2025年のノーベル化学賞を受賞した北川進 京都大特別教授の記者会見の模様を全文書き起こしでお届けします。
前回の記事はこちら 福井一門としての思い
司会者:質問をどうぞ。
記者8:読売新聞富山と申します。この度は受賞決定おめでとうございます。福井謙一先生の系譜の研究者として、京都大学からノーベル化学賞を獲得したことについて、先生はどう思っていらっしゃいますか?
北川進氏(以下、北川):京都大学の工学部の化学系は、第1弟子の世代が福井先生です。福井先生が、この量子化学を、1950年代に、まだ量子力学という物理の学問が出て。量子化学というのは、当時は経験的な化学で、「こういうものを混ぜるとうまくいくよ」というところがまだあったんですね。それに量子力学を適用して、結果的に量子化学という、化学というものを作り上げられたんです。誰も想像してないことをやったという。
それを今、京都大学では、新しい研究単位の評価軸として、副流性という軸を作ってるんです。福井先生はその副流性の典型なんですね。その福井先生の孫弟子の、吉野さんがリチウムバッテリーでノーベル賞をもらわれましたが、それはまさにその福井先生から米沢先生、そして、森篠原先生と来て、同じ米沢先生の研究室の吉野さんは私の3年目先輩。
こういう流れがあるんですが、理論科学から材料科学、私は材料でも、物理とは違う機能も持っているから、分野は違うんですよ。ただ思想、伝統なんです。要するに基礎的なところをやるということと、やはり誰もやっていないことをやる、おもしろいことをやる。そういうところが伝統としてでき上がった。これで私は恵まれたと。
だから設備が恵まれていたとかそういう誤解をしないでください。そんなに、設備のサポートがあったわけでもない。その学術の精神が連綿と来たということです。
記者8:福井一門としての力を示せたと思いますか?
北川:福井一門という意味で言えばノーベル賞が出たグループに関わった。そういうメンバーだという程度です。あくまでもその虎の威を借りることをしてはダメだというのは、先生からの流れです。
挫折という感覚は一切なかった
記者9:産経新聞の堀口と申します。どうもおめでとうございます。先ほど苦労のお話がありました。研究の中で挫折とか諦めてしまいそうになったご経験もおありかと思うんですが、なぜ挫折せずにこれまで続けられてきたのかを教えていただきたいです。
北川:挫折っていう感覚はずっとなかったんです。なぜならば、先ほども、阿部大臣とお話ししましたが基礎的な研究経費はそれなりにありました。決して潤沢ではないし、大きな機械も買えないんだけど、やはりアイデアを持って応募すれば、それなりに研究できる経費があったと。
だから研究がうまくいかなくてもまだ続けていけるという、精神的な安定がありました。だから、挫折という感覚は私は一切なく、むしろ「本当にこれはおもしろいんだろうか」というのは、やっていてありました。
京都大学で得られたもの
司会者:次の方どうぞ。
記者10:京都新聞です。改めて先生にとって、深く在籍されて学ばれた、京都大学というものをどんなふうに、お感じになられてますでしょうか? 教えてください。
北川:非常に、精神的に自由であったように思います。これは地政学的に、東京はやっぱり首都ですのでいろんな意味で政治的なことを考えるんですけど。京都大学は、非常に遠くです。新幹線ができてちょっと近くなりましたけど。
だから、そういう意味で言うと、非常に自由な発想でものができる。おもしろいことをやっていて、ダメだと言って足引っ張る人は、そんなにいないと思います。だからそういう意味ではやはり良い環境であったと思います。
記者10:ありがとうございます。もう少しちょっと、若い世代の話をうかがいたいです。小中学生時代は京都市内で過ごされて、どんな子ども時代あったか、ちょっと教えていただけますでしょうか。
北川:小学校は遊びまわっていました。楽しかったです。中学校は、なかなかおもしろくって、中学校1年に入った時に隣に座ってた人が、数学がめちゃくちゃできる人手で、3年生の勉強が終わってるんですよ。「勉強ってそんなことするんだ」ということで、自分で勉強したいと思いました。そういう意味では、公立の学校でしたが、いろいろ変わった人は周りにいたような気がします。だから、そういうような環境のもとに、今至っているんだと思います。
「絶対無理だ」と言われる研究に挑戦したい
司会者:次の方、お願いします。
記者11:ありがとうございます。NHKのサイトウです。今回の受賞に伴いまして、今後の研究開発への意気込みを教えてください。
北川:2面性ありまして、1面はもっと基礎的な研究をしようと。それは何かというとこんなのは絶対無理だと言われるようなものが本当にできるのかという挑戦です。
つい最近やったのは、H2OとD2O、軽水と重水の分離です。これは普通、ほとんど一緒でできないと言われてるものです。しかし実は我々は材料でこういう原理でやればできるっていうことを示してました。だけどこれはすぐに役に立つというか、製品として出るかというと、これからなんですね。だけどこれは基礎的なことです。
もう1つは、やっぱり大量に作って、例えば、先ほどノーベル委員会の発表があった時に、プレスの人たちと話したんですけども。向こう5年で何をやりたいか。1つは、私の手から離れていてスタートアップがやってるんですけど。例えば、メタンのような燃料ですね。
みなさん、ガスが、ラインがつながっていない。都市はつながってるんですけど、ちょっと外れたら、もうガスラインってないんですね。よくプロパンガスのボンベを見ておられると思うんですけど、あれ大きいですよね。我らの材料はそれをもっとコンパクトにできます。
それで、DXでどれぐらい残ってるかも全部押さえられるシステムができます。そういうかたちで、災害が起きても非常にコンパクトですぐ燃料になる。そういうシステム作りも含めて、いろんな役に立つものができるんじゃないかと思っています。気体、ガスはますます期待される材料なんです。
記者11:もう1点お願いします。この研究担当理事として大学での育成にも組み込まれていらっしゃるかなと思いますけれども。この受賞をどのようにはずみにしたいとお考えでしょうか?
北川:私は研究でクリエイティブなこと、新しいことを作ってくのが大好きなんです。なので京都大学のためにいいシステムとか、評価システム。それから若手をサポートするシステムをしっかり作りたいと思ってまして、先ほど大臣の方にも、お願いしたわけです。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文氏に伝えたいこと
司会者:では次の方どうぞ。
記者12:読売新聞です。ノーベル生理学・医学賞を坂口先生が受賞されることが発表されました。、坂口先生にこんなことを伝えたい、こんな話をしたいという思いがあったらお聞かせいただけますか?
北川:坂口先生とは年代的にもほとんど一緒で、同じ時代を知ってるというか、おっしゃったことをニュースなどで見てるとかなり共感することがあります。そういう意味では、生き生きと研究できる若手をこれからどう増やしていくかというお話をしたいと思います。
記者12:同じ年に受賞が決まったことについてはいかがですか?
北川:いや、それはたまたまなので、やはり先ほど言いましたように、2人で協力できることがあればぜひやりたいなと、思ってます。
この発見は「私のすべて」
司会者:最後の方どうぞ。
記者13:中日新聞です。先生の発見のことを「ニュールーム」と表現されることもあると思います。要は新しい部屋、穴のことだと思うんですけれども、先生にとってこの穴、部屋というのは、どういう存在であると言えますでしょうか?
北川:1997年に、その機能が出るという発見をしてから、やっぱり10年ぐらい経ってきたら、もう私のすべてだということになってきました。だからその空間、穴もそうですけど、空間ですね。空間をいかに利用するか。要するに物質というのは、すべてあるものですよね。ところが空間って何もないんです。だからその空間を作る科学はいろんなところに応用できるんじゃないかと。私はそういうふうに思っています。
記者13:先ほど話の中で、このスタートアップへの期待があったと思います。例えば、中部の企業の東邦ガスとか、要は既存企業でも、先生の材料を使って、CO2の回収を実証を始めたりしてると思うんですけれども。そういった、既存企業での期待についてはいかがですか。
北川:いや、もうぜひがんばって欲しいですね。心強いですね。この材料は、1つのある材料だけですべてができるわけではありません。いろんな用途があります。その用途に合わせて作っていけるのがこの材料の良いところなので。ある会社がAという材料をやってたら、みんなAになるかというそうではなくて。
だから私としても、おもしろいネタというか、「それは絶対できないよ」っていうような話を聞いたら、途端にやる気が出てくるので。ぜひ一緒にいろいろなことができればいいと思ってます。
記者13:ちょっとローカルな質問申し訳ないんですけどね、先生、平成17年頃だと思うんですけども、名古屋大学で非常勤講師をされていらっしゃったと思うんですがご記憶ないでしょうかね? もし何か、思い出があれば教えて欲しいなと思います。
北川:というか、非常講師かもしれませんけど、覚えてます。向こうの大先生ともお話して非常に激励していただきました。
司会者:あらためまして、北川理事、本日はおめでとうございます。こちらで記者会見は終了させていただきます。
※本記事はAIによる自動書き起こしデータをもとに、編集部が内容を確認・編集しています。