2024.12.24
「経営陣が見たい数字」が見えない状況からの脱却法 経営課題を解決に導く、オファリングサービスの特長
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質問者:ニコニコ動画の七尾と申します。高橋(大輔)選手についてお聞かせください。オリンピックの高橋選手の競技を実際そのときテレビなどを通じて実際ご覧になったかということと、改めて影響はあったと思うのですが、高橋選手におっしゃりたいこと。そのとき感じたことを詳しくお聞かせください。
佐:高橋選手とは、一度番組を通して直接お会いしたことがあり、あとは雑誌等で特集を組まれて、高橋選手の滑りに対する、思いに対する、ことに私が発言したことがありますけれども、もう今この時点に及んでですね、それはもう凄いことであり、素晴らしい演技であるというお話は(過去に)しましたけれども、今その感想に触れることは、精神的にちょっと難しいですが。本当にあのような素晴らしい選手がこの曲を選んでいただいたことに感謝は、まず今でも変わりませんし、高橋選手自身がとても精神の強い方なので、もしかしたらこういう事件が影響したのかな、という気持ちはありますが、それを乗り越えていってくださると信じておりましたので。はい。自分の責任は大きく感じておりますけれども。
質問者:演技はご覧になりましたか?
佐:辛くて見れませんでした。
質問者:読売新聞の松本です。今まで佐村河内守さんの名前で発表された楽曲の著作権、今は佐村河内さんが持っていると思うんですが、それは今後どうする、新垣さんは著作権を主張しないとおっっしゃっていますけれども。それについてお伺いしたいです。
佐:これから、今新垣さんが何を思われている、ということがちょっと今わからない状態です。記者会見では新垣さんは著作権を放棄するとおっしゃったというのは、知人から聞いただけの情報で知っていましたけれども、今後弁護士さんを通じてどのような回答が来るのかということは、まだわかっておりません。
質問者:ということは、今後も弁護士との話し合い次第では、佐村河内さんが著作権を主張し続ける可能性はありうる、という理解でよろしいですか?
佐:とても難しいです。例えば先程のソナチネに関して言いますと、新垣さんは私がまず一番最初に設計図を立てるのに、とても心を砕いて作った交響曲第一番について、あれは実験的な音楽なのであったとか、宇宙戦艦ヤマトなんだとか、まるで私の意にそぐわぬような……。私は新垣さんをコスモスのときから新垣さんを信じて、悪いことではありますが、ゴーストとして信用していたのですが、あのようなことを言われて大変ショックを受けましたし。
その反面ですね、「ソナチネ」のような高橋選手が滑って有名になったような曲に関しては、完全に自分のものだというような主張をされていますが、あの曲に関しても、まあもちろん彼は証拠を持っていても出さないと思いますけれども、きちんとした私の設計図というものに基づいて書かれているのにも関わらずず、彼は、自分で言うのもなんですけれども「あれは私の傑作です」みたいなことをおっしゃっているのがとても疑問です。ですので、今後どの曲がどれほど、著作権が、あるいはすべての曲が著作者と著作権者に分かれていくのかというのは、まだわからないところです。松本さん。
質問者:中京テレビ「キャッチ」のアベと申します。18年間、どういう思いでこのお仕事を続けてきたのか。今回、新垣さんが会見したことによっていろいろなことが明らかになりましたが、これがなければ、このまま続けていったのですか?
佐:まず思いですけれども、新垣さん自身は、なんていうんですか、私を甘く見ていたのか、絶対に佐村河内は、私(新垣氏)はバラサないだろうと思っていたに違いないとおっしゃっていましたが、そんなことはなくてですね、とてもずっと、私自身が、あるテレビ局さんで大きく取り上げられてから、どんどんどんどん、自分で制御できないくらい大きな存在になってしまって、自分自身はもうすごく恐怖は覚えていました。やっぱり、いつかバレるんじゃないかという気持ちはすごくあって……。すみません、後半の質問、なんでしたっけ?
質問者:18年間、あなたはどういう思いで仕事を続けてきたんですか? いろいろあったわけですよね。バレなかったということが良かったと思ったのか。バレなければこれからも続けていったのか。
佐:10年後に、新垣さんはお話したんですけれども、ま彼から本当のことを言ってもらえるかわかりませんけれども、10年後にやめようという引退しようという思いでおりましたけれども、新垣さん自身から、「文春」にも正しい事が書いてあってですね、「『新潮45』を読んで怖くなったからもうこんなことはやめましょうということを言われたときにですね、やはりもう少し、恥ずかしい話ですけれども、日本コロムビアさんから「次の作品、次の作品」という要望がありましたので、なんとかそれを必要最小限におさめるために、「じゃあまあ、あと2つの曲だけお付き合い願えないか」ということでお話をしたところ、それが3年に1曲というような形で、あと2曲で引退しようというような気持ちでおりました。
質問者:罪の意識とか、皆さんを騙しているというような意識はなかったんですか?
佐:ありました……。すみません。
質問者:中京テレビ△△と申します。先ほど診断書が配られたのですが、こちらには「聴覚障害に該当しないと診断します」と書かれています。聴覚障害ではないというふうに見受けられるんですが、手話の方が同席されているという現状、どういう今、耳の状態なのかを教えていただきたいのですが。
佐:はい。該当しないというのは、一番上の「身体障害者手帳を交付するかしないか」に係っている、それには値しないということです。ですので、裏に書かれているこちら側が……感音性難聴だとか、ABRの構造、4つ目の、4行目の、そこを一番皆さんが検査を受けろっておっしゃられたところだと思いますけれども、自分で操作ができない、脳波の、V波というらしいんですけれども、いわゆるその、ごまかしの効かない、自分では何もしない、脳波が音を感じたときに、V波が何デシベルで感じるかという、科学的な検査の結果です。
右が40デシベルで感知した。左が60デシベルで感知した。普通の人は10デシベルで聞こえるそうなので、まあきっと、足して2で割るとまあ、50デシベル、半分ということになります。
で、裏側に書かれている、右40.8デシベル、左51.3デシベルというのは、あの自分で挙手で聞こえたぞ、という検査で。これも先生からは、全くこちらのものと矛盾していない結果であるということでした。
質問者:今、私の声は聞こえないですか?
佐:音ですか? 声? 音は聞こえます。かすかに聞こえますけれども。そこが感音性難聴というところなんですね。伝音性難聴というのは、耳がつまった感じで、発せられた言葉とかは正しく耳に伝わっているんだけども、耳に栓をしているような感じで、いわゆる耳が遠い状態の障害で。
感音性難聴というのは、部分でいうと、外耳、中耳、内耳とありまして、中耳は中耳炎とかの……。私の障害は内耳、だから他牛という部分です。で、そこの部分に障害があって、音が歪んで聞こえるという障害です。耳元で、60デシベル以上の音で何かを言われても、音はわかるんですけれども、言葉がちょっと曲がって聞こえるとか、ねじれて聞こえるといった状態なので、非常に言葉としては聞きとれないので、このように手話通訳者の方がついているというのは、天地神明に誓って、今までも、今も、今からも、私には大切で必要な存在です。
質問者:新垣さんは会見で「ずっと聞こえていたように思う」といった発言をされましたが、そのことに関しては、どういうふうにお考えですか?
佐:それはこちらの、皆さんが受けろとおっしゃった、ABR検査ですべて否定されることであってですね。だからそのことに対してはたくさん質問いただきたいと思うんですが、耳に関すること、新垣さんはすべて嘘を言っている。まったくの嘘です。ありえません、科学的に。私が電話をしたとか。本を読んだんですけれども、電話をしてこういうことを喋ったとか。まったく馬鹿馬鹿しい話だとは私思うんですけれども、後ろから名前を呼びかけたら振り向いたとかですね。各局の皆さんが、佐村河内守が耳を聞こえていたのは周知の事実だなんてことは、信じられない言葉です。私は2年、約1年半で各局とFAXだけでずっとやりとりをしてきましたけれども、そのような疑いとか、誰かと電話をしたようなこともありえませんし。
質問者:TBSの蓮見と申します。シンプルな質問なんですけれども、そもそも何故新垣さんに曲を依頼することになったのか。そして何故ゴーストライターに、自分で曲を作らずに、曲を依頼しようという思いに至ったか、そもそもの原点について、動機について教えてください。
佐:はい。私自身はまず新垣さんとの出会いについて、覚えていませんでした。で、週刊文春さんを見させていただいて、あるバイオリニストの新垣さんの後輩の方からの紹介で、「オケをアレンジしている方がいらっしゃないか」ということを僕がお願いしたそうで、その女性も覚えていませんけれども、ま、ある喫茶店で、新垣さんとお会いしたのが最初のきっかけで。
最初はですね、「コスモス」という映画は第2の主役としてオルゴールというのが、とても重要なポイントを占めていたので。そのオルゴールのメロディーはもちろん自分のシンセサイザーで、打ち込みで、何パターンか作って。その中の楽曲も5-6曲は作ったと思います。それを当時のMDを持ちまして、彼と会って。それで、まず主題がオルゴールのメロディだったので、それを主題を元に、オケを使って、オーケストレーションしてもらえないかという。
本当に正直なこと言います。オーケストラにすごい憧れがありました。で、自分では書けないので、なんとか自分の主題を……。あとは先ほど申しました、なんとか言葉で、もうそういう雑学的なクラシックの知恵だけはあったもんですから、それらを駆使して、なんとかここはイ短調でどうので、っていうような。ここはブリッチをかけて次につないでくれ、ここは転調してほしいとか、事細かなのはありましたけれども、概ね新垣さんにアレンジをお願いしたり、編曲をお願いしたりしたことは間違いございません。それで、正直に言って、それがお金で始まったものですから、もうそれで習慣化してしまったというのが正直なところです。
質問者:これ、一部の声として、ご自身を「耳の聞こえない作曲家」ではなく「プロデューサー」あるいは「企画を立てた人」という風に名乗って、新垣さんに「作曲者」として名前を連ねてもらうという方法も、選択肢もあったと思うんですが。なぜ新垣さんは影の存在で、ご本人だけが表舞台に立つことになったのでしょうか。それは佐村河内さんのお考えでしょうか?
佐村:はい。当時すずきじゅんいちさんという監督さんに、「マリリンに逢いたい」とかいう映画を撮られた監督さんなんですが、依頼を受けまして。で、当時工事現場で働いているときに、突然の依頼を受けたものですから、それはもう私自身が依頼されたものだということで、本当にいけないことだとは思ったんですけど、自分だけの名前でやりました。すいません。
質問者:それを悔い改めようと思ったきっかけはないですか?
佐:何度もありましたけれども、どうしても、自分が巨大化していくたびに、それが言い出せなくて。そういう思いはありました。すいませんでした。
質問者:ありがとうございます。
質問者:関西テレビの○○と申します。NHKスペシャルの番組と平行するような形で、あなたが当初、冒頭で名前を出された少女とご家族の取材をしてきた者です。そもそも冒頭でお名前を出されたこと自体も信じられません。ご本人のちゃんと了解はいただいているのでしょうか。その上で、今彼女が今どのような辛い思いをしているのかとか、あなた本当に本当に感じているんでしょうか。彼女は周りからいろんな手を差し伸べてくれようとする人に対しても、おばあちゃんに対して「あんまり信じないほうがいいよ」と言っています。実際に、11歳の少女の人生を損ないかねないことを、あなたはしました。彼女やおばあちゃんに、なぜ騙したのか。なぜ亡くなったお母さんを利用したのか。そのことに対してしっかり答えてください。
佐:繰り返しになりますけれども、被災地に対しても……。まずお詫びしなければいけないのは、しっかりと文春の記事を読んでおりませんでしたので、(そのご家族)さんの。
質問者:名前を出すのは個人に許可をいただいているんですか? できれば匿名でお願いします。
佐:失礼しました。ごめんなさい。まず被災地の、NHKスペシャルに出演してくださったご家族ですけれども、最初の部分でお名前を出してしまった部分については、カットのほう、ご協力をお願いします。すみません。申し訳ありません。
質問者:なぜ騙したのか、なぜ利用したのかという声に、本当に真摯に答えてください。
佐:繰り返しになりますけど、そのご家族を最終的にはこのような形で騙したというような形になって、本当に心から詫びております。彼女の苦しみを思うと、今すごく、他の誰よりもですね、申し訳ない気持ちでいっぱいです。その他の学校の先生たちや、あとお婆様もやらせのグルだったんではないかと疑われていると聞いて、とてもショックを受けたし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
基本的には、繰り返しになりますけれども、本当にゴーストライターというやり方を使った、それを黙っていて進めていた、ということは、まず大きな過ちであり間違いであり、私が一生償っていかなければならない罪だと思っていますけれども。これだけは申し上げたいんですが、あの子やおばあちゃま、本当に大好きで、本当に心から、やり方は間違っていましたけども、亡くなったお母さんに対しても、本当にこのことで小さな光が届けばなという思いでやったことは、本当に真摯な気持ちでやっていました。ただそのことは結果的に、とても恥ずかしいけれど、バレたという形で傷つけてしまったことに対して、ものすごく反省しております。
一点だけ言わせてもらいますと、これは非難ではないんですけれども、誤っていることがあの雑誌にはたくさんありますので、正直に言わせてください。「私が彼女にパパと呼べ」と言ったことは全くありません。
質問者:本当ですか?
佐:はい。逆で私の妻に電話がかかってきて、「これだけは内緒にしてね、実は守ちゃんのことを最近、あの子はパパと呼び始めているんですよ」というのを聞かされたのが最初です。もう一点あります。「娘をくれ」と私が言った。まったくの嘘です。逆です。
質問者:嘘ではないと思います。逆というのはどういうことですか?
佐:これはたくさんの証人がいると思いますけれども、名前を出していいのか……。あるテレビ局のスタッフさんとお宅にお邪魔しているときに、隣のうどん屋さんにご飯を食べに行こうということになりまして、みんなで行ったときに、おばあちゃまが私の席の前に座って、突然私の手を握りしめて、「守さん、お願いね、私が死んだら、あの子をお願いね」という風にお願いされました。
質問者:この話をこれ以上続けても、謝罪すると、お詫びをすると言っているご家族の方のほうの信頼というか名誉を失うことになると思うのでやめます。最後にひとつだけ聞かせてください。あなた先ほど、結果的に裏切ったとか、結果的に嘘をついてたと言いましたが、あなた最初から嘘をついていたし、最初から利用してたと思われても当然だと思います。そして、お母様だけでなく、被災者の目の前でコンサートを開いたときに、お母さんのことや、あるいは他の被災者の方々のことを指して、「降りてこなかった曲が女川の海を見たら降りてきた」と。それは亡くなられた彼女のお母さんへの非常なる冒涜だと思います。なぜそんなことを言ったのか、そのときどんな心境だったのか、教えてください。
佐:その点につきましては反省しております。申し訳ありません。
質問者:なぜ言ったのかということに答えてください! 被災者や亡くなられた方々を利用してたんじゃないですか!?
佐:断じて違います。
質問者:どう違うんですか? じゃあなぜ嘘をついたんですか? 答えてください!
佐:嘘?
質問者:最初から嘘をついて近づいて、曲を作って、もともとCDにしないと言ってた曲をCDにして。何がしたかったんですか?
佐:あの、CDにはしておりません。
質問者:その件はいいです。なぜ騙したんですか? そこにまったく答えていません!
佐:「結果的に」という言葉を使ってはいけないということですから、使いません。騙したことになると思います。申し訳ありませんでした。
質問者:テレビ朝日の報道ステーションサンデー矢島と申します。福島県本宮市の「みずいろのまち」という曲を作ったという話がありましたが、新垣さんはこれに関して私は作っていないと言っているそうですが、あの曲は佐村河内さんご本人が作ったものなのでしょうか。それとも、他の方が作ったものと考えられるんでしょうか? 真相をお聞かせください。
佐:本宮の市歌は、私が作りました。
質問者:ご自身で作ったということでよろしいんですね? もう一つ伺いたいんですけれども、先ほど佐村河内さんは、新垣さんがなぜこのタイミングで暴露をしたのか理解できないということがありましたが、なにか二人の間にトラブルがあったんじゃないですか?
佐:トラブル……。トラブルはありません。
質問者:ご自身の思うところで、今このタイミングで暴露されてしまったという、思い当たるところはないということですか?
佐:ありますが……。ちょっと今は避けようと思います。
質問者:どうして今は避けるんでしょうか?
佐:新垣さんは現代音楽の楽壇の方ですけれども、楽壇の中心にいらっしゃる方で、その一番の先生がですね、現代音楽の巨星でおられる三善晃先生だったということは、もともと前々から存じておりましたけれども……。ちょっとお話しにくいんですけれども、なぜこのタイミングなんだろうとずっと疑念に思っていたときに、ある方に、その時期に先生が亡くなられたということを聞きまして。で、彼はもともと映画音楽を作りたいというような話も聞いておりましたし。
また私の楽曲が、お金でとはいえ、このように私自身もですね、大きくなるなんて、彼は全く信じてなかったみたいで、本人も、雑誌にも書いておりましたけれども。それが急に怪物のようになったのは佐村河内守の営業力だろう、と書いておりましたけれども。私はそのへんのところはよくわからず。もう、みるみるうちに巨大化してしまって、自分も翻弄されていましたし、彼はそうなるとは信じてなく、今までゴーストとして付き合ってくれたと思います。
それが今このようになって、佐村河内自身がこのようになって、そこへ持っていって、先生がこのようなタイミングでお亡くなりになられたということは、おそらく(新垣氏が)自分に対する鎖のような縛りがとれたんじゃないかと思いました。これ以上はちょっと言えません。
(佐村河内氏、立ち上がる)
軽部:フジテレビの軽部です。以前インタビューして、広島の演奏会でお会いして(一部不明)、まさかこういう場所でこういう形で、あなたと対峙すると相対すると、私は思っていませんでした。非常に残念です。今日の会見をずっと聞いていて思うことは、あなたが一番望んでいたことは、ご自分が有名になること、名声を得ること、それだったんじゃないかなというふうにどうしても思えます。たくさんの人を騙しても、たくさんの人を傷つけても、自分が有名になることを選んだんではないですか? そして、そのことが一番の目的であって。
結局、この騒動があったことで、今まで以上にあなたの名前は知られるようになりました。今では子供も佐村河内という名前を知っているようになっています。その意味では、より一層有名になったといえるわけですけど、「現代のベートーヴェン」ではなく、「稀代のペテン師」として名を残すことになるかもしれません。その状況に満足をしていらっしゃいますでしょうか。本当に今思っている、あなたの心底にあるものを、あなたと関わりを持った人間の一人として確認したいと思います。
(佐村河内氏、着席)
佐:まず1点目ですけれども、自分が有名になるために人を利用したという気持ちはまったくありません。ただここまで大きくなってしまって、何も言い出せなくなってしまった自分、これがここまで巨大化してしまって、私の意図するようなところではない、バレたという形でこのような大騒動を起こしてしまって。
妻に言われました。妻も全く知りませんでした。「まだ日本で、とどまって、みんなにバレてよかったね」と言われました。これが世界にいって、もっと大変なことになったら、たくさんの人に迷惑をかけていたので。はい。
軽部:有名にはなりたかった、名声を得たかったという気持ちはおありになったんですか?
佐:信じてもらえるかわかりませんけれども、さほどありませんでした。
軽部:あなたが愛している、ベートーヴェンやブラームスやマーラーに対する、これは大きな冒涜になると考えませんでしたか?
佐:思います。すいません。申し訳ありません。
質問者:フジテレビ「とくダネ!」の木下と申します。先ほど、佐村河内さん、声は聞き分けられないが音は聞こえるとおっしゃっていましたが、例えばですけれども、ピアノなどのドレミファソラシドというような、そういった音というのは、今でもなんとなくでも聞き分けられることができるんですか?
佐:キーの高さのことでしょうか?
質問者:例えばこれがドとか、これがレとか、これがミとかいうのは?
佐:絶対音感はありませんので、相対音感といって、これに対して、これはもう少し高いとかもう少し低いとか、聴覚で感じることはできます。ですから3~4年、なんとなくノックするような音が、昔聞こえなかったものが聞こえるようになって。ガタン、とかいう音ですよね。それから、少しいいのかなと思って、結局テレビなんかで実験して、耳をこうテレビに出ている方が喋っている声を確認して、近づいてみても音がねじれているので、聞き取れないということはわかったので……。
なぜもっと早く、少し聞こえるようになったのかとおっしゃられるかもしれませんけれども、結局自分としては手話通訳は相変わらず必要で、口話を読み取ることで必要で、何も変わらない状況だったので、再検査を自分から受けようという気持ちには正直なりませんでした。音階の問題ですけれども、例えばオケなんかの和声の複雑なものはまったくわかりません。
質問者:絶対音感はないということでよろしいですか?
佐:はい。
質問者:あともうひとつ、佐村河内さんが書かれた指示書なんですが、奥様が書かれたんじゃないかという情報もあるんですが、その点についてはいかがでしょうか。
佐:あれはあの、馬鹿げた話で、うちの妻の母親から出た話だそうですけれども、外から聞いた話ですけど、どこかの番組で「筆跡は佐村河内のものであるという検証がされた」というのは聞いておりますけれども。義理のお母さんが言ってることは全くの嘘で、そういったことに妻に関与するということはありませんので。今でも自分で書いても構いませんけれども。私の筆跡です。
質問者:色紙とペンを持っていますので、何か文字を書いていただくことは可能ですか? ペンとマジックどちらがよろしいですか?
佐:はい。いつもハイテックという細いペンを使っていますのでペンのほうが。
質問者:それでは「後世に残る芸術的価値」あと「前例のないほどの宗教性」と書いたあとに「佐村河内守」と……。もうちょっと大きめに書いてもらっていいですか? 日付も書いてもらっていいですか?
(佐村河内氏、報道陣に色紙を見せる)
佐:あの、雑誌媒体で、もしお答えすることがあれば、妻の字を見てもらえばわかると思いますが、とてもきれいな字なので、私はすごく下手なんですけど、まったく違うのわかると思います。
質問者:日本テレビ、ニュースエブリーの加藤と申します。よろしくお願いします。私の祖母も耳がとても悪い人間でした。ただ彼女は、あなたが言っているのと同じように、耳元で大きな声を出せばわかる、それくらいのレベルでした。祖母は補聴器をつけて、そうすれば日常生活に支障はありませんでした。もし少しずつ聞こえているぞということであれば、50デシベルくらいなら聞こえるというのであれば、補聴器を使うという選択はあると思うんですが、試したことはあるのでしょうか? もしないならば、どうして試さないんでしょうか? 耳が悪いままの自分というほうが都合がいいんでしょうか?
佐:そういうことはありません。補聴器は3つもっております。自分で聴覚障害者認定を受ける前に東京で買った、シーメンスというドイツのメーカーの補聴器が1台、横浜の綱島というところで買ったものが一台、それも認定を受ければタダ同然といいますか、4000円くらいで買えるんですが、隠していたので、12万くらい、高かったと思いますけれども、妻にお願いして、髪を伸ばして補聴器を隠してつけていた時期もあります。
質問者:今はどうして補聴器はつけずにこちらに臨んでいるんですか? 補聴器はあったほうが?
佐:ちょっと理解してもらいにくいと思うんですけども、伝音性難聴ではなくて、音を倍増しても中で聞こえて曲がっている音は同じなので、つけない、つけている意味がないというような判断で、つけておりません。
質問者:これまでも、今の状態であれば……。今日来たような手話通訳者の方は必須で、それがないとコミュニケーションはまったく取れないということですか?
佐:あと口話というのがあります。口話術というんですが、横浜のある2つのサークルに通い詰めていた時期がありますけれどそのときの、ある年配の厳しい先生に「手話だけでなく口話も覚えなさい」と言われて……(一部不明)。
新垣さんとの会話はすべて口話でした。彼とはもう18年ですかね。やっぱり慣れれば慣れるほど、慣れている人の口話っていうのは、どんどん読みやすくなりますし。皆さんご存知ないと思いますけれども、新垣さんはほとんど喋らない方で、とてもゆっくり喋る方なので、その時点でも、付き合いが長いことを含めてとても読みやすかったというのもありますし。正直に申しまして、一方的に熱をこめて、今みたいにですね、私が自分から話すことのほうが多くて、彼は、言葉は悪いですけどイエスマンだったので、ほとんど「ここをこうしてこうして、こうしてほしいんだよ」と言ってみても、「あーん」って言ってみたり、「わかりました」って言ってみたりですね。
すみません、ちょっと話から遠ざかってよろしいでしょうか。どうしても申し上げたかったのは、今回の騒動に至ったのはもちろん根源は私ですし、一番悪いのは自分で、今日は謝罪に来ましたけれども、どうしても違うことは違うと訴えたいので、お話しますけれども。新垣さんが私と普通のように会話するとか、そういうことは全くありません。そのことに対して質問がある方いらっしゃれば……。
質問者:1点だけ追加でよろしいでしょうか。先ほど最初の説明のなかで、新垣さんが、お話のなかでギャラをつり上げる場面があった、いつもそうだったとおっしゃいましたが、最初に提示した額と最終的に折り合ったギャラ、どのくらいの開きがあるんでしょうか? 何倍くらいまでギャラをつり上げてきたんでしょうか?
佐:ケースバイケースなんですけれども。たとえば通常、楽曲の長さとか編成の大きさとかそのようなことに関わらず、それを委嘱(いしょく)と考えれば、誰かに委嘱されてと考えると、委嘱料金というのは、30万円から最も高くて100万円なんですね。
で、今日はお持ちしませんでしたけれども、一度新垣さんに、「もう本当にやめよう」と言われて、このままでは急に才能も何も枯渇して、コロンビアさんが望んでいるものができなくなる、まずいと思って、そのときにまず通常80万とか100万とか。次の交響曲ということで、お願いしたんですけれども。そのときの2人で交わしたサインと母印と、お互いに交わした契約書みたいなものは残っています。それが、彼の納得した金額は、1曲300万でした。2曲で6年間で、先ほどお話しましたが。その1曲が300万円で彼がOKしたということです。
質問者:ありがとうございます。
質問者:日本テレビの△△です。以前取材させていただけて、今回このような形になってしまって、私も共犯者ということで私も非常に残念な気持ちでいっぱいです。取材のしているなかで、佐村河内さん身体が、精神の病気がかなり強いということをおっしゃっていて、実際取材中もステッキを持って歩いていたし、腱鞘炎があるということで手にサポーターもしていました。これらの病気は本当の病気だったんでしょうか?
佐:本当です。これはもう耳が悪くなってからなんですけれども、耳鳴りを持つようになりまして、サングラスは、耳鳴りの、今もフラッシュを強く浴びていると、耳鳴りが大きくなってしまうのをあるとき感じて、サングラスをするようになりました。
手の腱鞘炎は、下手なりに、ピアノ、シンセサイザーですけれども、がむしゃらに独学で勉強して、ピアノ作品も自分のものがあるのでいつかお聞かせしたいと思いますが、練習をすごくしていて、ちゃんとした方法も知らずがむしゃらにやっていたこともあってですね。特に左手は、薬指が一本だけ、こういうふうに曲げると、飛び上がって声が出てしまうくらい痛いので、サポーターをしているというよりも、1本が動かないような工夫をしているというだけです。
ステッキに関して申しますと、全部耳鳴りの予防で、足が悪いわけでもなんでもありません。耳鳴りがひどくて、ときどき急にがーっと耳鳴りが大きくなると、意識が、右か左にすーっと身体が持っていかれることがあったので、何度も危ない目にあったので、知り合いや母親からは、体重をかけて大げさに歩くのやめなさい。自分としては、右でも左でもどっちか一方に重心をかけておけば、こっちに何か意識が取られたときも守られるので、その意味の、ころばぬ予防として使っておりました。今日はもうサングラスもしておりませんし、何もかも外してきました。何もかも言い訳になるので、してきませんでした。
質問者:もう一点質問なんですけれども、佐村河内さんの取材のときに、『鬼武者』の創作ノートというのを見せてもらって(一部不明)特にこちらのほうは、けど実際は、新垣さんが(一部不明)これは、このメモは一体なんなんでしょうか?
佐:話(取材)のなかでは、何年かけてって伝えたか忘れてしまいましたけれども、1年かけて、自分が創作ノートを努力して作ったっていうような証を自分で作りました。ねつ造しました。
取材者:「鬼武者」用ということでなく、普通に……?
佐:「鬼武者」の一部です。
質問者:フジテレビ、スーパーニュースの坂口と申します。新垣さんが作曲をした作品、一度佐村河内さんが指示書を出した作品ですが、その作品をどのように聞いて、どのように修正して、その上で世に発表したんでしょうか。教えてください。
佐:文春さんの記事によりますと、私が作った後に新垣さんに修正をお願いしたとか、テープができあがった後に一緒に聞いたとか、「ここを直してくれ」って言ったとか書いてありましたが、一度もありません。彼に、いつも必ず確認のために「一度弾いてみせてほしい」というのは、周りの人の反応を聞きたかったからです。それもだから嘘です。新垣さんの嘘です。
質問者:新垣さんが作った曲を、どのように、周りの反応だけでなく、佐村河内さん自身がどのように聞いて、「こうした方がいい」と判断して修正したのか?
佐:新垣さんの、できた作品にあとから修正したことは18年間一度もありません。まず聞こえているときに、彼の、僕の対する注文がとても誠実なもので、皆さんからすごいお褒めをいただいていたので、彼の、僕に対する忠実に作るすばらしい音楽を信じていました。聞こえなくなって以降は、確認とかやり直しとかはありません。
質問者:近くで聞いてとか、そういうこともないということですね?
佐:はい。
質問者:ということは、新垣さんが嘘をついていると断言している、ということでいいですか?
佐:はい。あの……。新垣さんを名誉毀損で訴えます。新垣さん他(の方も含め)ですね。
質問者:こんにちは。先ほど障害者に対する思いに嘘はなかったという話がありましたが、佐村河内さん、去年の10月のサントリーホールでのコンサートのあと、義手のバイオリニストのみっくんに対して、自分に謝るのか、あるいはバイオリンをもう辞めるのかというメールを出していますが。今考えれば笑止千万のメールだと思うんですが、あれはどういう思いで、自分にどういう力があって、ひとりの女の子の運命を左右したのでしょうか。またそれに対する謝罪の言葉はまだ聞けていないのですが。
佐:どういうことですか? 何を謝れって……。僕はおっしゃったことに対して……。何を僕が、未来ちゃんに……?
質問者:まず手話通訳者をやめてもらっていいですか? 僕の目を見て話しましょう、僕の口話(口から読み取ってくれ)をしてください?
佐:そういうふざけたこと、やめてもらえませんか?
質問者:(一部不明)
佐:みなさん本当に申し訳ありません。あのもう、打ち切りにしたいと思います。
質問者:ひとりの少女の人生をなぜあなたが弄ぶようなことができたのか? この本心はどこにあるのか? 教えてください。
佐:あの、何を持ってして、そのようなことをおっしゃるのでしょうか。メールのすべてを提示するべきだと思います。あそこには中略中略とあって、私が優しい言葉、緩和している言葉、すべてカットしてあります。全部提示してください。私はあの父親に対して、未来ちゃんに選択を迫ったことは一度もありません。
いつも未来ちゃんに、例えば、サントリーホールで、「義手を外して出たほうがいんじゃない、未来?」ということを言ったら、彼女は嫌だって。ちょっと待ってください、未来本人に聞いています、というふうにお母さまがおっしゃって。本人は嫌だと言っています、と言ったら、これは自分の妻を介して電話でお話をしたんですけれども。そのときも……。
質問者:なぜあなたは義手を外して舞台に出ろといったんですか?
佐:(しばし沈黙)サントリーホールですから、とても広いので、遠くから見ると、そのときサプライズだったんですね、お客さんには誰が出るって言わず、突然始める計画だったので。ブックレットに書かれている義手のみっくんが出るとなると、みんなが感動してくれるんじゃないかと思いました。
質問者:(遮って)あなたは障害を使って感動させようとしたわけですか?
佐:感動すると思いましたけれども。感動しませんか?
質問者:舞台の上で義手をつければ皆が感動する?
佐:○○さんはそういうお考えなんですね。僕は、とにかくミクちゃんがハンデを乗り越えてああいう舞台に立っていること、みなさんとても暖かい拍手をいただいたと聞いていますので、それでよかったと思っていますけれども……。
質問者:彼女の義手に感動するんじゃなくて、彼女の演奏に感動するんですよね? あなたは義手であるということを見せようとしたわけですよね?
佐:違います。
質問者:どう違うんですか(笑)? 辻褄があいませんけれども。もう一回言います。あなたが曲を作ったわけでもない、あなたはバイオリンの素養もない。演奏のレベルもわからない。それに対して、あなたは「このまま演奏を続けるのか、続けないなら私に謝れ」というメールを送っています。どういう根拠でそういうメールが送れるんですか?
佐:まあそこは話すと長くなりますけれども、中学時代がプロのバイオリニストになるには一番大事な時期なんですけれども、その時期に、彼女が卓球部に入りたいと言い出したので。他の子たちはハンディが持っていなくてもたくさん頑張っている子がいるのに、どうしてそういう話になるの? っていうことで。
質問者:ちょっと待ってください、あなたはバイオリンの教師でもなんでもありませんよ。しかも作曲家でもないんですよ。なんでそんなことが言えるんですか?
佐:はい、失礼しました。次の方お願いします。
質問者:謝罪の言葉を聞いていませんが?
佐:あの……。あなたにですか?
質問者:みっくんに対してですよ。
佐:未来ちゃんに対しては、そういう気持ちはあります。申し訳ありませんでした。ただお父さんがおっしゃった「絶対強制を強いられた」っていうことに対してはもう断じて反対しますけれども。絶対服従ですね、そういうことは一度もありません。必ず選択をして、未来ちゃんが決めるというのは○○さん(あなた)も知っているんでしょう? 本当は。
質問者:「何月何日までに答えろ」というのは服従しろということじゃないんですか? 謝らないんですね?
佐:そう思われるんでしたら。はい。すいませんでした。
質問者:謝らないんですね?
佐:謝ります。すみませんでした。
質問者:冒頭なんですが、髪を切られてだいぶ印象が変わったんですが、それはどういうお気持ちから今の長さに変えたんでしょうか?
佐:信じていただけるかわかりませんけれども、2つ目のホテルに移ったときに、髪が長いとかそういったことは、いつか人前に出て早く謝りたいという気持ちでいっぱいだったので、こんな伸ばしている場合じゃない、髪を切ろうと。妻に切ってもらいました。
質問者:2つ目のホテルとおっしゃいましたが? どういう意味ですか、それは?
佐:はい、うちから離れておりまして、ずっとホテルを点々とする生活をしておりました。
質問者:さっきからちょっとお話がずれているんですけれども、先ほどちょっと「妻は何も知りませんから」とおっしゃっていましたけれども。奥さんは今回起こってしまった騒動について、それからあなたがしてきたことについて、どこまで知っていて、何を知らないんですか? その辺を聞かせてください。それとこの騒動が起きて、どんなふうにおっしゃっているのか?
佐:妻はまずゴーストライターがいたっていうこと、もちろん新垣さんは昔から、直接同じ部屋にいたことはありませんので、すれ違ったりとかということで。あの、2人だけの秘密だったので。まず文春に書かれている「妻がいるときに、私と(新垣さん)2人が会話しているときに、そそくさと逃げ出した」ということは18年間一度もありません。エントランスで、僕は2人だけの秘密の話がしたかったので、妻にはもうとにかく「新垣が来る前に出て行ってくれ」ということで。エントランスですれ違ったり、昔は横浜の妙蓮寺という駅だったんですけど、そこで彼が来る時間に妻が出かけていく、ということで、「駅ですれ違ったよ」というようなことはありましたが。まず文春に書かれているような、私が普通の会話をして、それを見て妻が動揺して逃げ出した、というようなことは作り話です。
あともうひとつ、今妻が何を思っているか、ということは、私に対する怒りはもちろんありまして、すごく叱られました。
質問者:具体的にどんなことを?
佐:一番騙されてきたのは私だって言われました。
質問者:その奥さんのお母様が、あなたは大嘘つきだと。「早く、私が生きているうちに帰ってきてほしいとおっしゃっているんですけれども。その、広島の奥さんのお母さんに対して今どんなことを思っていますか?
佐:妻は、妻のお母さんの発言に対して嘘八百だということで名誉毀損で訴えると言っております。
質問者:娘さんが実の母親を訴えると言っているということですか?
佐:そうです。
質問者:○○編集部のフクダと申します。佐村河内さんが調性音楽を作られた。つまり現代音楽とちょっと趣の違うものを作られたということを、私自身は説明に対して非常に共鳴したんですけれども。私以外にも、私などよりもたくさんの演奏家の方たちとか、指揮者の方などが共鳴しまして、それで佐村河内さんの交響曲第一番を非常に評価して演奏したわけです。調性音楽というものを、現代でもイキイキとしたものとして取り上げようという動きが今回の騒動によって止まってしまう。もしくは「それ見たことか」っていうふうなことを言う人が出てきてしまう。そのことが非常に残念に思うんですけれども、佐村河内さんはいかがでしょうか?
佐:私自身も、今となっては自分のついてきた嘘がこのような形で白日となって、これから責任を問われて沢山の方々に謝罪をしていかなければいけないんですけど、そこは別としまして、今本当に、こういう罪や罰やそういったものが白日となったことは、私にとってはよかったことだと思っています。ただ、調性音楽にとってはせっかくの希望の光が、調性音楽を愛してらっしゃる方の、新曲を聞きたいという方々の気持ちが萎えてしまったり、この先、この偽物の佐村河内のあとに続くっていう人たちの気持ちが萎えてしまう、なくなってしまうということは、とても残念なことだと思っています。
質問者:フジテレビの「ノンストップ!」倉田と申します。さきほど容姿の件で髪型の話がありましたが、もうひとつ、サングラスについて。今日はこれだけの時間かなりのフラッシュ浴びています。今、大丈夫ですか?
佐:大丈夫です。このあとダメージがくるとは思うんですけれども、もう言い訳はしません。とにかくそういったことは関係なく、自分の顔を全国にさらして謝罪しようという気持ちがありましたので。
質問者:関係なくとはおっしゃいましたが、今日は自分の思いを話したい、だから自分でこの会場をセッティングしたと思われるんですけれども、となれば、これだけの記者の方が集まって、自分もこれがメディア最後とおっしゃっていました。ということは、冷静に自分が話すためにもサングラス、必要じゃないですか?
佐:してくると叱られると思いましたので、してきませんでした。すいませんでした。
質問者:携帯はされているんですか(持ってきていますか)?
佐:今はしていませんが、かばんにはあります。もちろんサポーターもありますし、杖も持っています。
質問者:サングラスなどを買われたお金というのは、もちろんこれまでの印税というところからだったりすると思うんですが。お金に関してというのは、これからどういうふうに、ご自身で考えていらっしゃいますか?
佐:これからの生活でしょうか。もう音楽家であることはありえませんし、これからのことは何をしていくか、自分でもまず謝ることが一番だと思っていたので、まったく考えられないでいます。それこそ、自給自足の生活をどこかの田舎でするのか、それはもうわかりませんけれども、自分にできることをやって、負債があればそれを返していく、というようなことを一生続けていくんだと思います。
質問者:ごめんなさい、最後にひとつだけ。沢山の方、記者が質問しているなかで、取材中、立つ方と座る方の区別というのは何なんでしょうか? ご自身の中でどういう思いがあって、今、立つ、座るをしていたんでしょうか?
佐:私が立った方たちは、私が直接知る、私が大切に心のなかで思っているのに裏切った方たち、知人です。すみません。
質問者:朝日新聞のタムラと申します。先程から2人だけの秘密ということを何度もおっしゃっているんですが、NHKスペシャルのディレクターだったり、日本コロンビアの関係者だったり、本当にその事実を一部でも知っている方はいらっしゃらなかったのでしょうか?
佐:おそらく、先ほどお叱りを受けたので、個人名出しちゃいけないと思うんですけれども、NHKのスペシャルの関係者の人、手話通訳の人、あるいは私の妻。他にもたくさんそういったことに巻き込まれて非難を受けている方がいらっしゃると、手話通訳の方みんなそうだと思うんですが、誰も、全く、知りませんでした。
質問者:騒動後に、「前から知っていたけど、私は知らなかったことにしてほしい」と通達を受けたことはないということですか?
佐:はい、誰もありません。
質問者:あともう一つだけ教えてください、細かい話で申し訳ありませんが、『現代典礼』の指示書のなかに受難のところで、モーツァルト、☓☓、△△と並んで、「ペンデュラム」とあるんですけれでも。これが何を意味しているのか教えていただけますか?
佐:昔書いたことなんで、よく覚えていません……。
質問者:オーストラリアのロックバンドの「ペンデュラム」ではないですか?
佐:何かで調べて、そのような意味合いのことを書いたのだと思います。(指示書をしばらく見て)ちょっと思い出せません。申し訳ありません。ペンデュラム……。宗教用語かなんかを自分で調べて、なんか書いたんだと思うんですけれども。曲名かもしれません。
質問者:TBSのウンノともうします。ご自身の出身地でもあります広島。「(交響曲第1番) HIROSHIMA」という曲が代表曲となっていますけれども。私も広島の出身なんですけれども。併せて、広島市民賞も、取り消されていますけれども、受賞されました。今回のことで、広島の被爆者とか市民とかは非常に怒っていますけれども。先ほど被災地の話もありましたが、今回、広島の人たちにはどう思われているんでしょうか?
佐:私自身とにかく二世ですけれども、先ほど伝え漏れもありましたが、被災地でも述べましたが、被爆地への思いは全く同じです。申し訳なく、反省しております。
質問者:ありがとうございます。
質問者:フジテレビの○○と申します。先ほど「新垣さん他を名誉毀損で訴える」というお話をされていましたが、どなたを名誉毀損で訴えるのかということ、また訴える際は民事なのか刑事なのか、どこの警察、裁判所になのかということ、またその際の代理人を教えてください。
佐:まず、弁護士の方はほぼもう内定していて、来週にもお会いすることになっております。まだ名前は申し上げられないんですけれども。それがわかっているので、私個人の意見として、訴える用意があるという風に伝えたんですけれども。
質問者:どなたを訴えようとなさっているんですか?
佐:新垣さんです。
質問者:「他」って先ほどおっしゃっていたんですけれども。
佐:まだ決めかねているので、はい。
質問者:それはどういう内容ですか?
佐:新垣さんは絶対訴えるけれども、それ以外の方はまだ、そうするべきかどうか考えていないということです。
質問者:文春さんに関しても違うことがあるとかなりおっしゃっていますが、その記事を書いた記者の方っていうのは……?
質問者:はい、迷っています。
質問者:佐村河内さんの印税収入って幾らだったんですか?
佐:詳しい値段は申し上げられませんけれども、もう長いこと生きてきまして、青色申告っていうんでしょうか、そちらのほう調べていただければわかりますけれども、今年はじめて黒字になった程度で、今までの人生で黒字になったことはありません。ずっと赤字できておりますなか、新垣さんが要求して応えてくれる値段を、これも説明が足りておりませんでしたけれども、妻には「現代音楽のご教示代」ということで嘘をついて、お金を下ろして払ってもらっておりました。調性音楽は自分で書けるんだ、でも完璧な、現代音楽と融合したものを作るために新垣さんのご教示がどうしても必要だ……ということで、妻にはそのような嘘をついて、この18年間、高いお金を払わせておりました。
質問がちょっと違っていたらすみませんでした、今、他になにかありましたっけ?
質問者:今後、負債の費用はどうするんですか? 印税から? どういったお金を使われるんでしょうか?
佐:それはまだ何も考えておりません。ごめんなさい、すみません。
質問者:TBSの○○と申します。先ほどホテルを点々とされていたとおっしゃっておりましたけれども、具体的に、報道が出られてから、一切報道も捉えることができなかったということでしたが、具体的にどこを回られて、どんなことをされていたんでしょうか?
佐:横浜を中心に、ホテルを点々としておりました。
質問者:一部報道では、埼玉というのもあったんですが、それはないですか?
佐:横浜から出たことはありません。一番最初が東横インの横浜スタジアム前というところで。そこから出発して、横浜を行ったり来たりしていました。
質問者:先ほど反省の意味で、謝りたいということだったんですが、髪型とかは、ご自身でぜんぶ決められて切られたんですか?
佐:お任せするという形で。妻は美容師だったんです、元。なので……。
質問者:我々がちょっと調べさせていただいた情報でですね、一部情報なんですが、ご自身がスキンヘッドになっているという話があったんですが、現在は地毛なんですか?
佐:それは初めて聞きました。ありがとうございました。
質問者:○○と申します。奥様はこの18年間、どんな風なことを(一部不明)いらっしゃったのか。あと今、離婚を考えていらっしゃるですとか?
佐:妻から離婚ですか?
質問者:佐村河内さんにとって、奥様はどんな役割を果たされてきたんですか?
佐:妻は18年間ではありませんが、11年間くらい、僕は喋れますので聾唖(ろうあ)ではないんですが、聾(ろう)者の妻として普通に生きておりまして。何か音楽に加担するとか、そういった人間ではないので、特に何もありません。離婚に関しては、まず第一声、このことが発覚したときに妻に申し出たのでは「離婚してください」でした。でも「しないよ」と言われました。
質問者:音楽には一切関わられていなかったんですか? 奥様は。
佐:はい、一切、もちろん。
質問者:日刊スポーツの○○と申します。聴力に関して聞いておきたいんですけど、いつ頃から耳が聞こえづらくなって、いつ頃にまた聞こえなくなって、いつ頃にまた聞こえるようになったんでしょうか?
佐:1900……ちょっと年数はわからないんですけれども、自分が24歳のときに左の聴力の低下と耳鳴りを感じて、それにどんどん耳鳴りの音が上がっていくのと平行して聴力は落ちていった。左耳があんまり使い物にならなくなって、今度は右耳。そのときに一回補聴器を買っています。それから最終的には補聴器2つ買うことになるんですけれども、次は右耳が聞こえなくなって、同じく耳鳴りがあがってきながら、平行して聴力が落ちていくという感じで。1999年に一度自分は全く音がなくなったと感じました。それは本に書いていることは本当です。ですがその後、何ヶ月か経ってですね、補聴器をするとまた少し音が聞こえるというようなことが、1年半くらい、行ったり来たり続きまして。「鬼武者」が完成する頃に……。
あ、その前に申し訳ありません、1999年の2月頃だと思うんですけれども、完全に聞こえなくなったと思い込んで、北里大学病院というところに行きました。受診したときに、先生が「これはすぐに入院しなさい」と言われたんですけれども。入院する理由は、絶対安静と点滴治療と酸素室というのを繰り返しやるので、こういうのは早いほうがいいので入院しなさいと言われたのですが。核となる偉い方と相談して、2ヶ月にライジングサンのお披露目を控えてですね、私は新垣さんに、これは本当に恥ずかしい話なんですけど、結局作曲ではなくて指示をしていかなきゃいけない時期だったので。ここで入院すると曲が止まってしまうという風に思って、プロデューサーさんに相談しました。ここで耳がダメになってしまうか、それとも入院して発表会を延期させてもらえるかって迫ったところ、もう「諦めてください」と言われて、入院は諦めまして。新垣さんの指示に奔走していたというのは事実です。
それから、ごめんなさい、はい。3年くらい前からまずガタンとかゴトンとかいう音を感じるようになって。最初のきっかけはですけども、妻が出かけて、私が鍵をかけるんですけど、ガチャってやる上のロックがありますよね、あれをよくかけてしまって。妻が帰ってきても、昔は妻が閉じ込められてガンガンガンガンやっても昔は聞こえなかったんですけど、それがなにか聞こえると。ガタンガタンやっていると。玄関近づいてみると、半分ドアが開いてて「開けてくれ」なんて言っているので。それがきっかけです。
質問者:聞こえなくなったとき、その都度、原因として該当……何が原因なのかという診断をされると思うんですけれども、聞こえなくなった原因ですとか、どういったことをお医者さんに言われたんですか?
佐:おそらくですね、どこかのTV局の人が、東京大学の偉い先生を連れてきて「一旦ダメになったものが治るなんて99%ありえないと。冗談じゃない」というようなことをおっしゃっていましたが、私は本当に今は少し回復したと思っています。昔はもっともっと酷かった(涙ぐみながら)。「彼(手話通訳者)には質問しないでください」とお願いしましたが、彼が証人です。10何年一緒にいてですね、質問はやめてほしいと思いますが、本当に苦しい時代を一緒に過ごしてきてくれたので……。
今、回復しても、結局音が発音として正しく耳に入ってこないので、先ほど申しました、今も変わらず昔も変わらず、この先も手話通訳者を必要としていくしか生きていく道はないと思っています。
質問者:原因とか診断をされなかったのか?
佐:原因は不明と言われました。
質問者:聞こえるようになったあと、病院にはいきましたか?
佐:今回に限って言いますと、先生は感音性難聴であり、聞こえのレベルはABRの検査によっても、こういった数字が出ているけれども原因はわからないと言われました。ただ、お手持ちの診断結果ですけれども、一言付け加えるなら、手帳には至らなかったけれども、感音性難聴でこのくらい聞こえかったということは、日常生活に難ありという障害者だということは、色々などの先生に見てもらっても一目瞭然だということは伝えてもらいました。
質問者:ひとつだけ、全く違う話になるんですけれども、新垣さんが今までに700万円くらいギャラをもらったというお話だったんですが、その金額は正しいですか?
佐:今ちょっと覚えていませんですけれども、領収書はぜんぶ新垣さんにもらっていますので、後で調べることはできます。収入印紙の貼った領収書は全部とってあるので。
質問者:100万円くらいにつり上げたということなんですが、それが本当だった、700万円はゆうに超えていると思うんですが。
佐:ちょっとすみません、わからないです。すみません。
質問者:フジテレビの○○と申します。先程から「音がねじれて聞こえる」とおっしゃっておられるんですけれども、佐村河内さんの耳では実際にどう聞こえているのか、イメージがわからないので、たとえば「こんにちは」というのがどういうふうに聞こえるか、それをおっしゃっていただきたいんですが。
佐:すみません、説明ちょっとできないんです。
質問者:耳にどういうふうに聞こえてるのかということ、こういう声が例えば「ん~」と聞こえるのか。ちょっとイメージがつかないんですけど。
佐:説明するとしたら、僕の場合、語尾、音の終わりのほうが、曲がっている感じですね。
質問者:どういうふうに曲がっているんですか? 上がるとか下がるとか?
佐:ちょっと難しいですね……。お医者さんに感音性難聴について聞いていたただければと思います。
質問者:今までの人生で一番輝いていると思った瞬間と、その逆で、一番惨めだな、どん底だなと思った瞬間。それはどういうとき、どういうことをしているときだったか教えてください。
佐:考えるとなかったなと思います。
質問者:嘘をついて、ついた自分は満足していなかったということですか?
佐:所詮、心の奥では嘘なので。騙しているという気持ちがあったので。素直に喜べてはいませんでした。
質問者:人生で輝いていると感じるとき。心から楽しいなと思ったときというのは、今までないですか?
佐:正直に言います。自分が結局ステージ、ツアーとかですね、行ってもまともに音は聞こえていないのに、そこに針のむしろみたいな感じで。自分のなかでそこに座っていることは、自分は聞こえないのに褒められるみたいな感じで、針のむしろではありましたけれども。皆さんがステージに上がるのを見て、皆さんが喜んでくださる顔などを見ているときはは幸せでした。
質問者:今の状況、すごい(一部不明)と思うんですけれども。今までの人生、どん底だと思うときはいつですか?
佐:今です。
質問者:週刊文春の編集部、○○です。佐村河内さんのつかれた嘘で、CDを出している会社や全国ツアーを企画している会社、楽譜を出している会社など、損害をこうむった関係者がいると思うんですけれども、その関係者に対して、損害賠償はされるつもりはあるんでしょうか。教えてください。
佐:はい、あります、もちろん。
質問者:それは、ご自身からその関係者のほうにも損害賠償をするということは申し出られる?
佐:はい、伝えています。
質問者:ありがとうございます。
佐:すいません……。
質問者:広島の中国新聞の○○と申します。交響曲第1番HIROSHIMAについてお伺いしたいんですけども、現代典礼という指示書には、HIROSHIMAというタイトルはまったくなかったと。新垣さんは、HIROSHIMAというタイトルになって発表されることになって驚いたとおっしゃっていました。なぜHIROSHIMAというタイトルに変えて発表されたのでしょうか
佐:もともとこの曲は自分のなかでは、やっぱり被爆二世としての使命みたいなものが形で……。やる意味があったから、最後に光が訪れるという、自分のなかでは想定がありました。
ただ、信じてもらえないかもしれませんが、新垣さんという方は、私がお願いしてお金を払って作ってくれた曲にまったく興味を示してくれませんでした。その証拠に、最後に会ったときにですね。これは韓国のヨルムさんにも謝らなければならないんですが、ヨルムさんが演奏したものを新垣さんの目の前で、かけたんです。「すごいなすごいな」と言って驚いていました。
もうひとつ、今ちょっと思い出したんで、説明、ちょっと間、腰が折れますけれども。私は最初に話したかもしれないんですけれども、新垣さんには最初は筆談もお願いしていました。そして、口話でゆっくり喋ってもらって、わからないことは「もう一回ゆっくり話してください」ということを、もう何百回も言ってきました(発言に力を込めて)。なのにあの発言は、私の障害と、今回のデータを見ると、ありえないことだと思います。
すいません、ちょっとどうしても言いたかったこと忘れてしまったので。広島への思いは、私のなかにもともとありました。それはもう本当に嘘じゃないです。ですが、新垣さんにそのときに現代的な要素も入れたいということで「現代典礼」と仮タイトルをつけて。そうするとまあ彼が喜びますもので、現代的な響きが入るということで。
で、最終的にヨルムさんのCDを聞いたときに僕は驚いたんですけれども、「もしかしてここで初めて聞くの?」って聞いたんですね。そしたら、「ええ」って言うので。「これまでの(CD)プレゼントしましょうか」って言ったら「自分で買うからいいです」って言ったんですけど、「まあ持って帰ってください」ってヨルムさんのCDお渡ししたんですけれども、もしかして他のCDは?って言ったら「聞いたこともない」って言われたんです。「持っていません」って。信じられない思いでしたね。
質問者:被爆者を利用したというふうには思っていらっしゃるんでしょうか? 思っていらっしゃらないんでしょうか?
佐:断じてありません。
質問者:弁護士のことについてお伺いしたいんですが、2月中旬にこれまで務めていた2人の弁護士が辞任しました。こちらの具体的な経緯。なぜ辞任したのかということをお話いただけないでしょうか。
佐:許可を得ていないので、言っていいのかちょっと悩むところですけど、今日は全部話すということで。実は高橋大輔選手がお滑りになるタイミングっていいますか、その前に僕は謝りたかった、こういう場所を設けたかったんですけれども。まだタイミングではないと。今謝ると騒動が大きくなる、高橋さんに影響がでるということで。そこだけです。
質問者:謝罪のタイミングで意見が分かれたということですか?
佐:はい。
質問者:佐村河内さんは、謝罪をしたいというお考えだったということでしょうか?
佐:はい。
質問者:広島に、佐村河内さんの小学校中学校高校の同級生に何人か会って、お話をお伺いしております。そうしたら、交響曲第一番に書いていることは全部嘘であるとは限らない、ピアノをやっていた事実はあると、彼らは言っていました。だけど、佐村河内さんはクラシックをやっていたのに、腱鞘炎になっていると今おっしゃっています。同級生たちは、当時、高校時代にあなたには夢があったと言っていました。それは役者になる夢だと。あなたは役者になりたいと思って高3の時に家出して、役者になろうと思って東京に、18の時に上京したと。なので、彼らが言うには「佐村は今は人気者の天才作曲家を演じたのであろう」と。(一部不明)
ただ、今あなたがまだ「小さい頃からクラシック好きで〜」とか「ピアノが〜」とか言っているあなたを見て、「あいつまだ演じるのか、まだ役者なのか」と言っていると思うんですが、それはどう思いますか?
佐:そう思われても仕方ないと思っています。ただ1点ですね、ちょうど思い出したので言わせていただきますけれども、もしかしてこの中に、交響曲第一番の嘘の自伝本を書いて、幼少期のピアノ時代のことを克明に書かれているのをお気づきになった方もいらっしゃると思います。どうしてそこだけ私が克明に知ることができたのか。あれは新垣さんが、嘘の自伝本を書くというのを知って、積極的に、どのように、音大を出ないで、耳も聞こえないで交響曲を書くに至った人間が、どのようなすごい経歴、幼少期を過ごせば、すごいように見えるかということを、新垣氏自身がこの嘘本の構成に加担していたということを話したいと思います。だから「初めて読んだ時にびっくりした」と(新垣氏が言っている)いうのは嘘です。
質問者:今、私との会話のなかで、すごくスムーズに「はいはい」とおっしゃったように感じたんですが、それは私の勘違いですか?
佐:すいません、後でビデオで検証してください。私は手話通訳の遅れたタイミングではいはいと言っているだけですので(ため息)。
質問者:日経電子版の○○と申します。「新垣さんの作品は、70年代のアカデミズムの現代音楽の作品である」という評価を(佐村河内氏が)下されていらっしゃる。新垣さんがご自身の名前で発表したときですね。でも先ほど、ご自分のコンサートは音がよく聞こえないので針のむしろだと思いながらそこにいらしたと。この2つにちょっと矛盾があって。そういう聞こえないコンサートにいる佐村河内さんと、それから新垣さんの作品をきちっと聴いてそういう曲だと判断される佐村河内さんと、ソンヨムンさんのCDを一緒に聞いてる佐村河内さんと。要するに、作品やシチュエーションによって聞こえ方が違うということなんでしょうか?
佐:ちょっと手話(通訳者)がよくわからないと……。
質問者:交響曲の演奏のときは聞こえないコンサートで針のむしろだと言っている佐村河内さんと、それから新垣さんの作品を聴いて作風をきちっと理解される佐村河内さんと、それから、お二人でソンヨムンさんのCDを一緒に聞いて感想を言い合っているときの佐村河内さんということで。要するに、聞こえ方が場面によって違う説明が、これまでの会見のなかであるんですが、説明していただけませんか?
佐:ちょっとバラバラいろんな音があってよくわかんないんですけど、新垣さんと一緒に聞いている感覚はありません。これが、最終的に私が指示をして新垣さんが書き上げた曲です、それがCDになったものですということで、音を流して、私の家で、一緒に聞いたというか、そういうニュアンスになると思いますけれども。
質問者:では、新垣さんのご自身のオリジナルの作品について、そういう、作風についての判定を下したというのは? 聴いた上で下したんでしょうか?
佐:そういう記事が出ているんですか?
質問者:いや、先ほどアカデミズムの世界だとおっしゃったので。あとその交響曲の、ある海外の有名な指揮者が、初演のときにリハーサルに立ち会わなかったと。聞こえないから立ち会わなかったのか。初演のときに作曲家がいかなるときでも立ち会わないというのに意義を呈した有名指揮者がいるんですけれども、新垣さんから届いた交響曲のスコアを見て、佐村河内さんはどの程度、音が浮かぶんでしょうか?
佐:ほとんど浮かびません。リハーサルに立ち会うと突っ込んだ質問をされるので、避けてきました。すみません。
質問者:私が佐村河内さんの会見を聞いて書き取ったことによれば、新垣さんへの委嘱料なんですが、30万円くらいから初めて、80〜100万円になって、それで300万円になったというように、段階を追って上がっていったと。100倍とかじゃなく、100万円、そういう話でしたよね?
佐:そういうことではなくてですね、作品の大きさにもよります。交響曲レベルだと、やっぱり80〜100万円だと思いますし、すごく小品でしたら、もう少し少ない、という風にしておりました。
質問者:デイリースポーツですけれども。今の、奥様と奥様のご家族、まあお母様との関係というのは、つまり絶縁状態なのか、そのあたりを教えてください。
佐:妻と義理の母親? はいはい、1995年から絶縁状態です。ですから噂を聞いてびっくりしたんですけど、どこの誌かわかりませんけど、お母さんがインタビューに答えていらっしゃるなかで、「あれ(佐村河内氏)は私が電話をしても、そのまま電話に出る」そんなことは、お母さまは1995年もちろんそのときは私は聞こえているときでしたけれども、お母さんは電話なんて一度もかけたことありませんし。はい。
質問者:テレビ番組のなかで、非常に具体的に作曲のプロセスを説明されていて。CGなどを使って具体的に説明されていたんですが、あのストーリーというのは、どうやって生まれたんでしょうか? 何から作られたものなんでしょうか?
佐:「レクイエム」に関しては、私の指示がすごく多かった……ということもないというのは正直なところだと思います。NHKスペシャルですよね?
質問者:(一部不明)どこかにアイデアがあって、そこから生まれたのかなと思いまして。
佐:できるだけ正確に、いい曲に仕上げてもらうために指示はたくさん出しているんですけれども、それがどこまで仕上がっているかというのは。できあがった後、人々の感想とかピアニストさんとかの感想を聞いてみないと、正直わからないです。ですけど、いつも彼は誠実に応えてくれるような。はじまり方、中盤、何楽章は、例えばピアノソナ第二番の「追悼のレクイエム」というコロンビアさん名付けられましたけれども、あの曲に関しても、始まりは10個のパターン。単純なですね。ピアノですから、オケの100人と違って、もう本当に音数も少ないですので。3年前から聞こえるということで。なるべくまあ大きな音で。カセットテープでしたが、彼から入れてもらいましたが、M1、M2ということで間を空けて録音してもらって。で、それを拙い譜面で読みながら、「曲がって聞こえるけど、少しこのイメージはいいなあ」とそういったような形で。
最初、僕が求めていたイメージは、新垣さんにとても反対されたんですが、ソナタにも関わらず、バロック形式で始まってほしいと。猛反対をされました。でもいいから、イ短調でバロックで作ってほしいと。一応、1曲のなかのM10に入れていただいたんですけれども、やっぱり僕はそれがいいと、何度も何度も確認して、感じたので。M10を頭にしてください、というはじまりが、2番の頭の部分です。でそれに、M1をくっつけて繋げてできませんか、という話から始まりまして。はい。
質問者:(小声にて不明)
佐:質問から少し逸れるかもしれないんですけれども、本当に何もかもすべての席には私にあるんですけれども、NHKの方が今大変な思いをしていて、それはすべて僕のせいで、名前は出しませんけれども、やり玉に挙げられているという話を聞いて。6年間続いた友情が、事件発覚後も彼は僕に優しい言葉をかけてくれた、素晴らしい人間だったんですけど、やっぱり耐え切れなくなって、それで「自分の罪の重さを知れ」と最後の言葉で、さよならと書いてあった連絡がありました。
質問者:このままだと憶測というか、話が全て大きくなってしまう可能性があるので、具体的に、やはりここで正直に話していただいたほうがいいと思うんですが。あの番組を見た方大変多いと思うんですよ。影響を受けた方も、あれを信じた方もたくさんいらっしゃると思うんで、そのあたりはしっかり説明いただいたほうが、今後のためになると思うんですけど。
佐:はい。NHIKスペシャルで、私と新垣の関係、ゴーストの関係を知っているスタッフはひとりもいません。
質問者:知っているかじゃなくて、どのようにあの番組が作られたかという。
佐:ディレクターの名前? 隠したほうが……。
質問者:名前を明らかにしろとかそういう問題じゃなくて、演出の部分ですね。
佐:それはもう明らかに、私がディレクターたちを騙した、過剰演出です。
質問者:(一部不明)どこかで情報を集めてきて、ああいうストーリーを仕立てたんでしょうか?
佐:アイデアとしての音を取りにいくというようなことは、実際譜面にしているのは新垣さんなので。そういう努力をいつもしていたというのは事実です。プロデュース的なことだと思うんですが、そういうことはあると思います。それが精一杯でした、私には。
質問者:あの番組が完成して見られたときに、自分が思ったとおりのものになっていましたか? それともよりドラマティックになっていたほうになっていたのか?
佐:特に感情的になって歓喜するような番組だとは思いませんでした。それをあるディレクターの方も望んでおりましたし、なんかこう、「やってやったぞ」みたいな終わり方には決してしませんというようなお話でしたので。まあじゃあ自然にいきましょうと。そういうことですね……。
質問者:すいません、ニコニコ動画の七尾です。ありがとうございます。40万人の人がネットで生中継で見て、非常に関心を持っております。今日の会見で終わりというお話だったので、真実はできるだけきちっと証明されたほうがいいように思います。今ネットのなかで、やはり手話の方が答えるより先に答えている、という疑問が生じています。ひとつの間接的な証明の手段としては、佐村河内さん自身が実際に手話ができるのかという、そういう疑問があがっているんですが。なにかこの手話で、皆さんに向けてメッセージと言うのはお願いできますか?
佐:(手話)
質問者:今、手話がわかる方が隣にいらっしゃいまして、きちっと説明していただきました。
佐:ああ。あのすいませんけれども、先ほどから5回くらい最後の質問と言っているので、これで終わりたいと思います。申し訳ありません……。本当にこのたびは申し訳ありませんでした。
(四方へお辞儀)
司会:実は、会見の前にお配りした書面とは別に、会見の直前にもう一部、診断書をいただいております。それは日付が古い診断書となるんですが、それに関して佐村河内さんはのほうから説明していただいて、これ本当に数枚しかないので、ホテルの方にお願いして、再撮の時間を設けさせていただきます。あと、佐村河内さんとホテルの方のお約束で、撤収含めて14時までしかお約束がないそうです。この会場はこの後また他の予定があるということなので、ホテル側はなるべく皆さん撤収をということで話されていらっしゃいます。なので、この書面についての説明を佐村河内さんのほうからしていただきます。
佐:特に、12年前くらいのことなんで記憶はしていないんですけれども、先程も申しましたように、市の認定する正式な医療機関で、きちんとそこで指示された検査を受けた、というお話の発表があったということをお伝えしました。それがこれになります。(診断書を見せる)
説明としましては、100デシベル、100デシベルの感音性難聴ということです。詳しい説明、OGメーターというものがありまして、それはちょっと私はわからないんですけれども。当時わりと先生には骨導という検査。骨で聞こえる。耳で聞こえる。で自分でそれを押すという。でそれは、ここに現れている、この2つの線といいますか、これが顕著に感音性難聴ということを現しているというお話でで、病名が感音性難聴となりました。
どうして診断書を取ったかですか? 名前は出せませんけれども、自伝で書きましたとおり、当時、横浜市港北区の手話サークルの会長さんと、ご迷惑かかるので(名前は)出しませんけれども、その方の指示で、この病院で試験が受けられますよということで。その方と一緒にまた、親切に教えていただいた、全く知らない病院に行ってですね。当時もABRという検査はあったそうです。とっくの昔にあったそうですが、どの病院でその検査を行うか、しないかというのは病院次第だそうで。私自身はもう5ヶ月間も手話サークル、通訳者の仲間たちと、聞こえない人間として付き合ってきたわけですから、その人たちと一緒に行って、例えばそこにABRという検査を受けて、聞こえる健常者として結果が出るようなことはありえないわけですから。私は、ここに関しては嘘をついておりません。
(席を立って)
どうも本当に申し訳ありませんでした。
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