2024.12.24
「経営陣が見たい数字」が見えない状況からの脱却法 経営課題を解決に導く、オファリングサービスの特長
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神保哲生氏:私、神保が日本語の声明を申し上げさせていただきます。
「イスラム国は日本人人質の解放を」
日本外国特派員協会は、2人の日本国民がイスラム国を名乗るグループに人質として拘束されていることに遺憾を表明し、彼らの無条件解放を求める。特に人質の一人である後藤健二氏は、平和の推進や難民の支援、貧困の撲滅といった人道的なテーマを追い続けてきたジャーナリストである。彼がその地域で取材をしていることこそが、彼の誠実さと勇敢さの証左であり、尊いものである。
イスラム国が何らかの不満を抱えているとしても、そのために後藤氏を処罰することは、あからさまな不当行為に他ならない。2人の日本人人質は、危害を加えられずに解放されなければならない。2015年1月22日 日本外国特派員協会理事会
以上です。
常岡浩介氏(以下、常岡):常岡浩介と申します。今こちら(名札)にアルファベットで「Kosuke Tsuneoka」と書いてあるんですけれども、ときどき私に関して「シャミル常岡」と報道されていることもありまして、あるアメリカ系のアナリストのウェブサイトでは「シャミルと浩介はあまりにも似ているぞ、これはなぜ2人いるのだ」と書かれたことがあるんですけども。
私はイスラム教徒でして、イスラム教としての名前が「シャミル」と申します。ですから、シャミルも浩介も私の名前です。
今回こちらにお呼びいただいたのは、イスラム国に2人人質になっている事件について、私の話を聞いてくださるということだと思います。私、イスラム国に一昨年から数えて……今のは「イスラム国が支配している地域」という意味ですけども、3回入って取材をしたことがあります。
イスラム国に入って取材して帰ってくるというのは、むしろ私は後からわかってきたんですけど非常に困難なことのようで、相当たくさんのジャーナリストや援助関係者がすでに拘束されている、あるいは処刑されたケースもある。
私のケースはイスラム国をもともと取材しようと思っていたわけではなくて、チェチェン紛争を取材していた経緯から、シリアで戦っているチェチェン人グループを取材していました。そのチェチェン人グループがイスラム国の司令官を私に紹介してくれたという経緯で、この人物と連絡が取り合えるようになりまして、イスラム国の取材が可能になったという偶然的な幸運がありました。
そういう形で、重要な意味は感じていないままイスラム国の司令官と連絡がつく状態になっていたところ、去年の8月にこの司令官から私のところにメッセージが届きました。内容が「すぐにイスラム国に来てほしい」というものでした。
「私たちは湯川遥菜氏……」そのときの彼の表現では日本人ジャーナリストと書いてましたけれども。「……(という)ジャーナリストを拘束している。私たちの手の内にある。この人にはスパイの容疑がかかっている。私たちはこの人を裁判しようとしているんだけども、意思の疎通ができていない」湯川さんは英語ができないらしいですね。アラビア語もできないらしいですね。
「私たちは今、アラビア語と日本語の間を通訳する人間を必要としている。それからもうひとつ、私たちがこの人に残虐行為をしないこと……」これは彼らの論理ですけども、「……そしてイスラム法に基づいて公正に裁判をおこなったということを証明してくれる、立会人(witness)を必要としている」ということを言ってきました。
この司令官の説明では、司令官自身は人質になっている湯川氏に会ったこともないんだそうです。しかし、彼が従っている直属の上官が湯川氏の処遇を決める権限を持っているんだそうです。で、イスラム法に基づいて裁判をおこなう。そしてそれに通訳が必要である。
さらにジャーナリストを招いて、証人(witness)を立てたい、立会人にしたいという意思を上官から告げられたので、この司令官……オマル(・グラバー)さんという人ですけれども、(私を呼ぶよう)進言、推薦したんだそうです。1人はwitnessとして私自身、もう1人は通訳として、当時同志社大学にいらっしゃった中田考先生。今日の10時から記者会見をされた人です。
私は中田先生と連絡を取り合いまして、そういう連絡を受けたことに二人とも驚愕しました。驚きました。これは今すぐにでも、できるだけ早くイスラム国に行くべきだということで一致しまして、9月3日には日本を出まして、9月5日にイスラム国の領域にトルコから入りまして、その翌日の9月6日にイスラム国が首都だとしているラッカで、オマル司令官と再会いたしました。
それまでも取材でオマル師と何回か会ったことがあったんですけども、イスラム国の首都で会ったというのは初めてで、そもそもイスラム国の首都に入ったのも初めてでした。それは、オマル司令官が私と中田先生を招待したから実現したという形になりました。
ラッカで司令官に会って事情を聞いたんですけども、やっぱり司令官は湯川氏について「身代金を取る材料にはしない」ということと、それから「見せしめのための処刑をしない」というのが、イスラム国の方針であるということを私たちに説明しました。あくまで彼らの表現で言うところの、「私たちは人道的。残虐な扱いをしない。イスラム法に従った公正な裁判をする」と強調しました。
そこで湯川氏自身に我々は会わせてもらえるという説明を受けたんですけども、待てど暮らせど、実際には湯川氏のところに連れて行かれない。見ていますと、オマル司令官は自分の上官に無線機を使って連絡を試みている様子なんですけれども、上官からの返信が来ない。
ちょうど運が悪くというべきか、その日……9月6日ですけども、ラッカ市に対してシリアのアサド政権による過去最大の空爆が加えられました。50人くらいが亡くなった。そのうち35人くらいが一般市民だったと、欧米のメディアで報道されたのを後で確認いたしました。
その後も司令官は上官への連絡を試みていたんですけれども、おそらく空爆による指揮命令系統の混乱で連絡がつかず、最終的には9月8日……入国が9月5日でしたので3日後になって、上官から連絡が入ったというのがこちらに知らされました。ところが、その連絡の内容というのは「一週間待ってほしい」ということでした。
そのときの一週間というのは、ニュアンスとしては一週間後にアポイントメントを入れるということではないんですね。「一週間ほどはまったく応対できないから、とにかく待ってほしい。それから仕切りなおしましょう」というニュアンスだったと思います。
それを聞いて、中田先生のほうは「無理です。待てない。帰る」とおっしゃいまして、アラビア語が堪能な中田先生がいないとまず裁判はおこなわれないと思いましたので、私も一緒に帰ることにいたしました。
ただし、私のほうは時間がありますので、1ヶ月後に改めて来て、そのときに湯川さんに会わせてもらえないか。そのときは中田先生はタイミングが合わないので、イスラム国のほうでアラビア語・英語の通訳くらいは用意してもらって、こちらは英語・日本語で湯川さんの証言を翻訳するということができるのではないかとこちら側から提言いたしました。
オマル司令官は「それは可能性がある」という言い方をしまして、10月にまた訪れるという約束のもとで私たちは帰国いたしました。
一旦日本に帰りまして、10月7日に再びイスラム国へ向かうということで私は準備していたんですけども、その前日の10月6日夕方4時頃、日本の警察……公安外事三課の捜査員7人が我が家を訪れまして、家宅捜索令状を持ってきました。私戦予備・陰謀事件の捜査の関係先として我が家を捜索すると。
そして関係物を押収するということをやってきまして、私が取材の準備として荷造りをしていたんですが、ビデオカメラや普通のカメラ、パソコン、スマートフォン、ハードディスクといったものをすべて押収していってしまいました。その際には、現金・パスポートも一旦押収して返すということもされました。
機材を失ってるもんですから、翌日からの取材、イスラム国に向かうのができなくなり、10月の出発は不可能になってしまいました。
家宅捜索のもっと深刻な影響がありまして、これは私が持っていたイスラム国関係の連絡先などもすべて押収されたために、取材源の秘匿が不可能にされてしまったということです。さらに、単に秘匿するだけではなくて取材源の保護も難しくなってしまったという状況に陥りました。
ですから、例えば私がオマル司令官に連絡を入れようとすれば、盗聴される危険が非常に大きくなる。そして向こうの連絡先がわかっているということは、例えば逆探知されて、発信元を突き止められて、そこを攻撃されるなんてことすらあり得る。
ですから、家宅捜索の7人が我が家を出て行った直後に、私はイスラム国関係にすぐに連絡を入れまして、「今まで使ってきた電話番号やフェイスブックのアカウントなどをすべて削除してください。破棄してください」ということを言いました。
「すでにこれは捜査当局に取られましたので、あなた方に危険が及ぶ可能性がある。今後、私たちはあなた方に当分連絡ができなくなってしまいます」ということを伝えました。
その10月6日の家宅捜索のあと、およそ3ヶ月にわたって私はイスラム国にこちらから連絡することができなくなりまして、「イスラム国側が何を言っている」といった取材もできなくなったまま時間が過ぎてしまいました。そうしている中で、今週火曜日、例の脅迫ビデオのYouTubeへのアップロードがおこなわれ、私としてはこれを見て驚愕したわけです。
私が3ヶ月前まで聞いていた話では、湯川氏には緊急的な危機がある状況ではないと判断していました。私自身では。イスラム国自身が「身代金を要求したりしない。見せしめの殺害をしない」ということを明言していたために、たとえ連絡ができなくなって3ヶ月経っているわけですけども、直前まではそれほどの危機感は持ってませんでした。
ビデオを見て、状況が完全にひっくり返っていることに気が付いて、驚いたわけです。
9月にイスラム国に行った結果というのは、私は日本のメジャーなチャンネルで発表しています。その際に、私たちが湯川さんに面会する、湯川さんの裁判に立ち会う、湯川さんを解放させることができるかもしれないという状況についても報道しています。日本の警察はその状況を知っていたはずなんです。
それなのに、10月に再出発の用意をしていた私を警察が妨害して、湯川さんを助けられるかもしれない機会を奪ったということになります。奪うことになるかもしれないということは、日本の警察は知っていたはずだと思います。
警察の捜査なんですけども、着手から3ヶ月経っています。11月には私に対しても電話してきて「お前も容疑者である」と言ってきている。非常に、そういう捜査の仕方自体が聞いたこともないやり方なんですけども。3ヶ月経った今、検察への送致もしていません。もちろん検察に送ってないわけですから、起訴もされていない。事件そのものを警察が処理してないわけです。
はっきり言うと、私戦予備・陰謀というのは過去に適用されたこともない事件でありまして、妥当性があるのかないのか非常に疑わしい事件で、警察は強行的に私たちの情報を奪っていったと言っていいと思います。
そして、もし警察が私の取材の妨害をすることがなかったとしたら、私は湯川さんにイスラム国で会えた可能性がかなりあったと考えています。私たちは、彼の裁判に立ち会って彼を無罪にする見通しも持っていました。
というのも、彼は自分の日記で「シリアでイスラム教に改宗した」ということを書いていました。イスラム法では、基本的な事実として「イスラム教に改宗した人間は、改宗前の罪がすべて許される」というのがあります。
ただ、彼はコミュニケーションができていないので、イスラム国側は彼がイスラム教徒になったことを知らずにいる。そのままで裁判をおこなおうとしていますので、彼がイスラム教徒になったというのをこちらが証明することで、イスラム国の裁判で彼の無罪が取れる可能性があると見ていました。
そうすれば、彼を助けることができていたかもしれない。彼がもし助かっていれば、後藤健二さんは無理してイスラム国の領域に入ろうとしていなかったであろうと予想されるわけです。言ってみれば、警察の捜査が湯川さんの現在の危機的状況、後藤さんの危機的状況を引き起こしたとすら言えると思います。
警察が私たちの取材の妨害をした代わりに何をしたかといいますと、8月から湯川さんは誘拐されていたわけなんですけども、彼について捜査を進展させたとはまったく思えません。そして10月あるいは11月初めには後藤さんが誘拐されていることに気が付いていた、と私は取材で察知してるんですけども、それについても警察がやってきたことはネットサーフィンだけでした。
火曜日にビデオが公開されて、72時間という期限が切られて初めて捜査本部を立ち上げるということをやっています。過去5ヶ月間、誘拐されていた人間について誘拐犯とのチャンネルが作れなかった捜査当局に、あと3日間で何ができるのか私には大変疑問です。
この期に及んで、彼ら(警察)は私と中田先生を容疑者扱いしているからだと思うのですけれども、彼ら(イスラム国)とのチャンネルになってほしいとは言ってきません。外務省も同じです。邦人の命を救うつもりがあるのかないのかは非常に疑問で、首を傾げざるを得ないという感じがしています。
私は警察の捜査に対して「あなた方がやっている捜査は違法である。私戦予備・陰謀は成立しないことが明らかである」そして「捜査に協力はできません。取材源の秘匿の原則を守らなければいけないという理由もあります」という説明をしていたのですが、邦人の命を助けるための活動には、捜査協力とはまた別問題として、どんな協力でもしようという意思を持っています。
必要であればイスラム国に再び行くこともやろうと思っている。そういう状態ですので、先日インターネット上に「自分は救出活動に協力する用意がある」と書いたところでした。今のところ、日本の外務省、捜査当局から協力依頼あるいはそれ以外の接触もまったくない状態です。
こちらとしては、時間が本当に迫っている中、なぜこれほど日本の外務省あるいは警察に積極性が見られないのかというのが、疑問なところであります。こちらの説明は基本的に、今回の事件についてはおしまいです。
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