2024.10.10
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小林麻央さん死去 市川海老蔵 記者会見(全1記事)
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市川海老蔵氏(以下、市川):えー、昨日夜に、妻、麻央が旅立ちまして、それによりまして、いろいろとございます。その中で、家族の時間や家族でしなくてはならないこと、家族で話すべきこと。
あと子どもたちとのこと。そういったことの時間という中で、思った以上にみなさまに伝わったのが早かったということで、急遽このようにみなさまに時間を作っていただいたのも、そのように多くの方にご迷惑がかからないように。
そしてまたブログや、ましてやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
記者:ご僅々のところ大変申し訳無いんですけれども、麻央さんとの最後の時はどなたが看取られて、どんな言葉をかわされたんでしょうか?
市川:私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと麻央のお母さんと、ずっと看病をしていました。私は昨日舞台が終わった後に、ここで別の撮影がございまして、その後にロビーでまた別の稽古がございました。
そしてそのときにお母様からLINEが来ていたんですけれども、ちょっと僕は見ることができませんでした。
約1時間半ほど遅れて見た内容が、「具合が悪い、ちょっとお医者さまも来ていて家族を呼んだほうがいい」というような内容でして、私もちょっと慌てて急いで家に帰ったわけです。そうして帰りまして、妻の麻央はこの世にいてくれて。
たまたま、本当にたまたまなんですけど、私がちょうど妻の傍に座って、呼吸が苦しそうだったんで、「大丈夫かな……」と思って。
昨日は、一昨日までは喋れたんですけど、昨日はずっと喋れずにいたので。あの、まあこれは本当に不思議な話なんですけれども、息を引き取る瞬間、私は見ていました。その時、僕は本当に不思議なんですけれど。
「愛してる」と言って。彼女が。その一言を言って……。泣いちゃいますよね。その一言「愛してる」と言って、本当にそれでそのまま旅立ちました。
記者:愛してるという言葉は麻央さんはちゃんと受け止めたように見えましたか?
市川:いや、僕が言ったわけではなくて、彼女が。旅立つ間際に「愛してる」、「る」が聞こえたか聞こえないかはちょっとわかんなかったですけど。「愛してる」と言って、旅立ったのがちょっと……。
まあなんと言うんでしょうか、こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに……。
なんとも言えませんね。すいません、なんか。どうしようね、昨日の今日でなにも準備ができていなくて、このようなところでお見苦しいところをすいません。
記者:最期、自宅で送ってあげることができたのは良かったと思いますか?
市川:それはとても良かったと思います。お母さまもお父さまも、私もお兄さまも、麻耶さんも。子どもたちもずっと側にいられたので、すごく良かったなと。病院で、私は父を病院で亡くしているので。
病院のときとは違う、家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。
記者:ご家族みなさんで、見送ることができた、と?
市川:そうですね。子どもたちも、見ていました。
記者:麻央さんは闘病の中で……かなりつらい中で、いつも笑顔を忘れずに闘ってこられましたけれども。そんな麻央さんの生き方を、海老蔵さんはどんな言葉で送ってあげたいですか?
市川:おっしゃるとおり、本当に笑顔、勇気、愛情、そして決してぶれない自分。そしてどんな状況でも、相手のことを思いやる気持ち。まあ、愛ですよね。そういった力が……最後までぶれず、一昨日まで笑顔で。笑顔で……話していて。
昨日……、昨日はやっぱり、ちょっと調子が悪かったので。我々家族も、急に……そうなってしまったので、戸惑った部分が、すごく大きかったです。
記者:海老蔵さんからは、どんな言葉をかけられましたか?
市川:僕ですか? いつ?
記者:麻央さんが、亡くなられる前に。
市川:ああ……。もう、この世にある、ありとあらゆる言葉を。耳元で、話していました。
記者:海老蔵さんにとって、麻央さんはどのような存在ですか?
市川:……。私の……どんな部分も、どこまでも、愛してくれていたんだと。存在っていうのは……。存在ね……、できればずっと一緒にいて、私のほうが先に逝って。
彼女には、もっと幸せに。もっと楽しく、家族やお友達……。麻耶さんや、お父さま、お母さま。そして、僕……私が、役者として成長してきた過程を、ずっと見守ってもらいたかった存在です。
記者:麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は……。
市川:うーん……。麗禾は……昨日は、ずっと麻央のそばを離れませんでした。そして、彼女の横で、ずっと寝ると言って。寝ていました。……。(麻央が亡くなったと)認識はしていると思いますね。
勸玄は……まだ、わかっているんですけれど……わかっていないところもあって。今日の朝も、麻央の横になっているところに、二人がいて。麻央の顔を触ったり、足をさすったり……手を握ったり。
そういうところを見ると、私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと。子どもたちに対して、とても大きなものがあるなと、痛感しました。勸玄はまだ、わかっていますけど……わかっていないと思います。
記者:奥様から学んだ大切なこと、どういったことを、これからも伝えていきたいと思いますか?
市川:彼女が元気になったら、自分が歩んで来た過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらば「こうしたい」「ああしたい」「多くの人の救いになれるような存在になれるようになりたい」ということで、一生懸命、闘病していました。
それでブログというものも始めたんです。マスコミさんのおかげで、ある意味、公になって本当にありがたかったと思います。
それでブログというものを始めて、なにかこう同じ病の人たちや、苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると、なんか人ではないというか、なんと言うんですかね、すごい人だなぁというか。
言い方はおかしいですけど。とにかく総合的に教わったこと、そして、また今後も教わり続けることは、愛なんだと思いますよ。
記者:3年間、闘病生活だったんですけれども、今、海老蔵さんの中に浮かんでくる麻央さんの姿というのは、どういう表情を一番思い浮かべられますでしょうか?
市川:どういう表情? 全部ですね。初めて会ったときの彼女から、今の……今日の朝まで、全部。全部ですね。
記者:笑顔が多いですか?
市川:そうですね。多かったと思います。
記者:これまで、いろいろなお話を麻央さんとされてきたかと思うんですけれども。もちろん、最期のお言葉である「愛してる」という言葉が、もちろんその言葉が一番残ってらっしゃると思うんですけど。
これまでお話されて来た中で、海老蔵さんに対してのお話でしたり、子どもさんへのお言葉でしたり、いろいろ印象に……。
市川:子ども? そうですね。心残りだと思いますよ。2人のことについて。どうすればいいんだろうって、考えても答えが出なかったものだと思います。
ですから、いろんなこともあり、今回も、子どもたちが出演したり、7月も倅が出るんですけど、そういうのを見に来ることを、1つの目標として、いろんなものを作ったんですけど。うん。まあでも、きっと見てると思うんでね。そういう意味で。
だから、心配で、心配で、しょうがないんじゃないでしょうか。
記者:海老蔵さんが託されたことみたいなものはありますか?
市川:うーん、ちょっと多すぎて、言葉に出せないですよね。もちろんね、今舞台やってたわけで、このあとも舞台ありますし、来月もすぐありますし。子どもも稽古もありますし、麗禾の成長のことも考えますし。
やっぱりこれから、まだ5歳と4歳ですから。これから、お母さんという存在が、彼女や彼には、非常に重要な存在なわけではないですか。それを……失った。それは、僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていくように思っていますね。
記者:麻央さんがよく言っていた言葉で、今、思い出されることってありますか?
市川:よく言っていた言葉、うーん……。でもやはり言葉というか、お姉さんの麻耶さんがちょっと調子悪くなった時も、例えば私が舞台で非常に疲れた時も、彼女自身はやはりもっと重い病にかかっている。
そして、お母さまが看病で疲れている時も、麻央のほうがもちろん大変なのに、やはり自分よりも相手のことを心配するやさしさ。こういう言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを想う気持ち、これはね、一番多かったですね。
記者:麻央さんと出会って、結婚されて、家庭を築いて、今、改めて、麻央さんはどんな奥さんでしたか?
市川:えー、そうですね……わかりませんね。どんな奥さん? 僕を変えた奥さんなんじゃないですか。
記者:どんなところを?
市川:わかりません。
記者:麻央さんがプロポーズの時に「来世も一緒にいよう」という言葉が一番響いたとおっしゃっておりましたけれども。
市川:そのつもりです。その話もしました。ですが、まあ、僕が愛想つかされないようにがんばらないといけないのかなと。
記者:その話をされた時、麻央さんはなんとおっしゃってましたか?
市川:元気な時?
記者:はい。
市川:よろこんでましたよね。
記者:改めて、今、麻央さんに言いたいこと、最後にお聞かせください。
市川:まだ昨日の今日なので、こういうところも聞いてると思うので、全部聞いてると思うのでね。言うことは言わなくても伝わると思うので。まあ、「いつも想ってるよ」っていうことですね。
記者:麻央さんのブログに励まされた方に、最後に一言。
市川:麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこういうようなかたちも、ある意味取らせていただいたと思うんです。実際そういうことがなければ、このようなことをご報告すること自体がかたちとしてはどうかと思います。
ですが、そういう多くの麻央のことを応援してくださった方、そしてまた麻央のことを、ともに闘ってる方々。本当に昨日、先に旅立ちましたけれども、ずっと麻央はきっとみなさまのそばにもいると思うので。本当にいろいろありがとうございました。
司会者:では、以上でございます。
市川:どうも。
記者:ありがとうございました。
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