【3行要約】
・近年注目されている「静かな退職」は、物理的な退職ではなく、最低限の業務のみを行う状態で、組織全体の活力を奪う深刻な問題となっています。
・マイナビの調査では正社員の約半数が該当し、その背景には働き方の価値観変化や評価への不満、上司と部下の「学習性無力感」の連鎖があります。
・組織は「静かな退職」を排除するのではなく共存する戦略を検討し、上司は部下に関心を持ち、定期的なコミュニケーションを図ることが解決の鍵となります。
会社に在籍しながらも意欲を失う「静かな退職」の実態
近年、組織の課題として注目されている「静かな退職(Quiet Quitting)」という働き方があります。これは、従業員が物理的に会社を退職するわけではなく、在籍は続けながらも、仕事に対する熱意や積極性を失い、契約上求められる必要最低限の業務のみをこなす状態を指します。いわば、心が会社から離れてしまった状態と言えるでしょう。
静かな退職を選択している従業員には、いくつかの共通した特徴が見られます。例えば「言われたことだけを実行する」「にじみ出るやらされ感」「昇進や昇格に対する意欲が低い」「仕事とプライベートの境界を明確に区分する」といった行動です。
また、会議での発言や新たな提案、自発的な情報共有などがなくなることも兆候の一つとされています。退職が決まった従業員のような、ある種の精神的な余裕を持って淡々と業務をこなす姿も特徴的です。
この働き方がどの程度広がっているのかを示す調査結果があります。
株式会社マイナビが実施した
「マイナビ 正社員の静かな退職に関する調査2025年(2024年実績)」によると、正社員のうち44.5%が自身を「静かな退職をしている」と感じていると回答しました。内訳は「そう思う」が14.5%、「ややそう思う」が30.0%となっており、半数近くの従業員が仕事への意欲をセーブしながら働いているという実情が浮かび上がります。
静かな退職が広がる3つの理由
静かな退職が広がる背景には、主に3つの理由が考えられます。1つ目に、働き方に対する価値観の変化です。特に若年層を中心に、「仕事のために生きる」というよりも「プライベートを充実させるために働く」という意識が強まっています。
2つ目に、従来の雇用制度や評価システムへの不信感です。年功序列や評価の不透明さに対し、努力が報われないと感じる従業員が、過度な貢献を避けるようになるケースです。
3つ目に、コロナ禍を経た働き方の見直しです。テレワークなどが普及し、従業員が自身の働き方を自律的に考える機会が増えたことも、この傾向を後押ししていると考えられます。
これらの要因が複雑に絡み合い、静かな退職という現象を組織全体に広げているのです。
「がんばっても報われない」という不満とキャリア停滞感が意欲を削ぐ
従業員が「静かな退職」という働き方を選択する背景には、個人の価値観の変化だけでなく、組織が抱える構造的な問題が深く関わっています。その心理を理解するためには、いくつかのタイプに分類して考えることが有効です。例えば、「不一致タイプ」や「評価不満タイプ」といった類型が挙げられます。
「不一致タイプ」は、職場環境や業務内容と本人の希望やスキルとの間にミスマッチが生じている状態です。採用面接で聞いていた業務内容との相違、希望しない部署への配属、自身のスキルを活かせない業務への不満などが、仕事への意欲を低下させます。
「今の職場にはやりがいのある仕事がない」「自分のスキルを活かせない」といった声が典型例であり、環境への不満が静かな退職へとつながります。
そして、より深刻なのが「評価不満タイプ」です。このタイプの従業員は、自身の努力や成果が会社から正当に評価されていないと感じています。処遇や評価に対する不平不満、昇進・昇格への不信感が根底にあり、「がんばってもがんばらなくても評価が変わらないのであれば、がんばるだけ損だ」という考えに陥ってしまいます。その結果、会社への貢献意欲を失い、必要最低限の業務に留めるという選択をするのです。
この評価不満タイプの心理と、それに対する企業の課題について、株式会社PDCAの学校の中山拓哉氏は次のように指摘しています。
続きまして、2つ目が「評価不満タイプ」でございます。こちらに関しては特徴に書かれていますとおり、会社側からの評価に対して正当性を感じられていないので、「じゃあ、会社からの評価がそうなんだったら、私はもう最低限でいいですよ」というふうに静かな退職に陥ってしまうタイプです。
処遇・評価に対する不平不満、「自分ががんばってもがんばっても、会社は自分のがんばりをわかってくれない」といった、評価されない感覚。
あとは昇進・昇格、キャリアアップしていきたいにもかかわらず頭打ちになったりする。最近でいうと、若年層からは年功序列に対する反発の声が上がってきているのも実情でございます。
こんな評価不満タイプの静かな退職をしている本人からの典型的な声としましては、「自分で仕事を行って、面談時にがんばって一生懸命アピールしても評価されない」「がんばってもがんばらなくても評価が変わらない。なら、がんばらなくていいや」という考えに陥ってしまう。
引用:仕事への意欲を失った“静かな退職者”の心理とは? 4タイプ別に見る特徴と企業の対応策(ログミーBusiness)
このような状態を放置すれば、従業員はキャリアの停滞感と将来への不安を募らせ、ますます仕事への意欲を失っていきます。
企業側は、評価制度の透明化や公正な運用、そして個々の従業員の貢献を適切にフィードバックする仕組みを構築することが、静かな退職を防ぐ上で不可欠と言えるでしょう。
生産性低下と周囲への波及がもたらす組織運営への深刻な影響
「静かな退職」は、単に個人のモチベーションの問題に留まらず、組織全体に深刻な影響を及ぼします。その影響は、大きく分けて3つの側面に整理できます。
1つ目に、生産性や業績への直接的な影響です。言われたことだけをこなす「作業」と、自ら考えて付加価値を生み出す「仕事」には大きな違いがあります。
静かな退職を選ぶ従業員は、後者の「仕事」を放棄し、最低限の「作業」に終始するため、組織全体の生産性は必然的に低下します。新たなアイデアや改善提案が生まれにくくなり、業績の伸び悩みや停滞につながるリスクが高まります。
2つ目に、他の従業員への波及効果です。これは最も深刻な問題と言えるかもしれません。1人の従業員の「静かな退職」という働き方は、周囲に伝播する性質を持っています。
真面目に、そして意欲的に働いている従業員が、最低限の働き方をしている同僚と評価や待遇が変わらない状況を目の当たりにすると、「自分だけががんばっているのは馬鹿らしい」と感じ、不公平感を募らせます。その結果、意欲の高かった従業員までが静かな退職状態に陥るという負の連鎖が起こりかねません。
さらに、仕事ができる人に業務が集中するという、多くの職場で「あるある」とされる状況も、この文脈ではより深刻な問題となります。静かな退職者が担わない分の業務は、必然的に他の意欲あるメンバー、特にハイパフォーマーにのしかかります。
過剰な負荷が続けば、彼らは心身ともに疲弊し、最終的には組織を見限って離職してしまう可能性があります。これは企業にとって最も価値のある人材を失うという、計り知れない損失です。
3つ目に、組織運営や管理面への影響です。従業員のエンゲージメントが低下すると、マネジメントは格段に難しくなります。組織全体の士気が下がり、一体感が失われることで、新たな戦略の実行や変革の推進が困難になります。
また、競争力の源泉である創造性や改善への意欲が組織から失われ、競合他社に対する優位性を保てなくなるという長期的なリスクもはらんでいます。このように、静かな退職は組織の活力を静かに、しかし確実に蝕んでいくのです。
指導をためらう上司と成長を望む部下の間に生まれる「すれ違い」
「静かな退職」が広がる背景には、管理職と若手従業員との間に生じている深刻な「すれ違い」が存在します。多くの管理職は、部下への指導において大きなジレンマを抱えています。
株式会社PDCAの学校の中山拓哉氏は、
記事「かえって若手社員が辞める“ぬるい職場”の問題点 上司と部下の間で起きている『すれ違い』とは」の中で管理職の半数以上が「パワハラ認定を恐れて、必要な業務上の指導や改善指示を躊躇している」と回答したと語っています。
具体的には、管理職の62%が「ハラスメント懸念から、業績不振社員への明確なフィードバックを控えるようになった」と答え、さらにそのうちの約半数が「部下への遠慮から、本来正すべき行動や態度を見過ごすことが増えた」と認めています。
新任管理職に至っては、53%が「何が指導で何がハラスメントか区別できず、指導自体を避ける傾向がある」と回答しており、指導者側がハラスメントという言葉に過剰に縛られ、適切な指導を行えていない実態が明らかになっています。
一方で、指導を受ける側の若手社員は、まったく逆のニーズを持っています。若手社員の52%が「過度に保護された環境よりも、適度な厳しさのある成長環境を望む」と回答しているのです。
また、入社1〜3年目の若手社員の離職理由として、「適切な指導・フィードバックがなく成長が実感できない」が34%を占めています。さらに、Z世代の離職者の42%が「過度に配慮された職場環境で、厳しい指導や挑戦的な仕事の機会が少なかった」ことを離職理由に挙げています。
この状況は、いわゆる「ぬるすぎる職場」が、かえって成長意欲の高い若手の離職を招いていることを示唆しています。管理職は「ハラスメントにならないように」と遠慮し、若手は「もっと成長したいのに、教えてもらえない」と不満を抱く。この指導者側の懸念と、被指導側の成長意欲との間にある大きなギャップ、つまり「すれ違い」こそが、静かな退職の温床となっているのです。
上司と部下のコミュニケーションが不足すれば、相互の意図が伝わらず、勘違いや不信感が生まれます。結果として部下は成長機会を失い、仕事への意欲をなくしていくという悪循環に陥ってしまうのです。
上司も部下も陥る「学習性無力感」という負のスパイラル
組織内で「静かな退職」が蔓延する背景には、心理学で「学習性無力感」と呼ばれる深刻な状態が潜んでいることがあります。学習性無力感とは、「努力をしても無駄だ」と繰り返し経験することで、諦めや無気力状態に陥り、その状況から抜け出そうとする努力自体をしなくなってしまう心理状態を指します。
この現象は、職場の上司と部下の関係性において、負のスパイラルとして現れることがあります。典型的なプロセスはこうです。
まず、上司が部下に企画などを依頼します。部下は当初、「上司の期待を超えたい」と意欲的に取り組み、提案を行います。しかし、上司がその提案を全否定したり、結局は自身のアイデアで上書きしたりすることが繰り返されると、部下は次第に「何を提案しても無駄だ」「どうせ上司が考えてしまうのだから、待っていればいい」と考えるようになります。これが、部下側に生じる学習性無力感です。
しかし、問題はさらに根深く、この学習性無力感は上司側にも発生しうるのです。部下からの提案が期待値を下回る経験を重ねるうちに、上司もまた「このメンバーに頼んでも、どうせ良いものは出てこない」「結局、自分がやった方が早い」と考えるようになります。部下を信頼し、仕事を任せることを諦めてしまうのです。
こうして、「どうせ上司が考えるだろう」と期待しない部下と、「どうせ部下には無理だろう」と期待しない上司という、双方の諦めに基づいた関係性が構築されます。このお互いが無力感に陥った状態こそが、最も危険な負のスパイラルです。
このスパイラルに陥った組織では、メンバーの主体性や当事者意識は完全に失われます。部下は上司から期待されていないことを暗に察知し、最後のやる気さえも削がれてしまいます。この状態は、個々のパフォーマンス低下に留まらず、組織全体の停滞を招くため、場合によっては人事部門や経営層が直接介入してでも、この悪循環を断ち切る必要があります。