大島薫はブラジル生まれブラジル育ち

(会場の参加者に「大島薫の生い立ちの流れ」が書かれた年表が配られる)

井戸隆明氏(以下、井戸):本とか薫ちゃんとの話とかを元に、生い立ちの流れを作って。四角で囲ってる空白がある思うんですけど、そこは何かあるだろうと思って僕が作ってるので、この空白に。

枚数があると思うのでもし無かったらロフトの人にコピーしてもらって、全員に行き渡るように回してもらうとして。こういう年表をつくりました。

大島薫(以下、大島):配っている間にかなり時間が。

井戸:でも最初のほうは特に取り立ててっていうわけではなく、書籍の冒頭は生い立ちについての章で100ページぐらいあるんですね。

ボクらしく。 (マイウェイムック)

大島:そうそう。だから本を読んだ方が、ちょっとわかり難いなっていうところがあったと思うんですよね。どれぐらいのページで年代が進んでいくのかっていうのが。

井戸:本の中では一番大きいパートで、すごい薫ちゃんのことがよくわかるし、僕も編集しててこれぐらいの分量がないと、大島薫っていうものがどうできるかっていうのは、わかりにくいかなと思って、冒頭でこれだけのページ数を割いたんですけど。

ここにいる人はみんな、ほぼ知っていると思うんですけど、1989年6月7日ブラジルに生まれる。

大島:そうですね。若いですから。0歳表記なんですね。

井戸:ブラジル……全然わからないですけど。ちょっと産まれた場所とか。

大島:これはサンパウロのリベルダージっていう所に生まれました。

井戸:都市?

大島:サンパウロは市ですね。その区ですね。市の中の1つの区。日系人がすごい多い地域で、昔は日系人街って呼ばれた場所です。リベルダージは、これは豆知識ですけど、昔、奴隷制がブラジルにはあったので、奴隷制があった時に、ここから奴隷達が解放されるんだよっていう意味を込めて、自由っていうのをリベルダデって言うんで、その名前をつけた。

井戸:リベルダデじゃなくて、リベルダージって書くの?

大島:呼び出がいろいろあるんですよ。リベルダージって言ったり、リベルダデって言ったり。

いつも投げキッスをしてる子供だった

井戸:ちなみにポルトガル語は今でも喋れるの?

大島:ちょっとだけ。

井戸:日常会話とかはできるの?

大島:そんな感じですね。っていうと、何か喋ってよとか言われるんですよね。何か喋ってよって言われて喋っても、お前わかんないだろうっていう話で。

井戸:ベージュ、ベージュ。

大島:ベージュね。昔、僕が小っちゃい時に、ベージュをやれって親からよく言われて。ベージュってキスのことなんですけど。それをやれって言われて、ホームビデオ? 僕は小さい時しか見たことないですけど、そう言われるといつも投げキッスをしてる子供でした。

井戸:そういうのが自分っていう、ボクらしくない意識があったんですか?

大島:違う! それは完全に親から言われてやってたんです。

井戸:それを見てノリノリでやってたの?

大島:結構。恥ずかしがりな子だったみたいで、やった後すごい照れてました。

井戸:そういうのを見たんだ、映像では。

大島:映像ではね。でも、その映像がどこにあるのかわからないんですよね。VHSだったんですけど。

井戸:今回本を作るにあたって薫ちゃんがブラジルから、写真を取り寄せてくれるっていうことで、頑張って。

大島:そうですね。親になんとかいろいろ言って、色をつけて。

井戸:親にどう言ったの?

大島:なんか、昔の写真とかみたいなぁって言って。

井戸:それは日本語で? そもそも両親は日系で、ブラジル生まれの。

大島:ブラジル育ちですね。

井戸:でも日本語もできると。

大島:まぁちょっとだけ。

井戸:でもポルトガル語のほうがやっぱり自然に。

大島:そうですね。僕のほうは逆に日本語喋れるけど、ポルトガル語はちょっとっていうので会話は結構難しいですね。でもまあクロストークみたいな、向こうがポルトガル語で言ったのを僕が聞いて日本語で返すみたいな。

「男は男らしく」という感覚が強い親だった

井戸:そういうのはね、この本の生い立ちのパートを読んだら、2歳の時、両親と大阪に行って出稼ぎに行って、1回一時帰国するけど高校卒業までは両親と一緒に大阪に住んでて。さらっとした流れではあるけど、結構両親とのコミュニケーションは苦労してたわけもあると。

大島:そうですね。まず感覚がちょっと違いますからね。向こうで育ってきてて。男は男らしくみたいなのがすごい強い親ですね。以外に日本もそうかもしれないですけど、でも結構すごかった。

井戸:古い考え方? キリスト教の影響があるとか。

大島:ですかね。なんかすごいそういうのがありましたね。

井戸:本当は日本で育って、インターネット文化とかも直面した薫ちゃんとはかなり開きがあった?

大島:そうですね。もちろん日本の番組とか見てたら、いろいろな人がでてくるじゃないですか。チャラチャラした若者みたいなものも。両親はすごい顔して見てましたけどね。

井戸:薫ちゃんに借りた写真とか見てたら、すごい古い時代の写真に思えて。

大島:ファッションがね、一昔前ですからね。うちのくらしは。

井戸:薫ちゃんは、もちろん俺よりも年下だし、自分の子供の時のがそんなにあるわけじゃないけど、見た時より20年ぐらい古いような感じに見えた。

大島:それはブラジルはあまりおしゃれに興味の無い人が多いので。暑いから別に何か着込めるわけでもないし、男性はみんなTシャツ短パンみたいだし。そんな感じなので日本にきてたぶん初めてジャケットを着たんじゃないかなっていうレベルです。うちの父親とか。

井戸:父親としては出稼ぎというのがメインだったから、本当にそこのために日本に来てからっていうのもあるでしょうし。

大島:そうですね。でも観光には結構連れてってもらいましたけどね。

井戸:そうなんだ。日本の中で?

大島:日本の中で。そういうのはいろいろなものを見せてあげようっていうのがあった。それはたぶんブラジルの日系人だったから余計にそれがあったんだと思うんですよ。

日系人の家庭では、ブラジルから移民で来た代の僕のおじいちゃんとかおばあちゃんの世代って、すごい話を聞いてて、ブラジルに行ったらすごい稼げるって行って、でも全然ひどい荒れ地を渡されて、「ここで畑を耕せ」みたいな生活を強いられて、ものすごい貧乏したんですね。

だから日系人家庭の中では子供の教育に力を入れようというのがあって、だから習いごととかさせたりとか、勉強とかもっと頑張ってできるように塾に通わせたりとかあって、そういうのを受けて育った両親だからそういうのが結構あったかもしれない。

井戸:割とエリートのお父さん?

大島:うん、お父さんはそうですね。お母さんはあまり賢くなかったですけど。

井戸:そろそろだいぶ(年表の紙が参加者に)行き渡ったかなと思うんで。年表を追っていきたいなと思うんですけど。 2歳の時に大阪に出稼ぎのために移住するとなって。

大島:これってね、本の中では期間が短くて省いたんですけど、本当は1回だけ千葉に住んでるですよね。一瞬。

井戸:最初に?

大島:そう最初に。一瞬千葉に住んで、その後すぐに引っ越したんです。それも1ヶ月いたかいないかぐらいの。

井戸:その辺の記憶はあるの?

大島:ほとんどないです。たぶんどこかのドームの前で写真を撮った記憶があるって、その写真は残ってるんで。千葉って何かドームありましたっけ? 千葉ロッテ? じゃあそこの前で撮ったんだ。マリンスタジアム。

井戸:みんな知恵を結集して、謎を解いていく。そこからもうすぐ大阪に移ったんだ? 何か理由があったの?

大島:別に普通にそこに働き口があったんでしょうね。

井戸:仕事ありきっていうことですね。それで日本に住みながらもブラジルに一時帰国。これは本の中にも書いている経緯で。

大島:そうですね。本当は両親はここで僕をブラジルに連れて帰って、そのまま住みたかったんですよ。

井戸:ある程度お金が貯まったっていうことだ。

大島:そうそうそう。でも僕がだだをこねて、日本に帰りたいって言ったから、しょうがないから帰るかって言って。

井戸:ここの1995年が結構大きな転機だね。

大島:もしブラジルに住んでいたら。

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