2024.12.24
「経営陣が見たい数字」が見えない状況からの脱却法 経営課題を解決に導く、オファリングサービスの特長
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山口貴士氏(以下、山口):まず裁判所の判断の大きな枠組について、弁護団が主張した大きな点である「刑法175条は憲法21条・31条に反していて、無効ではないのか?」という問いについては、残念ながら裁判所に受け入れられませんでした。
裁判所はこのように言っています。
「表現の自由といえども絶対無制限なものでなく、公共の福祉のため、必要かつ合理的な制限を是認するものであって。表現の内容や手段が、他人の権利等のほかの公益を不当に害するようなものは許されていない、というべきであるところ、この法理は性表現についても同様である。
刑法175条は、表現の自由として保障され、性表現を一定の場合規制するものであるが、その規制は性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持する、あるいは性生活に関する秩序および健全な風俗を維持するためのものであり、このような保護法域ないし立法目的は、価値観が多様化しつつある今日においても十分、合理性・必要性を有していると認められる」
と書いてあります。まあ、そういうことです。
裁判所の判断の中でけっこう危険なのが、女性器を模したいわゆるアダルドグッズとか、インターネットで過激な性表現にアクセス可能とか。「立法目的自体が失われてるんじゃないか」と主張してるんですけれども。
ただ、裁判所としては、「このような時勢の変化はかえって性的秩序や基礎となる最小限度の性道徳あるいは健全な性風俗の維持に脅威を及ぼしかねないものである」というかたちになっています。
裁判所は、結局「インターネット上の過激なわいせつ表現の氾濫等によって、性生活に関する秩序や健全な性風俗を脅かす事態に対応すべく、175条が活用されなくてはいかんのだ」という考え方をしてるということです。
それから、「175条の定義が明確性を欠いていて、憲法31条に違反して無効ではないか?」ということもあったんですけれども。これについても、「十分明確なんだ」ということを言っていて。この辺は、残念ながら相手にされていないということになっています。
それから、わいせつ性の判断のあり方について、今回のように物品とデータと、いわゆる文書についてのわいせつ性というのは、別の判断のあり方をすべきではないかと思うんですけれども。基本的に、この判断枠組みは同一だというのが、裁判所が取っている立場のようです。
だから「わいせつ性の判断というのは、閲覧者足りうる普通人・平均人を基準として判断するべきだ」と言っているということになります。
その上で「デコまん」については、なんで無罪という判断をしたのかというと、結局、まず形状ですよね。女性器を連想させるものではあるんだけれども、例えば色が違うじゃないかと。
例えば、「造形物・その1」については濃い水色と。女性器や周辺部の皮膚の色とはまったく異なる色に着色されてるじゃないかと。
あと、非現実的な凹凸もあるじゃないかと。あと、女性器周辺の皮膚まで忠実に再現してるとは言いがたいじゃないかと。
明らかに人毛とは違うファーで覆われているじゃないかと。だから、一見して女性器と言えるものじゃないでしょと。
それから「造形物・その2」、「デコまん・その2」についても、白色や銀色でやっぱり実際の女性器とかけ離れた色をしているし、ラメ加工もされているし、女性器の陰影も明らかじゃないし、人毛じゃないことは明らかなファーがいっぱいついてるじゃないか。
「造形物・その3」についても、クリーム色のものが散りばめられ、茶色の着色料とクリーム色と相まって、全体として洋菓子のようなイメージをむしろ与えている。ケーキみたいなイメージ。「スイーツまん」というんですから、たしかにそうなんですけども。洋菓子のようなイメージを与えてるじゃないかと。
しかも、各造形物は石膏でできているから、触感は冷たくて硬いものだ。実際の女性器とは触り方が違う。そういうことを言ってるわけですね。
それから、本件各造形物の上記の形状に照らせば、女性器を模ったものだとしても、一見して人体の一部と言えるものではないし、直ちに実際の女性器を連想させるとは言えないと。こういう判断をしているんです。
その上で、ある程度ポップアートの一種として捉えることが可能だと言っていて。フェミニズムアートの思想を直ちに読み取れるかどうかはさておき、女性器というモチーフを用いて、見る者を楽しませたり、女性器に対する否定的なイメージを茶化すという制作意図を読み取ることができるものがあって。結局、芸術的な要素によって、性的刺激は緩和されていると。
そういう理由で、「わいせつにはあたらない」という判断をしています。
裁判所の判断の仕方の中で、前からのテーゼである、「女性器そのものが写ったらダメだよ」という判断を前提にしてるわけですよね。
デコまんについては、「女性器そのものとはかけ離れてるじゃないか」というところを重視して判断してるので。「『性器そのものが露骨に写ってればわいせつなんだ』という考え方を裁判所は出し得ていないのに……」と思いました。
それに引き換え、(有罪判決が下った)今回のデータについては、結局、「女性器周辺部についての形状が、起伏や細かいところも含めて、立体的に忠実に再現されてるじゃないか」ということを言っていて。結局、「女性器の精密な再現だ」ということをものすごく重要視してるわけなんですね。
これを見たら、「実際の女性器を強く連想させ、閲覧者の性欲を刺激することは明らかであって……」と言ってますから、「女性器というのが明らかであれば、見る者の性欲を強く刺激することは自ずと明らかである」と、そういうテーゼを前提にして判断をしているということなんです。
その上で、はたして「芸術性によってわいせつな要素が緩和できるか」ということについては、裁判所はけっこう辛い判断をしてると。
つまり、3Dプリンターという新しいテクノロジーを用いているが、芸術性を認めるわけではないし。「プロジェクトアートとかプロセスアートとしての芸術性や思想性を直ちに読み取ることもできないんだ」と言っています。
この判断の前提としては、「芸術性というのは、その物を見た上で判断すべきであって、前後のコンテキストを理解すべきではない」と裁判所は考えているということになります。
判決の概要は今言ったような内容で、山口のほうからは以上です。ほかに追加したい方?
南和行氏:弁護士の南です。なし子さんが「ポップアートとして認められて……」ということをおっしゃってましたので、そこの部分について説明します。
裁判所の判決で、「デコまんはわいせつ物ではない」ということを言ってるなかで、「本件各造形物はポップアートの一種であると捉えることが可能である」という言い方をしています。
その中で「女性器というモチーフを用いて、見るものを楽しませたり、女性器に対する否定的なイメージを茶化したりする制作意図を読み取ることはできるのであって、本件各造形物には、このような意味での芸術性や思想性、さらにはその反ポルノグラフィックな効果が認められ、表現された思想と表象との関連性も見出すことができる」という言い方をしてるんですね。
これはまさに、なし子さんが裁判でずっと、「見る人に楽しんでもらいたい」と言っていて、「なんで女性器隠さないといけないんだろう? それはおかしい」ということ、「茶化す」という表現をよくしたかと思うんですけど、それを本当にその言葉どおり汲み取ったと。
その上で、「わいせつ物ではない」という結論を導いているということで、「ろくでなし子さんのこれまでの活動を評価してくれていると読める面もあるのかな」と理解しております。
森本憲司郎氏(以下、森本):弁護人の森本です。本日の判決は一部無罪だということで。私が調べたレベルなので、正確かはわからないんですけれども。
昭和55年、一審判決は昭和53年の6月ぐらいなんですけど、日活ロマンポルノの事件で無罪判決が1件出てるんけれども。「愛のコリーダ事件」とか。
そういう昭和50年代以降の、刑法175条のわいせつ性が問題になって、はっきりと無罪という判決が出たのは、本日がひさしぶりに出た判決というか、画期的な判決だったと思っています。
南弁護士の言ったとおり、なし子さんの「女性器に対する否定的なイメージを茶化したりする」という制作意図が作品から読み取れると裁判所が認定してくれたので、非常に納得できるというか、この判決は一定の評価ができるだろうと思います。
最高裁の判例上は、思想性・芸術性が、その物自体から読み取れるものしかなかなか判断していただけないということなので。
3Dのほうはまさにデータそのものなので、そのデータから思想性や芸術性はなかなか読み取れないというところで、ろくでなし子さんのプロジェクトアートとかクラウドファンディングとか、目的の部分がなかなか判断に入ってこなかったのかなと思っています。
控訴審ではその辺もよく考えて、判例の分析等を行って、データだけで判断するのではなくて、無罪方向であれば、明確性も関係ないだろうと思うので。ちょっとむずかしい話になるんですけれども。
できるだけ制作意図とか芸術性とか、「なぜ3Dデータを頒布したのか」「なぜ3Dデータの入った記録を人に渡したのか」というところをしっかりと理解してもらうように控訴審では頑張ってまた戦いを続けたいと思っております。
歌門彩氏:弁護人の歌門でございます。この度の判決は、デコマンについては無罪というかたちで、「ろくでなし子さんの作品、フェミニズムアートの思想を読み取れるかどうかはともかくとして、ポップアートの1つである」というような趣旨でした。
また、わいせつ性の度合いも性的刺激の度合いもそれほど強い強いものではない。その上で芸術性による刺激の緩和も認められる。そういったかたちで無罪ということになり、その点、非常に評価すべき判決だと思います。
ただ、これがデータの頒布といったかたちになりますと、女性器の形を、女性器であることを強く想像させてしまうというもので、そのままストレートにわいせつだと認めてしまった。この点に関しては非常に納得はいっておりません。
裁判所の判断基準の考慮要素としては、例えば、主として好色的興味に訴えるものと認められるか否かといった観点が入ってくるんですが。ろくでなし子さん、好色的興味に訴えて頒布したものではないと言っていることは明らかですね。
そういった点をどのように裁判所に理解させるのか、これから上訴審で戦っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
山口:弁護団からはこれぐらいにして、会場から質問を受けたいと思います。希望される方は挙手をお願いいたします。
メディアの方の場合は、所属とお名前を名乗ってください。そうじゃない方は別にけっこうです。
質問者1:写真家の〇〇と申します。先ほど、「『愛のコリーダ事件』以来の判決だ」という話を聞いたんですけれども。僕の理解では、2008年の(写真集のわいせつ性が争われた)「メイプルソープ裁判」……。
山口:あれは刑事事件じゃないんですよ。
質問者1:ええ。175条の兼ね合いというのはあると思うんですけれども、それで表現の自由的なものは開放されたのかなと思ったんですけれども、そのへんの認識についてちょっとお聞きしたいです。
山口:ごめんなさい。メイプルソープの事件はいわゆる行政訴訟のほうで、刑事事件として訴追されたというものじゃない。ただ、解釈の仕方としては、わいせつと同じ要素の判断なんですけども。
メイプルソープの事件というのは、結局1冊の本が対象なわけですよね。無罪というか、要するに「わいせつでない」と判断した基準としては、個々の写真を見ればどうかわからないんだけども、全体として見れば、男性器が露出して大きく写っているものは全体の一部分を占めるものに過ぎないということと。
あとは、「メイプルソープが非常に写真家として高名であって、これを購入する人はいやらしい目的で買うんじゃないだろう」と。そういうことを考慮して「わいせつではない」ということを出したわけなんです。
なし子さんの事件とどこが違うかというと、なし子さんのものは1品ものなんですよね。本で何個かそういうカットがあるわけじゃなくて。
今回無罪の「デコまん」というのは、1個の作品が女性器を模った作品ということです。1品ものについて、どういうふうに判断するかという点で、メイプルソープの判決とはちょっと違う。
ただ、メイプルソープの判決も、男性器が写った写真だけを単体で取り出して配ったりした場合にどうなるかというのは、あの基準だとよくわからないということで、違うところがあると思います。
メイプルソープ事件で、性表現の開放という、自由になる方向に大きく動いた判決であるということは否めませんけども。若干対象になってるステージというか場面が違うものになると理解しています。
森本:弁護人の森本です。今ご指摘されたとおり、メイプルソープの最高裁の判決というのはすごい重要な意味があって。我々もメイプルソープの写真集も証拠で提出しております。
というのは、検察官、捜査機関側は「性器=わいせつ」という概念を取ってるように思われるので。メイプルソープの写真集、この中で見られた方いらっしゃるかわかりませんが、露骨な男性器がたくさん写ってるわけですね。
その写真集について、はっきりと「わいせつではない」と判断したのがメイプルソープなので。裁判所に「性器=わいせつ」だと判断しないでほしい。それはメイプルソープの写真集もしっかり見て判断してほしいと思って、証拠も提出しております。写真集原本を裁判所に出して、それを見てもらってます。
それから、メイプルソープの事件は、関税法で関税定率法の21条1項4号の輸入規制になって、それの対象として取り消し訴訟を起こしてる事件で。
例えば、なし子さんの「デコまん」を海外からもう1回持ち込んだときに、そこで「日本に入れちゃいけません」という税関からの処分をもらって、その取り消し訴訟をやれば、同じような事件になったんですけれども。
メイプルソープのほうは刑事罰を課されたわけじゃなくて、ちょっと事件としては質が違うのかなと思います。
山口:よろしいですか? じゃあ、そちらの女性の方。
質問者2:朝日新聞の○○です。今日、「デコまん」については「無罪」が出たということで。「2度目の逮捕というのはなんだったのかな?」というのを改めて思うんですけれども。「けっこう無理があったんじゃないかな?」という印象を受けたんですけれども。
検察のほうでもまた控訴するかもしれませんけど、今後、国賠訴訟とかは検討されてるんでしょうか? もう1つの質問もまとめてしまいます。
一方、3Dデータのほうは「罰金」ということになったわけですけれども。これもまだ確定したわけじゃないのであれなんですが、いろいろ判決が出たことでの波及的な影響というのはありえると思うんですけれども。このことによって、今後世の中にどんな影響がありえるのか。
3Dデータで真っ白なものであっても、「性欲を刺激する」と認められたわけなので。例えばこういうアート作品にデータを使う場合とか、アダルトグッズで3Dデータを使って作るとか。いろんな使い方の可能性があると思うんですけれども、今後社会にどんな影響が出ると思いますか?
山口:最初の「そもそも2回目の逮捕が不当なものだったんじゃないですか?」というのは、それはその通りですね。
最初に逮捕されたときに、結局勾留できなかったんですね。準抗告が通って釈放されたと。
それはどういうことかというと、共犯のいない事件だったから、在所隠滅をすると疑うに足る相当の理由が認定できない、ということで蹴られてるわけですね。
そうすると、今度はなにがなんでも共犯事件にしないと事件として立たないと。共犯事件にした上で、なし子さんを勾留して取り調べて自白させようと。そういう意図が絶対あったということは間違いないんだろうなと思うわけです。
共犯が必要だから、北原みのりという人も一緒に引っ張ったということですね。一方が「罰金刑」で有罪を受け入れてしまっていれば、こっちのほうもなかなか(無罪が)認められないだろうというのがたぶん戦略にあったと思うんですよ。
そういう逮捕のやり方について、いろいろ言いたいこともあるし、不満もあるんですけども。最終的に国賠とかどういうことをするかということについては、それは全部決着ついてからでしょうね。それまでに考えてもちょっとしょうがないと思うので、それはそのときに考えたいと思います。
それから、「(3Dデータの)白いものでも影響を与える」というのは、裁判所の心の読むだに、すごく細かいところを再現できてるということを重要視していて。
「デコまん」はそこまで精密ではないということを重要視してるから、写真で撮った場合と同じような感じに考えてるんじゃないかなというイメージがあるわけですよね。
女性器を写真で撮った場合について、わいせつになると扱われることは、実務的にはあんまり争いないと思います。
もちろん医学書とかは別ですよ。『日本女性の外性器』とか、ああいう集めた本とか、あれは普通に流通してますし。「アート的な文脈で……」というのはなかなかないのかもしれないですけれども、医学とかそういう関係ではたぶんそういう影響はないのかなと思うんですけれども。
ただ、やっぱり女性器を使って、スキャンして、というかたちになってくると、1つの新しい表現技法とか、そこのところの関係では萎縮効果が広がってしまうということは当然あると思うんですね。
往々にして、今回の判決で「全部そういうものはダメ」と言ってるわけじゃないんだけども、必要以上に「3Dはダメなんだ」みたいな感じで萎縮効果広がっていってしまうというのは懸念されるところだと思います。
ただ、それは裁判所の責任という面もあるし。弁護団の責任もあるんですけど、編集者とかの責任も大きいと思うんですよね。作家の人とかはわからないわけですよ。
そこのところで、キューレーターとか編集者の人がちゃんと正確な知識を持って、「ここまでは大丈夫かどうか」ということについて、きっちり考えるというのは、必要以上に萎縮しないということについての1つの有効な予防策ではないかと思います。
今回の件とぜんぜん関係ないですけど、昔の東京都の非実在青少年のときの話でも、編集者が必要以上に怯えてて、結果的に作家による創作活動が萎縮するというケースをずいぶん見たんですよね。それと同じようなことになるんじゃないのかなとは懸念しています。
須見健矢氏:今回、非常に裁判所に失望したのは、いわゆるプロジェクトアートという概念を用いて、なし子さんのやっている活動が、データの頒布というその行為自体を切り取って見るのではなくて、全体の過程がアートなんだということを林(道郎)先生が証人に立っていただいたり、美術の牧先生など、たくさんの先生方に意見書を出していただいたんですが、そこがちょっと裁判所に理解してもらえなくて。そこが非常に残念です。
裁判所も「そういう芸術性・思想性を見るも余地もある」ぐらいにしか評価してないんですね。本来、そこをもう少し評価するべきなんじゃないかなと。
そういうところで、こういったプロジェクトアートみたいな活動をしてる方にとって、萎縮的な効果を生むのは、非常に残念と思ってますので。そこを今後は頑張っていきたいと思います。
質問者3:イラストレーターの〇〇と申します。裁判で問題になってるのは、「わいせつか、わいせつでないか」だと思うんですけれども。
今お話を聞いてたら、その「わいせつか、わいせつでないか」の基準で、「芸術性があるか、ないか」「精密であるか、精密でないか」という判断基準がまた2つあって。結局、「芸術性があって精密でなければ、わいせつじゃない」という判断をされたということなんですか?
山口:そこはわかりやすく言ってしまうと、わいせつの3要件というのがあります。その中で実質的に一番強いのは「いたずらに性欲を興奮もしくは刺激せしめるかどうか」とあるわけですよ。
本当はおかしいんですよ。だけど、裁判所が取ってるテーゼというのは「絶対的わいせつ物がある」という発想で、「これを見れば、みんなが発情するような絶対的わいせつ物があるのだ」ということがあります。
そんなことないんですよね。耳を見て興奮する人もいるし、鎖骨の形を見て興奮する人いるし、太ももが好きという人もいるんですけれども、「性器を見ると興奮する」という前提で裁判所は考えてるわけです。
そうすると、性器がよりリアリティですよね。精密に再現されていれば再現されているほど、性欲の刺激レベルが上がっていくんだ、ということになるわけです。
一方で、芸術性があれば、いやらしいことじゃなくて、アーティスティックな観点で見るとか、学術的な観点とか、そういう意味で見るから、性欲の刺激がどんどん弱っていくんだとなっていくわけです。
つまり、一方は強める要素、一方は弱める要素と考えていて。「これ以上性欲を刺激させたらやばいだろう」という、「わいせつのK点を超えるか超えないか」という判断基準になってるとご理解していただければと思います。
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