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トークシリーズ『0場』第1夜「寛容社会」(全4記事)

2017.12.22

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「覗きこまれたことがないと思っている人は、人を覗きこもうとも思わない」 演劇から見えてくる“寛容社会”のあり方

提供:東京芸術祭

東京の多彩な芸術文化を通して世界とつながることを目指した都市型総合芸術祭「東京芸術祭」。そのなかで、「寛容社会」をテーマとしたトークシリーズが行われ、演出家でありアジア舞台芸術人材育成部門プロデューサー、SPAC(静岡県舞台芸術センター)芸術総監督でもある宮城聰氏、LIFULL HOME'S総研所長の島原万丈氏、フリーアナウンサーの中井美穂氏が登壇しました。ダイバーシティが声高に叫ばれる時代において、寛容とは何か、そして芸術はその流れにどう関わっていくのかについてさまざまな視点から議論が交わされました。

演劇のフェスティバルは知られていない

森隆一郎氏(以下、森):だんだん時間が迫ってきてしまっていまして、あと10分です。あっという間ですね。みなさんがあっという間と思っているかどうかは、ちょっとわかりませんけども(笑)。

まとめに入らないといけないんですけれども、不遇感。まとまるんですかね、これ。お決まりですね。

中井美穂氏(以下、中井):まとめとかないんですよ、そんな……。

:お(笑)。

中井:不遇感ですが……。でも、自分が不当に扱われていると思う人は、確かにすごく増えていたりするけれども、「それは自分の値段を自分ですごく高く見積もってるよね」と思う人もいるわけですよ。

(一同笑)

自分もたぶん、そういうところがあるから。ふと我に返ると「いやいや、私そんなこと言える立場じゃなかったわ」と思うんだけれども。なんとなく世界やまわりの風潮とかからヒートアップしていく。そっちの方向には、わりとヒートアップしやすいんですね。

なんかこう……文句を言うことに関してはすごく結束してしまう。その場の空気の流れのほうに、自分も流してあげないと居心地が悪くなる。居心地が悪いということに対して、ものすごく恐怖心がある。文句を言っていると、居心地がいいので。

:(笑)。確かにそうですね。インプットされる情報量が格段に増えたということはあるかもしれないですね。

中井:そうですね。

:わからなかった他人の生活が、手に取るようにわかるようになってきているし。

中井:比べてしまう。

島原万丈氏(以下、島原):拡散しやすいですよね。「腹立つ」と言うだけでも。

:ネガティブなエネルギーのほうが、飛距離が長いですね。さあ、それに対してフェスティバル、あるいは演劇。なにができるでしょう?

中井:フェスティバルって、参加しづらいというか。お友達に聞いても「演劇のフェスティバルって東京でやってるんだ。知らなかった。」と言う人がほとんどなんですね。「なぜそんなに知られてないんだろう?」と思うんです。

劇場に来る人はみんな知っていて、このポスターも散々見たことがあり、たぶんチラシも絶対に見たことがあると思うんです。というか、「佐々木蔵之介じゃん?」という話ですけども。

(会場笑)

ね? 「あ、佐々木蔵之介だ!」「え、芸術祭なんだ!」という人が多いと思うんですけど、やはりお祭り、しかも演劇のお祭りをやっているということは……映画祭はまだレッドカーペットがあって外国のスターがやってきて取り上げられることも多いんだけど。

演劇って本当に、圧倒的にマスコミで取り上げにくいんですね。

:マスコミの方がおっしゃっているので、たぶんそうなんだと思います。

(会場笑)

中井:そうなんですよ。なぜなら、まず東京に集中しすぎている。あとはチケットが高い。それからやはり、会社で働いていたらなかなか見に行けない時間設定だったり、チケットが取れない。

いろいろなことがあるとは思うけど、知らないことも多いですね。フェスティバルだとたぶん、お金を払わずに楽しめるものもたくさんあるはずなんだけれども、出会えない。チャンスがない。これは、けっこう深刻な問題ですね。

宮城さん、どうですか? 静岡は年月をかけて市民の人たちが演劇をすごく身近に感じるようになったんですか?

演劇は人間に興味を持たせる道具

宮城聰氏(以下、宮城):静岡も11年目になりましたけど、最初に行ったときは、もっと甘く考えていたんですね。「看板をかけ替えれば急に注目されるんじゃないか」ぐらいに思っていたけどぜんぜんそうではなくて。それこそ、「劇場って敷居が高い」「演劇は基礎知識がないと楽しめない」という先入観のほうがはるかに強固なんです。

だから演劇はごく一部の人の娯楽だという先入観が、圧倒的に強かったんですよ。「看板をかけ替えたぐらいじゃ、ぜんぜんこの先入観は変わらないんだ」と思って。

2年目、3年目ぐらいで、「岩盤のような先入観が形成される前の中高生ぐらいから、劇場に来てもらわないといけないんだ」と。これを20年やっていれば大人になるから(笑)。彼らが大人になったときにやっと変わるのかな、と。

そう考えるようになってから7~8年経って、確かに少しずつ変わってきました。静岡ぐらいの規模だから、手に取るようにわかるというのかな。はっきりアクセスが増えてきたな、ということは実感としてわかるんです。

東京で、先ほど申し上げたボゴタのように、何万人もの人が見ていてその間内戦がとまっちゃうぐらいの規模にもっていくには、ずいぶん時間がかかるかもしれないけど。

でも、アヴィニョン演劇祭だって1947年からもう70年以上やっているわけですからね。それだけやって、こういうところまできているわけだから。僕らが始めて1年や2年で、こんなことが急にできると思うほうが、本当はおかしいのかもしれないです。とても長いものさしで考えなくちゃいけないのかもしれないですね。

ただ、先ほど中井さんの話を聞いていて「そうだよな」と思ったのは、演劇って人間そのものに興味が持てる。生きて動いている人間を、じっと見るわけじゃないですか。内容はいろいろなところの話なんだけど、結局は今目の前で生きている人間をじっと90分とか見続けますよね。

人間に興味を持つ、という道具ですよね。考えてみると、人間に興味を持つ道具って、今の時代あまり多くないですよ。

中井:スポーツと演劇。

宮城:そうですね。スポーツと演劇ですね。

中井:スポーツもそうですね。

宮城:だから、人間を見続けてしまう。「人間って見続けるとこんなにいろいろ出てくるんだ」と。1人の肉体がいつまで見ていても飽きないということに気付かせてくれる。これはポイントなんじゃないかな、と思います。

次に、「それをどうやって広めればいいのか?」ということが問題になるんですけれども。1人の人をいつまで見ていても飽きないということは、例えば恋愛中は多くの人が感じていると思いますね。いつまで見ていても飽きない(笑)。でもそれ、すぐに忘れちゃうじゃないですか。

(会場笑)

そういうもの、「人間って見ていて飽きないんだよな」ということを思い出させる機能。それは演劇のかなり有効な機能だと思うんだけど、それをどうやって人々に伝えていくか、広報していくかが次なる課題なのかなと思ったりします。

:なるほど。私、仕事は広報なんですけども、すごく今身の縮こまった感じがしました。子どもが生まれるとすごく見ますよね。

宮城:はは(笑)。そうですよね、赤ちゃんというのはね。

:集中的に見ますね。そういうことと少し近いのかもしれませんね。人間に興味を失わない装置としての演劇が、1つあるということ。

今、聞いていて思いましたけど、超有名人の出る演劇があるじゃないですか。テレビの大スターが出るようなもの。

中井:アイドルの方とかが。

:でも、出ている間はスター性がなくなると思いません?

中井:役を演じなければいけないんですよね。自分ではいけない。

:ああいうことも、演劇マジックだなと思って。あれがコンサートだと、まったく逆のバイアスで、超スターになるじゃないですか。でも演劇になると、急に普通の人を演じたりして。

宮城:それは、芝居が下手だからじゃなくて?

(会場笑)

:あら? まあ、僕のたわごとです(笑)。

「センシュアス・シティ」とはなにか

:万丈さん、少し違う視点で。池袋、あるいは豊島区でこういうフェスティバルをやる、ということですけれども。

島原:はい。

:「こういうフェスティバルもある」とか、あるいは今日紹介しきれなかったですけども、この寛容社会のレポートの前の年には、センシュアス・シティ、官能都市というレポートを出されています。すごくいいレポートなのでぜひ、インターネットで無料でダウンロードできるので。

中井:インターネットで無料でダウンロードできるんですか?

島原:全ページ。

中井:本もありましたね? あれも……。

島原:あの冊子は無料で、送料受取人払いで送っています(注:冊子は在庫切れ)。

中井:インターネットで見たらダウンロード。

島原:はい、インターネットで読みたい方はインターネットで読んでもらって。一般の方向けに書き直した新書版もあります。

中井:へえ、えらいですね。どこからお金が出てるのかな。

(一同笑)

いやいや(笑)。ごめんなさい、話の途中で。センシュアス・シティ。

:センシュアス・シティというレポートを出されていましたが、こういう演劇祭をやるような街とか、ざっくりでいいんですけれども。こういうふうにするともっと街はセンシュアスに……センシュアスって難しい言葉ですね。なんて言えばいいんでしょうね。チャーミング?

島原:感覚的だったり。五感が気持ちいいとか、そういう意味なんです。

例えば、こういう写真とかすごく素敵だと思うんですね。それこそ今日の話で言うと、(演劇を)見ていない人から言わせると、やはり敷居が高いですよね。劇場という空間そのものが。でも、こういうものをどんどん公共空間でやって。別にただじゃなくてもいいですよ、僕はお金払いますけど。

池袋もたくさん劇場を作るという話になっていますけども。公共空間でこういうものが行われている街は、要するにセンシュアス・シティでいう「感覚的な」「五感が喜ぶ」という今この場所でしかできない身体的な経験ができますよね。けれど、今東京の街は都市開発、再開発ブームでどこに行っても同じ街になっていません? 同じような形のビルで、同じような商業空間が入って、同じような公共空間で。

それは、都市の機能的には高機能な都市だし、経済的には非常に大きなお金が動く都市だし。もっと言えば、防災的には非常に安全な街。機能や効率的なものだけで都市の評価をすれば、ああいうものはたいへん高い評価を受けるわけだから。

でも、感覚が喜ぶのか、五感が喜ぶのか、そこにいて気持ちいいのか、と言われるとそうでもないような気もしていて。そういった、公共の街の空間をおもしろくしていくということが、すごくセンシュアス・シティ的に大事な取り組みで。別にセクシーななにかがある必要はないんですけれども。

もちろん、そういう安全性や機能や合理性みたいなものはすごく大事なんだけど、それともう1つエモーショナルな部分も、同時に埋め込んでいかないといけない。それは主にコンテンツだと思うんですけれども。そうしないと街がたぶんすごくつまらなくなるし、そのまま東京を作っても、おそらく上海にもシンガポールにも、ひょっとすると東南アジアにもぜんぜん勝てなくなっちゃうんじゃないかなと思います。

もともと東京の魅力はセンシュアスだったはずなので、そういう未来に向かって発展していくといいなと、今日お聞きして思っています。

東京も郊外と同じ構造で作られている

:ありがとうございます。この「センシュアス・シティ」、本当におもしろいので、ぜひ、みなさんにダウンロードしてほしいと思っています。

宮城:その五感が喜ぶということは指標としてはどうやって調査しているんですか?

島原:ありがとうございます。普通の都市の評価は、都市に何があるかというところに重点が置かれます。病院の数とか、商業施設の面積とか、公園の面積が広いとか、緑が多いとか。

中井:行きたい場所があるか、とか?

島原:いえ、単純に何がどれくらいあるか客観的な統計で測られます。対して私の調査では、「その街で○○したことがある」という動詞で経験をアンケートで聞いたんです。五感が喜ぶのは、例えば「緑が多い」という量的に測れる事実ではなくて、「水や緑に直接触れたことがある」「気持ちいい風を感じた」経験値の多さのほうが、リアルに自然との触れ合いを測れると思います。食文化なら飲食店がどれくらいあるではなくて、「美味しいものを食べた」とか「ローカルフードや地元の酒を飲んだ」とか。コミュニティの豊かさなら町会加入率ではなくて「馴染みの飲み屋で常連客ともりあがった」とかそういう体験があったかどうかではかっています。

宮城:なるほど。全部肉体を通しているということですね。

島原:はい。しかも、主語が「あなたは○○をしましたか?」「はい、私は○○をしました」「いいえ、私は○○をしていません」というような会話形式になっています。主語が人ですね。

(映し出された画像を見て)

中井:これは似てますね。違う都市なんですか?

島原:これ全部違う都市ですね。Googleで、画像検索で「再開発」と調べると全部これです。

(会場笑)

島原:下までずっとこんな感じです。再開発、スペース、○○市とか入れても全部同じ。全国中これです。

:久しく、郊外のバイパス沿いがどこに行っても同じだと言われていましたけど、実は東京も。

島原:実は構造的には、都心の再開発も郊外と同じ作り方をしているんです。というのは、こういう大規模再開発ででき上がる街って、低層階にショッピングモールが入ったり、商業施設が入ったりして、上に新築タワーマンションがある。郊外では巨大なショッピングモールのまわりに、戸建て新築分譲住宅がたくさんできますけども、あれをモールの上に縦に積み上げるとこうなるんです。

上の住宅を事務所にしたら、渋谷ヒカリエになるとか。まったく同じパターンなんですね。箱が多ければ多いほどいいという感じですね。

:この話をしはじめると、もう1時間半ぐらいいきますので(笑)。

島原:そうですね(笑)。

ル・コルビュジェの垂直田園都市

:このへんにしておきますが、私がこの話で好きなのは、次のこの写真です。

島原:今言った再開発の建物がたいへん多いんですね。あれは、ああいうフォーマットがあるわけなんですけども、そのフォーマットのアイデアのもとをたどれば、ル・コルビュジェという建築家にたどり着きます。この人が発想した都市というのが、垂直田園都市です。英語に直すとVertical garden cityなんですけど。これは森ビルのコンセプトでもあるんですが、1922年のアイデアです。

中井:1922年にコルビュジェが考えたんですか?

島原:そうです。100年前に「これが未来の都市だ」と。そして次のページが、ヴォアザン計画と言って、1925年に作った模型なんですが、これはパリなんですね。

中井:このビルが。

島原:「パリはこうなるべきだ」という提案をパリ万博の中でしたんです。まあヨーロッパでは「冗談じゃないよ」という話だったんですが。そのあと、戦争が終わったあとに人口が爆発に増えていったエリアで、こういった考え方のものがたくさん出てきました。

今、都市部でコルビュジェ的な街を一生懸命作っているのは、日本とアジアぐらいです。ヨーロッパではやらないですよね。要するにこれは車の街なんです。ヴォアザン計画の「ヴォアザン」というのは、ヴォアザン社という自動車メーカーの名前です。

ヴォアザンという自動車メーカーがコルビュジェに資金提供して、これを作ってパリ万博に出した。あんなに道路が広くて1つ1つの区画が巨大なのは、車がいかに速く走れるかを考えたからです。

今、都市のなかでの自動車って、ちょっと邪魔者になってきているわけですけど、1925年の自動車は、今でいうAIとかロボットとか、それぐらいインパクトのあるテクノロジーのイノベーションでした。

人々の移動の自由を劇的に変えていく。だから都市構造も変わるというのは、至極まっとうな提案だったわけです。ただ、実際に暮らしてみたらそうではなかった。だから今のAIとかはすごく大事で、育てていかなければいけないんだけども、100年ぐらい経ったら「あれはなんだったんだろう?」ということになりかねないわけですね。

未来に対する正解は誰も出せないので、この時点までさかのぼってこれを否定することはできないんですけれども、「100年前のコンセプトを今さら一生懸命追いかけなくてもいいですよね?」という話です。

:とはいえ、東京ではこうしたものがたくさんできていますから、それを我々がどうこうできることではない、ということも現実問題としてあります。

「では、どんな中身を入れていきましょうか」という話でうまく切り抜けないと、せっかく建てたものも、下手をするとゴーストタウンになってしまいます。愛着がなかったり、そこにあまりこだわりがなかったりするので、契約が終わるとさっさと出て行ってしまうということは、けっこう起こっています。

「現実としてこういう町もあるなかで、我々はなにができますか?」ということが芸術祭にも問いかけられているのかしら、と思ったところです。

ナショナリティに重きを置かない世界に向かっている

:さて。時間がそろそろ迫ってきました。質問がある人。これだけは聞きたいという方。

質問者1:先ほど寛容社会のお話をおもしろく聞いていたんですけれども。みんなも考えていることだと思うんですが、外国人の定義がけっこう曖昧だったと思います。それは逆に日本人の定義もけっこう曖昧で。そこのところの考えがあればお聞きしたいと思っているんですけども。

島原:そうですね。外国人の定義は、今のところはパスポートでしかないわけですけども。そこを、ことさらに変える必要はないかな、と僕は思っています。

質問者1:例えば日本人として生まれて日本人として育って、どこかの国に移住したい、そこでパスポートをギブアップして変えました。そして日本に帰ってきて、「あなたはパスポートを持っていないから日本人じゃないですよ、すみません」という話になってくるのかな? とか思ったり。ちょっと話が広いですけど。

島原:そうですね……ナショナリティというものに重きを置かない世界には向かっていると思うんですよ。つまり、日本で生まれて日本のパスポートを持っているけども、だいぶ長いこと日本には帰っていないという人が普通にいるわけですよね。

そのときに、海外に行った先で、日本人が日本人だからという理由で不当な扱いを受けないことを望むのであれば、逆に日本に来る外国人に対しても、同じように接するべきだろう、と。日本人は外国に行ったら、「私たちは日本人なので差別されてもいいです!」と言えるんだったらいいかもしれないけれども。

それを言いたくないんだったら、同じように「パスポートは違うけど、ただそれだけだ」と考えればいいのかなと思いますけどね。もちろん、被選挙権や選挙権をどうするのかはデリケートな問題なので、ゆっくり検討・議論しなければいけない問題だと思います。

少なくとも、賃貸住宅の入居ぐらいは普通にさせろよ、と。現状はそういうところですね。

質問者1:はい。

演劇の観客を増やすことは寛容とイコール

:ありがとうございました。では最後に一言ずつ。

中井:私は今日、勉強しに来たというか(笑)。トピックとして非常に楽しかったです。演劇をこれだけ見に行っていますけど、偶然になにかと出会いたいとすごく思うんです。「この監督のこの作品を見たいから」「この戯曲を見たいから」ということではなくて、偶然死ぬほどおもしろいものに出会いたいという気持ちがあります。

個人的には、どこの国の演劇だろうと、身体的なパフォーマンスであろうと、「なにかにばったり出会わないかな?」ということが期待できるような演劇祭を催してほしいと思っています。

:ありがとうございます。万丈さん。

島原:今日、寛容社会というタイトルを付けていただいて非常にびっくりしたというか、光栄に思いました。まったく僕とは違う世界の話ですけれども、演劇において考えられている問題意識と、社会に対しての私の問題意識は非常に似ていたというか、共通している、共感できる大きな部分があった。

だからこその座組だったんですけど。僕は住宅や不動産の分野でそれを語っていたわけですね。宮城さんは演劇の世界でそれを語ろうとしている。ということは、おそらく誰だってどんな分野でも自分の分野でそれを語ったりそれに取り組んだりできる可能性があるということですよね。そういったきっかけに、出会うことがあればいいかな、と思った次第です。

:ありがとうございます。宮城さん、最後にお願いします。

宮城:中井さんがなぜ演劇を見に行くかという話と、万丈さんの、自分が社会の一員と認識されていないと自覚している人は、他者に対しても社会の一員としないという話とか。これは結局、演劇の場合、どうして演劇を見る人と演劇を見ない人がいるのか。見ない人というか、演劇に興味を持たない人がなぜいるのかと考えてみると、これはまったく同じことだと。

つまり自分に対して誰も興味を持っていない。私は誰からも興味を持たれていないと思っている人は、人に対しても興味を持とうと思わないですよね。あるいは、自分が覗きこまれたことがないと思っている人は、人を覗きこもうとも思わない。やはりそういうことですよね。

これは別の言い方をすれば、演劇の観客を増やすためには、覗きこまれたことがあるとか、人は自分に興味を持っているものなんだと思う人を増やす必要があるということになりますよね。

だからそれが、結局は寛容とまったくイコールなんじゃないかなと。「では、それはどうしたらいいのか」ということを次に考えなくてはいけないなと今思いました。

:ありがとうございました。ということで、この0場はこんな感じで、東京芸術祭を含めアートと社会の在り方といったことをどうやっていくか、みんな試行錯誤しながら考えているわけですね。

たぶん今日の話も、宮城さんのディレクションのなかに出されていくかと思いますし、みなさんは、その場に立ち会ってもらっているというか(笑)。なんなら、一緒に作ってもらっているという位置付けでやっていきます。

この0場、あと3回あります。次が11月27日に自由学園の明日館で、なんと芸術祭なのに発酵、菌と発酵をテーマにトークする(笑)。去年も宮城さんに菌の話をしてもらいましたけれども。

「なんのことだ?」と思われるかと思いますが、まだ申し込みを受け付けていますので、よかったらまた来てください。では、今日はお三方、なかなかハードなトークだったかと思いますけれども(笑)。どうもありがとうございました。

(会場拍手)

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