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パネラー紹介、キャリアの振り返りと将来のゴール(全1記事)

2018.09.06

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もはや毎日がターニングポイント リスクジャンキーたちのワークスタイル

提供:株式会社Konnect

2018年8月9日、永田町グリッドにて株式会社Konnect主催によるイベント「Rockなプロフェッショナル達が提唱するライフデザインの作り方」が開催されました。これは、多様なキャリアを築いてきたスピーカーたちが、これからのワークスタイルについて語り合うトークイベント。本パートでは、4名の登壇者およびモデレーターの自己紹介と、それぞれがターニングポイントになったできごとについて語るセッションの模様をお送りします。

Rockなプロフェッショナル達が集うトークイベント

司会者:それではファシリテーターとパネラーの方々のご紹介をさせていただきたいと思います。ではみなさま、どうぞご登壇ください。どうぞ拍手でお迎えください。

(会場拍手)

司会者:ここからはパネルディスカッションということで、私のほうからみなさまのご紹介をさせていただきたいと思います。それではお掛けいただきましょうか。

向かって右側から、ファシリテーターの佐藤さん、そしてパネラーの黒田さん、中野さん、久保さん、小林さんです。

佐藤さんからご紹介します。佐藤さんは1部上場企業でシステムエンジニアを5年ほど経験された後、2013年9月にベトナムでのスマホアプリ・Webシステム開発事業を主としたアローサル・テクノロジー株式会社を設立。現在はAIの研究とAIエンジンの開発を進めていらっしゃいます。

続いて、黒田さん。会員制サロン「議論メシ」代表を務めながら、およそ2,000人の日本最大級フリーランスコミュニティ「FreelanceNow」発起人でもあり、「フリーランスを実験し、世に活かす」という活動ビジョンを掲げ、自身を実験台にしているフリーランス研究家です。新しい事業と働き方を推し進めることが生業で、スタートアップから大企業の新規事業まで、ディスカッションパートナーとして年間30社の事業立ち上げを支援していらっしゃいます。

そして中央が中野さん。中学・高校で教員として4年間勤務された後、上場直後のベンチャーでSEやプロジェクトマネジメント、システムコンサルタントなどを経験、2014年にジョインしたテモナ株式会社でCTOの役職に就任されます。現在は、事業推進グループの担当役員として、ビジネスサイドからテクニカルサイドを牽引していらっしゃいます。

次が、久保さん。東京大学大学院卒業後、2007年に外資系コンサルティング会社ATカーニーに入社、2012年にミューズコー株式会社を設立、2015年に株式会社ミクシィに売却することに成功されます。1人の独身男性をめぐって25人の女性が争う恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』の初代バチェラーを務め、現在は、家具・インテリアのシェアリングサービス「CLAS(クラス)」を展開する株式会社クラスの代表を務めていらっしゃいます。

最後が、小林さん。新卒後、お花屋さんからキャリアをスタートされ、マーケティング調査のスタートアップを設立、イギリスMBA、投資銀行、IT、財団法人、ホテル、総合広告代理店など、いくつかの転職を経て、2018年5月に株式会社Konnectを設立、代表取締役を務めていらっしゃいます。

それでは、改めましてみなさま、大きな拍手をお願いいたします。

(会場拍手)

司会者:今回、パネルディスカッションのファシリテーターを佐藤さんに務めていただきます。それでは、佐藤さんお願いいたします。

佐藤拓哉氏(以下、佐藤):みなさま、こんばんは!改めて、だ、第3代目の……、噛んじゃいましたね。

(会場笑)

佐藤:バチェラー候補で有力の佐藤と申します。……ウソです、ウソです。

(会場笑)

佐藤:よろしくお願いします。今日は僕が主役じゃないので、みなさま話しやすいようにファシリテートしていけたらなと思います。

さっそくなんですけども、今回はテーマを3つ用意しております。まず1つ目のテーマから、みなさんにいろいろ聞いていきましょう。

テーマ1は、「今までの働き方を振り返った時の、ターニングポイントっていうのは何なのかな?」っていうのと、あとはいろいろな失敗について。アンケートにもあったんですけども、失敗の乗り越え方とか、みなさんいろんな経験をされてきたと思いますんで、自己紹介も含めながら、ターニングポイントについてちょっとお話いただけたらなと思います。

キャリアカウンセラーの完全体になるためフリーランスの道へ

佐藤:それでは、黒田さんから順番によろしくお願いします。

黒田悠介氏(以下、黒田):はい。何分ぐらいいけるんですか?

佐藤:5分ぐらいですね。

黒田:5分ぐらい、はい。

佐藤:ちょいちょいみんなでたぶんツッコむかもしれませんけども(笑)。

黒田:はい(笑)。私、こういう場に慣れてなくてですね、自分のこと話すのちょっと恥ずかしいんですけど、まあ、ちょっと話します。

ちょうど久保さんとも一緒なんですけど、東大を出て、その後2社ベンチャー企業にいました。それで、3社目を自分で起こすことになりまして、26歳でマーケティング系の会社を立ち上げました。28歳の時にそれを売却して、そこからキャリアカウンセラーになりまして、その後フリーランスって感じになります。

転機とからめていろいろ話すと、26歳で始めた会社が比較的うまくはいってたんですけれど、人の面で失敗してたんですね。なかなかいい人が採れない。

佐藤:ちなみにどんな会社なんですか?

黒田:Webマーケティングの会社で、簡単に言うと(顧客台帳サービスを運営している)トレタさんみたいな感覚で、そういうのを各サイトやサービスで最適化させるかたちで、まあSaaSみたいなものをやっていました。導入費用0円で、1人行ったら500円とか700円くださいっていう成果報酬型で、年間百数十万人が使ってくれたりしました。

佐藤:すごいですね!

黒田:実はステルスでいろいろやってたんですよ。その会社自体は売却したんですけど、その手前で、こんなにおもしろい事業なのに……自分で言うのもなんですけど、いい感じに動いてるタイミングなのにぜんぜんいい人が採れなくて。そこに課題を感じて、もっと優秀な若手と伸びてる企業をつながなきゃいけないっていうことで、キャリアカウンセラーになったんです。

佐藤:それは何歳ぐらいですか?

黒田:28歳くらいですね。会社を譲渡・売却して、スローガンという人材系の会社に転職しました。そこで年間1,000人ぐらいの学生と話をして、「これからはもうベンチャーやスタートアップに入るのがクールだ」という啓発をするような、そんな活動を(笑)。

佐藤:(笑)。まあ、そういう時期ありましたもんね。

黒田:まあ、そうなんです。そういうことをしながら、自分のキャリアのことを考え続けていた時期がありました。そこがけっこうターニングポイントですね。そうやってキャリアの話をずっとしてると、「自分のキャリアって、そもそもどうなのか?」って考えることになるのと、あとは「フリーランスってどうですか?」っていう話をすごい聞かれるようになったんですね。まあ「時代だな」って思ってたんですけど。

「フリーランスどうですか?」って言われても、「いや、もう大変そうですね」「やめといたほうがいいんじゃないですか」みたいな、すごい軽いことしか言えなくて、それが自分的につらくて。会社もつくったし、売った。でもフリーランスはまだだった。そこで「フリーランスやらないと、自分は不完全なままだ」と思ったんで、自分をキャリアカウンセラーの完全体にするために(フリーランスを始めることにしました)。

佐藤:完全体にするために(笑)。

黒田:もう1段階進化したかったんです。フリーランスを経験しようっていうことで、3年前の8月、2015年ですね、フリーランスになりました。そこでのキャリアカウンセラーの経験が、自分にとっては一番の転機になっていますね。

自律分散型がコミュニティづくりのポイント

佐藤:この中で、「キャリアカウンセラーやってます」っていう人います?

(会場挙手)

黒田:あんまいない……あ、ちょっといる。

佐藤:ちょっとだけいますね。そこからフリーランスになったんですね。

黒田:そうです、そうです。実験的に。

佐藤:今はフリーランスの……「FreelanceNow」でしたっけ? そこで多くの方々を束ねてると。

黒田:束ねてるってほどじゃないです。でもまあ、2,100人ぐらいのメンバーがいます。

佐藤:「議論メシ」とかそういったディスカッションサービスでサロンをやってると思うんですけども、そこはうまくいってるんですか?

黒田:「議論メシ」去年の11月に始めて、今8〜9ヶ月ぐらいですね。メンツが160人ぐらいいて、月4,000円ぐらい払って入ってもらうサロン型のサービスなんですけど、サブスクリプション型みたいな感じでやっていて。

特徴的なのが、企業のオフィスに5〜6人ぐらいでお邪魔して、その企業とディスカッションをして帰るみたいなことを、週に2回ぐらいやっていて。ディスカッションパートナーと私は呼ぶんですけども、企業の方とディスカッションをして課題を解決するプロフェッショナルみたいな人が、けっこう集まってきてる感じです。

佐藤:今日はたぶん社長の方もいらっしゃると思うんですけども、フリーランスの方でもチームランサーとして組みながら仕事をやっていこう、みたいな人もいらっしゃるんじゃないかと思います。先ほど「人のところで苦労した」って話してましたけども、どういったところがうまく機能しなかった、そこに対してどう乗り越えてきたっていうのはありますか?

黒田:自分がやってた会社ではクリアできなかったんで、スローガンっていう会社に行って、そこで文化をつくろうとしましたね。スタートアップやベンチャーに行くのがクールだよ、っていうことをしたんですね。

その時は解決しきれなかったんですけど、今はこういった自律分散型のコミュニティみたいなのにしていて、自走するって言うとちょっとあれなんですけど、自分がなにもしなくてもいろんなことがコミュニティの中で起きるのを目指して、コミュニティはつくってますね。

佐藤:なるほど。わかりました。じゃあ、もうそのままこの流れで。なんか、もし黒田さんに興味があることがあったら聞いてくださいね。

中野賀通氏(以下、中野):あ、少しいいですか? (前方の席でスマホを立てかけている人を指して)そこにある携帯は?

黒田:自分がやってるサロンでこういう場をだいたいライブ配信することにしてるんで、今日は勝手にライブ配信をしてますね。

中野:なるほど。

「ガッツがあるように」との想いを込められた、その名前

佐藤:じゃあ、続きまして、中野さん、お願いします。

中野:はじめまして、中野と申します。本日は久保さんの引き立て役ということで、お声をかけていただきました。ありがとうございます。

佐藤:そんなことないです(笑)。

中野:これね、腹が立つんですけど、本当に悪意しか感じないですよね、(右隣に座る久保氏を指して)この並びとか。

(会場笑)

中野:とりあえず1歩後ろに行って、遠近法使ってもらって……(笑)。

(会場笑)

中野:はい、ではよろしくお願いします。

私はですね、ちょっと名前が変わっているので、まず最初に覚えていただきたいなと思うんですけど、中野“賀通”って書くんですね。賀正の“賀”に交通の“通”という字で、「ガッツがあるように」と親父に音から付けられてしまったというところがあるので、名前負けしないようにだけがんばっています。学生時代は本当格闘技しかしてなかったっていう。

佐藤:そうなんですか?

中野:はい。レスリングでは120キロ級の選手で、今は新日本プロレスとかにも部活仲間がいるみたいな(笑)。「K-1」とか「Dynamaite!」の番組を見ると、部活仲間がいつも出てるみたいな。そんな感じでした。

僕の場合はちょっとキャリア的には変わってるところばっかりであれなんですけど、高校にいる時にですね、当時文部科学省とかが大学を時短で卒業するという制度を作ろうとしていたんですね。

佐藤:時間を短くする?

中野:4年じゃなくて、短縮して卒業するっていう制度があって。「やりたい」ってなったんですね。僕が行ってた学校がたまたまそのモデル校で、たまたま僕が選ばれるという。なので、高校にいながら大学の単位を取るっていう感じでやってまして。

ただ、ターニングポイントの1個は、大学に入る時に単位の互換が国のヘマで認められなくなったっていうね。「附属の大学だったら3年で卒業してもいいですよ」って言われて(笑)。

黒田:話が違う。

中野:話が違うんですよね。僕は附属の大学に行きたくなかったんですよ。それで大学受験をやめました。

佐藤:やめたんですか!

お上に通らない意見を通すため、一度外に出る

中野:はい。それで何を考えたかというと、「どうしよう、普通の大学生になるのイヤだな」って思っていたに、教員の募集を見つけたんですよ。

佐藤:安易ですね(笑)。

中野:受けたら受かったんですよ。

(会場笑)

佐藤:すごいですよね。ガッツがありますね。

(会場笑)

中野:ただ、教員採用試験を受けてなくて、教育実習も受けずすぐに実習の先生になるっていうね。学校の先生をまぁ4年間ぐらいやっていまして、それが1個のターニングポイントです。

佐藤:何の先生だったんですか?

中野:ええとですね、保健体育で……。

佐藤:あら。

中野:あ、冗談です(笑)。

(会場笑)

中野:情報工学のロボティクスとか、電子工学とか、電気工学とか。ちょっと技術系のマニアックなやつですね。

佐藤:そこはもともと知識があったんですか?

中野:どうなんですかね(笑)。

(会場笑)

中野:一応あったんだと思います、はい。それも1つのターニングポイントです。もう1つは、高校の先生とかをやっている時に、当時……IT系の方が今回のイベントにいらっしゃるか、どれぐらいかわかんないですけど。

佐藤:聞いてみますか?

中野:あ、聞いてもいいですか?

佐藤:もちろんです。

中野:じゃあ……久保さんのファンだという方。

(会場笑&挙手)

中野:はい、すいません(笑)。ではIT系の方。

(会場挙手)

中野:あ、多い!

佐藤:けっこう多いですね。

中野:ありがとうございます。当時、僕が高校生とか中学生に教えてたのが、Windowsばっか教えていて。

佐藤:わかりますよ。

中野:なんでもかんでもWindows ServerでC言語教えましょうみたいな。これはカリキュラムが予め承認されていて。

当時からビジネスシーンではもうすでにWindowsなんて使われていない状態になっているし、オープンソースを使ったサービスがどんどん立ち上がってるしっていうところでした。僕が「授業を変えたい」と校長も含めて直談判したら、「カリキュラムって2年ぐらい前から決まってて、しかも国に出して認可も受けてるから、変えられません」みたいな話になるんですね。

「だって、おかしいじゃないですか」って、「ぜんぜん使われてない技術をこれからの未来をつくる人たちに教えるのって、頭おかしいんじゃないですかね」っていう話したら、「中野くん、それは無理なんだ」って言われて。「あ、これはもう無理だな」と思いました。

教育にすごくコミットしてやりたいと思ってたんですけど、お上の話でなかなかうまくそういうのができないっていうことで、じゃあ、自分が1回外に出て、有名になって、僕の意見をみんな聞いてくれるようになってから、また教育業界に戻ればいいんじゃないかと思ったんですね。

ライブドアショックの影響

佐藤:なるほど、そうなんですね。

中野:それでベンチャー企業に行きました。5年で辞めるつもりだったんですけど、その会社が上場してすぐにライブドアショックっていうのがあってですね。

佐藤:あーー!

中野:同じ会計事務所を使ってたのか、株価が95パーセントぐらいダウンしまして。

佐藤:いつ上場されましたっけ?

中野:ちょっと記憶がないんですけれども、2000年代の前半だったと思いますね。僕はエンジニアとして入ったんですけど、ライブドアショックの後、人がどんどん辞めていなくなるわけですね。「あれ? 上場会社に入ったのに人っていなくなるんだ」って。

佐藤:(笑)。

中野:すごい話じゃないですか。

佐藤:すごいですね。

中野:これからやっていくぞっていう時に、外部環境の変化で崩れてしまう。でも僕は逃げ出すってことはせずに、こうなったのも縁だし、やんなきゃいけないなと思って。「黒字にする」って決めて、事業をつくったりとかいろんなことをピボットしながら、3年ぐらいで黒転したんですね。

そっからはアホほどいろんなことをやってですね。だいたい7年から8年近くいちゃったんですけど。会社を辞めて、その後は起業の準備をしていました。空いた時間で前職の営業の業務委託みたいなのを請けてたのと、その半分ぐらいでスタートアップの技術支援や技術顧問みたいなこともフリーランスみたいなかたちでやってました。

佐藤:あ、業務委託と言うかフリーランスをされていたんですね。

中野:はい、そこで今のテモナに出会ったっていう。最初はフリーランスの技術顧問というお手伝いのところから入ったけれど、やっぱり一緒にやりたいという気持ちになって、フルコミットして入って取締役になり、CTOもやってという、そういった流れですね。

佐藤:それって、前職のほうではなかなか手放せない人材だった、っていうことなんですかね?

中野:いや……。

佐藤:業務委託をしてまでもやってほしいっていうのは、なんかきっかけがあったんじゃないですか?

中野:そうですね。チームをつくったり事業をつくったりと、いろいろやってきたんですけど、自分が離れても大丈夫な状態にして辞めれば僕は大丈夫だと思ってたんですけど、「ちょっとの間、様子見させて」っていう話があったので、「じゃあ、それはご奉公します」っていう話で、少しだけお付き合いさせていただいたっていう感じですね。

コントロールできない世界でのストレス

佐藤:なるほど。今聞いてる感じだと順風満帆なんじゃないかなってうらやましく思うんですけども。

中野:いえいえいえ(笑)。

佐藤:トラブルについても聞きたいですね。

中野:あー、トラブルですね。前職では大手企業のマーケティングプロダクトをつくってそれを入れるっていうのをやってたんですけど、それがトラブル起こしまして。

車の業界の大きいところなんですけど、もう本当に「数億円の訴訟するぞ」って言われるぐらい大きいことがありました。まあ、すべてが僕らが直接起こしてしまった障害だけじゃないんですけど、関連するサブシステムのほうでいろいろありました。

佐藤:ありますよね、システム間のトラブルとか。

中野:その時、たまたま僕がそこに居合わせて、「トラブルシュートしてくれないか」みたいな話になったんですけど、数珠つなぎにいろんな人に話が伝わるんですよ。「障害起きたらしいぞ」「今、中野が対応してるらしいぞ」と。それで、「あそこの会社がトラブル起こしたっぽいぞ」ってなる。ぜんぜん関係ないのに(笑)。

最終的に切羽詰まって、僕らと関係ないところなんですけど、土下座して謝ったっていう、そういうのとかありましたね。なので、僕らがコントロールできる世界じゃないところで、いっぱいストレス受けるみたいなことは多かったと思います。

ターニングポイントの度にリスク感度がバカになる

佐藤:ありがとうございます。じゃあ続きまして、みなさん、久保さんです。

久保裕丈氏(以下、久保):(マイクを指して)あ、あ。声入ってますよね?

佐藤:ちょっと入ってないかもしんない。

中野:ぼくのマイク、どうぞ。

久保:すいません。あ、あ。大丈夫ですね。改めまして久保です。よろしくお願いします。えっと、ターニングポイントですよね。僕はけっこう多くの人の前で話す機会は多いんですけど、だいたいが酔っぱらった人に「薔薇渡してくれ」みたいなのばっかりで(笑)。

(会場笑)

佐藤:それはそれですごいですね(笑)。

久保:終始真面目なテンションでお話することってなかなかないので、慣れないですね。

佐藤:そもそもどういうきっかけでバチェラーになったんですか? 経歴聞く前に聞いちゃうんですけど。

久保:あれは、本当にたまたま知り合いの制作会社の人に「出てくれないか」って声をかけてもらってですね。「おもしろそうだな」と思って、本当に深く考えずに請けました。あれもターニングポイントですよね。

佐藤:観てましたよ、僕も。

久保:僕はキャリアの中で、2年か3年に1回ぐらいですかね、ターニングポイントをあえて起こすようにしているというかですね。

佐藤:自分で起こすように。

久保:意識的にしてます。ターニングポイントが出るたびに自分のリスク感度がバカになっていくのがわかるんですね。

佐藤:リスクジャンキーみたいなのですか?

久保:そうです、リスクジャンキーみたいになっていくんですよ。

世間的な認知度を得られたバチェラーへの出演

久保:ファーストキャリアは外資のコンサルでした。

佐藤:キラキラなやつですね(笑)。

久保:そう(笑)。それなりの給料もいただけるし、その時は長く勤めていました。5年ぐらいやった時に、やっぱり自分でリスクテイクして意思決定するようなことしたいなって、あんまり深く考えずに会社を「とりあえず辞めます」って言った後、3ヶ月後ぐらいにはミューズコーっていう通販の会社立ち上げちゃいました。

ここも1つのターニングポイントですね。何て言うのかな、そこそこ堅実な会社員からいきなり経営者になっちゃうっていう。そこから3年間ぐらい、僕も同じように組織とか人の失敗をここでひと通りやりつくして、なんとかかんとか売却、いわゆるイグジットまでこぎつけることができました。

でも、その後は経営者としては会社を離れていて。その期間は、なんとなくお声がけいただいたら、フラフラとフリーランスみたいに会社の顧問を務めさせてもらうみたいな。

佐藤:顧問されてましたよね。

久保:はい、してます。それをしているうちに、さっきの話になるんですけど、制作会社の方にお声がけいただいて。その時も、数人には相談するわけですよ、友人に「こんなのがあって」って言って。海外の『The Bachelor』っていう番組観させてもらったんだけど、もういろんな女の子とキスはするわ、それはもう……。

佐藤:海外のほうがすごいんですか?

久保:海外のはすごい、間違いなくすごいんですよ。「やるかどうか、どうしたらいいと思う?」って聞くと、基本的に全員が反対するんですよ。

佐藤:あ、反対されたんですか?

久保:「リスクしかない」「おまえ、何を目指したいんだ?」と。でも「日本で誰もやったことないんだったら、別にやっちゃえばいいか。おもしろそうだし」って思ったので、もう本当に勢いだけで出演を決めたっていうのが事実ですね。

佐藤:周りからの、実際出てみての反響ってどうだったんですか? 友達とか、もしかしたら取引先とかもあるかもしれないんですけども。

久保:だいたい一言目が、「観ましたよ」っていう(笑)。

(会場笑)

久保:ニヤッとしながら「観ましたよ」って言われても、反応に困りますよね。「あ、ありがとうございます」って。

(会場笑)

久保:「ありがとう」ではないでしょうけどね、正しい反応って。結果としてリスク取ってよかったなと思うのが、おかげさまで世間的な認知度っていうのはかなりいただけたので。

それから改めて会社を立ち上げたんですけれども、今回は家具のサブスクリプションというかレンタルの事業です。今回は家具を全部中国で、自分たちでつくっている。それを仕入れたりもするので、実はものすごく資金調達が必要なんですよね。

佐藤:そうですよね。在庫抱えたりとかもするんですよね?

久保:もうとんでもないですね。前回立ち上げた会社の、おそらく3倍ぐらいはきっと資金調達しなきゃいけないだろうなっていう。それだけリスクテイクしないといけない事業を立ち上げたんですけど、やっぱりターニングポイントを経るたびに、リスクバカになっていくんで(笑)。

佐藤:(笑)。

久保:2社目ですし、もういい大人なんで、そこに対してのいろんなスキームを組んだりはしてますけど。やっぱり、やればやるほどどんどん大きなチャレンジがしたくなるっていうのは、あるかもしれないですね。

内定先の倒産をテレビで知る

佐藤:なるほど。ありがとうございます。ずっと聞いちゃうんで、ちょっと抑えますね、僕。次のテーマもあるので。ありがとうございます。では、小林さん。

小林伸行氏(以下、小林):はじめまして、小林と申します。よろしくお願いします。

ターニングポイントというと、たぶんここにいらっしゃるみなさんは、ほぼ毎日ターニングポイント迎えてるんじゃないのかなと思いますけど。僕自身のキャリアで言うと、比較的サラリーマンというかお勤めをずっと続けていて。

佐藤:そうですよね。いろいろ経験されてますもんね。

小林:キャリアは10回ぐらいは変わっていると思うんですけど。

佐藤:10回!

小林:はい。今はKonnectという会社の代表をさせてもらっています。一番はじめに大学を卒業して、内定を取りますよね。当時は就職氷河期だったんですが、けっこうがんばって内定取った会社が、ご存知の方もいらっしゃるかもしれないんですけど、山一證券という会社でして。

当時は日本の証券会社ビッグ4の1つだったんですけど。確か11月ですかね、当時で言うと、11月の時点で内定をもらってない奴はもう終わったっていう、そういう時代だったんですよ。

佐藤:そういうのありましたね(笑)。

小林:その時に、テレビで自分の内定先がつぶれたっていうのを見て、「ヤバいぞ」ってなって(笑)。

(会場笑)

小林:ただ「まずいぞ」って言ってても状況は変わらないので、今のところ自分には、破綻したばかりの巨大企業の内定組だっていう理由があるので、すぐこの牌を使ってどっかにもぐり込もうと。

日本経済を担う企業が一瞬で消えたことで気づいたのは

小林:その時に1つ思ったのが、当時の学生の自分にとって、山一證券という会社は日本の経済を支えてる大きな会社だっていう意識があったんですけど、それが呆気なくつぶれたと。僕にとっては、一瞬でつぶれたように見えたんです。

そこに入るために、自分ではものすごく努力をしたつもりで。もっと言うと、面接の時もかなり自分をつくってたんじゃないかなっていう意識が、すごい強かったんですよ。自分自身ショックでちょっとおかしくなってたのかもしれないんですけども、どうせだったら好きだって思える仕事というか、会社に行こうかなと思いました。

といっても、なかなか考えがまとまらなかったんですよ。そこで「いっせーのーせ」って自分で思った時に、浮かんじゃったのがお花だったんですね。

(会場笑)

佐藤:ロックですなあ!

小林:「花、俺好きじゃないし」って思ったんですけど。学生時代の戦略で、別に容姿も普通だし、しゃべりがうまいわけでもない自分が、好きな女の子に何をしたらいいのかなっていうことで、ニッチ戦略で花を贈っていたんです。

佐藤:薔薇ですか?

小林:はい。

久保:薔薇!?

(会場笑)

小林:今日は薔薇の話が多いですね。

久保:(笑)。

小林:まぁ、そんな学生だったんです。ただ、花の持つ魅力ってすごいなって思っていたのは事実なので、日比谷花壇という花会社があるんですがすぐ電話したら役員面接になって採用していただきました。ただ、その後、やっぱり花は好きじゃなかったことに気づいて。

(会場笑)

起業一家に生まれ育ち、起業のきつさを知る

小林:それで、1年ちょっと勤めてから某事業会社へ転職して社内起業するんですね。市場調査で、ミステリーショッピングという手法があって、お客様のふりをしてクライアントさんの店舗に行って、レポートを上げるっていう仕事です。

それまで日本でどこもやってなかったっていうのがあったので、「好きなもの食べられたりとかしてお金稼げるっていいじゃん」と思って、なにも考えないまま始めたっていうのが本当のところです。しかしそこで、みなさんの話でもあったように、人ですごい悩むんですよ。

佐藤:みなさん、人で苦労してるって話してますよね。

小林:当時は24とか25歳ぐらいだったので、社会のこともよくわかってないまま始めちゃったりして。小さいながらも、従業員の方とか仲間内でいろいろな問題が起きる中で、正直もう起業ってきついなって思ったんですね。

ちょっと余談になるんですけども、僕の実家ってみんな起業家なんです。ちっちゃい頃から「なにか会社を起こしたいな」、よくわかんないけど「社長っていうやつになりたい」っていうのがあったんですね。その勢いでやったものの、「こんなにきついんだ」って気づいて。

っていうところがターニングポイントで。1回逃げるんですね。起業熱が冷めて、そこから海外留学で「とりあえず大学院行ってみようか」みたいな感じで。

ターニングポイントの1つ目が倒産ですね、山一證券。2つ目が先ほどの話に出ましたがライブドアショックです。

中野:きつかったですねぇ(笑)。

小林:(笑)。昔起業してたときの友達が、当時ライブドア証券のマネジメントをやってたんですね。

なので、「おまえ、大学院卒業するんだったら、こっちに来てみないか?」と、タイミング的にニッポン放送の買収劇の後でした。それで行ってみたら、半年後にライブドア事件が起きてしまって。

中野:本当にしんどかったですね、もう。

(会場笑)

ターニングポイントを過ぎてからの、キャリアの築き方

中野:IT業界全体への投資が凍結したりとか、「ITといえばうさんくさい」みたいな。覚えてらっしゃらないですか?

佐藤:僕、その時代じゃないんで。

中野:また、その顔で!

佐藤:僕、この顔で平成元年生まれなんですよ。

中野:えーっ!!

(会場笑)

中野:ライブドアショックはすごかったですよね。

小林:すごかったですね。

中野:今思えば。

小林:僕、あの時投資銀行部門だったので比較的身近な部署だったかもしれません(笑)。

中野:そうなんですね。僕、前職でいた会社が監理銘柄入りしているレベルだったんですよ。

小林:はい(笑)。

中野:マザーズの上場基準って一応はあって、その一つの基準が5億が時価総額なんですけど、あまりに日本が酷すぎちゃって。3.5億の緩和基準なのに、僕がいたところは経営が芳しくない状況でした。

小林:山一證券で金融マンになれなかったから行ったものの、結局自分の努力っていうのが足りなかったと思うんですけど、そこでめげるわけですね。

その後、広告代理店の博報堂に行って、流れ着いたのがストラテジックプランナーっていう職種だったんですけども、「これ、すごい天職だ」と思って、とりあえずそれで5年近くいろんなことをやらせていただきました。それもまた飽きるんですね。その後は……。

佐藤:それ、このままテーマ2にいきながら話してもらいましょう。

小林:あ、すみません。

佐藤:大丈夫、大丈夫です。たぶんみなさん働き方っていうところを含めて話が進んでいくと思うので、テーマ2のほうにも入っていきますね。だいたいみなさんの人柄とかはこれで分かりましたよね。

小林:すいません(笑)。

佐藤:いや、ぜんぜん! 人柄とか、どういう社歴だったのかとか、経歴だったのかって、なんとなくわかっていただけたかと思いますので、ここからテーマ2に進みましょう。

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