プロダクトマネージャーが陥りがちな4つのバイアス
プロダクトマネージャーの日常業務は、大小さまざまな意思決定の連続です。どの機能に優先的に取り組むか、どのようなUI/UXが最適か、どの顧客セグメントをターゲットにするか。これらの無数の選択が積み重なり、プロダクトの最終的なかたちを決定づけます。
プロダクトが生み出すインパクトは、プロダクトマネージャーの意思決定レベル以上に向上することは決してありません。だからこそ、意思決定の質を高めることは、プロダクトマネージャーにとって最も重要な責務の1つと言えます。
しかし人間である以上、私たちの判断はさまざまな認知バイアスによって歪められる危険性を常にはらんでいます。優れたプロダクトマネージャーになるためには、これらのバイアスを自覚し、意識的に回避する努力が不可欠です。
LinkedInのシニアプロダクトマネジャーである曽根原春樹氏によると、特にプロダクトマネジメントにおいて注意すべきバイアスは、主に4つ挙げられると言います。1. 固着バイアス(Anchoring Bias)最初に提示された情報に強く影響され、その後の判断が歪められてしまう傾向です。顧客から直接聞いた特定の課題や要望に固執するあまり、より本質的でインパクトの大きい問題を見失ってしまうケースがこれにあたります。
顧客との距離が近いほど目の前の問題が過剰に大きく見え、大局的な視点を失いがちです。常に「この問題定義は、十分なインパクトを導き出せるか?」と自問し、問題の切り口を再評価する冷静さが求められます。
2. IKEA効果(IKEA Effect)自分が労力を費やして作り上げたものに対して、過剰な価値を感じてしまうバイアスです。自分が深く関わった機能やアイデアに愛着が湧き、客観的な評価ができなくなることは頻繁に起こります。
このバイアスを乗り越えるためには、常に「問うこと」を諦めない姿勢が重要です。リリースした機能のインパクトが、本当にビジネスやユーザーにとってあるべきレベルだったのかをクリティカルに振り返り、自己満足に陥ることを避けなければなりません。
3. バンドワゴン効果(Bandwagon Effect)多くの人が支持しているという理由だけで、その意見や選択が正しいと思い込んでしまう傾向です。業界の著名人やVCが提唱する流行りの手法、「Move fast and break things」といったスローガンに盲目的に従い、自社のプロダクトにとって本当に必要な戦略的思考を怠ってしまう危険性があります。
まずは自社のビジョンと戦略を明確に定義し、そこにアラインメントをとるために時間をかけるべきです。全体のスピードを上げるのは、その方向性が定まってからでも遅くはありません。
4. 正常性バイアス(Normalcy Bias)自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりする傾向です。「どうせそんなことは起こらないだろう」という油断が、セキュリティインシデントやプライバシー問題といった重大なリスクを見過ごす引き金になります。目先の機能開発を優先するあまり、インフラやセキュリティといったユーザーに見えにくい部分への投資を後回しにしてしまうのは典型的な例です。
最悪のケースを想定したリスク分析(プリモーテム)を厭わず、エッジケースや隠れたリスクにも真摯に向き合う組織文化と仕組み作りが、プロダDクトの信頼性を担保します。
これらのバイアスは、個人の意識だけで完全に取り除くことは困難です。そのため、組織的な仕組みでバイアスによる判断の歪みを補正していくアプローチも非常に有効です。
プロダクトマネージャーは、自らの思考の癖を自覚すると同時に、より良い意思決定を促すための環境作りにも貢献していく必要があります。
プロダクトマネージャーの育成課題
プロダクトマネージャーの育成は、多くの組織にとって極めて重要でありながら、同時に非常に難しい課題です。その難しさの根底には、いくつかの構造的な理由が存在します。
1つ目に、前述のとおりプロダクトマネージャーの意思決定はチームメンバー全員のキャリアを左右するほどの影響力を持つため、育成には高い水準が求められます。中途半端なスキルセットのプロダクトマネージャーを現場に送り出すことは、組織全体にとって大きなリスクとなり得ます。
2つ目に、プロダクトマネージャーというキャリアは「なりたい」と志して計画的になれるケースが少ないという特性があります。多くの場合、エンジニアやコンサルタント、事業開発といった多様な経験を積む中で、結果的にその役割を担うことになった「結果の産物」としてのキャリアパスを辿ります。そのため、再現性のある育成カリキュラムを体系的に構築するのが難しいのです。
このような特性を持つプロダクトマネージャーを育成する上で最も効果的なアプローチは、「経験から学ぶ」機会を最大化し、その学びを組織全体で共有する文化を醸成することだとエムスリー株式会社の山崎聡氏は語ります。プロダクトマネージャーのスキルは、書籍を読むだけで習得できるものではなく、実際のプロダクト開発における微妙なバランス感覚や複雑な意思決定の経験を通じて磨かれていきます。
しかし、1人の人間が一生のうちに深くかかわれるプロダクトの数は限られています。そこで重要になるのが、「賢者は歴史に学ぶ」という言葉の通り、他者の経験から効率的に学ぶことです。
特にエムスリー社では、この考え方に基づき、社内のプロダクトマネージャーたちが定期的に集まり、それぞれの学びや成長を共有する場を設けていると言います。
ここで重視されるのは、失敗談以上に「成功体験」の共有です。「まずい料理をいくら作っても、おいしい料理は作れるようにならない」という比喩が示すように、成功した事例を分析し、なぜそれがうまくいったのかを深く理解することで、初めて成功の再現性を高めることができます。
成功体験を共有し、その背景にある思考プロセスや意思決定の基準を学ぶことで、プロダクトマネージャーたちは疑似的に多くの経験を積み、成長を加速させることができるのです。
さらに、育成のプロセスをより明確にするために、成長の段階に応じたレベル設定、すなわちキャリアラダーを設けることも有効です。例えば、エムスリーでは以下の3つのレベルを設定しています。
レベル1:アジャイル開発を使いこなし、動的な要求をプロダクトに反映できる。プロダクトオーナー+αの能力を持つ。
レベル2:ロードマップ策定やユーザーストーリーマッピングなど、現代的なプロダクトマネジメント手法を一通り実践できる。年間利益1億円から10億円程度を生み出せるミドルクラスのプロダクトマネージャー。
レベル3:プロダクトの力で会社を上場させられるほどのインパクトを持つ。年間利益50億円から100億円を生み出せるスーパープロダクトマネージャー。
このようなレベル分けをすることで、育成を受ける側は自分の現在地と目指すべき姿を明確に認識できます。また、指導する側もどのレベルのプロダクトマネージャーに向けたアドバイスなのかを意識することで、より的確なフィードバックを与えることが可能になります。
もちろん、海外のカンファレンスに参加したり、英語の文献を読んだりしてグローバルな最先端の知識に触れることも、特にレベル2からレベル3へと飛躍するためには不可欠な学習となるでしょう。
プロダクトマネジャーが持ちたいマインドセット
プロダクトマネージャーのキャリアは輝かしい成功だけでなく、数多くの失敗や後悔と共に築かれていきます。むしろどれだけ多くの失敗を経験し、そこから何を学び、次にどう活かすかが、1人のプロダクトマネージャーの成長角度を決定づけると言っても過言ではありません。
プロダクトの価値を完全に見誤り、チームの多大な労力を無駄にしてしまった経験。ユーザーインタビューで本質的な課題を引き出せなかった後悔。そして、組織の空気を読んで言うべきことを言えず、後になってプロダクトが間違った方向に進むのを見過ごしてしまったことへの自責の念。これらは、多くのプロダクトマネージャーが通る道です。
重要なのは、これらの失敗を単なる個人の過ちとして終わらせるのではなく、組織や自己の成長の糧へと転換させるマインドセットです。
例えば、転職直後に遠慮してしまい、データを見て「これはおかしい」と感じた素朴な疑問を口に出せなかったという経験は、「空気が悪くなっても言うべきことを言う」という強い信念につながります。
これは「Discovery」の価値、すなわち既存の常識や思い込みに疑問を投げかけ、新たな視点をもたらすことの重要性を示しています。プロダクトの価値に対して全面的な責任を負うという覚悟があるからこそ、プロダクトマネージャーは時に厳しい指摘者としての役割も果たさなければならないのです。
究極的には、プロダクトマネージャーという仕事を長く続け、成功を収めるための原動力は、スキルや方法論だけではなく、プロダクト開発そのものへの深い愛情と情熱にあります。
だから僕は、目標を決めて達成するのは好きですけど、それはゲームとして楽しんでいるだけであって。お客さんに支持されて、「やったった!」みたいな、そういうのをやり続けているのが快感なだけです。
それは、例えばプロサッカー選手に「将来どうしたいですか?」と聞いて、「ワールドカップに出たい」「試合に勝ちたい」と言うかもしれませんが、それは通過点であって。本音は「なるべく長くボールを蹴っていたい」だと思うんですよね。
サッカー選手でいたいかどうかはわからないですけど、とりあえず、できるだけ長くサッカーはやっていたいと思うんですよ。それでお金ももらえたら、こんなうれしいことはないじゃんみたいな感じで。そういう感覚に似ているのかなと僕は思っています。つまり、プロダクト開発自体をずっとやっていたいと。
新しい何かを構想して、仲間と一緒に世の中に提案して。それで、「失敗した」とか「仮説が当たった」という試行錯誤を、やり続けたいだけなのかもしれないです。
引用:プロダクトマネージャーはその価値に対して全面的責任がある 今だから話せる失敗したこと・後悔したこと(ログミーBusiness)
役職や肩書、あるいは特定のプロダクトの成功は通過点に過ぎません。その根底にあるのは、新しいものを構想し、仲間と力を合わせ、世の中にその価値を問い、顧客からのフィードバックというかたちで結果を受け止めるという、一連の試行錯誤のプロセス自体を楽しみたいという純粋な欲求です。
この飽くなき知的好奇心と、ものづくりへの快感こそが、無数の困難や失敗を乗り越え、プロダクトを成長させ続けるための最も強力なエンジンとなるのです。スキルは学べますが、このマインドセットは、日々の実践の中で自ら育んでいくしかありません。