はもの派などにちょっといいと目を付けると向こうがどんどん買い出して。そしてある時点でもの派に関する研究論文が発表されました。そして公的な、例えばMoMAだとかなんとかで展覧会を開いて。そうすると、向こうに蓄積されている安く買ったもの(の価値)がドカーンと上がるわけですね。まさに地上げのやり方なんです。

それに研究者がきっちり組み込まれているんですね。具体もそうです。おそらく、その次にはなにかをまた狙ってくると思います。それだけのクオリティが日本の美術にあるからです。

そういうことが起こっては困るということで、一番の被害者は(国内)美術商ですから、本当は学者集団が作らなくちゃいけない『日本の20世紀芸術』というクロノロジーを、東京美術倶楽部が出版しているんです。年代記みたいなもので、何年にどういうものがあったかが書いてあります。

英文に訳されて、少しは日本のものの研究の主導権とかベーシックなところを取り戻そうということでこういうことをやっているんですが、あまりにもそれが小さい。そのあたりについてお願いします。

批評論集が作品の価値を育てる

加治屋健司氏(以下、加治屋):MoMAの論集は2012年に出たんですが、編集作業は3、4年間ありました。

編集員が4人いたんですが、それぞれ違うところに住んでいましたので何十回もスカイプ会議をしたり、場合によってはアメリカに行って会議をしたり。アメリカから日本に来てもらって会議をしたりして、かなり時間をかけて作ったんですね。

MoMAは、研究者から見ると、研究の動向を踏まえて活動しているなと思います。というのは、彼らは、日本だけではなくて、中国、ブラジル、中米、中東欧、アラブといった、彼らがフォローできない地域の言説を本にしているんです。毎回プロジェクトチームを作って、数年かけてそういう本を作っています。

そして、1冊を作るのに実は膨大なお金をかけています。これは40ドルで売っているんですが、売上だけまたく採算が取れないんです。そもそもMoMAは非営利団体なので、利益を求めようとして作ったわけではないんですね。

自分たちおよび研究者等が使えるように作っている。実際にこの本を作ってから、(海外の)大学の先生に「これ、授業で使ってるよ」と言われるんですね。

先ほどもの派の評価が上がった話がありましたが、いま英語圏で日本の戦後美術の研究をしている人たちはアジア系の人たちが多いんですね。もの派だったら日系の人なんですね。具体もアジア系の人がやっていて。自分たちのルーツの1つである地域のことを勉強するというのは、けっこうあることなんですね。

そして大学院生のときにこうしたものを読んで関心を持って博士論文を書いて、研究が蓄積されていく。またそうした研究の蓄積とともに作品が注目されるようになっていくというような。つまり、研究によって展覧会もしやすくなるわけですよね。

ですので、(このような論集は)非常に広い言説の形成に大きく関わっているのではないかなと思いますね。日本語ではこうしたものがなかなかない。とくに批評論集はここまでまとまったものが日本語ではないというのは、やはり問題だとは思っています。

ちょっとずれてしまうんですが、先ほど柴山先生のお話に美術品はどんどん価値が上がる一方だというお話がありました。古美術の評価は上がる一方だと思うんですが、現代美術の評価は、戦後美術だとやはりまだ変動があると思います。

つまり1960年代にすごく注目されていたが、今はほとんど論文も書かれない。展覧会にも出ないという作品は多数あるんですね。

また、例えば同じ作家の作品が2つあって、完成した作品と習作みたいな作品があったとします。でも習作のほうを大きな美術館が持っていて、研究が蓄積されて言説が膨大に出てくると、そちらのほうが重要になることもあります。やはりこうした言説が作品の価値に与える影響はまだまだ大きいのではないかと思いますね。

21世紀以後、美術館の役割が変わった

青柳:田根さんから先ほどお話があったので僕が思い出したというか、自分で考えていることなんだけど(笑)。とくにヨーロッパと日本の建築や土地を考えると、層位が1段階違っているような気がしているんですよ。

つまり日本での土地に対する感覚は、向こうの都市であれば建物だし。日本の住宅は向こうで言えば家具だし。それから日本の家具は向こうで言えば絵画の額縁。1段ずつ違うんじゃないかという気がしているんです。それはどうでもいいんだけど(笑)。先ほどのことを含めて、もうちょっとお話をお願いしたい。

田根:今のお話もすごくわかりやすくて。たぶんそこらへんの、モノとしての意味というよりは文化的な蓄積をしていくことに、社会と言っていいのかわからないですけど、時代というものがちゃんとそこに意味があると思ってきた文化。

また、日本の場合、自然が豊かなのと同時に、大きな地震や台風という環境的な要素が大きいので、それが壊されることなども経験しているので、ある種そこにお金をかける必要はないんじゃないかという。あとは木造だから、または紙だから壊れやすいというので。

でも、木造でも長く残したり、直せることが建築のすばらしいところです。そういうことをすれば財産はちゃんと継続できるというところをもう一度見直すほうがいいんじゃないかというところは大事なポイントかなと思っていますね。

建築だけではなくて、たぶん都市ということも同じだと思うんですが、先ほどお話を聞きながらも、個人のコレクターと美術館も同じで、たぶん信用は大事なポイントかなと思っていました。美術館がなぜ信用されるかと言うと、やはりコレクションがベースにならないといけないのが、たぶん本当の博物史から始まった美術館のあり方なので。

19~20世紀も含めて、基本はコレクションとコンサベーションとエキシビジョンという3本立てで美術館の信用を得ていきます。大きな美術館は、やはりコレクションがちゃんとしているし、それをちゃんと保存しているし、研究もしている。

ただ21世紀に入ってから、なんとなくキュレーションやコミュニケーションといったシェアみたいなものが非常に価値を持ち始めました。箱だけを作ってコレクションを持たなくても美術館になるんじゃないかということで。

ある種、一定の期間は大丈夫なんですけど、先ほどの名和さんのお話も同じで、散逸していったものを取り戻したり、建築で言ったら壊してしまったものを作り直したりすることはできないと思うと(取返しがつかない)。建築でいえば財産をどんどん壊していったり、美術であったらどんどん散逸してしまったものを高く買い戻すか、外に出しっ放しにしておくしかない。現状はずっと同じことが続いているなと感じますかね。

新しいものを生み出すにはエネルギーとお金がかかる

青柳:名和さん、今まで2,000点くらい作っておられたと言っていましたが。自分の作品に自信があれば売らないで持っていて、値上がりするからストックしておけば一番いいんじゃないですか?(笑)。

名和:それは思いつかなかったですね(笑)。

青柳:というのは、晩年のピカソはいいものは売らないで、絵付けをしたお皿など、簡単なものばかり売っているんですよね。

名和:僕は「自分が所有している」「所有していない」という意識があまりないんですよ。世の中に自分の作品を生み出す意識だけがあって、それを「僕が持っている」「誰かが持っている」というよりは「この世界にある」という感覚で作っています。

だから新作を作るときは、その世界に自分の作品をもう1つ加える感覚なんですよね。コレクションなどを持っていただいている方々は、僕の作品世界の一部を持っていて、つながっている感覚なんですね。

もちろん、それで支援していただいているから新しい作品も作れるし、新しいチャレンジもできますよね。製造業じゃないので、注文を受けて、受注生産しているわけではないじゃないですか。誰も見たことがないものを生み出そうと常に努力したいと思っています。

新しいものを生み出すことは、やはりものすごくお金がかかるんですよ。リサーチしたり、実験したり、検証したり、設計して、ゼロのフォーマットから新しい空間を生み出すのは、お金だけじゃなくてものすごくエネルギーがかかります。集中力や考える力など、たくさんエネルギーが詰まったものなので。それを然るべきところに残したいという気持ちはあります。

保管する場所としての美術館

名和:近年の美術の動向で言うと、やはり箱だけがたくさん地方にも増えて、それが村おこしみたいにもなるから、国際展とか地方のいい美術館が増えたと思います。箱だけができたところに、今度は若手の人気作家が呼ばれて展覧会をするんですが、それは必ずしも潤沢な予算ではない。

僕も常に作品が海外に行っているから……東京都現代美術館で2011年に個展したときに、12部屋の巨大な空間を任されて、予算もぜんぜん足りないから作品を売って継ぎ足してやったんですけど、それも90パーセントは新作で作ったんですよ。

そのくらい持っておくのも大変だし、彫刻で言うと作れば作るほど倉庫がいるんですよ。今僕も倉庫を1,000平米くらい使っています。保管するのも、ものすごく大変です。この間も関西の台風でたくさん倉庫が壊れちゃいましたけどね。

作れば作るほど、作家にどんどん負担がかかるんですよ。だから、もちろんニューヨークのMoMAなどの美術館など、やはり誰かちゃんとした方に持ってもらうのが一番嬉しい。

メトロポリタンにコレクションされましたけど、あれはすごく安心感がありました。アメリカという国がある以上、完璧な状態で保存してくれるという安心感がありました。そういうかたちで、ちゃんとしたところに残っていくことはモチベーションにもなるんですよね。

ただ、いろいろな空間を任されて作ったインスタレーションはどんどん散逸していって。例えば、僕は泡を発生させて、泡だけで何十メートルの作品とかあるんですけど。それはモノとしてなかなか認識されないからコレクションの対象にならないですよね。だから、泡を出すたびに赤字になって大変になるんですよ(笑)。

だけど、そういうことをビジョンとしてこの世の中に伝えることがアーティストの役割でもあるので。売ったものの資金をそういうインスタレーションに充てることで、なんとかやりくりをするということなんですよ。

でも本当は、美術館はインスタレーションもコレクションできるんですよ。先ほど青柳さんが言っていた具体や、もの派のインスタレーションピースは、今ごろアメリカの美術館は買い始めていますよ。それはインスタレーションをする権利をコレクションするという考え方で、設計図を買うんですよね。

そういうかたちで本当に優れた作品は戦後いっぱい生まれていて。もちろん僕らは写真とかでは見ているけど、誰もそれを所有したり守ったりしていない状況は、やはりなんとかしないといけないんじゃないかなと思います。

アーティスト育成の機運が日本は少ない

青柳:プライベートコレクターに(美術品が)入る場合もあるわけですよね。その場合でも、名和さんの芸術をすごく理解してくれている人と、一時は持っているけど、いつかは売るんじゃないかというコレクターもいる。そういうときにいろいろ考えることはあります?

名和:もちろんありますよ。ただ、僕はギャラリーと仕事をしているので、ギャラリーとの信頼関係でギャラリーに任せている部分があります。このギャラリーが信頼できるから、このギャラリーを通して作品を売るという。だからギャラリーはすごく大事な機関だと思います。

今、美術館だけが議論されていますが、美術館が巨匠などの本当に「国の宝」と言えるものをちゃんとアーカイブする機関だとしたら、それこそギャラリーは美大生から若手作家までをインキュベーションしていく機能がありますよね。育てて、次のステージに押し出す。海外なり国内の次のステージにどんどん押し上げていく機能がギャラリーにはあって。

今、日本はそれが非常に弱まってしまっているんですよ。ギャラリーも弱体化し、コレクターも少ないから、ギャラリーもどんどん弱まってしまって。若手作家のチャンスが減り、希望がなかなか見えないところについて、僕は本気で今の状況を心配していますね。

10年前はアートバーゼルに10個くらい日本のギャラリーが出ていましたけど、今年は1つか2つですよ。中国や韓国、インドネシアがどんどん入ってきて。

僕は15年くらい前から中国や韓国でも活動していますが、中国は国策で伸びそうな作家はガンガン支援して、欧米の中心と言われるところにドンとプロジェクトとして資金をつぎ込んで花を咲かせて、それをまた自国に持って帰る戦略がうまくいっているんじゃないかなと思うんですよね。本当にこの15年くらいで歴然とした差に見えて、なんとかしてほしいなと思っています。

アメリカはコレクターと美術館の関係が逆転

青柳:加治屋さんからも、価格を決めるのは市場であるというようなお話があったように、市場ではギャラリーが非常に重要性を持っていると思います。それと美術評論との関係の望ましい姿、あるいは日本はもう少しこういうところをやればいいんじゃないかと思うことはありますか?

加治屋:そうですね。数年前に、アメリカのコレクターのところへ行ったんです。その方は、自分の作品を展示する大きなスペースをお持ちだったんですね。

そこへ行ったら、自分のコレクションを中心とした展覧会をやっていて、分厚い立派な展覧会カタログを作っていました。そこでおもしろかったのは、彼の持っている作品が並んでいるんですけど、近くの美術館の作品も入っているんですね。「これは美術館の作品じゃないですか?」と言ったら、「美術館から借りてきた」と言うんです。関係が逆転しているんですね。

従来だったら美術館がコレクターから作品を借りてきて展覧会をするんですが、今、コレクターが自分の作品を見せるときに、こういう文脈の中で作品を見せたいということで美術館から借りることもある。

美術館の人に聞くと、彼は地元の名士で、将来的にはその美術館に自分の作品を寄贈するであろうと。だから、美術館としてもそういう人を大切にしたい(という思いがある)ので、借りることができるんですね。

マーケットや言説などいろいろありますが実は相互につながっているんですね。学芸員も研究者も、そうしたネットワークを、自分たちの利害もさまざまに絡まり合いながら作っていると思います。

もの派に関しては、もの派についての立派な博士論文がベースになった展覧会カタログがあるんですけど、あれはギャラリー(Blum & Poe)が出版したんですよね。

とくにアメリカの場合は、パブリケーションに非常に時間がかかることから、マーケットと連動しようとすると、普通の大学出版だと十分に対応できなかったということかなと思いました。やはり複合的に動いているなという印象がありますね。

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