リーダーの「全能感」を手放すことが、なぜ組織を強くするのか
リーダーシップの在り方が大きく変化する現代において、かつて理想とされた「強いリーダーシップ」や「決断力」といった要素に加え、あるいはそれ以上に、「弱さを見せること」や「他者に頼ること」の重要性が増しています。
リーダーが自身の「全能感」を手放し、不完全であることを開示する行為は、逆説的に組織をより強く、しなやかにする力を持っています。
その理由は、リーダーの自己開示が組織の心理的安全性を醸成し、メンバー一人ひとりの主体性を引き出すからです。
株式会社食べチョクの秋元里奈氏は、リーダーが全能感を捨て、自分ができないことを正しく認識し、それをメンバーに開示することの重要性を説いています。リーダーが「自分はここが苦手だから、あなたの力が必要だ」と伝えることで、メンバーは自分の存在価値を認識し、強みを発揮する機会を得ます。これは、単なる業務の分担ではなく、信頼に基づいた協力関係の構築に他なりません。
このプロセスは、「個で勝つ」から「チームで勝つ」への転換を意味します。リーダー一人がすべてを背負うのではなく、各メンバーの多様な強みを組み合わせることで、一人では到達できないような高い成果を生み出す「集合知性」が発揮される状態を目指すのです。
株式会社HRインスティテュートの岩崎一郎氏は、リーダーが一人でチームを率いるのではなく、メンバー全員がそれぞれの特性を活かし、力を合わせて集合知性を発揮するよう考える方がうまくいくと指摘しています。組織開発のセオリーにおいても、トップのコミットメントは絶対条件です。
ヤフー株式会社が全社的に導入した1on1ミーティングの成功の背景には、経営トップ自らが率先して1on1を実践し、その重要性を姿勢で示したことがありました。社長や副社長が直下の部下と対話を重ねることで、1on1が単なる制度ではなく、組織の文化として根付いていったのです。
経営者が「助けてください」と素直に言えることは、弱さではなく強みです。それは、自分一人では限界があることを認め、他者の力を信じ、チームとしてより大きな目標に挑むという意思表示だからです。
リーダーが全能感という鎧を脱ぎ捨て、一人の人間としてメンバーに向き合った時、そこに本当の意味での信頼関係が生まれ、組織は未知の可能性へと向かって力強く前進を始めることができるでしょう。
フィードバックが拓く「盲点の窓」と成長の可能性
自己開示が「秘密の窓」を開く行為であるならば、それと対をなす重要なコミュニケーションが「フィードバック」です。フィードバックは、ジョハリの窓における「盲点の窓」を小さくし、個人の成長を促すための不可欠な要素です。
「盲点の窓」とは、自分自身では気づいていないものの、他者からは見えている自己の側面を指します。これには、自分では意識していない長所や、知らず知らずのうちに相手に不快感を与えているかもしれない短所や癖などが含まれます。この領域は、他者という「鏡」を通してでしか認識することができません。だからこそ、他者からの率直なフィードバックが、自己成長の貴重なきっかけとなるのです。
エリック・バーンの有名な言葉に「過去と他人は変えられない」というものがあります。人が変わるのは、他者から強制された時ではなく、自らが「変わろう」と決意した時です。フィードバックは、その決意を促すための重要な情報を提供します。
例えば、同僚から「あなたのあの発言は、もう少し違う言い方ができたかもしれない」と指摘された時、最初は抵抗を感じるかもしれません。しかし、その言葉を真摯に受け止め、「なぜそう見えたのだろう」「どうすれば改善できるだろう」と内省することで、新たな気づき、すなわち成長のチャンスが生まれるのです。
ヤフー株式会社では、1on1ミーティングを「経験学習」を促進するための重要な仕組みと位置づけています。日々の業務における経験を、上司との対話を通じて振り返り(内省)、そこから得た気づきを次の行動に活かすサイクルを回しています。このサイクルの中で、上司からのフィードバックは、部下が自身の「盲点」に気づき、パフォーマンスを向上させるための羅針盤となります。
さらに「あなたの上司は、内省を支援してくれていますか?」といった問いを通じて、上司自身も自分のマネジメントスタイルにおける「盲点」を知ることができます。
もちろん、フィードバックはデリケートな行為であり、伝え方には配慮が必要です。相手の人間性を否定するような言葉は避け、あくまで行動や言動に焦点を当て、ポジティブな改善を促すような表現を心がけるべきです。
株式会社HRインスティテュートの稲増美佳子氏は、「大ざっぱだな」と感じた相手には、「ざっくりとスピーディに捉えるのがうまいよね!プラスして大事なポイントをもう少し詳しく説明すると、さらに説得力が上がるよ」といったように、一度受け入れた上で改善点を伝える工夫を提案しています。このような建設的なフィードバックが日常的に交わされる文化を組織内に醸成すること。それが、「盲点の窓」を「開放の窓」へと変え、個人とチームが共に成長していくための鍵となるのです。
未知の自分に出会うための「挑戦」と「対話」
ジョハリの窓が示す4つの自己のうち、最も可能性に満ちているのが「未知の窓」です。これは、自分自身も他人もまだ気づいていない、潜在的な才能や特性が眠る領域を指します。この窓を開き、まだ見ぬ自分に出会うためには、日々のルーティンから一歩踏み出し、「挑戦」と「対話」という2つの鍵を手にすることが不可欠です。
「挑戦」とは、ふだんとは異なる業務に取り組んだり、新しいスキルを学んだり、未知の環境に身を置いたりすることです。私たちは、慣れ親しんだコンフォートゾーンの中にいるだけでは、自分の新たな一面を発見することはできません。
そして、もう一つの重要な鍵が「対話」、特に「組織の外にいる他者との対話」です。同じ組織、同じ環境にいる人との対話ももちろん重要ですが、価値観や背景がまったく異なる人々との交流は、自分自身の思考の枠組みや無意識の前提(レッテル)に気づかせてくれます。エール取締役の篠田真貴子氏は、ミドルシニア層のキャリア自律を促す上で、この「組織外の他者との対話」が極めて重要であると指摘しています。
じゃあ、この「対話」ってなにかと言うと、「組織の外にいる他者との対話」です。この本では、ミドルシニアの変化適応力は「組織の外にいる他者との対話を通じて育むこともできる」としているんですね。
なぜかというと、組織の中の人同士の対話に比べて、外の対話は「語りの質」に変化をもたらすものだからです。これはイメージ図で示しているんですけど、個人による組織についての、しかも、他者に対してのオープンな語りになると、いろんな比較対象がしゃべるご本人からフラットにイメージされるんですよね。
「うちの会社はそうだけど」、あるいは「自分の部署はそうだけど、同期の何々くんの部署はこういう感じらしい」とか。「家族といる時の自分はこうだけど、会社にいるとこうである」というようなことが話しやすい。組織の中だと、その同じ組織を共有しているという前提のもとでしゃべってしまうので、こういう話題に広がらないんですね。
結果として、自分の組織についての意義づけとか文脈づけが起こりやすくなる。
引用元:40〜50代が抱える「自己開示の低さ」「他者との交流の少なさ」 キャリア自律を促す「組織の外にいる他者との対話」の効果(ログミーBusiness)
異業種交流会に参加する、ボランティア活動を始める、あるいはまったく異なる文化を持つ国へ旅をする。そうした経験の中で交わされる対話は、自分の考えを客観視させ、これまで気づかなかった価値観や興味関心を引き出してくれます。それはまさに、「未知の窓」に光を当てる行為です。
自分と異なる存在に違和感を抱いた時、それは自分が無意識に貼っている「レッテル」に気づくチャンスです。こうした自己観察と、挑戦を通じた新たな経験、そして多様な他者との対話。これらを繰り返すことで、「未知の窓」は徐々に開かれ、私たちはより豊かで多面的な自己へと成長していくことができるのです。
多様性を「違い」として楽しむための相互理解
現代の組織において、「多様性(ダイバーシティ)」は、単なるスローガンではなく、持続的な成長とイノベーション創出のための必須要素となっています。しかし、価値観、経験、世代、文化などが異なる人々が共に働くことは、時として摩擦や対立を生むことも事実です。この課題を乗り越え、多様性を組織の力に変える上で、ジョハリの窓は強力な羅針盤となり得ます。
ジョハリの窓のフレームワークは、自分と他者の「違い」を理解するための出発点を提供します。多くの人が「多様性を受け入れよう」という言葉に、ある種のプレッシャーやしんどさを感じることがあります。
コンサルタントの竹内義晴氏は、「受け入れる」のではなく、自分とは違う考え方や価値観が「ただそこにある」と認識することが重要だと指摘します。相手を無理に変えようとしたり、自分の価値観を押し付けたりするのではなく、まずは「そういう考え方もあるのか」と、違いそのものをフラットに捉える姿勢が求められます。
この姿勢は、他者への「レッテル貼り」を避けることにもつながります。私たちは無意識のうちに、「若手はこうだ」「シニアはこうだ」「あの部署の人はこうだ」といったラベルを貼り、相手を単純化して理解しようとします。しかし、それは相手の多様な側面を見る機会を自ら奪う行為です。
ジョハリの窓を活用した相互理解は、このレッテル貼りを乗り越えるための具体的なアプローチを示唆します。
例えば、チームでジョハリの窓のワークショップを実施し、お互いの「秘密の窓」や「盲点の窓」について語り合う場を設けます。あるメンバーが「実は人前で話すのが苦手だ(秘密の窓)」と自己開示すれば、他のメンバーは彼を「無口な人」というレッテルではなく、一人の人間として理解し始めます。また、別のメンバーが「あなたは気づいていないかもしれないが、データ分析の能力が非常に高い(盲点の窓)」とフィードバックすれば、本人の自己認識が変わり、新たな役割を担うきっかけになるかもしれません。
このように、お互いの窓を開示し合うプロセスを通じて、チーム内の「開放の窓」は広がっていきます。それは、個々の「違い」が尊重され、お互いの弱みを補い、強みを活かし合う「お互い様文化」の醸成につながります。
多様性は、管理すべきリスクではなく、楽しむべき豊かさです。ジョハリの窓は、その豊かさを分かち合い、組織の力へと変えていくための、対話の地図となるのです。
ジョハリの窓から始める「キャリア自律」への道
ジョハリの窓は、対人関係の改善やチームビルディングに有効なツールであると同時に、一人ひとりが自身のキャリアを主体的に築いていく「キャリア自律」の実現に向けた、強力なエンジンとなり得ます。自己と他者の認識のズレを理解し、「開放の窓」を広げていくプロセスは、自分自身の働く意味を見つめ直し、変化の時代に適応していくための土台を築くことに他なりません。
キャリア自律の鍵となるのは、「自分はこうだ」という固定観念、すなわちシングルアイデンティティから脱却し、多様な自分(マルチアイデンティティ)を認めることです。
プロティアン・キャリア協会の有山徹氏は、「自分にはいろいろな顔がある」という前提で自分らしさを考えることの重要性を説いています。仕事での顔、家庭での顔、地域社会での顔。それぞれの環境で異なる自分を認識し、固執せずにさまざまな領域にチャレンジし続けることが、働く意味を見出すことにつながります。ジョハリの窓は、このマルチな自分を発見し、統合していくための内省とフィードバックの機会を提供してくれるのです。
最終的に、キャリア自律とは、単に仕事上のスキルやポジションを追い求めることではありません。それは、自分自身の人生観や仕事観と向き合い、変化する環境の中で「自分はどうありたいのか」を問い続けるプロセスです。全日本柔道連盟の井上康生氏は、この点を鋭く指摘しています。
井上:私も1つ質問したかったのは、企業においてミッション・ビジョン・バリューがあると。しかしながら、もう1つ考えていかなきゃいけないのは、自分自身の仕事観や人生観をどう考えるか。我々って、もっとこれを見つめてもいいのかなと思うところがあります。(中略)
井上:仕事に対する変化をつけていくことに関しては、私自身何も悪いことではないんじゃないかなと思うんですが、その先の「自分自身がどうありたいのか」を考える。
ここ(の考え方)をしっかりと持った上で、いろんなものチャレンジしていくほうが、より効率的にいろんなものを生み出していけるのかなと思います。人生そう簡単なものではないことは大前提なんですが、そのように思うところはありますね。
引用:リーダーは自分自身の「全能感」を捨てる ダイバーシティな組織を作る「メタ認知」と「自己開示」(ログミーBusiness)
ジョハリの窓は、この根源的な問いに答えるためのヒントを与えてくれます。「秘密の窓」の自己開示は、自分が本当に大切にしたい価値観(Will)を言語化する作業です。「盲点の窓」へのフィードバックは、自分が活かせる能力(Can)に気づかせてくれます。そして、「未知の窓」への挑戦は、新たな「ありたい自分」を発見する旅路です。
このように、ジョハリの窓を羅針盤として自己との対話を深めることは、変化の時代を生き抜くための主体的なキャリア形成、すなわち「キャリア自律」への確かな一歩となるのです。