【3行要約】
・リスキリングとは個人の「学び直し」ではなく、組織が戦略的に従業員の新スキル習得を支援する「業務」のことを指します。
・AIやロボットによる「技術的失業」が現実味を帯びる中、個人の努力だけでは対応できず、企業が業務の中で新スキルを実践する機会を提供することが生存戦略となっています。
・リスキリングを継続するには「仕組み化」と「環境づくり」が重要で、特に仲間と学ぶことで挫折を防ぎ、変化を楽しみながら未来の可能性を広げていくことが大切です。
リスキリングとは「個人が自主的に取り組む学び直し」ではない
リスキリングという言葉が広く知られるようになりましたが、その本質は「個人が自主的に取り組む学び直し」とは異なります。本来リスキリングとは、組織が主体となり、自社の事業戦略に基づいて従業員に新しいスキルを習得させる取り組みのことを指します。
英語の「Reskill」は他動詞であり、その構造は「組織(主語)が従業員(目的語)をリスキルする」となります。これは、リスキリングが組織の実施責任のもとで行われる「業務」であることを明確に示しています。
多くの人がリスキリングと混同しがちなのが「リカレント教育」です。リカレント教育は、個人がキャリアの中断を選択し、大学などの教育機関で体系的に学び直すことを指します。これはあくまで個人の意思決定に基づくものであり、学習期間中は仕事を離れるのが一般的です。
一方でリスキリングは、新しい仕事や職務に就くことを直接的な目的としています。そのため、学ぶ内容は現在の仕事の延長線上にあるスキルアップ(アップスキル)とは異なり、多くの場合、新しい職務で求められる実践的なスキルやノウハウが対象となります。学習も、仕事を続けながら、新しい仕事に就く直前や就いてすぐに並行して行われることが特徴です。
この違いを理解することは、リスキリングを成功させる上で非常に重要です。個人任せの自己啓発として捉えてしまうと、組織全体の変革にはつながりません。企業が自社の未来を描き、その実現に必要な人材を計画的に育成していくという経営戦略の一環として位置づけられてこそ、リスキリングは真の価値を発揮するのです。
したがって、これは個人の問題ではなく、組織が責任を持って推進すべき経営課題であると言えます。
日本のリスキリング推進を妨げている原因
「リスキリングは個人が主体的にやるもの」という誤解は、残念ながら社会に根強く存在します。この誤解が広まった一因として、メディアなどがリスキリングに「学び直し」という和訳を当てたことが挙げられます。
日本で「学び直し」という言葉は、もともと個人が自らの時間と費用を投じて行う自己啓発、すなわちリカレント教育のイメージで認識されていました。そのため、リスキリングも同様に、就業時間外や週末に個人が努力して行うものだと捉えられてしまったのです。
この混同は、企業のリスキリング制度にも影響を及ぼしています。例えば、「好きな勉強をして資格を取ったら5万円を支給する」といった制度を設けている企業がありますが、これはリスキリングではなく、福利厚生の一環としての学習支援制度に過ぎません。
従業員が会社の事業戦略とは無関係に個人の興味で学んだとしても、それが直接的に企業の成長に結びつくとは限らないからです。
リスキリングは企業のチェンジマネジメント、すなわち組織変革の取り組みそのものです。会社の新しい事業の方向性を定めるのは経営者であり、その戦略に沿って従業員が身につけるべきスキルも会社が決定します。
個人が学びたいものを自由に学ぶのはリカレント教育の世界であり、リスキリングは仕事である以上、何を学ぶかは会社が決めるべきなのです。
もともとは、個人が時間と費用を捻出し、自己啓発みたいなかたちで能動的にやっていくリカレント教育が「学び直し」の認識だったわけです。ところが、リスキリングに「学び直し」という和訳をつけてしまったので、同じものだと思われてしまったんです。
——「リスキリングも、社員が主体的に自分の力を高めるためにやるものだ」という勘違いが起きたんですね。
後藤:はい。「就業時間外とか週末に自分で勉強しなさい」という取り組み=リスキリングという誤解があるんですね。
引用:「リスキリング」と「学び直し」を混同している人の多さ 個人のやる気に頼りがちなリスキリング制度の落とし穴(ログミーBusiness)
この根本的な認識の違いが、日本のリスキリング推進を妨げている大きな要因となっています。企業はリスキリングを個人のやる気に依存するのではなく、組織的な「業務」として捉え、就業時間内に計画的に実施する体制を構築する必要があります。
なぜ組織主導のリスキリングが必要なのか
個人任せの「学び直し」では、現代の急速な環境変化に対応することは極めて困難です。組織が主導してリスキリングに取り組むことが不可欠である理由は、AIなどによる「技術的失業」という深刻な現実を直視する必要があるからです。
2013年にオックスフォード大学の研究者が発表した論文では、米国の雇用の約47パーセントが10〜20年以内になくなる可能性が示唆され、世界に衝撃を与えました。近年ではその動きがさらに加速しています。
世界経済フォーラムが2023年5月に発表した雇用予測によると、2027年までに、新しいテクノロジーやグリーン分野で6,900万件の雇用が創出される一方で、経済的な圧力や自動化によって8,300万件もの雇用が失われると見込まれています。これは、差し引きで1,400万件の雇用が純減することを意味します。
特に、銀行窓口業務、郵便局事務、レジ係、データ入力、一般事務といった正確性が求められる定型的な作業は、急速に縮小していくと予測されています。
IBMのCEOは、バックオフィス業務の約30パーセントがAIに代替される可能性に言及し、その影響が明らかになるまで新規採用を抑制する考えを示しました。これは生産性向上と引き換えに、人間の労働力が不要になっていく現実を浮き彫りにしています。
このような構造的な変化に対して、個人の自主的な学習努力だけで対応するには限界があります。そもそも、個人がオンライン講座を数ヶ月受けただけで、実務経験が求められる成長分野の職に就くことは容易ではありません。学んだ知識を業務の中で実践し、再現可能な「スキル」として定着させるプロセスが不可欠です。
だからこそ、企業が組織としてリスキリングを主導し、従業員に業務の中で新しいスキルを実践する機会を提供する必要があるのです。これは、従業員個人のキャリアを守るためだけでなく、企業自身が事業環境の変化に適応し、成長分野で競争力を維持するための生存戦略にほかなりません。
リスキリングを阻む「時間がない」「続かない」という壁
リスキリングの重要性を理解していても、多くの人が実践の段階でつまずきます。その最大の障壁となるのが、「時間がない」こと、そしてその結果として学習が「続かない」ことです。
個人がリスキリングを始めようと一念発起しても、三日坊主で終わってしまうケースは少なくありません。その原因の1つは、最初に立てる計画が無茶であることです。「毎日2〜3時間勉強する」といった高い目標を掲げても、日々の業務に追われる中で継続するのは誰にとっても困難です。
また、現代人にとって大きな誘惑となるのがスマホです。多くの人が「時間がない」と言いながら、スマホのスクリーンタイムを確認すると、1日に3時間以上もSNSなどに時間を費やしていることが珍しくありません。「スマホを開いたら無意識にSNSを見てしまう」という行動が習慣化しており、貴重な学習時間を奪っています。
これは企業においても同様の課題を抱えています。
厚生労働省の調査によれば、多くの企業が人材育成に取り組めない理由として「時間的余裕がない」ことを挙げています。日々の業務が多忙であれば、どうしても人材育成は後回しにされがちです。
しかし、人材育成は継続的に行わなければ効果は期待できません。単発の研修を実施しただけでは、スキルの定着はおろか、従業員の意識改革にさえつながらないでしょう。
このように、個人にとっても企業にとっても、「時間」はリスキリングを進める上で共通の大きな壁となります。この壁を乗り越えるためには、根性論に頼るのではなく、学習を継続できるような具体的な工夫と、それを支える仕組みづくりが不可欠です。
挫折しないための「仕組み化」と「環境づくり」
リスキリングを継続し、成功に導くためには、個人の意志の力だけに頼るのではなく、学習を自然に続けられる「仕組み化」と、モチベーションを維持できる「環境づくり」が極めて重要です。
まず、学習を生活の中に組み込む「仕組み化」から始めることが効果的です。例えば、学習のハードルを下げる工夫として、「ストッパー」と「ドライバー」という考え方があります。
「ストッパー」とは、SNSのような学習を妨げるものを物理的に遠ざけることです。スマートフォンのホーム画面で、つい開いてしまうアプリを何回もタップしないと開けない深い階層に移動させるだけでも効果があります。
逆に「ドライバー」とは、学習ツールをすぐに使える場所に置くことです。ホーム画面の指が届きやすい位置に電子書籍アプリのアイコンを配置するなど、意識しなくても学習を始められる環境を整えます。
しかし、最も強力なのは、1人で取り組まないことです。プライドが高い人ほど、誰にも知られずに一人で練習する「闇練」に陥りがちですが、これはかえって学習のスピードを遅らせます。遠回りしたり、非効率な方法に時間を費やしたりするリスクが高まるからです。
そこでおすすめなのが、仲間と一緒に学ぶ「環境づくり」です。近年では、特定のテーマについて学ぶオンラインコミュニティも増えています。同じ目標を持つ仲間と日々の学習成果を共有し合うことは、大きな刺激になります。
人間は社会的な生き物であり、他者の存在が自身の行動を促す強力な動機づけとなるのです。リスキリングは孤独な戦いではありません。人の力を借り、互いに刺激し合いながら進めることで、そのスピードと成果は飛躍的に高まります。