「こうなりたくない」から逆算したキャリア設計
「仕事でやりたいことがわからない」という人に向けたまた別の方法として、「こうはなりたくない」「これは絶対に嫌だ」というネガティブな側面から自分のキャリアの軸を探る方法もあります。
このアプローチは、自分が本当に避けたい状況を明確にすることで、進むべき方向性を絞り込んでいくというものです。
ポジウィル株式会社の代表取締役である金井芽衣氏は、「『どうありたいか』がわからない人は、『どうなっていたら最悪か』って考えたほうがいい気がしていて、『どんな状態だと嫌かな?』ということを言語化できると、そうならないように動けるんですよね」と語っています。人間は、何かを得る喜びよりも、何かを失う痛みや不快感を避ける動機のほうが強く働くことがあります。この心理を利用し、「最悪のシナリオ」を具体的に定義することで、それを回避するための行動指針が自然と見えてくるのです。
この方法は、キャリア選択の場面でも応用できます。
公益財団法人 山田進太郎D&I財団COOの石倉秀明氏も、「嫌なことだけを決めて、それが『あるか・ないか』で決めます」と述べています。例えば、以下のような「嫌なことリスト」を作成してみるのがおすすめです。
・実力がないのに、年齢だけで評価される環境は嫌だ
・理不尽な理由で評価が決まる組織は嫌だ
・自分の意見がまったく反映されない仕事は嫌だ
・プライベートの時間をまったく確保できない働き方は嫌だ
このように、自分が許容できない労働環境や人間関係、仕事の進め方などを具体的に書き出していくと、自分が仕事や職場に何を求めているのか、大切にしたい価値観が逆説的に浮かび上がってきます。
例えば「年功序列が嫌だ」という気持ちの裏には、「実力で正当に評価されたい」という欲求が隠れているかもしれません。「プライベートの時間が確保できないのが嫌だ」と感じるなら、「ワークライフバランスを重視したい」という価値観を持っていることになります。
「こうなりたくない」という未来から逆算して考えることは、単にネガティブな状況を避けるだけでなく、自分が本当に望む状態を再発見するための強力なツールとなり得ます。
「やりたいこと」というポジティブな言葉にプレッシャーを感じてしまう時こそ、この「逆算思考」を取り入れ、自分だけのキャリアの羅針盤を築き上げていくことが重要です。
他人との比較から抜け出すための思考法
ここまで「仕事でやりたいことがわからない」という人が、次の1歩を踏み出すための方法について紹介してきましたが、どの方法をとったとしても、注意しておきたいことがあります。それが「他人との比較」です。
現代社会では、SNSなどを通じて、同世代の活躍や他人の華やかな生活が容易に目に入るようになりました。その結果、自分と他人を比較して焦りや劣等感を抱えやすくなっています。
この「比較」という心理的な罠は、自信を失わせ、やりたいことを見つける上での大きな障害となり得ます。では、この避けがたい比較の感情と、私たちはどう向き合っていけばよいのでしょうか。
1つのユニークな処方箋を提示しているのが、石倉秀明氏です。
彼は、「比べる相手のハードルを下げる」という方法を提案しています。例えば、SNSで他者への誹謗中傷ばかりしているようなアカウントを観察し、「この人よりは自分のほうがまともだ」と確認するのです。
これは一見すると極端な方法に聞こえるかもしれませんが、比較対象を意図的に変えることで、相対的に自己肯定感を保つという心理的なテクニックです。
誰しも、比較する相手を間違えれば、無限に落ち込むことができます。大切なのは、自分を不必要に卑下しないための健全な視点を持つことです。
一方、マネックスグループ取締役の山田尚史氏は、「メタ認知」を活用するアプローチを挙げています。メタ認知とは、自分自身の思考や感情を客観的に認識することです。他人と比較して劣等感を抱いた時に、「ああ、今自分は心理学でいう防衛機制が働いているな」と、自分の心の動きを冷静に分析するのです。
そして、その感情を否定するのではなく、「人間だからそう思うのは当然だ」と受け入れた上で、その悔しさを創作や仕事へのエネルギーに昇華させることを目指す、というものです。これは、自分の感情をコントロールし、成長の糧に変えていく高度な思考法と言えます。
また、環境選びも比較の感情をマネジメントする上で重要です。教育経済学の研究では、自分の学力ギリギリの学校で下位にいるよりも、少しランクを下げた学校でトップにいるほうが、将来的な成功率が高いというデータがあります。これは、環境の中で上位にいるという経験が「成功体験」となり、自信を育み、次のチャレンジへの意欲を高めるからです。
常に高いレベルの環境に身を置くことだけが正解ではありません。自分が「頑張っているな」と実感でき、健全な自己評価を保てる環境を戦略的に選ぶことも、長期的なキャリア形成においては有効な手段なのです。
他人との比較から完全に自由になることは難しいかもしれませんが、これらの思考法や戦略を取り入れることで、その影響をコントロールし、自分自身の道を着実に歩んでいくことができるでしょう。
「やりがいか、年収か」に惑わされない仕事選び
最後に「やりがいか、年収か」という二択についても触れておきましょう。
キャリアの選択を迫られた時、私たちはしばしば「やりがいか、年収か」という二者択一の問いに直面します。この議論は非常にシンプルでわかりやすいため、多くの場面で語られますが、実は私たちの思考を狭め、より良い選択肢を見えなくさせてしまう危険な「間違ったトレードオフ」であると石倉秀明氏は警鐘を鳴らしています。
この二元論の問題点は、本来両立しうるはずの2つの要素を対立するものとして捉えさせてしまう点にあります。世の中には、やりがいを感じながら高い収入を得られる仕事が数多く存在します。しかし、「どちらかを選ばなければならない」という前提に立つと、その両方を満たす可能性を探ることをやめてしまいます。
また、「やりがい」という言葉の曖昧さも問題です。情熱を注げる仕事が見つかればすばらしいですが、それが見つからないことに対して過度なプレッシャーを感じる必要はありません。
よく「やりがいか年収か」みたいな議論があるじゃないですか。こういう間違ったトレードオフに惑わされないほうがいいと、僕は思っています。やりがいもあって年収も高い仕事は、世の中にはたくさんあるわけですよね。
だから、世の中で言われていることを変に真に受けないで、自分でちゃんと考えるのは、すごく重要だと思います。やりたいことが見つかればもちろんいいけど、やりたいことも変わるんですよ。
引用:「やりがいか年収か」の議論に惑わされない仕事の選び方 やりたいことがない人のためのキャリア形成のヒント(ログミーBusiness)
石倉氏が指摘するように、世間で言われていることを鵜呑みにせず、自分自身の頭で考えることが何よりも重要です。「こうあるべき」という社会的なプレッシャーや一般論から一度距離を置き、「自分は本当に何を望んでいるのか」を素直に考えるべきなのです。
やりたいことが明確でなくても、「大きな会社で落ち着いて働きたい」「逆に、小さい会社で裁量を持って働きたい」といった、もっと身近で具体的な希望から仕事を選んでも良いのです。
さらに忘れてはならないのは、「やりたいこと」は固定されたものではなく、変化し続けるという事実です。結婚や出産といったライフステージの変化、新たな人との出会いや経験を通じて、興味や関心の対象は移り変わっていきます。
かつて情熱を注いでいたことに興味を失うこともあれば、まったく予期していなかった分野に強く惹かれることもあります。だからこそ、ある時点で見つけた「やりたいこと」に固執する必要はありません。
キャリアは一度決めたら変更できない1本道ではなく、その時々の自分の気持ちや状況に応じて、柔軟に軌道修正していけばよいのです。
最終的に、仕事は「生活の手段」であるという現実的な側面から目を背けるべきではありません。しかし、それは仕事を単なる作業として受け入れるという意味ではありません。
生活のために働くという土台の上で、その中でいかに楽しみや意味を見出し、自分自身が納得できる選択をしていくか。そのための思考を止めないことこそが、変化の激しい時代において、自分らしいキャリアを築いていくための鍵となるのです。