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AIは本当に人を幸せにするのか(全2記事)

2018.04.16

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AIは本当に人を幸せにするのか? 人工知能の有識者が語る科学技術と幸福の関係性

提供:国立開発研究法人科学技術振興機構

2018年3月14日、東京大学伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホールにて、 科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)が推進する「人と情報のエコシステム」研究開発領域シンポジウムが開催されました。ビッグデータを活用した人工知能、IoT、ロボットなどの技術と社会の共進化を目指す取り組みの一環として、パネルディスカッションが行われました。人工知能の有識者らが「AIは本当に人を幸せにするのか?」という、科学技術の枠を超えた問いについて議論します。

AIは本当に人を幸せにするのか

司会者:ここからは國領・領域総括にマイクをお渡しいたします。それではよろしくお願いいたします。

國領二郎氏(以下、國領):ありがとうございます。最初に思い切り舞台裏をご紹介しますと、今日はパネルが「AIは本当に人を幸せにするのか」というパネルと「新しい技術開発に貢献するELSI(Ethical Legal and Social Issues)研究のあり方」、最後が「AI時代の『責任・主体』を心理学・法学・哲学の観点から検討する」というので、本当は順番が逆がうれしかったんですが。

つまり本当は結論的に「AIは本当に人を幸せにするのか」というところで終わりたかったところではあるのでありますが、パネリストのスケジュール的な都合がありまして(笑)、あえて頭にこれが来ることになったのですが今になると、逆におもしろいのではないかということでございます。

このお題のつけ方もいろいろありました。「安心」とか「不安」とか、そういう言い方もあったんですが、ちょっとここはあえて「幸せ」にするかという。というようなお題の設定をさせていただいたということです。

先ほど最後やっぱりオートノミーの話がありましたが、このパネルでは、この今の情報技術というのがほかの今までの技術とやはりどこが根源的に……今までの技術と同じ面もいろいろあるわけですが、やっぱり大きな違いとして、少なくともオートノミーのように見えるものという面がある。

それがやっぱり人間の根源的なところに触れるような、少なくとも不安感を与えているようなところが非常に大きいのではないか。そのときに人間は、機械とか世界との向き合い方をどのように考えていけばいいのかを考えたいと思います。

じゃあまず大竹さんのほうから、我々の領域に対する期待感も含め、検討のアジェンダ等、お考えになっていることをお話をいただけたらと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

(会場拍手)

幸せと不幸をどう定義するか

大竹暁氏(以下、大竹):科学技術振興機構の大竹です。今日は大変遅くなり恐縮でございます。

今日はお題が「AIは本当に人を幸せにするのか」という非常に難しいお題で、私もこれに来るために少し勉強しました。ただ、浅学なお話なので恐縮ですが。

「幸せってなんだろう?」って私個人としても考えてみたわけです。人が幸せと感じるのは、いろいろ先人の考えを参考にして考えると、やっぱり本人が重要と思う価値が実現される、あるいは実現に向かう状況にある状態にあるんじゃないかと。要するにやっぱり価値が実現されるというのが重要だと。

ただ、価値というのは人によって異なるし、たぶん時代とともに変遷するだろうなと思っています。例えば、私はあまり経験しなかったけれど、今も世界では経験してる人がいる、貧困とか飢餓。日本もたぶん世界大戦のあとぐらいはそうだったと思うのですが、やはり最低限な文化生活をしたい、と言うのが当時実現したい価値だったと思います。

それから、経済成長の時代は物質的な豊かさになるのですが、さぁ成熟した社会になるとどうなるんだろう? このへんがやはり今我々にとって、日本にとっては非常に問題です。

心の豊かさと言えば簡単なのですが、GDP per capitaでいいのかどうかは、今、経済学者も議論しているところで、これとは別に、ブータンの「Gross Happiness Product(国民総幸福量)」とか、ああいう話も出てくるという話を聞いて考えるわけです。

じゃあ対極で「不幸は?」ってどういうことかなというと、まぁ「価値が実現できない」というのは非常にシンプルなんですけど、それ以外に非常に悲しいのは「実現したい価値が見いだせない」。なんとなく今の時代にこういうのがあるのかなと。それから、「自ら力を尽くして幸せになりたいと思えなくなる」。これも非常に悲しい話だなと思っているところです。

科学技術はゼロサムの世界を突破できるか

大竹:科学技術と幸せということを考えると、科学はやはり自然に関する知識を体系的に得る、技術は便宜を図ることで、知的・物質的な価値の創造を通して人間の幸せに貢献してきた。

だからときどき「天文学って役に立たないでしょ?」という人がいるけれど、日本で350億円かけたすばる望遠鏡は非常に評価されています。やはりこの人間がああいう宇宙の果ての何百光年先の絵を見ると、これはとっても新しいことがわかったといって、幸せになる。たぶん単純な物質的金銭的(な価値)だけじゃないので、こういうことが起きるだろうと。

ただし、幸せに反すると危惧されることもいっぱいあります。古くは、というか私が感じる古くだと、産業革命期のラッダイト運動とか、20世紀半ばの核兵器ですね。それから今はやはり生物学。ゲノム解析、クローン、脳という話は、ひょっとしてちょっと危ないんじゃないかという議論も出てくる。

いずれも人間や生命の日常的な生活に著しい変化をもたらす。「いいこともあるけど、悪いこともあるんじゃないの?」というのが、脅威だろうなと。これまでは、それをたぶん英知で制御してきたんだろうな、ということです。

ちょっと話は幸せとずれるのですが、やっぱり世界規模ではこういう大きな課題に直面していて、ちょうどこれは有名なplanet boundary、地球の限界みたいな話です。スウェーデンのストックホルム大学のヨハン・ロックスストローム先生が書いたものですが。

真ん中のあの緑色の小さな丸が地球1個分。それが赤い枠になると地球2個分。さらに突破すると2個以上に必要になる。いろんな危機感があるんだけど、いろんなかたちで、今の状態でも、「地球1個では今の人類が生活できないんじゃないか」、こういう話になってくる。

今そういう問題を、SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)という話で、先ほどのplanet boundaryというのは、一生懸命努力しても、誰かが我慢する、どこが得るけど、どこが凹む状態になる可能性がある訳です。

したがって、科学技術・科学への期待というのは、今「STI(Science, Technology and Innovation) for SDGs」と言っていますが、これはやっぱり、なんかひょっとしたらそういうゼロサムの世界を突破してくれるんじゃないかという漠とした期待があるわけです。

学問の領域を超えた協業の重要性

大竹:人類共通の平和、幸せになるだろうという漠とした期待があるのですが、やっぱりこれは1つの分野でどうこうということじゃなくて、このターゲット自身もインターリンクしてるということなので、やはりいろいろな科学の協業が非常に求められる。それと社会とどうしていくかが求められていることで。

これは「〜disciplinary」というのが、これが社会科学評議会の方が示してくれたのですが。Monoでものごとができるうちは楽なんですけど、Multiというのはなんとなく分担をしているような感じなんだけれど、それがInterdisciplinary(学術的)になると、やはり少しその境界が溶けて「もうちょっとみなさん協業しましょうね」という話になってくる。

だけど、これからの時代はよく言われているTransdisciplinary(学際的)。そうすると、学問の科学の世界だけじゃないところとも協力しないといけないだろうという話になって。これが今後すごく重要になるのかなって話です。

もう少し思ったことは、やっぱり外なる危機と内なる危機。とにかく先ほど申し上げたように、1つの科学分野で対応できる例は多くないだろうと。当然、人文学、社会科学、こういうものを含む……科学と書きましたが、学問、学術、こういうものをすべて動員して対応する。

地球規模問題が人間の将来を脅かす外的な危機ならば、人間の内面に迫る危機もある。それが若干今日の質問にもある、AIは幸せにするのか。「幸せにするのか?」って質問した人がいるってことは、不幸になるんじゃないかと危惧してると。

そこはやはり1つの脅威なのかなと思います。それは人間が知的生物として、自ら考え問題を解決していく。この姿勢に対してAIがどう対応するんだろう。そこに対するリスクも持っていると。

私ちょっと聞きそびれてしまいましたが、たぶん安西先生もお話しになったかもしれませんが、AIについてこのあとさらに、よくシンギュラリティとか、それからAIのロボット労働代替。日本では49パーセントですね。それから深層学習を経た一部のAIが暴走して、ヒトラーの言ってるようなことを言うという話も聞いています。

楽観論は、「AIは便宜が大きいね」とか「ラッダイトだって核戦争だって回避できたから、これからもいけるんじゃないの?」と。

しかし、「違いがあるんじゃないですか?」があって、これまでは人間の外的部分を技術や科学が代行してきたけど、ひょっとしてAI自身が英知を持つか、AIが自身で価値を見い出すとしたら「人間の幸せってどうなるんだろう?」と思ったわけです。

人間がAIによって幸せになるという意思を持つ

大竹:人間はささやかな存在ですが、私は、人間社会や科学技術の歴史の主人公は人間だと思っていて。この大学でもそうなんですけど、物理学者は「物理は普遍だから、経済や人間社会とは関係ない」って言うけど、物理学を生み出したのは人間だから、物理の法則は普遍でも、物理学は人間の所作。

そうすると、AIの進展は人間に対してむしろ究極に、「人はなにか?」「幸せとはなにか?」という、本質問題を語りかけてるんだろうなと。ここでやはり人文学とか社会科学との協業が必ず重要になってくるだろうと。

主人公として考えられるか? デカルトもパスカルも言っていますが、こういうところだと思うんですね。AIに幸せにしてもらうというのは丸投げですから、今日の本当の問題の設定は、人間がAIによって幸せになるという意思を持たない限りは、AIに任せてもなにも起こらないのではないかというのが、今日のまず最初の問題提起であります。

ありがとうございました。ここに出てますが、こういうのと……ターミネーターが来るのではなくて、こういうロボットと我々が非常に協力していいものを作っていけるというのが理想かなと思っている次第です。一応、最初はこんなことでお許しください。

國領:ありがとうございます。意思を持って幸せになるということを考えるためには「幸せとはなにか?」を考えないと、まぁそこらへんから始めるということかと思うので。全体に対する答えなんかありっこないような気もしますが、それぞれのお考えを、安藤さん、ドミニクさん、尾藤さんという順番でお話をうかがえたらと思います。

それぞれ7分ずつお話をいただいて、その中からちょっと私がテーマをピックアップして議論をしていくと。そんな手順でいきたいと思いますので、安藤さんよろしくお願いします。

Wellbeingとワークショップ

安藤英由樹氏(以下、安藤):はい。大阪大学の安藤です。お題「AIは本当に人を幸せにするのか」ということで、今、我々がやっている研究が「日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」というタイトルをつけてしまって、それでけっこう苦しんでるわけなんですが……。

幸せということとWellbeingということについてまず最初にお話をします。「幸せ」という一軸的なものをもう少し多次元的に見ていくというのがWellbeingという考え方です。

そのWellbeingを情報技術に実装しようという考え方が「ポジティブ・コンピューティング」と呼ばれる方法論です。その内容の本が出版されていて、さらにそれを日本語に監訳したのが、我々のメンバー渡邊淳司氏と次の登壇者のドミニク・チェン氏。内容についてはその本を見ていただければよくわかるだろうということで、細かいことは省略させていただきます。

今我々が進めていることを「日本的」と入れてしまったので、西洋と日本ってなにが違うのかもいろいろ考えたりとか。西洋人に比べ日本人はどちらかというと、個人が伸びることよりも全体の場に対してすごく注意を働かせることが多くありますので、そのあたりに着目しながら、今3つのことをやっています。

それは個人ごとのWellbeingの要素について考えましょうということと、実際にその要素が決まったときに、どのような応用や実装方法があるかを考えていくということを、ワークショップのなかで行っていくわけですね。

ところで、最初になんでWellbeingに着目することになったのかですが、きっかけは我々が行ってきた、「心臓ピクニック」というワークショップにあります。これは、ただ単に心臓の鼓動を聴診器マイクで拾って、その鼓動を振動に変えて手の上で感じるというだけの装置を作ってですね。45分ぐらいのワークショップを行うんです。

まず自分の心臓の鼓動を手の上で感じてみましょう。それからほかの人と心臓の鼓動を交換してみましょう。それから心音の録音もできるので、ちょっと録音してならべてほかの人の鼓動をいろいろ楽しんでみましょう、聞いてみましょうみたいなことをやって。最後に録音され鼓動する装置について、「これで終わるので電源切りましょう」とファシリテータが言うと参加者はなんかちょっと切ない気持ちになって終わるというのが、スライドの下のほうにも書いてあるんですけど。

このワークショップを通じていろいろ感想をいただいたりすると、単にこういう体験がおもしろいというだけではなくて、今まで言葉として生きていることは当たり前だと思ってきたことに対して、実感としていのちを再考するというふうにつながるんですね。装置がどうこうというよりは、こういうワークショップを通じて感じることがたくさんあるなって。

お葬式もWellbeingの1つのかたち

安藤:このあたりを考えたときに、もう少し情報技術というものは、便利さというよりは、人の心をポジティブにする、心を豊かにするような方法論があるんじゃないかというのがそもそものきっかけになっているわけですね。

それをいろいろ我々なりに設計論的に分析すると、例えば意味の発見をするとか。あるいはなにか、鼓動のように実感的に感じることとか。あるいはほかの人とちょっと話をしたり、質問をしながら鼓動が変わっていく様子をコミュニケーション方法として考えるとか。ちょっとドキっとするような質問をするとやっぱり鼓動が変わるように感じるんですよね。

実際にワークショップなどを通じて、新しいコミュニケーションをとっていくということを感じてきたので、その中になにかあるんじゃないかということをいろいろ考えてきました。ここには、今まで国外の研究者といろいろ議論をしてきて、ここ1年半の間でいろいろ気づいたことを少し書いてあるだけなんですが。

ポジティブ・コンピューティングの多くは、今よくあるインターフェース技術そのものを用いることが多いです。ユーザに対して答えをさらっと出してしまう。インターネットもそうだと思うんですが、答えをさらっと出してしまうことを重要視している。

しかも答えというのは、質問に対して言語的な答えがパッと出てくるんですが、本当にそのことがいいのかと考えたときに、本当に大事なことは答えを得ることでははなくて、答えを求めるプロセスそのものなんじゃないかとを思うようになりました。要は、問いと意味を考えて生み出すためのサイクルを作り出すしくみができればいいなと考えました。

もう1つは、答えの出し方も、言語的な文字としての答えをボーンと出すのではなくて、本人が身体的に感じるとか共感することの中に生まれてくるほうがいいだろうと考えたわけですね。それで、最初に3つぐらいの要素を考えてみました。

まず、この「自律性」というのは、ロボットの自律性ではなくて、人間自身の自律性を指します。「思い遣り」というのは大事なことはすぐわかると思うんですが、もう1つ「受け容れ」が大切だとを考えています。

「受け容れ」というのは、ちょっとネガテイブに思えるかもしれませんが、例えばお葬式というものも1つのWellbeingの体験なんだと考えるようになったわけです。

悲しいんだけれども、悲しさをうまく忘れて、だけど故人のことはあんまり忘れないという仕組み。たぶん、四十九日などの法事の中にはそういう仕組みがあって、亡くなったということをうまく心の中に受け容れる。そして心の強さを作っていくということも、1つのWellbeingにつながるだろうと考えています。

無意識・身体性とAIの関わり

安藤:結局、「自律性」が大事と考えると、ガイドラインは「なにかこれをこういう基準を守ればいいんです」とか「こういうふうに作ればいいです」というものじゃないなということがわかって、「ガイドラインなんていうタイトルをつけなきゃよかったな」って今から後悔しています。

でも、我々が目指しているガイドラインとしての1つの答えは、Wellbeingの要素をまず集めて、その要素を具体的に実装する状況をシナリオとして考える。そういったシナリオをワークショップの中からたくさん生み出していけばいいんじゃないかということです。

今まさにそれを実行している最中で、「自分にとってのWellbeing」を考えるワークショップを開いたり、そこで出てきた要素について「Wellbeingな暮らしのためのシナリオを作るワークショップ」を繰り返し行っています。

例えばこのような写真の現場のなかで、いろんな場所で「あなたのWellbeingはなんですか?」って、みなさんに3つの要素を書いてもらいました。

これは1つの例なんですが、Wellbeingとひと言で言っても、たくさんの項目があって、個人に対してなのか、個人と個人のつながりなのか、あるいはもう全人類に対して幸せをと考えるのか。集めるだけでもいろんなことがわかりました。これから要素を整理してまとめていこうと考えています。

あともう1つのシナリオづくりのワークショップについては、先程の3つ要素が出てきたときに、具体的に良くなるようなシチュエーションをみんなで考える。例えば実現できるシステムをSFチックに考えてみましょうということをやってみたりしました。

例えば、「夜眠れないときに、こんな装置があったらいいんじゃない?」というシチュエーションを4コマ漫画で考えました。夜眠れないときに、なんか電話がかかってきた、でも実はそれは同じように眠れない人からでした。その状況はAIで生活リズムを分析してとか、ここでもAIって言葉が出てくるんですが、「2人の中でコミュニケーションがなんとなく取れるような仕組みを作ってあげると、めでたしめでたしになるんじゃない?」みたいな話がシナリオとしてできあがってくるわけですね。

このようなワークショップ以外の活動としては、シンポジウムの開催があります。つい先週末の3月11日にもガイドラインのための非公開のシンポジウムを開きました。この中でもいろいろ話題が出てきて、Wellbeingの測定法っていろいろあるんだとかの話が出てきたりしました。

その話題のなかででちょっと注意を向けた言葉として、意識的・無意識的というワードです。とくに「無意識」に対して、我々はすごく注目をしています。

AIについて考えたときに、情報を与える仕組みのなかにはもうすでにAIがたくさん入ってしまっていると考えざるをえないと思います。そこで、我々が気をつけなきゃいけないと考えていることは、無意識あるいは身体性というものに対してどう干渉すべきか。これが1つの課題かなと思います。

ガイドラインを考えていくときも、人間が道具のようになってはいけないと思うので、そこをどういうふうにするか。無意識に干渉することはすごく心地よい状態には持っていきやすいかもしれないけれど、逆に人間が溺れてしまう可能性もあることを考えなきゃいけない。

下の話も近い話で、答えをパッと出してしまうことがいいのではなくて、やはり人間が自律的に考えていくような道具にすべきではないかということをいろいろ議論している最中であります。すいません。ちょっと時間が足りなくなりました。

國領:また言い足りないところは、あとで少し討論の中に混ぜ込ませてください。

安藤:はい。

「いい時間の過ごし方」を計測

國領:それでは次はドミニク・チェンさんに、引き続きWellbeingになるかと思うんですが、よろしくお願いします。

ドミニク・チェン氏(以下、チェン):よろしくお願いします。私は安藤プロジェクトのメンバーなので、安藤さんが足りなかった時間を私の時間で補うという役割も果たしたいと思います。

RISTEX( Research Institute of Science and Technology for Society=社会技術研究開発センター)とこの「人と情報のエコシステム(HITE)」の領域ですと、実は初年度から日本的Wellbeingの研究と、もう1つ人工生命のコミュニティを作るプロジェクトにも参加していました。

両方を通して、これまで安西先生のお話にも異口同音に出てきた、「目的志向の効率最大化ではない、より身体的で非記号的な共感型のIT観が不足している」という問題意識がさまざまな研究から見えてきました。

先ほど安西さんもより具体的な話が必要だと言われていましたが、私もそう思います。IT産業の近々の話題としては、つい先々月の1月に、FacebookがユーザーのWellbeingを向上すると発表しました。それは自社の収益とトレードオフをしてでも、ユーザのWellbeingを優先するようにタイムラインのアルゴリズムを変更したんですね。

これは我々のプロジェクト的にも、この情報技術産業全体にとっても、非常に示唆的な動きだと考えています。世界最大のSNSがそのような経営判断をおこすことが、ユーザーのWellbeingがより切実な社会的問題になっていることを示しています。しかも問題が表出しているだけではなくて、それに向けた具体的な施策・取り組みのかたちが少しずつ見えてきたということですね。

実際シリコンバレーではTime Well Spent、「いい時間の過ごし方」ということを、ただの概念ではなくて、ちゃんと定量的に計測可能なKPI・KGIとして進めていこうという動きがあり、実際の企業での取り組みも生まれていると。日本でもこの議論が非常に必要になっていると考えています。

どういった理論があるかという話は私も安藤さんもほとんどできていなく、時間も足りないのですが、我々もかなり長い時間を使ってさまざまな調査をしています。これはつい先日の研究会に参加いただいた、予防医学者の石川善樹さんに教えていただいたことでもあります。

たとえばこのPsychological Wellbeing(PWB)とSubjective Wellbeing(SWB)、心理学的なWellbeingと主観的なWellbeingがそれぞれ理論と現象に対応しているんですが、その間のズレも報告されていると。まだ未開拓の領域があることがわかっています。

日本的な「見立て」の概念の有用性

チェン:改めて世界中で議論されている欧米型のWellbeingのモデルを見てみると、非常にシンプルなんですね。「人生満足してますか?」とか「ポジティブですか? ネガティブですか?」みたいな。これだけで人生を測られたくないというのが正直なところです。

例えば、ここに「東洋的・イスラム的」と書いてありますが、見逃している、取りこぼしている哲学・思想というものがこの中に大いにあるわけです。

また、ここで計測で使っているものはexplicit(明示的なもの)ですね。外側から計測可能なものしか今のところ準じていないので、「それだけでいいんだっけ?」という話もあると。

関連して、今日も話題に出ているオートノミー、自律性の話をさまざまなところでするんですが、ちょうど去年、リンツで行われているArs Electronicaというメディア・アートの祭典で、人類の未来について考えるワークショップに参加してきました。

そこではまさにマシンオートノミーとヒューマンオートノミーの違いの議論になり、別に日本に限定してこういう問題意識が生まれているわけではないということもわかってきています。

なので、私たちも「日本的」という名前を冠しているんですが、別に日本に限定した議論がしたいわけではなくて、日本的な社会文化の特徴の中から世界に提案できるような価値観を具体的に提案していきたいなと考えています。

それは別の言い方をすると、日本的な概念でいえば「見立て」が一番近いと考えています。なにかを見立てる行為は、まさに情報の側面から見ても身体に根ざす自律的な行為だといえると言えます。

機械が人間の代わりに見立ててあげて、「これがあなたたちが見るべき数値ですよ。イメージですよ」というふうに提示されるのではなくて、人間側がより自律的にそういう見立てを発動できるようにITをどういうふうに設計するかということが重要かつ面白い。

だから、AIに対してIA(Intelligence Augmentation)というような話がありますが、「IntelligenceだけをAugmentしてていいのか?」と問えるわけです。オートノミーであったり、先ほどemphathyの話がありましたけど、そういう感性的な成長や深化という観点も考えられるかと思います。

モデルの話だけではなくてインスタンスの話もすると、具体的にこういうことに取り組み始めています。

録音された心音を通して故人を偲ぶ

チェン:先ほど安藤さんから、弔う、故人を偲ぶという行為におけるWellbeingとはどういうことかという話がありました。ちょうど私の学生の1人がこのような問いを追求しようとしています。ちょうど彼女の祖父母が同時にお亡くなりになるという悲しいことがありまして、その時にこの心臓ピクニックを使えないかと考えて制作をしました。

これは先月、恵比寿の会場で展示を行ってきたものとなります。実際に作ったのはこの「心臓祭器」というものです。これは、家族の心音を漬け込んでいき、触覚を通して故人を偲ぶためのインタフェースです。「漬け込む」というのはちょっと不思議な書き方をしてしまっているんですが(笑)。

どういうことかというと、家族の心音をこのデバイスの中に録音しておいて、その方がお亡くなりになったあとも、その人の心拍を通して触覚的に故人を偲ぶことができる。

ただ、故人の心音を生者が感じるだけではなくて、生者である残った遺族も自分の心音をそこに重ねることで、生者と死者が重なり合うことを触覚的に感得するということです。そういうインターフェースの提案をしておりまして、ちょうど先月、こちら東京大学の宗教学部の藤原聖子先生と議論を交わさせていただいたりもしています。

もう1つ、これは人工生命のプロジェクトのほうで引き続き行っていることで、相互行為のインタフェースということで、オンライン・コミュニケーションの観点からも新しい提案ができないかと考えています

以前、キーボードを使って文章を執筆するプロセスを全部記録しておいて、それを再生できるというシステムを作っていたんです。最初これはアート展示として作っていたんですね。これをネット上のSNSに展開したらおもしろいんじゃないかという議論になり、研究を行っています。

この時に前提となっている仮説は、お互いの行為主体性、agencyの認知に変化が起こるのではないかということです。我々は普通、止まっているテキストしか読まないし書かないんですが、この再生されるテキストを通してオンラインで非同期的に会話をすることによって、非同期なのに同期的な感じがする。相手が今まさに話しかけているような気がする。

それを行為主体性の認知と知覚というふうに話しているんですが、今このようなことを実験を通して計測しようと思っています。

最後になりますが、我々はこういう対話を英語のDialogueというふうに理解しています。今まさにTurn Takeして、A、B、C、Dと順を追って1人ずつしか一度に話せないわけです。

これは合理的なコミュニケーションのモデルだとすると、日本語の言語学の構造の中に共話というものがあります。AとBが同時に重なり合うように話すというような、より目的志向ではない、社会心理学的に言えばグルーミング的なコミュニケーションというものもわかっているわけです。

こういった日本の身体的な感性にヒントを得ながら、実際のインターフェースに落として、それを社会的なインタラクションとして世の中に実装していく。こういう姿勢が今日、重要なのではないかと考えて活動をしております。

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